ParisW



友人を亡くした週

October 26, 2011

快復を願い見舞ってた友人が

亡くなった。


虚脱感から脱することができない。
闘病中毎日考えてた友人の事を 今日は考えたくない。

友人の顔や声を思い浮かべたくない。
幾度も夢に見たけれど、今は真っ暗な眠りが来てほしい。

**


10月に入って読んでた本。
19世紀フランス美食の芸術は5巻本。やっと2巻を終えました。

  食文化内容だのに写真を入れず、文字だけで表現する書物。
  実にフランス的って言えるのじゃあないかしら。

フランスはグランゼコールの論文や、風習を重んじる機関文書には図や表さえ使用せず、皆までも文章で表し理解させることに重きを置く考えがあります。

言葉の文化を中心に据える格好と 其れをどうふり向けるかの塩梅は、以前引用したモーパッサンの小文にも通じるものがあるかもしれない。

  *フランス的とは

味覚を、アーティスティックな視覚を、また美学を、単色黒インクの文字で延々と列ねる。色鮮やかな食文化を立ち現す。

こういった文を操る文化こそ、黒インクの音符を重ね色彩と香りを紡ぐフランス音楽を生み出す特質に繋がっているのじゃあないかしら・・・ なんて思いながら読み進む。

**


今夜はコンサートへ。
明日は今年はじめてブログをお休みしますね。



モーツアルトソナタ(4)様式

October 05, 2011

この頃よく持ってるドレスバッグ。


昔お師匠様に買って頂いた。ドレスバッグをお2人のお師匠様に贈っていただいて、代わる代わる使ってる。

なかなかお会いできない東京のお師匠様がコンサートについてきて下さるようで心が暖まるナ・・・

**


続きのおしゃべり。そろそろ最終回にしなきゃあオタク風が過ぎるわネ。

聴いたこともないテンポで蝶番君が始めたe-moll冒頭は、完全なロマン調・・・19世紀音楽ならば可能と思われるスタイル、つまり【嘆き】を【我れの嘆き】に置く形と感じた。

此の時点では私の考えと大きく異なるモーツアルトの見方です。

**


一連のモーツアルトソナタはピアノが主体で、他楽器がオブリガードで備えられるっていう俗説もあるけれど、私達は勿論のこと井上氏も またモーツアルト分析でお世話になった音楽史研究者も此の曲は完全にヴァイオリン主導の曲に他ならないって意見で一致してた。

  では主体となるファゴットで相方さんが何をしたいのか。

  其れを考える事は、自分にとってのモーツアルトのみならず
  モーツアルト演奏の様式観念を考えることに繋がった。

**


泣きが入った冒頭旋律から、オケなかのファゴット的役割を彷彿とさせる太目の音のストレットへ。正直、もぉどうするの此れ? って途方に暮れたのよ。

奏法のせいだけじゃあない。粘性さえ携えた冒頭が個別のものとして存在し、テーマ展開する形にならないからよ。平たく申せば前奏かタイトル表示風な扱いになるの。

挙げたテーマが尻取りのように巡る形では立ちゆかない。
私は色んな資料を引っくり返して理解に努めようとした。

モーツアルト音楽史論を研究してらして現在はモーツァルト全作品事典監訳なんかなさってる森泰彦氏に教わったノート記述を隈無く読み返した。

  モーツアルト時代のコンサートルームの資料を見た。
    ピッチ、形式、概念、楽想の配合を可能な限り読んだ。
      制度化された作曲法との対比と
        ウイーン古典派テクストに目を通した。

    18世紀後半のジャンル意識は面白く読め、
      同じ時代の音楽の修辞法と用法も興味深かった。

眠る暇なく、相方さんのモーツアルトに納得するまで探した。
フルート伴奏の日西宮ミュージックパーティーの日に、休憩時間しきりにノートを取ってばかりいたのはモーツアルトについてでした・・・ごめんなさい(汗)

           変態さんは周知となってるみたいで
           物凄い字数でノートを真っ黒にしてても
           どなたも気に留めず傍観なさってた。

**


ドレスデンの資料を読みながら ふと浮かんだ言葉。

カール・マルクスが、
私はマルクス主義者ではないって言った科白。


モーツアルトはモーツアルト様式で書いたのか。
いいえ、モーツアルトの語法がモーツアルトの形を生み出し、
後に様式化されていったのね。

後の様式設定に符号しない演奏ならば、
また其れがモーツアルト語法の元にあるモーツアルトの心情と
相方さんが信じて奏したいならば、
ピアノパートにできることが1つ思いつけた。

様式感覚を支えるものとしての
アプローチができるって結論した。


フレージングやアーティキュレーションをモーツアルト特有の形で表すこと。其れから

【モーツアルトのように】
演奏すること。

モーツアルトのように、ってなぁに?


**


モーツアルトのようにとは、下部リンクのお話です。

要素を【我の要素】に置かず
己への拘り (ロマン派の意味で) を投影するのじゃなくて
【我れ】から離れた一人の職人の部分です。


自分のモーツアルトとは違った片寄ワールドを選択し
支える職人もやってみたい。うんと面白いんだもの。

そうして
ずっといつか蝶番君に聞いてみよう。
あの無茶な拘りは何だったの? って。


其れまで私なりにあのモーツアルトを探ってみます。

  次回のお披露目は21日PJにて・・・♪

  *19世紀の恋情
  *モーツアルトソナタ(1)道のり
  *         (2)古典と浪漫の狭間
  *         (3)ファゴットを愛する

  *フォーレ "エレジー"
  *エレジーと背景



モーツアルトソナタ(3)ファゴットを愛する

October 04, 2011

Macのキーボード用電池を充電中。


お林檎マークのバッテリー・チャージャーを買っちゃいました。

続きのお話です。

**


ババールでフォーレ歌曲を多く演奏しながら トランスクリプションの意味を思う。

ファゴットでも弾けますよと見せるだけに終われば
凡愚な事態だと思う。

其れではファゴットが代用楽器扱いになる。
ファゴットを他楽器の代わりに用いるのじゃない。
ファゴットこそが表現する世界を愛してるの。



フォーレのエレジーはチェロの主旋律です。
此れも大変美しく、チェロ大好きな私にとってチェロとの共演はとても嬉しいこと。長けたチェリストさんが幾人も居らっしゃる。お声掛けも至極簡単。是非チェロとも弾きたい。

ならばどうしてファゴットなのか。


ファゴット奏者様なら、あれをファゴットで吹くってうんと苦しいのがお解かりだと思う。

息を吸えず また吐き切れもせず、吐き切れないままピアニシモで聞かせ、隙間のない長いフレーズで体力が尽きたあとに、速いパッセージに突入したと思えば 其のまま難所の高音域に登る。

うふふ、拷問ネ。
合わせ中蝶番君は幾度も苦しそうにはぁはぁしながら、恨めしそうな目でご覧でした。サディストって思ってるでしょうね。

でも、無理をしてでも
ファゴットで吹く意味がある。

**


チェロ低音の太い弦を擦る旋律は、奏法の摩擦が心の摩擦に重なって抑圧の苦しみを歌うようで素敵なの。

  ところがファゴットでは
  エレジーの意味合いが変わる。

楽器特性の音の抜け。
抵抗が少ない音質によって、抗いを抜けたあとの世界から始まる風でチェロ奏と違ったうら悲しさを覚えるの。

粛々とした音色に、まるで従容として死に就くような痛ましさを感じるのです。

   どこまでがファゴットの音特性で
   どこからが蝶番君のものかは
   もはや私にはわからないけれど・・・

  *プーランク "ロマンツァ"

**


トランスクリプションでの演奏はトランスクリプションの意味効果がなければならないと思う。

   ではK304でのファゴットの意味は何なのか。
   最も悩み考えた部分でした。

続きはまた今度ネ!

**


今日はモデルに行ってからデートを楽しんでくる日。
外出までの時間、ソロをお稽古してゆこう。

  *19世紀の恋情
  *モーツアルトソナタ(1)道のり
  *         (2)古典と浪漫の狭間

  *フォーレ "エレジー"
  *エレジーと背景



モーツアルトソナタ(2)古典と浪漫の狭間

October 03, 2011

チラシupを

忘れてた・・・(汗)


終わっちゃってから更新するなんて、お馬鹿すぎますネ・・・

昨日の続きのお話です。

**


本当にそのテンポでやるんですかって2度問うた。
モーツアルト初合わせで冒頭テンポにびっくりしたの。

私が譜読み段階で1人で作ってあったのは、ヴァイオリンのスタンダードなテンポより若干遅めの感じ。ファゴットの音が廻る時間を考慮して、304ソナタが持つ小気味良いスピード感を持った悲愁を失わない程度に少しだけ抑制をかけていた。

  相方さんの出だしに耳を疑った。
  ヴァイオリンテンポより1.5倍以上遅い冒頭。
  あなたなら どうしなさる?

304を聞いたことがないアマチュアじゃない。モーツアルトをお山ほども演奏してきた人が あえてとんでもないテンポ設定をしようとしてるのは全く異なるアプローチをしたいからなのね?

