Paris ⅩⅡ



シネマ記録(32)アデルを追うサルトル

February 22, 2019

アデルのお話はそろそろお終いに入りますネ。


長くしつこく1本の映画(映画って大好きでも見方も何も分からないのに)について書いた理由は2つあります。

1つは 'フランス音楽' という括られ方で誤解を受け易いあの音楽が、ふんわり・しっとり・さっぱり・奇麗な等まやかしの形容をつけられるものじゃなく、フランス気質という異常なくどさ・一見したものとかけ離れた偏執的な根っこに引っ張られて存在し、

フレージングは滑らかで・シルエットは細身で・肌合いは透けそうであっても、それは花刺繍の執着や・細かなレース編みの固執に置き換えられる意固地な執拗性だ、地下活動だ、気の遠くなる細細たる作業を終わりなく重ねるラ・レジスタンスのフランスだ、

という音楽への手蔓を、文字の形態で実際に「音楽化」してみたくなったから。


もう1つの理由は、枝葉を描出した後に幹は何かを書きつけたかったから。


個人的な感じ方では此の映画の幹はサルトルが言う '責任' だと思ったのですが・・・

  *シネマ記録(23)アデルの生涯
  *シネマ記録(24)アデルの気後れ
  *シネマ記録(25)アデルの門
  *シネマ記録(26)アデルの茫漠
  *シネマ記録(27)アデルのブルー
  *シネマ記録(28)アデルとティレシアス
  *シネマ記録(29)アデルの迷路
  *シネマ記録(30)アデルに凍る


ならば其うと書く前に、もう1度ちゃんとサルトルを読もうと考えたので今日まで時間がかかってました。


2人の出逢いの初期にエマがアデルに '自己存在を決定づける行動があり、行動には責任が伴う' (言い回しはウロ覚えです) と引用します。


エマの科白のお陰でサルトルを改めて読んで、長年... 高校生からの本当に長年をあまり好きじゃない哲学者と思ってた誤認に気づくことができました。

美学系哲学が好きで、実存系哲学は避けてきました。
一応普通に読まなきゃならない代表作3数とかでお終いにした。

合わない気がした理由は薄々予想した通り、サルトルに関しても日本語訳との摩擦のせいでした。(無理に用語的に訳すと当然摩擦がありますよね)


サルトルは初めての原書。


面白いのナンノって・・・! 今頃そんな事言ってるの? って思われるでしょうけど訳本であまり理解してなかったみたい。初めて読むように新鮮でした。

《l’homme sera d’abord ce qu’il aura projete d’être (...) l’homme est responsable de ce qu’il est. Ainsi, la première démarche de l’existentialisme est de mettre tout homme en possession de ce qu’il est et de faire reposer sur lui la responsabilité totale de son existence. Et quand nous disons que l’homme est responsable de lui-même, nous ne voulons pas dire que l’homme est responsable de sa stricte individualité, mais qu’il est responsable de tous les hommes (...).》

         実存主義はヒューマニズムである
          L'existentialisme est un humanismeより


アデルは、エマが初期に語った自己にかかる責任を理解できなかった。この示唆が2人の別れの場面で決定的な隔たりとなります。

サルトルの哲学を (アデルも戯曲は好きと映画内で言っていました) よくわからなかった、と応じたアデル。

しかもその答え方は "Je crois que j’ai lu..." 多分読んだけど、なのです。'此の部分がわからない' どころか読んだ自分さえどこかあやふやなアデル。


一方エマはアデルに行動と責任と存在を説いたくらいですし、サルトルの考えに共感してたところもあったよう。


そのエマをアデルは無責任な思考と無責任な行動によって深く傷つけた。

アデルは寂しさから図らずも起きた成行きと弁明の気分でいっぱいだった。後ろめたさを目先の発散で覆い忘れた。けれどエマが責めたのはアデルが偶々起こした気持ちじゃなくて、信頼の問だった。

突き詰めれば... エマの主張だけでなく信頼を突き詰めれば、行動の責任という心の引締めを怠る [素養・土壌] に信頼は育たないことになる。エマが示す書物を読んだかどうか (文字を追ったのが事実でも自ら読んだと言い切れない半ら半尺をアデル自身が知っていた) 曖昧に返したとき既に2人の関係に未来はなかったかもしれない。

