Paris ⅩⅡ



シネマ記録(24)アデルの気後れ

December 09, 2018

せんだってアデルの生涯の記事で触れたのは邦題 "アデル、ブルーは熱い色" という映画です。


レズビアンの裸のシーンが大きく取りあげられたそうですが、私たち夫婦は個人的に苦手な分野なので

(同性愛そのものには言及致しません。
プーは失恋後間もなく相手が病魔に襲われ急逝し、傷を負った末にゲイに向かいました。個別の例ですが彼の心の痛みを入り口として受け入れます。
同性愛が苦手というおしゃべりじゃなく、「同性愛のセックスシーンを長い尺で観賞するのが苦手」ということです)

そうしたシーンの都度早送りしてしまいました。


苦手なシーンが多くあっても尚、素晴らしい映画でした。


特に 'ひずみ' が数多く散りばめられてるのがスリリングでした。

サロン風の集まりで、アデルは恋人となったエマに "インテリの人ばかりで気後れがする" というような事(1度観たきりなので科白詳細は憶えていませんが)を口にします。

しかし其処に集うのはごく一般的な階層で、特別な知識階級じゃあないんです。

それがアデルの位置であるという、ひずんだ[始まりa=前提]にしばしば苦しくなりました。


例えばシーレとクリムトについて話す人たちに対して、自分にわからないことを話してると怯む思いになるアデル。


シーレがわからない時点で絵筆をとるエマの恋人でいるのは先が見えてしまう・・・といったシーンが重なってゆきます。
観てる側は苦しくなる。

エマの絵に集まった初対面の人にもアデルは絵のお喋りに水を向けられますが無知故に話題自体がわからない。ひずみであります。または何を答えて良いかもわからない。

否、何を答えて良いかわからない部分は無知故じゃあない。彼女の[始まりb=本質]かもしれません。


彼女は多分 '知らないから教えてほしい' と、初めて会った人に伝えられない。


そこで初めて気づかされました。わからない、と伝えることに勇気などは要さないが自信は必要なのだ、って。

此れ其れに関してはわからないけれど自分は他に大きなものを備えているという自信(fiereじゃなくconfiance)が根本になければ多分問うことに恐れを抱く。

'自分がわかっていないのは皆がわかってる筈の事なのか' 'わからないのは変なのか' 'わからないと人にどう思われるか' が、疑問より大きく膨らんで、惑い、怖気付く。

わからなければ、ただ問えばいいだけなのに。
これはアデルがエマと出会った早い時期の会話に繋がるでしょう。


哲学がよくわからないとぼやくアデルに、エマはサルトルの '実存主義はユマニスムか' を読むと良いと勧めていたのが思い出されるシーンです。


Existence(実存)がしばしば不在になるアデルの姿が映し出される度に、ひずみを漸く抑えている留具に隙間が空いてゆきます。

映画を多くは観てもいない者の私感ですが
もう少し続きます。


  ?僕が見た映画DVD
*シネマ記録(23)アデルの生涯
  *映画DVD
*シネマ記録(22)僕のおじさん
*シネマ記録(21)ゾラと失敗
*シネマ記録(20)ムード・インディゴ
*シネマ記録(19)大人は判ってくれない
*シネマ記録(18)あこがれ・アムール
*シネマ記録(17)ランジェ公爵夫人
*シネマ記録(16)セラフィーヌの庭
*シネマ記録(15)フランス組曲
*シネマ記録(14)ブルゴーニュ?
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*シネマ記録(13)赤と黒・他
*シネマ記録(12)パリは燃えているか・他
*シネマ記録(11)大いなる沈黙へ
*シネマ記録(10)アデルの恋の物語
*シネマ記録(9)カミーユ・クローデル
*シネマ記録(8)ミッドナイト・イン・パリ
*シネマ記録(7) 愛と宿命の泉Part.2
  *フロレットという女性
*シネマ記録(6) 愛と宿命の泉Part.1
*シネマ記録(5)たそがれの女心
*シネマ記録(4)カラヴァッジョ 天才画家の光と影・他
*シネマ記録(3)エゴン・シーレ 愛欲と陶酔の日々・他
*シネマ記録(2)宮廷画家ゴヤは見た
*シネマ記録(1)モンパルナスの灯・他



人間

December 08, 2018

ルクリアココっていう匂い桜。
傍を通るだけでも香りが立ちます。


このお花ポットをお玄関アプローチに置いてすぐ、寒くなってから見かけなかった小さなミツバチが1匹毎日通い詰めてくるようになった。

同じ頃、お庭に出入りするトナカイも此処に座るようになった。
お花の香りに誘われたのじゃないでしょうにどうしてかしら?