**


私は先日書いたように、モーツアルトは後期ロマン派が形づくる風な己の実現という方向には向かっていないと考えています。18世紀共同体の中での人権が高く置かれた部分で19世紀より自由人で居られた部分もあるのでしょうし、芸術至上主義とは違った精神の解放を得ることにも繋がったでしょう。

個人としてのモーツアルトは貴族の好みっていう束縛から解き放たれた精神の内に職人として作曲する部分がありながら、しかし拘束を受けない明るさは快楽的陽気より 宿命論的な考えに至る生活なり教育なりを得た結果のように感じます。

時代の道徳律、
回帰的な啓蒙主義が支配した時代にあって
確執をもつ宿命の悲しさがあり
また諦念としての明朗さを持つのが
モーツアルトだと考えてきました。

**


ところが目の前では違った事が起きてた。
自らバロッカーを自称する相方さんが 少しもバロック要素を取入れずにmeloな冒頭を作ってきた。

モーツアルトにロマン的な解釈は可能でしょう。ただ此の場合のロマン的とは何なのか、です。

此れまでの私の考えからはあまりにもmeloに過ぎる演奏。
其れを否定するのじゃなく、自分が1から考え直したくなった。
常軌を逸したモーツアルトをやろうとする相方さんは一体何がしたいのか・・・

自分と相容れないものを避けるのは、モーツアルトに於いては愚かな事だと思った。何故ってモーツアルトには私が思ってきたよりずっと広いキャパがあるのじゃないかしら?


とことん付き合ってみようと思ったの。
モーツアルトにも相方さんにも。

**


  私が最初に行なったのはプログラム変更でした。

モーツアルト・ヴァイオリンソナタK304と記載してたものを、
モーツアルト・ソナタK304に全て変更した。

この段階ではっきり感じたのは、相方さんはヴァイオリンソナタを演奏するつもりがないってことだったから。

ソナタ304の音を使った別のモーツアルト世界なら "ヴァイオリン" の文字は要らないと思った。

続きはまた今度ネ!


  *19世紀の恋情
  *モーツアルトソナタ(1)道のり



モーツアルトソナタ(1)道のり

October 02, 2011

カピバラ君の

すだち狩りのオミヤ。


たくさんあるから色んなお料理にたっぷり使おうっと。

昨日のトスカーナのお話はモーツアルト話題の前振りでした。

**


お尻尾から先におしゃべり致しましょう。
分不相応なお褒めのお話から始めなければならないの。

一昨夜のモーツアルト・ソナタを10月21日ピアジュリで再演するに当たって、井上和雄氏にお電話した。

下リンク、ソクラテスの方法の如く常日頃どなたに何を問うかは自分の中で明確になっている。モーツアルトに関して私は井上先生のご意見を指針の1つにしてる。

  *曲決めは楽しい (2009年のお答えを兼ねて)


修正点のアドバイスがほしいとお願いした。
率直に何でも言ってください、と問うた。
再演に際して直すべき方向を知りたかった。

回答を聞いた。

**


【僕が聴いてきたモーツアルトの中でも最良の演奏の1つだった。
何も変えなくていい。あのまんまでやって下さい。
片寄君があそこまでロマン主義を通す冒険をして、
誰も聞いた事もないテンポを設定してしまった曲を、
モーツアルトたらしめてるのは君のピアノだ。

何1つ誤摩化しのないレスポンスで受ける、
あれがモーツアルトだよ。
モーツアルトらしいフレージングも流石だね。
あれ以上のアンサンブルは無い。抜群だよ。

あそこまでやってくれるとは思わなかった。
何も変えないでください。あれでいい。あれがいい。
去年の君のソロは流暢な良いモーツアルトだったけど、
今年のあのアンサンブルのほうがもっといいね。
感心しました。】



は?
過分なお言葉で困ってしまった。

そういったものかしらねぇ・・・よくわからないけれど、面白いから先生が仰る方向で取りあえずはまたやってみようと思った。

  此処までとても長い道のりでした。

**


モーツアルトの選曲に蝶番君がヴァイオリンソナタを持ってきた時は数秒かたまったのヨ。

  ファゴットでヴァイオリンソナタ・・・?

其れだけでも大冒険です。冒険っていうか前人未到?
大冒険の初披露を、よりによってモーツアルトマニアが集うモーツアルトクラブさんで演ろうなんて正気の沙汰と思えなかった。それも月々の例会じゃあなくて総会で?

  蝶番君はきっと正気じゃない。
  変態さんなのね。

びっくりしたけれどとても楽しい気持ちになった。
そうして思い出し笑いをしたのヨ。

**


大好きな小学校担任の先生、ブログでも時々書いてきたイクラ先生と重なって感じられた。

  ?僕が知ってるジャングルジムのはじっこ
  *木馬の序--廻る歌
  *シルヴィーの鳩とたんぽぽ

イクラ先生の参観日授業をよく憶えてる。

同じ小学校の先生の中にはね、滞りなく進めるために参観日にする筈の事を予め予備授業で行なう先生もいらした。答えがわかってる授業をなぞるからすんなり運びはするけれど、生徒は新しい事を知ることはできずにつまんないわね。

でもお母様方はお利巧そうな授業の進み具合をお喜びになる。

イクラ先生はいちいち冒険をして・・・生徒たちが新鮮な喜びに触れる生き生きした顔を親御さんたちに見せるほうを取ったのじゃあないカナ。

私は参観日にとても緊張してた。イクラ先生が参観日でまた新しい事を試みて、もしクラスメイトがわかんなくて、またお母様方にバッシングされることになったらどうしようって。

全力でフォローしよう、イクラ先生が行きたい方向に協力しましょうって真剣に心に決めてハラハラしながら臨んだワ。


   一生懸命になったのは先生を好きって理由だけじゃない。
   イクラ先生は鼓動の悦びを教えてくれようとしていて
   鼓動は人生の最も大切なものの1つだって共感してたから。

平気でヴァイオリンソナタを選んできた相方さんに、イクラ先生の参観日の様子を思い出してちょっと笑った。

**


蝶番君は少しシャイで出張らないところもイクラ先生と似てる気がするけれど、一皮剥けば・・・

  *やりましょうか。

プロ奏者の演奏会でファゴットで奏するヴァイオリンソナタなんてお馬鹿さんな大冒険は、参観日より緊張するものなのでした。

続きはまた今度ネ!

*19世紀の恋情



言葉の壁(3)壁の撤去

September 23, 2011

明日午後2時は

県立美術館コンサートです♪


写真はオクスフォード・ストリートの説明ページ。
ロンドン訪問した数回は いずれもパリからの短い旅だった。

旅は楽しく 街は珍しく、そして毎回思ったのだった。
自分にとっては住みづらいんだろうナって。

  *パリの不合理

イギリスに限らずにゲルマン諸国の多くで同じ風に感じた。
理由はよくわからないワ・・・

すぐ感じられたのは単純なコトばかり。

何処もきちんと整備がされててお行儀悪いと叱られそうだから。
マルシェに並ぶお野菜が目移りする程色とりどりじゃないから。
ブッシェリーの鳥たちが肥え太っていないから。
地中海が香るような植物が見当たらないから。

  単純な感覚は、音楽のおおもとに結ばれるものだった。
  私にとってはつまり生きる事の感覚だった。

肥沃な土壌と陽光と 豊かな作物と花々のもと
膨らみ育つ音楽で胃袋をいっぱいに満たすような
豊潤な文化と豊満な生がイコールになるような。



私にとっての音楽の根本は此様に簡単明瞭で、
食べる! 寝る! と同じ風に単純な欲求だった。

**


下部リンクの続きのお話なのです。

モーツアルトの故郷を異郷のものと教えられた形より
多分唯一私にもできるアプローチはモーツアルトの個人的な生の悦びとバネの強さの部分。

それが今の唯一最良の解決策でした。

如何なるときも鼓動を感じさせる作曲家であるところ・哀しみの中にも才の採光が必ず顔を出すところ・モーツアルト以外の何者にもなれない独特の煥発な様。たとえ母の死の後でも決してモノトーンだけに陥ることはなく・・・

私が語れるとすれば其の部分かしらって気がして・・・
先回の合わせで突然に言った。

  "此方のパターンはまだ20時間しか考えてないですが、
  自由に弾かせてもらえますか・・・自由に弾きます! "

そう、結局私は自由にしか弾けない。
整備された国で住めないと感じたように。

モーツアルトのお国の音楽じゃなくて、
どこかで同じ人種だと共鳴する、あの大人になれないお行儀の悪いモーツアルトを弾きましょう。

ワンコ学校を出ていないモーツアルトを。
お披露目は9月29日にネ!

*言葉の壁(1)悩み
*    (2)拡散



言葉の壁(2)拡散

September 21, 2011

多くの歌には

起承転結があると思う。


どんな形であれ詩にも楽曲にもやはり・・・。
風景を見て 季節の香りを感じる心に起承転結の風な動きが起きるのね。

ところが私が触れてきた詩や歌詞によく見られる形は違ってた。
例えばどんな歌詞ならわかり良いカナ・・・?
シャンソンをちょこっと訳してみる?