内省を促してもらえました。素晴らしい映画です。


*シネマ記録(31)子供
*シネマ記録(30)アデルに凍る
*シネマ記録(29)アデルの迷路
*シネマ記録(28)アデルとティレシアス
*シネマ記録(27)アデルのブルー
*シネマ記録(26)アデルの茫漠
*シネマ記録(25)アデルの門
*シネマ記録(24)アデルの気後れ
  ?僕が見た映画DVD
*シネマ記録(23)アデルの生涯
  *映画DVD
*シネマ記録(22)僕のおじさん
*シネマ記録(21)ゾラと失敗
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*シネマ記録(19)大人は判ってくれない
*シネマ記録(18)あこがれ・アムール
*シネマ記録(17)ランジェ公爵夫人
*シネマ記録(16)セラフィーヌの庭
*シネマ記録(15)フランス組曲
*シネマ記録(14)ブルゴーニュ?
  *怒られるわ
*シネマ記録(13)赤と黒・他
*シネマ記録(12)パリは燃えているか・他
*シネマ記録(11)大いなる沈黙へ
*シネマ記録(10)アデルの恋の物語
*シネマ記録(9)カミーユ・クローデル
*シネマ記録(8)ミッドナイト・イン・パリ
*シネマ記録(7) 愛と宿命の泉Part.2
  *フロレットという女性
*シネマ記録(6) 愛と宿命の泉Part.1
*シネマ記録(5)たそがれの女心
*シネマ記録(4)カラヴァッジョ 天才画家の光と影・他
*シネマ記録(3)エゴン・シーレ 愛欲と陶酔の日々・他
*シネマ記録(2)宮廷画家ゴヤは見た
*シネマ記録(1)モンパルナスの灯・他



シネマ記録(30)アデルに凍る

January 25, 2019

昨日の写真に写ってたお散歩道の先。


しおさい公園からは神戸港を挟んで、対岸にポートタワーや六甲の市章が見えます。

ウォーターフロントのフェンスは波型模様がついてて、お船を繋ぐビットのところは円く内へ入ってる。さもない風景も波の音が彩ると気持ちが弾む

**


そろそろアデルのお話もお終いにしなきゃだのに、思い返すにつけ出来栄えに感激するのです。

2度目に借りましょうと書いたくせにまだなんだワ。けれど日が経った今も脳内で楽しめる。入江に寄せる波みたいに、音を立てて触れてくる。

  *シネマ記録(23)アデルの生涯
  *シネマ記録(24)アデルの気後れ
  *シネマ記録(25)アデルの門
  *シネマ記録(26)アデルの茫漠
  *シネマ記録(27)アデルのブルー
  *シネマ記録(28)アデルとティレシアス
  *シネマ記録(29)アデルの迷路


監督の眼の当て方には、愚盲なアデル像への愛を感じないって前回感想を呟いたが、代わりにエマがアデルの田舎臭さ・無教養・無知・頭の回転の悪さ・嗜みの無さを微笑って受けとめる。


監督がアデルの浅短で未熟な性質を醜い因子に捉える眼も含んだレンズで追い、同じ要素をエマが受け流す。最初は、である。

絵に対し非常識なまでに無知なアデルをエマは赦してゆく。何故そんなことができるんでしょうとエマの心理に興味が湧く。

知らないなら知ればいいって方向に至らず、骨格がないから肉付けできない水準に描かれるアデル像をどう見てよいものか辛くなってくる。そこを噛みしめる醍醐味。


2人のデートで行った美術館でアデルは絵の何を見て良いかわからず目が泳ぎ、視線はエマに行き着く。好きな人を見る心地良さ(授業でアデルが学んだのと同展開)に、この人を見てて良いだろうかとレズビアンへの迷いも纏い、絵を観ていない後ろめたさも加わって・・・

何事にも自身を決定づけられない '不熟' 故、常時生煮えでブレた感情に苛まれる。片やエマの視線は真っ直ぐに水浴の絵に当たってる。


習慣を常用癖化するアデルの癖は、アデルが育った家庭のパターンだと以前に書いたのは「此の種の雛型には終わりがないから」です。


実家で日々延々と食べるアラビアータかアマトリチャーナのようなパスタ

--- フランス人がしばしば茹で時間に不誠実ゆえにやってしまう結構弛めの食感のアレっぽいが、パスタを冠すれば成立しないところあってこその家庭的な旨味に違いない ---