病院からの帰り、角を曲がると遠くに見える家の前に
点のような影があって・・・


近づくとトナカイだった。

お庭で会うときと同じように、怖がらせないよう脚を留めて
'トナカイ? ' って声をかける。
トナカイはツトツト歩いて1m半の距離まで来る。

中庭からファサードへは大廻りが必要で幾十歩も歩く距離。
だからお庭で会う子がゲート前にやって来るのはとてもお利口な仕業に思えた。


でもよく考えてみたら、高い空から見渡せて一っ飛びで越えてくる彼らには難しいことじゃあないんだワ。


人間は遠くのお花の香りの元を突きとめることもできず、近くしか見取れず、印象に騙され、並行した2本の道を通っても1軒の家の表側と裏側さえ一致しない有様で、ミツバチやトナカイのような能力が非常に低い。

そのくせミツバチより優れてると思ってる。
どちらが優れてるかなど気にとめる暇もなく働くミツバチを前に、支配者然と振る舞う人間の不細工さが耐え難い。


限られた人との接触しか保持しようとしない人間嫌いで始まり終わることが、まるで残念だというような偏った観念に影響されて妙な努力をすることが少なくなった。


偉人に重ねて肯定したいわけじゃなく(自己他者ともに何らかの肯定を求めてるような人なら人間嫌いにならないものだ)

ボードレールには其れだからこそ彼のやり方があったように
自分みたいな者にも、もっとずっと低い地点でならそれなりのやり方はあるものかな? と半ば投げ出す気分で思い巡らせた。

《ボードレールはヴィクトール・ユゴーやラマルティーヌのような人々の博愛的理想主義は持ち合わせていなかった。また、ミュッセのような人の感情の歓喜も使いこなせなかった。


彼はゴーティエのように自分の時代を楽しまなかったし、ルコント・ド・リールのようなぐあいに、時代に対してあだな望みをいだくこともできなかった。


またヴェルレーヌのように敬虔へ逃避することも不可能であったし、ランボーのように、叙情的高揚という青春の力を、壮年への裏切りによってさらに高めることもできなかった。》

  ベンヤミン著 "パサージュ論2ボードレールのパリ" より

             (今村仁司様/大貫敦子様/高橋順一様
             塚原史様/吉村和明様/三島憲一様
             村岡晋一様/山本尤様/横張誠様/
             与謝野文子様/細見和之様訳)


上文を、面白い書き方と感じられることこそ
あらゆる '善しとされるもの' から零れた自分なりの形だ。


上で描写されたものを厭わしく感じている者はこう考える。

  彼は博愛主義をどの程度憎み、
  歓喜を何故愚かと考えたか。
  時代を楽しむのは処世術的故に嫌ったか。
  望みを抱くのが自身をも騙す行為と感じたか。
  敬虔を意識すると育ってゆく欺瞞の影響に何を思い、
  青い高揚の瞬発力の果てに何を見たか。

そして是等が是か非かよりも、アイディアや思念は人と共有できて時には分かち合える。たとえ人間嫌いでもその部分は大事に思う。


象 *2016年8月のおうち避暑
  *お掃除部隊登場
  *お野菜の呟き

トナカイ *トナカイの呟き
     ?僕が見た立場と実力
     *つがいのトナカイ

マンモス *歌わない歌
     *犯人は誰?
     *疲れとワンコとマンモス

金魚 *金魚
   *標題音楽
   *金魚とワンコ

タニシ *2017年5月3日
    ?僕が見たタニシ

クマ ?クマが来たよ
   ?子グマが生まれたよ

ライオン ?ライオンが来たよ

きくらげ ?きくらげのコト

*~*~*~*~*


■ベンヤミン関連リンク
1巻
*本欲しいなあ
*ミュゲとパリの始まり
*地球儀と室内と解放
*カラビナ・日常・本
?僕んちのどうぶつ達
*息詰まるフリーク
*1919
*
*楽譜のページの向こう
*ステップ
*監獄・アンチつるつる
(1巻のご紹介に際しまして訳者様の今村仁司様と高橋順一様のお名前に文字の誤りがあったと後に気がつきました。大変申し訳ありません)

2巻
*夏のおやつと本
*ボードレールの挑発と真意と音楽
*'ふと' とボードレール
?僕のホームセンター記録
*トロワイヨン
*少年の本当と嘘
*調和と追放
*ダリア

■ダダ関連リンク
*ツァラ、にぎやかな絶望
*プレイ
*ダダのお寿司ネタ
*ダダとプーと苦いコーヒー

■ちょっとだけアラゴン
*パノラマ
*優しく辛辣な女と、田分けた男




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