《パリのごろつき》

         落合訳

パリ街なかの売春婦
あどけない目と
ペテンの気配
古いボロ服

アコーディオンで声高に
歌っちゃみるが
金にもならず

いいじゃないのよ。

**

ジゴロどもが
バスティーユ辺り
酔っぱらっちゃ
メトロの中で

ペチコートやら
脱がそうとして
騒ぎになるが

いいじゃないのよ。



 《Paris Canaille》

  Paris marlou
  Aux yeux de fille
  Ton air filou
  Tes vieilles guenilles
  Et tes gueulantes
  Accordeon
  Ca fait pas d'rentes
  Mais c'est si bon
  Tes gigolos
  Te deshabillent
  Sous le metro
  De la Bastille
  Pour se saouler
  A tes jupons
  Ca fait gueuler
  Mais c'est si bon

**


導入の役割の起句はなくって、また受ける役割の承句に至らず、既に継続してきた風な物語に取り込まれ、本論が進むうちに自然に前ストーリーを知り、そのあと素早く拡散する形・・・って申せば良いのでしょうか。

  *フランス的とは

ラテン国外の音楽に 自分自身の不備とズレを強く感じてた。
自分の身体に深く刻まれた感覚を解明しようと先日から読んでいたベランジェも、フランス的拡散の感覚の例外じゃなくって。

読みながら感じた。

言葉の壁とは言語・単語の壁に留まらず、
文を形作る過程と心ざまを含めたものだって。


私はどうすれば良いだろう。



  音楽も、文学に触れる感覚も 絵画の趣味も 食も 行動も
  あらゆる性質が、他国のものを真には理解できないほどに
  フランス中心に染まりきってると痛感した。

フランス的感覚をどうしても脱せられずに、モーツアルトに苦労してたのでした。

**


フレーズを1つ1つ分解して お稽古していった。
合わせではお願いして、ファゴット声部と私の片手を入替えてお稽古する試みを申し出た。

トラジックでナチュラルな語尾を作るのに躍起になって食いついた。それでは足りずに1音ずつ分解するのに付き合わせてしまった。

そうしてハッと気がついた。
此れがそもそもフランス気質なんだと。


  *フランス気質と音さがし

  どうしようもないワ・・・

**


今日は1日合わせの日。まだ悩み続けてる。

*言葉の壁(1)悩み



言葉の壁(1)悩み

September 19, 2011

JRさんのHPに

載せて頂きました・・・♪


マイフェイバリット関西
     クリックしてご覧になってみてくださいナ♪

JRページの9月24日県立美術館プログラムはオールフランス。
5日後9月29日はモーツアルトが入るプログラムです。

**


ドイツ・オーストリア系の曲をコンサートで弾いてこなかった。
昨年5月のソロコンサートでモーツアルトのピアノソナタを演奏して以来・・・それには理由がありました。

  ドイツ語が全くわからない私が 
  ドイツ語圏で誕生した曲を演奏する事に呵責がありました。

  言語って音楽が作られる環境の内、大きな基礎を占める。
  其の国の言語が持つ音の形は、楽曲に密着してる。

     言語周期と音値周期って
     とても似ているもの。

言語感覚をわからずして、どうして楽曲の出所を真に理解できるかしらって悩むんです。

演奏者自身が音の悟性を持たぬまま お客様にお伝えする。そんな演奏が許されるでしょうかって悩むんです。

たとえばね・・・
日本文字が読めない外国人書道家が漢字の形を真似てみせ、
此れが日本の書道ですよって嘯くとしたら どうでしょう。

私がドイツオーストリアものを弾くなんて、怪しげな自称書道家と一緒だわ。漢字の形は書けていても、楽曲に対する心構えを愚かしく欠いた行為でしょう。

**


今日のタイトルは、ドイツ語の言葉の壁ということなんです。
今も考えは変わらないけれど、演奏してみる? って思うきっかけを頂いた。

不安ながらもパリで作られたソナタなら少し身近に感じられる。
  *モーツアルトxモーツアルト(1)開演前
此れならば、もしかしたら私が弾いても許されるのじゃあないかしらん? って論拠なく楽観的にもなれて。



デュオをしていて、演奏以外の部分でデュオ精神を持ちたいと思ったのも大きなきっかけになりました。

相方さんがオケ以外で殆ど触れていなかったフランス近代を見事にこなしてくれるのを見て、私も相方さんの守備範囲を伴奏できるようにならなきゃねって考えたんです。

**


なんとかすべく今日もお稽古。
遠い道のり・・・

音楽大学で普通にバッハ、ハイドン、モーツアルト、ベートーヴェンを課題としてこなし授業をたくさん受け試験を通過して、ただそれだけ。結局私は是等作曲家の何一つ知っていない。

  呼吸が違う、心臓のリズムが違う。
  違うってことを毎日実感する。

其うして案の定、言葉の壁で問題が出たのですヨ。

そのお話はまた今度ね!



エレジーと背景

August 27, 2011

昔集めた小間物処分中

1枚1枚手に取ってしまう・・・


グールドが好きだったナ・・・

子供だったからレコード解説からチョキチョキ切り抜いちゃって、寝室の壁にぺったん貼りつけたりしちゃってた。 

カラーコピーして切抜くって考えつけなかった年頃。おうちにコピー機はなくコンビニもなかったワ。
前時代を懐かしむ気持ちは誰にでもありますね・・・

昨日の続きのお話デス。

**


エミグレ文学に代わって人々を惹きつけたロマン主義文学においてロマンティックとは、悲観主義を破って《生産的な憂愁》なのだと西洋史学者の井上幸治様が書かれています。

ちょっとわかりにくいですから、同氏が引用された文を其のまま引いてみますネ。

《わたしは夢想をはじめた。うつりかわる歌声を、うつりかわるイメージにかえた。メランコリックな合唱は、詩人にうたわれた山の霧のように、私の心にうつった。この霧はしだいに濃くなり、上にのぼるにしたがってふくれあがり、風におどってさまざまなまぼろしとなった。あるときは手をひたいに夢みる戦士であり、あるときは色あおざめた美しい女人であり・・・。》
 
     (落合注:
     アルフレッド・ド・ヴィニー(仏1797年〜1863年)著
     "軍隊の服従と偉大" より)

《ロマン主義の論理は、この叙述のなかににじみ出しているのではなかろうか。歌はイメージであり、秋はヴィオロンのすすりなきであり、[もの]は[もの]そのものではなく、叙情的主観にうつった[もの]である。[もの]はわが心像のなかで、さまざまなピトレスクに発展する。新しいロマン主義がユゴー、ミュッセ、ヴィニーの詩で幕をあけたのは偶然ではない。》

  つまり連想を発展させる形式ということでしょうか。
  その連想が多分に幻想的情緒的である特色と
  "ロマンティック" を無生産的に弄ばず、
  芸術に昇華させるという1つの戦い・・・
        

**


私観に過ぎませんが
  フォーレのロマンティシスムに感じるのは、
    彼らの文学運動と同種の、
      反抗と解放と発展と昇華なんです。

ロマン主義は、ロマンティシスムを非現実的なものと定めるのでなくて、寧ろ非常に現実的な意欲溢れる試みだったのだと捉えたい気持ちです。

古典主義からの解放を主張したユーゴーの言葉ですって。
"ロマンティシスムを、その戦闘的側面において見るとすれば、文学における自由主義、これが定義である。"

**


もう少し噛み砕きながら、またぽつぽつとお話できるとイイナ。



アヴェヴェルムコルプス

August 19, 2011

今日の合わせは

弾きもの予定が満載です。


2プログラムのタイムを計るだけでも大分時間がかかりそう。
9月8日放送のラジオ用に聞きやすいフォーレをお稽古したり、
プログラムに触ったり・・・長〜い合わせになりそうです。

モーツアルト "アヴェヴェルムコルプス" も予定曲。

有名な此の曲は原語タイトルのまま呼ばれていますね。
あえて訳せば "めでたし誠の御身よ" って感じかしら・・・

穏やかな曲ですがラテン歌詞の意味は

   わき腹を刺し貫かれて水と血を流された方に
   我らの死の審問を知らせ給え、と祈る歌。

重い事実を越え、聖なるものへの憧れと揺るがぬ心を求める様が
暖かな旋律で描かれる大好きな曲です。

御ミサの聖祭固有文と置き換えて歌われるそうですが、私はまだ実際に御ミサの中でアヴェヴェルムコルプスに出会ったことがないんですよ。いつか出会えたら素敵でしょうね。

  写真はずっと昔に集めたグールドの切り抜きなど・・・



サンクトゥス

August 05, 2011

サンクトゥスについて家内でおしゃべりしてた。


関西でミサ曲より多く演奏されているのか、年間通じて聴きにゆけるものがレクイエムであることのほうが多い気がするナ。

ミサ曲より多く・・・ って表現も誤解の元かもしれない。曖昧さ回避に記せばレクイエムはMissa pro Defunctis 死者のための完全ミサ曲でラテン語Requiemに葬送?鎮魂の意味は含まれませんね。