を食すアデルの父は、自称お料理が得意(好きと言ったか得意と言ったか記憶が曖昧です)という。ケシシュ監督って強烈だワと思った。

商店の軒先でお釣を受け取る前に間違えず計算して '昔から数学は得意' と言えてしまう惚け者や、どうでもいい人生論をグダグダ呟いて 'これが人生哲学だ' と言ってる与太郎くらい、救いようがない像とシーンがバンバン登場する。

痴者への憎しみが半端じゃないのではないかしら... と監督の闇が興味深く面白い。


ご覧になったことのあるお方がどれくらいいらっしゃるか判かりませんが、"月曜から夜ふかし" という番組の '蒲田の町特集' ってコーナーで


登場する親父さんたちが司会の方々の優しさで受け入れられてるのに対し、ケシシュ監督の描出は冷ややかな眼を隠さずシュールでたまらなく可笑しいのです。


実家のパスタを何も考えずに世襲するアデルは、恋人の個展の食事にも同じものを作る。エマはこれをどんなペースで出されてたことでしょう。多分美味しいのだ。皆が美味しいと言ってるのはリップサービスじゃないらしい。ただこのパスタは人間を本能的な生物に変える。このパスタを啜る誰もが美しくない様相になる。貪るものの象徴の1つだろうか。

パスタをモチャモチャ咀嚼する人々のバックに絵の話をするエマたちの一団の声が聞こえる。エマや画商たちとアデルが近い距離に居るのがわかる。

絵の話題の脇でアデルは隣の人に "もっと食べる?" と問う。
アデルはこの問しか持たなかったからだ。
この映画でアデルにとって最も残念な瞬間だった。


他に問うことは山とあったはずだった。
でも絵画について話す人たちに何も問おうとしなかった。


あれは分からないものだ、関わりのないものだ、とアデル自身がいつの間にか決定してた。

  映画内には 'もう遅い' というエマの科白があるが
  この時に早々と言ってしまいそう。'もう遅い' って。

それくらい重要なシーンだった。流されてるように見えたアデル自ら「解らない事」を排除する決定をした。理解しないと決めた。監督の闇が楽しくて頼もしくてたまらなくなってくる。


恋愛中期にエマの絵を 'なんていうかわからないけどイイわ、何もかもが' 風に内容無い言葉を口に乗せたアデル。エマは、そんな事しか言えないなら一生黙ってろとは答えず、懸命に [何か言おうとしてる] 気持ちを受け止めた。

こんなエマの態度は年若いアデルを可愛いと感じる気持ちに他ならず、時が経てば年齢を重ねたところで [何か言おうとしてる] が [言えるようにする努力はしない] 結果、何年先も [言うべきものを何も持たない] ことに倦む日が来るのは自明だ。何事も起きなかったとしても結果は同じだったろう。

別れたあとに訪れたジョイント展覧会でもアデルは変わってなかった。

絵を前に目が泳ぎ、どこを見てよいか・何を見るべきかわからず、結局絵を見てる人に視線を当てたり '自分には分からない話=自ら理解を放棄した話題' を交わす人々に気後れして通り過ぎ、観てるほうが目眩いそうなほど落ち着きなく視線を動かす。(女優さんが本当にすごいです)

エマに言う。正しい科白は憶えてないけど、幾年か前に口にしたのと似たような事を。成長なく同じ風に。'なんていうかイイワ、すごく何か全体的に' と。

鈍才ぶりに凍りつきます。こんなシーンが満載。


*シネマ記録(29)アデルの迷路
*シネマ記録(28)アデルとティレシアス
*シネマ記録(27)アデルのブルー
*シネマ記録(26)アデルの茫漠
*シネマ記録(25)アデルの門
*シネマ記録(24)アデルの気後れ
  ?僕が見た映画DVD
*シネマ記録(23)アデルの生涯
  *映画DVD
*シネマ記録(22)僕のおじさん
*シネマ記録(21)ゾラと失敗
*シネマ記録(20)ムード・インディゴ
*シネマ記録(19)大人は判ってくれない
*シネマ記録(18)あこがれ・アムール
*シネマ記録(17)ランジェ公爵夫人
*シネマ記録(16)セラフィーヌの庭
*シネマ記録(15)フランス組曲
*シネマ記録(14)ブルゴーニュ?
  *怒られるわ
*シネマ記録(13)赤と黒・他
*シネマ記録(12)パリは燃えているか・他
*シネマ記録(11)大いなる沈黙へ
*シネマ記録(10)アデルの恋の物語
*シネマ記録(9)カミーユ・クローデル
*シネマ記録(8)ミッドナイト・イン・パリ
*シネマ記録(7) 愛と宿命の泉Part.2
  *フロレットという女性
*シネマ記録(6) 愛と宿命の泉Part.1
*シネマ記録(5)たそがれの女心
*シネマ記録(4)カラヴァッジョ 天才画家の光と影・他
*シネマ記録(3)エゴン・シーレ 愛欲と陶酔の日々・他
*シネマ記録(2)宮廷画家ゴヤは見た
*シネマ記録(1)モンパルナスの灯・他



シネマ記録(28)アデルとティレシアス

January 03, 2019

加減が悪いから、ぼうっと映画感想の続きでも呟きます。


  *シネマ記録(23)アデルの生涯
  *シネマ記録(24)アデルの気後れ
  *シネマ記録(25)アデルの門
  *シネマ記録(26)アデルの茫漠
  *シネマ記録(27)アデルのブルー

先日アデルのブルーでおしゃべりしましたようにエマが催したガーデンパーティで話題の1つに水浴図がありました。

前後して話されるもうひとつの話題がティレシアスです。


ギリシャ神話の預言者ティレシアスが女へと身を変え、もう1度男に戻った後に性的感想を求められるいきさつが映画内で話される。役名を忘れてしまったけど、エマと交友関係がある画廊オーナーのカジュアルな演説でした。


このシーンは、神話をよく学んでたアポリネールを連想しながら観ました。プーのお初のオペラとなる "ティレジアスの乳房" の台本を書いたのがアポリネールだったから。

アポリネールのティレシアスは、ギリシャ神話と反対に女性の乳房が消えて男になり、再び女に戻るの。

順序は逆になりますが、男性預言者ティレシアスと美人妻テレーズは双方とも2つの性を体験したということ。


神話もプーランクオペラも、'我が男性であるか女性であるか' が中心的なお話でありましたが、


映画内では神話の '女になり、また男になること' (またはアポリネール脚本のようにその逆でも) の表現は、'相手の' 性別が変化することに繋がるやもしれません。

つまり変わり身を表す部分で...
実際にアデルはエマと同棲中に男性と仲良くなります。

エマと暮らし、男性と幾つかの夜を過ごし、またエマに戻ろうとする。ティレシアスはその示唆にも受け取れます。


因みに先回も今回も記した "水浴" ですが、
今語ってるティレシアスその人は、神話では処女神アテナの '水浴' を見て盲目にされました。


此のように本当に沢山の密なリンクが面白過ぎる映画なのです。

神話は盲目にされたティレシアスを憐れんだ女神が予言の力を授ける経緯が描かれる・・・ アデルの場合の盲目は、エマしか見えなくなる形で起こったって理解したら良いのカナ...? など様々に味わってます。


*シネマ記録(27)アデルのブルー
*シネマ記録(26)アデルの茫漠
*シネマ記録(25)アデルの門
*シネマ記録(24)アデルの気後れ
  ?僕が見た映画DVD
*シネマ記録(23)アデルの生涯
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*シネマ記録(22)僕のおじさん
*シネマ記録(21)ゾラと失敗
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*シネマ記録(19)大人は判ってくれない
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*シネマ記録(15)フランス組曲
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  *怒られるわ
*シネマ記録(13)赤と黒・他
*シネマ記録(12)パリは燃えているか・他
*シネマ記録(11)大いなる沈黙へ
*シネマ記録(10)アデルの恋の物語
*シネマ記録(9)カミーユ・クローデル
*シネマ記録(8)ミッドナイト・イン・パリ
*シネマ記録(7) 愛と宿命の泉Part.2
  *フロレットという女性
*シネマ記録(6) 愛と宿命の泉Part.1
*シネマ記録(5)たそがれの女心
*シネマ記録(4)カラヴァッジョ 天才画家の光と影・他
*シネマ記録(3)エゴン・シーレ 愛欲と陶酔の日々・他
*シネマ記録(2)宮廷画家ゴヤは見た
*シネマ記録(1)モンパルナスの灯・他