典礼の入祭文にRequiem 安息を、と打たれたミサ曲・・・ 11月2日、死者の記念日にも奏される曲です。

時々気になるサンクトゥスに当たると話してる午後だった。

**


チャイムでお話が途切れた。東京から速達の包みが届いたのでした。嬉しくてきゃっと声をあげた。

ヴァティカンの御ミサ式次第。
中世風に美しいネウマで譜がついたラテン語の・・・

フルカラー冊子のサンクトゥスのあとに、17世紀に描かれた天使の絵が載っていた。

Giovanni Battista Carloneって存じなかったけれどwikiを見るとサン・ピエトロにお作があるんですね。

頂いたばかりの冊子が伝える絵のページ配置・・・
サンクトゥスは天使と切り離せないということ。

**


   サンクトゥスは黙示録で天使たちが唱える言葉。

   Sanctus聖なるかな、は3度唱えられます。
   三位一体を讃えるために3度詠唱する。

ヘブライ語Sabaoth万軍は天地と天使たちのあるじを表現し
人間は聖なるものを、聖を唱える天使に習おうとする形が表される。

2語目のヘブライ語はホザンナ。ギリシャ語訳以前Hosannaは、ヘブライ語hosi ah na "私たちをお救いください" でした。

   聖なるものを切なる心で求め、尊び、謙るサンクトゥス。
   熾える天使の詠唱。

**


グローリアが入らないレクイエム形態で、サンクトゥスがまるでグローリアの風に奏される場面によく出会うという話題だった。



罪と長調

July 29, 2011

昨日半日を

酷いトラブルに見舞われた。


フォーレで疲れを取ろうと努めてる。

罪の償いは後半明るい曲調に変わるんです。
音出しをしながら心を動かされた箇所。柔らかな長調への変化・・・

拙訳をもう1度貼っておきましょう。

        《罪の償い》
                  シャルル・ボードレール
                  落合訳

   人は償いのため
   深く溶々たる心の内奥 ふたつの耕地を
   条理の元に 土運び 鍬持て開墾せなばならぬ

   小さく劣った薔薇ひとつのために
   僅かな麦穂を得るために
   灰の額で塩辛い涙注ぎつつ
   止むことなく水を撒く

   芸術の耕地、愛の耕地、
   来るべき厳正なる最後の裁きの
   その恐ろしき日に、
   深き御恵を請い願わんがために

   大修道会の穀物倉を収穫物と花々で満たし、
   色形までも天の御使い(みつかい)がさし赦す薔薇を
   謹呈すべし

**


赦されたい償いたいと願った其のときから優しい希望が与えられる如くに、第3パラグラフから転調する。

塩辛い涙を流して、1の実りに千の労を費やすのがつらいと歌っているのじゃあない。罪なき人が 私たち罪人に説いているのでもない。

キリストのしもべとして人間が共有する罪と 共有する希望。
冒頭のmollと暗みは罪に対して。そして後半の優しいDurは労がもたらすだろう希望に対して。私は其んな風に受取っています。

**


あえてダイレクトな訳を入れた2箇所がある。

目的語として強調するニュアンスを感じる関係代名詞dontは、抽象表現を辞めて薔薇そのものに置き換えました。堀口大學様訳も同じく。

grangeは穀物倉が一般的ですが古くは大きな修道院で所有する農場や作物庫の意味もある。農作物でなくて心の奥底に行為と共に作物を育てるのは、何に適うためにと歌っているか。

考え合わせれば大修道会の穀物倉がマッチするように感じました。
des grangesと複数形を、修道院単体ではない修道会全体に当ててみたのでした・・・。


*"夢のあとに" 落合訳
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*"月の光" 落合訳
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       *月の光のメヌエット
       *月の光と諦念
       *月の光に溶けて消える
       *月の光と母性
       *フォーレ "月の光"

*"イスパーンの薔薇" 落合訳

*"トスカーナのセレナード" 落合訳
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      *トスカーナの気配
      *フォーレ "トスカーナのセレナード"
      *トスカーナに憑かれて
      *フランス気質と音さがし

*「罪の償い」落合訳
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*"墓地にて" 落合訳
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*"クリメーヌに" 落合訳
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*"ロマンス" 落合訳

*"水のほとりに" 落合訳
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*"リディア" 落合訳
*"この世にて" 落合訳
*"ゆりかご" 落合訳
*"漁夫の悲歌" 落合訳
*"水に浮かぶ花" 落合訳

*"森の鳩" 落合訳
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身代金

July 25, 2011

昨日に続き、

"罪の償い" のお話です。


注目したのは相方さんの問からだった。
合わせに来なさる電車の中、フォーレ解説書を読んでた蝶番君が
ピアノ室で楽器とともに本を広げて問いなさったの。

身代金って何の曲のことでしょうか? って。
フォーレ歌曲ぜんぶに当たったけれど其んな曲はなかった気がした・・・

身代金?? ハテナ・・・って戸惑った。

         身代金・・・
            la rancon ・・・ 

あっ…って気がついた。"罪の償い" として音出しした曲だった。

解説書を覗き込んで驚いた。
本当に "身代金" って書かれてる・・・

不服を呟きながら堀口大學様訳を開いた。
私たちの主旨と同じく "あがなひ" になっていた。

罪の贖償として神に赦しを請うためのもの、って大きく捉えれば身代金も意味は示すかもしれないけれど・・・ 

**


すぐ後でわかったのは、身代金って訳は大きな主流っていうこと・・・
初期に訳がついた後、世襲的に前訳を規範に使われるお方だって多いと思う。

其処へ国文も仏文も門外漢の私などが、身代金と贖いどちらが正しいと申す能力も権利もないから・・・

   自分の演奏上はどちらに重きを置くかって問として考えたい。
   そして私の場合は "身代金" の訳を選ばないことにしました。

**


最初に注目したのはson front gris
灰の額って表した部分です。

灰色の額と訳されたり、堀口様のように苦しい額とも訳されています。
私は "灰の" だけに留めることにした。

    天使、裁き、償い、御恵み等の単語で埋められた詩の中、
    《額と灰色》といえば灰の水曜日以外に考えられなかった。

灰で額に十字架の刻印を受ける受難節の儀式。
灰は悔改めのしるしであり、額の灰は黙示録などでもキリストのしもべを意味しますね。

    罪を覚え、罪を悔い、赦しを求めるしもべの灰。
    
償いの詩の灰色の額は其のまま "灰を刻印された額" の象徴と考えるのは、そう遠い間違いじゃあない気がした。

続きはまた今度ネ!



*"夢のあとに" 落合訳
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「罪の償い」落合訳

July 24, 2011

ボードレール "罪の償い" を訳してみた。


フォーレ・レパートリーに新たに加えようと思ったのが 此の曲。

  *銀のレードル

他の拙訳に比べ とてもゴツゴツした調子にした理由は、
ハ短調の引きずるような無骨な冒頭音形を模したくて。


        《罪の償い》
                  シャルル・ボードレール
                  落合訳

   人は償いのため
   深く溶々たる心の内奥 ふたつの耕地を
   条理の元に 土運び 鍬持て開墾せなばならぬ

   小さく劣った薔薇ひとつのために
   僅かな麦穂を得るために
   灰の額で塩辛い涙注ぎつつ
   止むことなく水を撒く

   芸術の耕地、愛の耕地、
   来るべき厳正なる最後の裁きの
   その恐ろしき日に、
   深き御恵を請い願わんがために

   大修道会の穀物倉を収穫物と花々で満たし、
   色形までも天の御使い(みつかい)がさし赦す薔薇を
   謹呈すべし


       《La rançon 》

                 Charles Baudelaire

L'homme a,pour payer sa rançon
Deux champs au tuf profond et riche,
Qu'il faut qu'il remue et défriche
Avec le fer de la raison

Pour obtenir la moindre rose,
Pour extorquer quelques épis,
Des pleurs salés de son front gris,
Sans cesse il faut qu'il les arrose!

L'un est l'Art et l'autre,l'Amour:
Pour rendre le juge propice,
Lorsque de la stricte justice
Paraîtra le terrible jour,

Il faudra lui montrer des granges
Pleines de moissons et de fleurs,
Dont les formes et les couleurs
Gagnent le suffrage des Anges.


        訳についてのおしゃべりは また今度ネ!


*"夢のあとに" 落合訳
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*"月の光" 落合訳
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       *月の光と母性
       *フォーレ "月の光"

*"イスパーンの薔薇" 落合訳

*"トスカーナのセレナード" 落合訳
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      *トスカーナの気配
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      *トスカーナに憑かれて
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象徴(5)シニフィエ

June 18, 2011

来週24日に演奏する

プーランク "モンパルナス"


物憂くて とっても美しい曲です。大好きで1曲目に据えました。

ファゴット演奏で歌詞はつかないけれども、詩の隅々見ていった。
作曲時プーランクが目にしインスパイアされたものを元から辿ってゆきたい。

でもね、アポリネールの詩のなんてシュールなこと・・・
神経のご病気のように ふつりふつり呟くの。

《ホテルの戸口で天使が
君の前に立ってチラシ配りをしてる》
O porte de l'hotel un ange est devant toi
distribuant des prospectus

あらあら、大変ごとね・・・
どこから手をつけ理解しようかしらって困惑した。

他の作品に当たると共通項が見つかるかも・・・ってアポリネール詩をいろいろ読んでみた。"アルコール" 収録 "La porte" 1行目に偶然 "ホテルの戸口" って言葉を見つけた。

**

     ホテルの戸口は・・・

アポリネールにとって ただよく見かける情景?
それとも彼の中で何かの連想を呼ぶ描写?

言葉や音は常に多義的で、思い起こさせる概念は多様だから
せめて演奏者は作曲家のシニフィエを理解したいと思う。

何故って作曲家は詩人のシニフィアンを追い求めて形にしているのだから・・・

プーランクは僅か3分半ほどの短い "モンパルナス" に
4年の歳月を注ぎました。

*象徴(1)月とピエロ
*   (2)オコゼ
*    (3)花色
*   (4)気狂いピエロ



フランスとヴォルテール

June 15, 2011

ヴォルテール著

"Le crocheteur borgne"。


"片目のかつぎ人足" 他数作を読んだ。哲学機知集と申せばいいのカナ・・・。金言散りばめられた集成は黒木教授からお譲り頂いたもの。

フランスの啓蒙思想家が好きだから18世紀哲学や文学に偏ったまま・・・ 特にヴォルテールの簡明さ、無駄のなさは小気味良いの・・・♪

ヴォルテールを説明する語句としてとても有名な節 (同様のロジックを持つ書簡内の文を用いた節で ヴォルテール自身の発言じゃあないってwikiに書いてありました。存じなかったワ。)

      《私はあなたの意見には反対だ。だが
      あなたがそれを主張する権利は命をかけて守る》

がよく使われるのが頷けます。

相手の権利を守ることと、相手に反意を唱えることは矛盾しない。
念をもって意を組み立てるありように とても共鳴した。

実のところ乱暴な論立てもある。理知から外れた部分も含めて大好きです・・・♪

意と情の混同なく、論に気概がある。
苦難を総体じゃなく物事の部分と識る。

後年の位置づけの風に、本当に啓蒙哲学者の代表かどうかはわからないけれど・・・ 叱咤し鼓舞してくれる熱い気組みの思想家です。

   そしてね・・・

多分に含まれるヴォルテールの策略的なところ、知の策士風なところは とってもフランスっぽいと思うのです。

*ゾラ19世紀の記念碑
*フランス19世紀の繊細




フランス19世紀の繊細

May 09, 2011

19世紀フランス。

どれほど愛する時代であることか。


そして現在どれほど印象を曲げられ続ける時代であることか。
革命とクーデターと戦争と、共和政と帝政と王政と、変革と動乱と崩落の時代。

昨日いけないことをした。19世紀フランスを繊細と表現した知人に突然爆発してしまった。長い間様々な場面で苛立ってたポイントだった。

近年どうした理由からか、考えられないほど頻繁に同じ言葉を耳にしてた。鬱憤が溜まり過ぎてた。そして昨日お外は暑過ぎた。

激動の19世紀に芸術家さん達が五線紙や原稿用紙やキャンバスやトウシューズに刻んだデリケートな魂は、"脆く儚いもの" の意を含む感覚での繊細さとは別物と考えてきた。

ユゴーやプルーストの背景に当たる時代を、繊細繊細と語られるのに辟易してた。我慢を重ねた果てにとうとう爆発。運悪く、暑い上に路上に炎天照りつけてたことが助長した・・・

剣幕には反省をした筈。
それでも明けて昨日を振り返り、変わらぬ思いを確かめる。

   19世紀フランスを一括り繊細と謳うのは
   あまりにも粗暴野蛮で不誠実が過ぎると。

ユゴー著 "クロムウェル" を読み始めながら、19世紀フランスを心底愛してると確認する。日々のなか僅かに知りえた19世紀の欠片をお客様と分かち合いたいと思う。

今朝はフォーレを一等最初にお稽古しよう。


*ゾラの実
*ゾラ19世紀の記念碑

*重なりの量感

*表れること(1)ジャン・コクトー
*       (2)有機物

*フランス的とは
*怪談の日仏



象徴(4)気狂いピエロ

April 16, 2011

お花を飾らない慣わしのレント。


お外のアプローチだけを覆うクリスマスローズ。
少女マデロンの伝説のクリストブルーメ・・・キリストの花。

此のお花と、他に今見たいと感じるのはスリズィエの木の桜。
丈低い枝にぼたぼたと凄いボリュームを見せる桜。
儚さなんてどこにもない色濃い桜。

クロード・モネのお家にも植わってる、ぎょっとしちゃう肉厚の桜。
無常観とかけ離れた豊満な桜。
滅びの美学など感じられない生命の桜。

**


当たり前のことと思う。
目に美しい桜の花を愛でたくなる季節に花を語り、春和らいだ風に誘われ窓の外の月を語るのは。

其れはごく自然な在りようで、多くが口にする桜や月が 慣習含むイマージュに区切られるのも当たり前の自然なことと思う。私が持つイマージュもまた、私の生活内の慣習に区切られたものに過ぎない。

1人の人間が持つ表象は恐ろしく狭く限られていて、精神生活の範疇が異なれば全く相容れないものに変わることがある。

苦手なお正月に並んで苦手な此の季節、少し疲れてた。
お出掛け毎に数耳にする桜と月のイマージュに 再びショックが隠せなかった半月だった。

  *疎外感を越えて

疲れの原因は、どなたにも当て嵌まる条件下ゆえ・・・
ホームグラウンドと違う世界が周囲に増大する時、其れが重なる時。
自分の居場所がなくなる時。

外国を旅するように珍しく思えるうちはいい。
珍しかった処で暮らしを得れば厳しさを感じホームへ帰りたくなる。
重なれば帰りたい気持ちは増してゆく・・・

其んな気分が 復活祭前の四旬節にも強くなる。

**


"水のほとりに" を試訳して、既訳に感じた違和のような微細な事。微細な其れこそが一等ホームを求める気分に繋がるときがある。

  *"水のほとりに" 落合訳
  関連記事@サンピエトロ、体と遺骨
        Aアヴェ・マリス・ステラ

体質に合わないものを感じる異国に暮らす方々と同じ風に・・・、
帰れないなら せめてもの慰めを求める。
狭い周囲にだけでもホームを構築し、自己の感覚を守ろうとする。

打撃と同じ数、慰めも多くあるのは嬉しい。
小さい事でも。


映画 "気狂いピエロ"の

月の会話を拾った。


ゴダール監督、ヌ−ヴェルヴァーグの代表作。ジャン・ポール・ベルモントの科白がいい。

男女の会話。

月が綺麗よと女が言い、いつもと同じだ、と男が答える。
女は月に男が見えると言う。"宇宙飛行士のレオノフかホワイトよ" って。

男は答える。"あいつはソ連やアメリカの飛行士じゃない。月の住人だ。"
そして男が話し出す。

《彼は全速力で逃げ出そうとしている。
レオノフが来た時は彼も喜んだ。
話し相手ができた。
ずっと独りぼっちだったから。

ところがレーニン全集を叩き込まれた。
で、ホワイトが来た時そっちに避難した。
だが会うや否やコカコーラを
嫌というほど飲まされた。

うんざりだ。
両国が争ってる間に逃げるとこさ。》


男女の会話へ繋がります。

"何処へ?"
-- 此処だ。美しい君に恋をして。

**


気狂いピエロで好きだった科白。

《欲する気持ちの中に生がある》
envie (欲望) の中に vie (生) がある


桜と月への儚さ礼賛から全速力で逃げ出した朝に。
私は月と花に限りなく色濃い生命を見たい。

envie の中に vie がある。


*象徴(1)月とピエロ
*   (2)オコゼ
*    (3)花色



象徴(3)花色

March 27, 2011

ヒヤシンスは可憐な香りって思ってた。


私の表象は薄っぺらだわ。まるっぽい球根と少女らしいぷっくりした花びらと淡い色づきしか捉えられてなかった。此んな反省ってよくあるナ・・・

  *象徴(1)月とピエロ
  *   (2)オコゼ

ヘッセ "デミアン" を読んだとき・・・
主人公シンクレールが、死したようなマックス・デミアンの家を訪ねるシーンにヒヤシンスが描かれてた。

生ぬるい空気の流れがヒヤシンスの重い香りを漂わせる描写は、デミアンの母エヴァ夫人の妖しい美しさと息詰まる閉塞と どこかしら腐敗した空気と主人公の狂おしい気分を彩ってた。

少女風でないヒヤシンスを知った。
デミアンのヒヤシンスは何色だったのでしょうね。

**

花と花色はたくさんの物語を支えてきました。椿姫の白もそうでしたね。

  *訳すということ(2)椿姫の白

楽曲と物語の色に興味をもって拘って・・・

  *街の色

昨日の "水に浮かぶ花" 。

  *"水に浮かぶ花" 落合訳

詩中、薔薇が何色だったか書かれていません。
色に関連しそうな一文は la Rose des Fievres

情熱とも熱したとも訳されますが、拙訳では "静まらぬ" に留めました。
情熱の単語で 赤い薔薇に限ったイメージを添えたくなかった。

何故って私にはフォーレの此の曲に赤い色が見えていないの。
お花の色が定かにならないくらい黒ずんだ海の、何物も飲み込んでしまう底知れない空気感のほうが大切に思えて。