シネマ記録(27)アデルのブルー

December 26, 2018

春先の写真が残ってた。


何処へ行ってもとってもお行儀よくしてくれるから飼い主は本当に楽です。人間の優しさを全身で味わって心から飼い主を信じてくれた元野犬ちゃんは最高のパートナーに成長しました。

飼い主もパートナーと同じ色を身につけて・・・
今日はブルーのお話です。下記リンクの続きネ。

  *シネマ記録(23)アデルの生涯
  *シネマ記録(24)アデルの気後れ
  *シネマ記録(25)アデルの門
  *シネマ記録(26)アデルの茫漠


エマに出遇う日から映画に音楽が流れ始めるんだって先日おしゃべりしました。並行して色も加わってゆくんです。


  街で視界を掠めたエマから目が離せなくなる。
  まるでエマの髪のブルーに吸い寄せられたように。

観客も初めて現れる鮮やかな色のコントラストに惹きつけられます。私たちの目とアデルの視界が繋がってるようなカメラワークもとっても素敵♪

提示部(自分が思うところの)ではアデルのアッシュ系の服装に目を引く色はなく、それがアデルのモノトーンでありました。

  "真水の売り子"で書いた訳合の、単調な気分の意のmonotone.
  或いは「凡庸な動きしかしない心」というmonotone.


ブルーの挿色はアデルの心に射した初めての光でもあった。


'出遇った' (アデルが一目惚れした日の様子を先回此の漢字で記しました)後、今度は '出逢い' をもつ。偶然が出遇わせ、次に本当に出逢ってゆく。
前後してアデルの生活にブルーカラーが加わる。

ピンクのお花が咲く木の下で、アデルが独り座ってたベンチのブルー。のちに似た場所の別のベンチにエマと座る時は、マロン色のベンチに代わってエマのシャツや髪にブルーがある。

アデルが同性愛を自覚するきっかけになったクラスメイトはブルーのマニュキュアをしてて、やがてアデル自身もブルーを身につけるようになる。


ブルーのエシャルプを巻いたり、髪をブルーのターバン風リボンバンドで留めたり。(ブルーのジャケットもあったかもだけど気のせいかな? 記憶がはっきりしてないから再度借りて観るときに確かめましょ)


エマの合同展覧会っていう大事な場にはブルーのワンピースを纏います。そのどれもがとても色鮮やかで・・・

映画の見方は知らないけれど、音楽に例えると提示部の第2主題である 'エマのテーマ' のモチーフが、ブルーの出現の度に第1主題 'アデルのテーマ' に絡むようでもあるし、

場合によっては別途 'ブルーのテーマ' の変奏があってもいい・・・ナ~ンテ架空の楽曲を浮かべるのはプルースト著の 'ヴァントゥイユ' 以来かも。


展開部(と想定させるところ)でアデルがブルーを身につける頃にエマはブルーの髪じゃなくなってるが、アデルにとってはいつまでもエマの髪はブルーだったのかな・・・


先生に依って好きな科目が変わるというアデルは、エマに因ってブルーの小物で自身を染めるのか。

**


さて、映画も絵画もよく識らない素人疑問&感想。

エマの絵を初期にお披露目するガーデンパーティで、話題の中に水浴画が登場します。それが '誰の' と言ってたか言ってなかったかよく聞いてなくて忘れちゃったんだけど

(みなドビュッシー時代の誰もが知ってる画家たちのお話だった流れからするとセザンヌかルノワールの作品かしらと勝手に連想しつつ)

オルセーに似た窓がある美術館を2人で訪れて、エマが水浴画に見入るシーンがありました。

リセでの授業テーマがアデルの生活にリンクするように、人々の話題も実際にオブジェとして出てくる作りであれば... ガーデンパーティで話題にのぼった2作ともが形を変えて出現するなら「曲」的に素敵だワと想像しました。