アヴェ・マリス・ステラ

March 06, 2011

お客様のご質問にお答えしますネ。


フランス語辞書を求められて1語1語引きながら拙訳を読んでくださったのですって。どうもありがとうございます。
そして辞書に見つからない単語があったのですって・・・

"クリメーヌに" 詩中、お尻尾から4行目《A, sur d’almes cadences》のalmes が辞書にないって。

ええ、きっと見つからないのです。
何故ってラテン語法でヴェルレーヌが作った言葉のようだから・・・。


**


今日の写真、付箋だらけの本はソルボンヌの教授でいらっしたJacques Robichez 氏著 "ヴェルレーヌ"。他のヴェルレーヌ詩にも幾度か使われたalme(単数形)の解説があったのよ。

出どころはラテン語のカトリック典礼 Ave maris stella アヴェ・マリス・ステラ。マリア様を讃える聖歌で9世紀から歌われました。

歌詞は Ave maris stella のあと、Dei mater alma デイ・マーテル・アルマって続きます。《神の御母ほむべきかな》のラテン表現。此のalma をヴェルレーヌがフランス調に遊んだと・・・。

そしてC. Cuenot (Robichez氏のご著書に登場されますが存じなくて不明です。ヴェルレーヌ研究者さんでしょうか・・・) 氏は almes cadences は訳上 douces cadences に置き換えられるだろうと設定なさったのですって。

拙訳で《やさし韻律》douces cadences って置いたのは此んなわけ・・・。


**


語学・文学ともに学んだ事がないのに無謀な試みを楽しむばかりだけれど、訳すとき保ちたい事が1つだけ。

詩中の愛と魂の単語の扱いです。あまりにも頻繁に著される此れらを、異性間の愛や個人が所有するかのような魂の表現に限定して訳すのは避けたい思う。

ヴェルレーヌが憧れのクリメーヌを讃えるとき典礼から語を転用したように、フランス詩人たちが個人の信仰如何にかかわらず カトリックの国に在った影響は無視できませんね。

人間間の愛と魂をうたう時、神の愛と神へ委ねる魂の捉え方が必ずひそんでる部分を感じていたい。

"水のほとりに" で小松清様訳を用いなかったもう1つの理由でもある。

文学者様へ辛口感想はおナマが過ぎますが・・・
最終行 "愛" の単語が上リンク小松様訳上では唐突に出てきた風に感じられ、また愛が詩中の2人に限られたものであるかに映ったから。

文学的に訳すことも たくさんのフランス語を知って訳すこともできないけれど、精神文化ベースは踏まえて試みたいと思う。

*"墓地にて" 落合訳
*"クリメーヌに" 落合訳
*"ロマンス" 落合訳
*"水のほとりに" 落合訳
*サンピエトロ、体と遺骨
*"リディア" 落合訳
*"この世にて" 落合訳
*"漁夫の悲歌" 落合訳



「水のほとりに」落合訳

February 07, 2011

合わせでたくさん楽譜を頂いた。

フォーレ歌曲のなんて美しいこと。


《水のほとりに》

                        シュリ・プリュドム
                  落合訳

過ぎゆく水の辺にふたり 見るは過ぎゆく
流るる雲の虚空にふたり 見るは流るる

遥か藁葺屋根けぶり 見るは煙りて
囲む花々香(か)を放ち 匂やかに満つ 
水の囁く柳葉のもと 囁きを聞く

此の夢の続かん限り 時をば忘る
慈しみ深き思いに 情交わし
世にいさかいの 無き如く
倦(あぐ)ねるに向かいてふたり あぐむことなし

万物の過ぎゆく前にて 愛過ぎ去らず
万物の過ぎゆく前にて 愛過ぎ去らず
 

《Au bord de l’eau》

                          Sully Prudhomme

S'asseoir tous deux au bord du flot qui passe,
Le voir passer ;

Tous deux, s'il glisse un nuage en l'espace ,
Le voir glisser ;

A l'horizon, s'il fume un toit de chaume,
Le voir fumer ;

Aux alentours,si quelque fleur embaume,
S'en embaumer ;

■Si quelque fruit, où les abeilles goûtent,
Tente, y goûter ;

■Si quelque oiseau, dans les bois qui l'écoutent,
Chante, écouter...

Entendre au pied du saule où l'eau murmure
L'eau murmurer ;

Ne pas sentir, tant que ce rêve dure,
Le temps durer ;

Mais n'apportant de passion profonde
Qu'à s'adorer ;

Sans nul souci des querelles du monde,
Les ignorer ;

Et seuls, tout deux devant tout ce qui lasse,
Sans se lasser

Sentir l'amour,devant tout ce qui passe,
Ne point passer!

Sentir l'amour,devant tout ce qui passe,
Ne point passer!


■マークはフォーレが作曲時に外した部分です。
訳はフォーレの曲のままに致しました。


**


相も変わらずよぼよぼ訳。曲に添うのがコンセプトの小さい試み。

  *"ロマンス" 落合訳

書きながらも頭の中をメロディーが流れてる。時を刻むような和音がしなやかなアルペジオへ姿を変えて ゆるやかに昇って降りるメロディーは波のよう・・・

初心者は悩みがいっぱい。訳詩って難しいのネ。例えば最終行 "前"。日本語は時間軸も空間軸も同じ単語ですものね。紛らわしく避けたいけれど重要なdevant はあくまでも "前" って言いたいナ。

流れる水 うつろう雲、その前に居てこそ変わらないものを謳うのだもの・・・。呟きながらせっせと訳す月曜の朝・・・ 変テコなくらい元気ネ。


**


川端康成様ご友人、小松清(1900年〜1962年)様訳があるの。言うまでもなく私のよぼよぼ訳なんて足許にも及ばない素敵な訳詩なのヨ。それでもあえて採用しないのは偏に楽曲を語る上でのこと・・・

小松清様はフォーレに関わりなくプリュドムの詩として訳しなさったから しっかりした日本語の語感。加えてどこか無常観が漂うふうも。東洋的な無常観はフォーレの宗教観が齎すものとは異なる空気。

そうして男性的な言葉遣いに説得力がある。今のコンセプトになるフォーレ歌曲に対照すれば、声とピアノが交互に紡ぐ旋律のなめらかさに対して言葉の説得力は重くなってしまう。

たとえばラスト部分cmollのesからフラットが取れ明るみある優しいピアニシモのdurにチェインジする様子は、"過ぎぬを思う" ってnやm発音の籠もる音じゃないのが良いナァって。

楽曲中心のお話でなければ取上げたい魅力ある訳詩。
下に記しておきましょうネ。


《水の辺にて》

             小松清様訳

過ぎ行く水のほとりにならび
過ぎるを眺め、
虚空を雲の滑りてゆけば
滑るを眺め、
地平の藁屋に煙が立てば
煙るを眺め、
まわりに花の匂えるあれば
匂いにひたり、
水のささやく柳の下に
ささやくを聞き、
この夢にしてつづくかぎりは
時をば忘れ、
ただひたすらに深き思いに
愛してやまず、
世のいさかいに心をかさず
そをば忘れて、
倦まするものの前にたたずみ
心は倦まず、
過ぎゆくものの前にて愛の
過ぎぬを思う。
過ぎゆくものの前にて愛の
過ぎぬを思う。




フォーレ「ラシーヌ雅歌」

January 26, 2011

1955年の印がある父の旧約聖書。


昨日はこうべ芸文のお集まりを欠席しちゃった。今週末こそ治療が進むようおとなしくしなきゃね。

フォーレ "ラシーヌ雅歌" を聴いて雅歌を繰りたくなり開いた旧約。

ラシーヌはね、大好きな作家さんなのです。
ブログにも幾度か書いてきました。

  *ラシーヌの魅力
  *尻切れ草履のあとに
  *ジャン・バティスト・ラシーヌ

  ?ラシ犬

ラシーヌの詩につけた透明感溢れる内省的な音楽。美しいわ・・・音楽学校の卒業試験に書いたのですってね。1863年〜64年作曲ってあるからフォーレは19か20歳くらいだったのね。

若きフォーレが選んだ詩。


神と共にあり、我らの唯一の望みである言葉よ、
この大地と蒼空の永遠の日に、平和な夜の静寂を我らが遮る時、
救いの主よ、我らにあなたの眼差しを投げかけ給え。
あなたの恩寵の焔を我らの上にあまねく放ち給え。
あなたの御声のひびきに、全ての悪の逃げさることを、
あなたの掟を忘れさせるような疲れた魂のまどろみを覚ませ給え。
おお、キリストよ、この忠実なる民をひきたて給え。
あなたをことほぐために、今ここに集うた民を、
あなたのほろびることのない栄光に捧げる讃め歌を受け給え。
あなたから授けられたあふれる才能によっておくり返される讃め歌を。

                                  (萩原英彦様訳)


寒い朝の清らかで静謐な音楽を楽しみ楽譜を追いかけてみる・・・


**


讃歌 Cantique (またはCantiques catholiques) と Cantique des Cantiques (またはCantique de Salomon) とは別物だけどタイトル訳1つにも齟齬があり、考えの末訳されたかたが説明的なことを加えなければならない現実を思い、急に寂しい気分になった。