ならば映画内で水浴と同時に会話が交わされた "世界の起源" と同種の映像も、日本上映前のフィルムには組み込まれてたのかも・・・? なんて思いました。


*シネマ記録(26)アデルの茫漠
*シネマ記録(25)アデルの門
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  ?僕が見た映画DVD
*シネマ記録(23)アデルの生涯
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シネマ記録(24)アデルの気後れ

December 09, 2018

せんだってアデルの生涯の記事で触れたのは邦題 "アデル、ブルーは熱い色" という映画です。


レズビアンの裸のシーンが大きく取りあげられたそうですが、私たち夫婦は個人的に苦手な分野なので

(同性愛そのものには言及致しません。
プーは失恋後間もなく相手が病魔に襲われ急逝し、傷を負った末にゲイに向かいました。個別の例ですが彼の心の痛みを入り口として受け入れます。
同性愛が苦手というおしゃべりじゃなく、「同性愛のセックスシーンを長い尺で観賞するのが苦手」ということです)

そうしたシーンの都度早送りしてしまいました。


苦手なシーンが多くあっても尚、素晴らしい映画でした。


特に 'ひずみ' が数多く散りばめられてるのがスリリングでした。

サロン風の集まりで、アデルは恋人となったエマに "インテリの人ばかりで気後れがする" というような事(1度観たきりなので科白詳細は憶えていませんが)を口にします。

しかし其処に集うのはごく一般的な階層で、特別な知識階級じゃあないんです。

それがアデルの位置であるという、ひずんだ[始まりa=前提]にしばしば苦しくなりました。


例えばシーレとクリムトについて話す人たちに対して、自分にわからないことを話してると怯む思いになるアデル。


シーレがわからない時点で絵筆をとるエマの恋人でいるのは先が見えてしまう・・・といったシーンが重なってゆきます。
観てる側は苦しくなる。

エマの絵に集まった初対面の人にもアデルは絵のお喋りに水を向けられますが無知故に話題自体がわからない。ひずみであります。または何を答えて良いかもわからない。

否、何を答えて良いかわからない部分は無知故じゃあない。彼女の[始まりb=本質]かもしれません。


彼女は多分 '知らないから教えてほしい' と、初めて会った人に伝えられない。


そこで初めて気づかされました。わからない、と伝えることに勇気などは要さないが自信は必要なのだ、って。

此れ其れに関してはわからないけれど自分は他に大きなものを備えているという自信(fiereじゃなくconfiance)が根本になければ多分問うことに恐れを抱く。

'自分がわかっていないのは皆がわかってる筈の事なのか' 'わからないのは変なのか' 'わからないと人にどう思われるか' が、疑問より大きく膨らんで、惑い、怖気付く。

わからなければ、ただ問えばいいだけなのに。
これはアデルがエマと出会った早い時期の会話に繋がるでしょう。


哲学がよくわからないとぼやくアデルに、エマはサルトルの '実存主義はユマニスムか' を読むと良いと勧めていたのが思い出されるシーンです。


Existence(実存)がしばしば不在になるアデルの姿が映し出される度に、ひずみを漸く抑えている留具に隙間が空いてゆきます。

映画を多くは観てもいない者の私感ですが
もう少し続きます。


  ?僕が見た映画DVD
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*シネマ記録(2)宮廷画家ゴヤは見た
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人間

December 08, 2018

ルクリアココっていう匂い桜。
傍を通るだけでも香りが立ちます。


このお花ポットをお玄関アプローチに置いてすぐ、寒くなってから見かけなかった小さなミツバチが1匹毎日通い詰めてくるようになった。

同じ頃、お庭に出入りするトナカイも此処に座るようになった。
お花の香りに誘われたのじゃないでしょうにどうしてかしら?