訳の訳のような説明を経なければ伝えられない事が多過ぎて・・・。目に見えない制約の中に居るのが時々とても辛くなってしまう。

だから今夜また気持ちを開放するのです。定期的に其んな日を設けて、土足で宗教観にタッチされる粗さが引き起こす極度のストレスを発散しなければ どうやって生きてゆけましょうと思い詰めてゆくから。

フォーレとCantiqueとラシーヌを一度に分ち合える楽しみな日・・・♪

なんにも制限されずお話したり教わったりしたいのは、ラシーヌの微細な表現と 今日1月26日の司教殉教者聖ポリカルポと 昨日の1月25日の聖パウロの回心と 月の光の曲に通じるラシーヌ雅歌の伴奏配分と・・・ たったそれだけ。

実現がとっても簡単なはずの、一等大切に思う事柄を制約なしに感じるまま口にする環境が、きっと今月少なすぎたのね・・・
明日には元気になってると思うワ。



象徴(2)オコゼ

January 21, 2011

月に浮かべる連想が異なるように

物のイメージもまた・・・


芸術家さん達の概念が包含されたものは彼らにとって何の象徴かって見てゆくのは楽しいのね。

ブルゴーニュ君が書いてたトーマス・マン "選ばれし人"。
グレゴリウス教皇様へと変容を遂げるのは、剛い毛が逆立って肌が角のように硬くなり、くしゃくしゃの顔をした生き物なの。

自らの罪の重さに相応しいと、17年岩の上で激しい懺悔を繰り返すうち醜い生きものに変わってしまった人間。彼の姿は悔やみきれない悔恨の大きさを表してて・・・

トーマス・マンの此の著書に於いて奇妙で恐ろしいような姿は 悲しみの象徴に著わされた。


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たまたま夢に見たオコゼのこと・・・

  ?僕が聞いたオコゼの夢

ブルゴーニュ君のように1形態を扱う重層性がなければ、ブルゴーニュ君にとって永遠にオコゼは気味の悪い魚としてしか存在しない。

ある感覚の持ち主にはユーモラスと映るかもしれないし、別の感覚ではグロテスクな顔にトーマス・マンのように悲しみを感じるかもしれない。

面白みや悲しみでなくて美しさを見る場合。奇抜なヒレの珍しさ故に綺麗だって感じる場合もあり、グロテスクなことを心打つある種の感動として美と掌握する絵画派閥なども存在しますね。

オコゼは気味が悪いと形容を決めたブルゴーニュ君がもし楽曲に携わるとしたら、彼は考え以外の表象を得ることができない。


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トーマス・マンが描く醜い生きものは涙を流すのよ。


《そのとき彼らは、相手の生きものの眼から、お化けのようにくしゃくしゃになった顔を伝って、
涙が二粒ころがり落ちるのを見たのである。》
                          (佐藤晃一様訳)


彼の涙を見た人も自らの涙を抑えられず、親愛なる生きものよと呼びかけます。人間の心を持つ生きものと知り問い掛ける。お前は人間だったのか、洗礼は受けているかと子羊の血にかけて問うのです。

"選ばれし人" では醜い生きものが悲劇と慚愧を負う人間の象徴だった。アポリネール "蛸" (上リンク夢のお話) では、蛸が心醜い人間の象徴だった・・・


《蛸》

天へ向かって墨汁(すみじる)を吐きながら
愛するものの生血をすすり
そうしてデリシャスに感じている
この不人情な怪物は僕だ
                         (堀口大學様訳)


*象徴(1)月とピエロ



「ロマンス」落合訳

January 17, 2011

月曜朝に近代フランス詩訳。

元気デス・・・


《ロマンス》
                           ポール・ブールジェ

寄せる想いや 庭うちに
神授の百合を 摘みとれば
薫る魂 秘めやかに
失せし心に 痛み充つ
百合うるわしの 魂を
風やいずこへ 狩り去った?

たがわぬ愛と 希みとの
至福のやわらぎ 醸す霧
うつし世ならぬ 神慮の霧と
見まごうきみに 包まれた
天上甘美な 芳(かぐわ)しの
名残の香 今は失し

L'âme évaporée et souffrante,
L'âme douce, L'âme odorante
Des lis divins que j'ai cueillis
Dans le jardin de ta pensée,
Où donc les vents l'ount-ils chassée
Cette âme adorable des lis?

N'est-il plus un parfum qui reste
De la suavité céleste
Des jours où tu m'enveloppais
D'une vapeur surnanturelle
Faite d'espoir, d'amour fidèle,
De béatitude et de paix?


ブールジェは翻訳を持っていないから 即席でよぼよぼ訳をしてみましたヨ。行の順替えや語順替え多い意訳ですけれど、原詩に入ってる単語はあえて全部使いました。

ドビュッシーが作曲に使った詩です。うふふ、お話は皆までも此処へゆき着くのです・・・


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普段には、それほどに詩の七五調訳を好んでなかったの。何故って7+5の音律は、隙間の休符に当たる時間が補われて音になるとき 4拍となりますね。子音多数の言語と拍感覚が遠くありすぎるから・・・

訳詩は原詩と異なる個別の芸術だけど、音楽好きさん達にとっては原語楽曲イメージが付き纏うもの。歌になった詩は楽曲拍子や韻律が身体に入ってるから、訳詩の拍子感に違和を覚える方が多いみたい。

ロマンスの詩はね、緩く優しいリズムの4拍子で作曲しているので 4つ調子の訳で抵抗ない気がするの・・・

翻訳家さんじゃあないから、ブールジェの詩のみよりもドビュッシーの曲を通した詩に一層心を寄せてしまう。

うんと恥ずかしいよぼよぼだけど・・・
1つだけね、ちょっぴり良いカナ♪ って自己満足してるトコロがあるの。

最後のところ・・・【名残のかおり】 じゃなくて 【名残のか】 にしました。
【7 ou 8 + 5】 が続いてきて最後だけ 【5 + 5】。
終曲間際にドビュッシーが2拍子小節を挿入してるから形を模した。

私なんかが翻訳するとレベルが低くてお話にならないけれど、ご堪能な音楽家さんが此れ様な曲構造に添った訳をなさったらば楽しいでしょうねって思ったの。


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象徴(1)月とピエロ

January 14, 2011

月。

月で思い浮かべるのは何?


月からの連想、象徴、表象、観念、暗示を辿り、"思い浮かべる" という構造は不思議。あなたの月の概念の階層はどんなふう?

フランスで月に深く結びついて表されるのはピエロ。主には1800年代以降から、とっても多くの絵画、詩、楽曲に月とピエロが登場するようになります。

古くは童謡月の光でにピエロが出てくる。此のメロディーを暗示的に用いたのがドビュッシー "月光のふりそそぐテラス"。

*ドビュッシー「月光のふりそそぐテラス」(1)標題
*                         (2)旋律
*                         (3)印象

もっとくっきりと "月の光で" の童謡が聞こえるのが、昨日話題にしたテオドール・ドバンヴィルの歌詞に作曲した "ピエロ"。歌詞中バンヴィルはピエロを白い月に喩えます。

*ドビュッシー小組曲「メヌエット」

メヌエットに引いたバンヴィル "艶なる宴" の方は直接に月やピエロの単語は出てこないけれど・・・


《Car c'est ce soir fete chez Cydalise
今宵シダリーズのおうちの宴だから》


夕闇と不可思議な人物達の波が作る情景は、道化的な非現実感と物憂さを漂わせる。広い庭園の宴をうたう不安定な明るさも 前出 "ピエロ" の雰囲気に通じるものを少し感じたりして・・・

連想の元になる概念の構造は各国特色があるのね。作曲国の表象文化、もっと知って体験してゆきたいナ。


(文中バンヴィルに関して詩を "歌詞" と置きました。バンヴィル自身
《詩は歌われるものである》と定義して抒情詩を製作したから・・・)



疎外感を越えて

January 02, 2011

子供の時から辛かったお正月。

今年初めて楽になった。


日頃に覚える疎外感がお盆やお正月は特に強まった。幾十年間お正月だけはおうちから出たくなかった。街の空気に触れたくなかった。

今年穏やかに迎えられたのは提言をくれたお友達のお陰なのです。


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あまりにも辛くってお友達に愚痴ったの。どうして此れほど半暴力的に一宗教行事を押し付けられるのかしら・・・って。

お正月行事に対してとってもナーバスになってた。長い年月に渡って宗教意識や風習の独特の色合いを間近に感じるうちに どんどん辛くなってった。

フランス生活は本当に楽ちんだったの。フランス文学が大好きだったりフランス音楽を弾いたりするからだけじゃあなかった。心底伸び伸び過ごせたのは、最大勢力がカトリックである処だったから。

フランスの文学やクラシック音楽が好きなのは其の続きなんだワ・・・。作者の信仰如何に関わらず、どうしても漏れ出でる宗教色と文化を徹底的に愛したの。

一生変わらない事・・・。カトリック教徒としてカトリックの国の音楽に向き合う事。


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愚痴に答えてくれたのはヨーロッパもアメリカも両の生活が長い信徒のお友達だった。彼女は反対に日本の其ういうトコ、楽に感じるって。

そうなの? どうして? 私は泣かんばかりに言ったの。

もしも他の国で、他教徒が居る場でも注意を払うことなく物飾りやお食事の宗教的慣習を当然のように押し付けたらば殺傷事件になるのに・・・って。

デリカシーを置かない様子が耐え難く、疲れてしまってた。
お友達は教えてくれたの。

"アメリカはもぉピリピリして、メリークリスマスって挨拶もできなくなってるナーバスさよ。日本だと他教にデリケートじゃない分、此っちがどんなに好きなことを言っちゃっても ああそうなんだって流してくれるでしょ? "

たくさんの体験から彼女が口にしたことが とても素直に納得できた。嬉しい発見だったワ。

今まで日本のお正月を、カルチャーショックの留学生みたいに過ごしてきたの。みんな受け入れるのが当然の風な日本の祭事行事感覚はなんて乱暴なんでしょうって幾年も思い続けた。

違った見方があったのね。他教を繊細に尊重する習慣がないのを嘆くんじゃなくて、私たちは此うするのヨって口に出すことができる・・・って考えると良いのネ!