病院からの帰り、角を曲がると遠くに見える家の前に
点のような影があって・・・


近づくとトナカイだった。

お庭で会うときと同じように、怖がらせないよう脚を留めて
'トナカイ? ' って声をかける。
トナカイはツトツト歩いて1m半の距離まで来る。

中庭からファサードへは大廻りが必要で幾十歩も歩く距離。
だからお庭で会う子がゲート前にやって来るのはとてもお利口な仕業に思えた。


でもよく考えてみたら、高い空から見渡せて一っ飛びで越えてくる彼らには難しいことじゃあないんだワ。


人間は遠くのお花の香りの元を突きとめることもできず、近くしか見取れず、印象に騙され、並行した2本の道を通っても1軒の家の表側と裏側さえ一致しない有様で、ミツバチやトナカイのような能力が非常に低い。

そのくせミツバチより優れてると思ってる。
どちらが優れてるかなど気にとめる暇もなく働くミツバチを前に、支配者然と振る舞う人間の不細工さが耐え難い。


限られた人との接触しか保持しようとしない人間嫌いで始まり終わることが、まるで残念だというような偏った観念に影響されて妙な努力をすることが少なくなった。


偉人に重ねて肯定したいわけじゃなく(自己他者ともに何らかの肯定を求めてるような人なら人間嫌いにならないものだ)

ボードレールには其れだからこそ彼のやり方があったように
自分みたいな者にも、もっとずっと低い地点でならそれなりのやり方はあるものかな? と半ば投げ出す気分で思い巡らせた。

《ボードレールはヴィクトール・ユゴーやラマルティーヌのような人々の博愛的理想主義は持ち合わせていなかった。また、ミュッセのような人の感情の歓喜も使いこなせなかった。


彼はゴーティエのように自分の時代を楽しまなかったし、ルコント・ド・リールのようなぐあいに、時代に対してあだな望みをいだくこともできなかった。


またヴェルレーヌのように敬虔へ逃避することも不可能であったし、ランボーのように、叙情的高揚という青春の力を、壮年への裏切りによってさらに高めることもできなかった。》

  ベンヤミン著 "パサージュ論2ボードレールのパリ" より

             (今村仁司様/大貫敦子様/高橋順一様
             塚原史様/吉村和明様/三島憲一様
             村岡晋一様/山本尤様/横張誠様/
             与謝野文子様/細見和之様訳)


上文を、面白い書き方と感じられることこそ
あらゆる '善しとされるもの' から零れた自分なりの形だ。


上で描写されたものを厭わしく感じている者はこう考える。

  彼は博愛主義をどの程度憎み、
  歓喜を何故愚かと考えたか。
  時代を楽しむのは処世術的故に嫌ったか。
  望みを抱くのが自身をも騙す行為と感じたか。
  敬虔を意識すると育ってゆく欺瞞の影響に何を思い、
  青い高揚の瞬発力の果てに何を見たか。

そして是等が是か非かよりも、アイディアや思念は人と共有できて時には分かち合える。たとえ人間嫌いでもその部分は大事に思う。


象 *2016年8月のおうち避暑
  *お掃除部隊登場
  *お野菜の呟き

トナカイ *トナカイの呟き
     ?僕が見た立場と実力
     *つがいのトナカイ

マンモス *歌わない歌
     *犯人は誰?
     *疲れとワンコとマンモス

金魚 *金魚
   *標題音楽
   *金魚とワンコ

タニシ *2017年5月3日
    ?僕が見たタニシ

クマ ?クマが来たよ
   ?子グマが生まれたよ

ライオン ?ライオンが来たよ

きくらげ ?きくらげのコト

*~*~*~*~*


■ベンヤミン関連リンク
1巻
*本欲しいなあ
*ミュゲとパリの始まり
*地球儀と室内と解放
*カラビナ・日常・本
?僕んちのどうぶつ達
*息詰まるフリーク
*1919
*
*楽譜のページの向こう
*ステップ
*監獄・アンチつるつる
(1巻のご紹介に際しまして訳者様の今村仁司様と高橋順一様のお名前に文字の誤りがあったと後に気がつきました。大変申し訳ありません)

2巻
*夏のおやつと本
*ボードレールの挑発と真意と音楽
*'ふと' とボードレール
?僕のホームセンター記録
*トロワイヨン
*少年の本当と嘘
*調和と追放
*ダリア

■ダダ関連リンク
*ツァラ、にぎやかな絶望
*プレイ
*ダダのお寿司ネタ
*ダダとプーと苦いコーヒー

■ちょっとだけアラゴン
*パノラマ
*優しく辛辣な女と、田分けた男




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