これからは少し気持ちを変えられそう。本当にありがとう・・・


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1月2日《割礼と御公現との間の主日》

15世紀よりシエナの聖ベルナルディが今日の祝日の使徒になった。
1721年インオチェンツィ13世教皇様が定められた《イエズスの御名の祝日》は、御公現後の第二主日でした。

1913年より聖ピオ10世教皇様が1月2日〜5日までの間の主日に繰上げられて、今年は1月2日の今日がイエズスの御名の祝日になります。


フランスでは1月6日の御公現に向け

ガレット・デ・ロワを食べ始め・・・♪


サックサクのパイ生地とアーモンドパウダーの香り。フェーヴを集める嬉しい祭事。1月初旬の拙宅の行事。

明日はブルゴーニュ君カナ。

*サン・ニコラの日
*2011新年



Higeにてフランスの雑誌プレゼント

December 27, 2010

昨日ノヴェルティ君と合わせを終え、

明日はズワイガニ姫と合わせ。


ちょっとくたくた・・・
クリスマスにフランスから届いた書物を開く。差出人はママン手袋。

聖書思想が文章体でまとめてある。仲良しから贈られる本のストライクっぷりに笑みが零れる。パリの生活で分かち合ったものを、離れて贈り物に托して分かち合う悦び。

うんと分厚い本・・・。送り賃だってさぞ多かったでしょうに・・・と、本を裏返すと印刷されたお値段を塗りつぶしてある。ママン手袋はいつだって此うしなさる。


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片や苦手な紙類のコト。
故あってフランスのインテリア雑誌の処分を任された。


綺麗なインテリア写真は

10〜15年ほど前の古雑誌。


本が大好き。本を愛するのと同じ理由で 書物と非なる雑誌が苦手・・・

ソクラテスの背表紙だけで避けるかたの気持ちとおんなじネ。読めば面白いかもだけどちっとも読む気がしないワって感じがしちゃうのね。雑誌と私も其んな関係なんです。

ページを開くこともない雑誌、困ったワ。どうする?
ある人にとってつまんなくても、別のお人には面白いこともある。
捨てちゃうのはもったいないから・・・

思いついて広島のメルスリーひげ様にリンリン♪
お客様で欲しい方はいらっしゃるからと大量の雑誌引き取りを仰った。


雑誌のほかにも

処分を任されたのは・・・


フランスで出版されたグラマーのテキストやガイドなど。
ひげ様にお尋ねすると、きっと要りような方がいらっしゃるって。

良かったワ。まとめて段ボールに詰め、今日発送予定です。
年が明けてMercerie Higeでお買い物すると、もしかしたらオマケ雑誌が貰えるかもですヨ。お店、覗いてごらんになってネ!

明日はブルゴーニュ君カナ。



ゾラの実

December 18, 2010

生命力強いものが好き。

逞しく生きるものに憧れる。


古いパリで展開される剥き出しの生命を感じる歴史や文学も大好きよ。
エミール・ゾラの信奉者なんです。第二次帝政下のゾラの世界は放埓と淪落の中、けだものじみた生への執着を描く・・・♪

ゾラの訳者黒田憲治様が解説に幾度も "体臭" って言葉を使われるのを賛意を込めて読んだ。

悪事を行い恥辱にまみれ、其うとしながら這い上がる獣的な無限のエネルギー。ゾラ文学の体臭が大好き!


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繊細さがフランス風と呼ばれる場面に遭遇すると とんでもないワって思うことがある。繊細な作業に固執する、気の遠くなる積み重ねのエネルギーをフランス風と呼びたい。中毒的な偏執ぐせや 窮すれば力わざに出る地盤を秘めていて・・・

*パリの不合理

繊細に見えるものの下へ覆い隠された パリ気質の強い体臭をこよなく愛してる。


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写真はイーヨーのお山から持ち帰ったヘクソカズラ。酷く匂うから不名誉なお名前になった実。可哀想ね。イーヨーは持ち出しに反対したの。"庭土へ落としたら蔓延ってどうにもなんなくなるよ。" って。

落とさぬよう気をつけてお部屋で飾り乾かした。強過ぎる繁殖力と悪臭が嫌われてしまう実。私は此の実大好きなの。悪環境にたった一粒でも発芽して、地下も地上も征服しようとする強い実。

今日からね、ゾラの実って呼ぶことにした。

*ゾラ19世紀の記念碑
*生きる喜び
*リサイタル前日に



辛うじて生きる

December 10, 2010

"デミアン" の内省が興味を引き

続けてヘッセを読んだ。


中学のころ読んだ "車輪の下" 再読。
作中幾度も出てくるホメロスを当時は読んでなくて、オデュッセイの喩えも引用の意味もわかっていなかったって知る。

少しだけ経験を増やしての再読は楽しい。

訳者井上正蔵様がヘッセの生涯を指して《辛うじて生き抜いてきた人間である。》と書かれてる。自己告白・自己救済の形をとるヘッセの文学に照らすと とっても頷ける表現だわって興味深かった。

キルケゴールは《絶望はひとつの事実ではなく、ひとつの状態》として《癒えること》を求める。対してカミュは《病みつつ生きる事》を主張する。他方ヘッセはまさに《辛うじて生きた》人ではないかしらって。

キルケゴールの二律背反、ヘッセの分裂の苦悩。そしてカミュの、おそらく3人のうち最も逞しい結論・・・ 各国の土壌が大きく影響している風に思う。


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ヘッセ自身の言葉。《20世紀ドイツ文学は過渡期の文学としての価値がある》を前出訳者様が引用されてた・・・ フランスの芸術土壌と比較してのこと。井上正蔵様は此うとお書きになってる。

《ドイツの作家は多かれ少なかれ、魂の分裂を自己の問題として悩み、その悩みを成長の糧にした。あのアポロ的なゲーテでさえその例に漏れない。フランスの作家なら芸術上の対立の悩みを糧にする。》
                 
円熟があり対立があり議論と試みの文学に発展したフランスが (もぅ、どっかんどっかんと) あざとささえ感じるほど教養高い文学論を繰り広げてた時代。

フランスと比べるまでもなく荒地だった当時のドイツ文学界で ヘッセの境地は楚々として純な印象を与えたのかしら・・・

苦渋や焦燥の中に常に見える憧憬・・・ ピュアな魅力のヘッセ、別なお作も読んでみましょ。

*ブクステフーデのパッサカリア



サン・ニコラの日

December 06, 2010

聖ニコラの命日に食べる

フランスのパン菓子。


聖ニコラ司教にちなんだ子供の形のお菓子は 日本のケーキ屋さんに出回りはじめた。お目にされたかたも多いですよね。流行ったお陰で簡単に見つけることができる・・・

お友達とおしゃべりする。
多宗教国家としての大きな問題を抱えるアメリカが、憲法に則り一定の宗教色を薄める意味がイベント化の拡大に繋がったこと。

ヨーロッパのカトリック国などはそれを堕落として、感化されぬよう地域によってはイベント禁止を出したこと。

そしていずれの方向でもなくサン・ニコラのお菓子が私たちの街で何故かたくさん見られる現象のこと。


**


私自身はまだ立場を決めかねてる。お菓子を糸口に聖ニコラが知られるのが悪いと思えない。他方に自分の中に保つべきカトリック教徒のスタンスがある。

折り合いは、イベントのように売られる数々の象徴的食物を、カトリックの記念として扱う方法。当のイベントのお陰で私も神戸の片隅に居ながら此のお菓子を享受できているんだもの。ありがたいコトだわ・・・ 

其うして買い求めることでイベントの片棒を担ぐ自分に気が重くなる。ジレンマに陥り、時々どうして良いかわからなくなる。12月6日のミサ典書を読み上げていった。


《神よ、御身は、数知れぬ奇蹟によって、聖なる司教ニコラにほまれを与え給うた。
願わくは、その功徳と祈りとによって、われらを地獄の火より防ぎ給え。神として》

                               集祷文




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