Paris X



モンマルトルの書と

November 28, 2012

1911年生まれ、フランス学士院歴史大賞を受けられたルイ・シュヴァリエ氏の著書。相方さんの本を借りた。


曾祖父や祖父の代からのフランス関連蔵書が合わせのたびごと登場してた影響か、相方さんはフランス書籍に嵌ってく。

  *エートルが繋がる
  *マンドリンと中也


ある時は拙宅本棚にあるプルーストの音楽描写をテーマにした絶版書物を見て、知らないうちに図書館から借出して読んでいた。

またある時は私が桐朋でお世話になったフランス詩の先生の御著書を買っていた。読みたかったけれど、恩師とはいえ8千円なにがしの書籍にはお財布が断りを入れてきたので購入を見送った本だった。羨ましいな〜、今度お借りしようっと。

**


今ただ楽しんでる本のやり取りも、初めは少し違う目的だった。


  デュオのために、音楽と詩や背景と多面から
  共通認識を得ようと努めたのだった。

  私は真にデュオをやりたかった。

問題はあくまでも私が居た環境の範囲内の事。
素晴らしい音楽家は幾らも居られるのだ。
私の小さ過ぎる環境の中で出会えなかっただけ。
しかし実際周囲の環境は絶望に値した。

2人の人間が別々に出した音をごっちゃに聞いて頂くだけのデュオに厭き厭きしてた。具とパンと別々に食べたほうが美味しいんじゃあない? って風な室内楽はもういいと思ってた。

"つなぎ" にマヨネーズは本当にいつも必要? バターがないからマーガリンは当たり前? よく水気が取れてないのに無いよりマシとこじ入れられた萎びたレタスでパンが湿ってぬるぬるする。

互いが不味くし合う組み合わせでも格好だけサンドイッチの体。

パンのお味も具のお味も悲惨に壊れているのに、サンドイッチなら皆好きでしょうと人様のお口へ投げ込む失礼を忌み嫌いながら、それでも聴いたり演ったり20年以上。もうたくさんだった。

  未来が見えなかったのだ。

不味いサンドイッチが問なのじゃあない。
美なる味とは何かの思索の欠如の問題に他ならない。

音楽を共に創るとは、美学的基盤を共有することだと信じてる。

  美と音楽の普遍性、
    形而上学の一端、
      音楽思想を育む歴史、
        思想哲学が齎す音楽論、
          音楽の詩学と演奏の詩学。

其れらを集め定めて音楽の一点に終結してゆくこと。
そこまでのコンテクストを包括共有すること。

**


言う程難しいものじゃない。


ある土壌で育った小麦で捏ねたパンに同じ土壌のトマトを挟み
同じ陽を浴びたオリーヴオイルを掛ければ不味かろう筈がなく
ごく簡単に美味な昼食ができ上がるのだから。

  見えなくなった未来に望んだものは
  土と陽と水の共有だった。

  ただそれだけだった。
  それが統べてだ。

其んなにも簡単な事を共有する場に出会えなかった。
どうなってるの! と叫び、やさぐれたのが今は笑い話。

**


私は本をよく古びさせてしまう。


頭が悪いのか、ただ目を通しても頭に入らない。
舐めるように読み、程度を越えて書込まなければわからない。
憶えが悪く、理解が遅いのかもしれない。

フォーレ周辺の詩人たちの本を買い漁るようになった相方さんが、私がほしかったモンマルトルの書物まで得意そうに見せびらかして、貸出しを提案した。

私が普通ではなく本を汚してしまうのと、其うしなければ頭に入らない知能と癖をよく知って、遠慮なく自分の本のようにすれば良いと言った。共用図書にすれば良いと。

  ならば自分のための印じゃあなくって
    共有知識のための注釈にすると面白いかも?
      パリの隅々を知らない相方さんへ通りの地図等
        パリの生活で増えた資料たちを使って・・・

写真上から
アポリネールの引用があれば該当文を挟み
通りの名があれば地図コピーに位置を示し
ヴェルレーヌの詩句が引かれれば原詩を貼りつけ
多出するモンマルトル "丘" のニュアンスをドイツ語資料で補い

  せんに求めた共通認識は
    今や趣味の分かち合いになり
      楽しさ一杯の作業が進んでゆく。

明日はブルゴーニュ君ね。


■デュオババール関連リンク
*デュオ相性
*分かち合いと本
*やさしい理解とケクラン
*ナニソレ解説の払底

*2012年7月のリビングルーム
*紫陽花の部屋で
*マンドリンと中也
*ドビュッシー "木馬" 音源up
*ラヴェル "カディッシュ" 音源upとロラン

*ピアノ室の時計
*自由
*ドビュッシー絵画と過ごしました
*女心とアンドレ婦人
*11.16 PJ 人生は過ぎゆく
  ?僕が知ってるオフィシャル
  ?僕が聞いたお誘い
  ?僕ができなかった球拾い
  ?僕が聞いたiTunes
  ?僕が見たお客様
  ?僕が聞いた常連様との会話
*相方さんの夢

*伴奏者の勘違い
*アンタ、サイコー!
  ?僕が見たリハーサルの隙間
*ピアニストの七つ道具(1)
  ?僕が見た楽屋と本番


■ファゴット音楽関連リンク
*PJにて。ファゴットの魅力
*抵抗とスムージー
*サスペンダーの殿方
*変態解説:タンスマン音源up


■ファゴット楽器関連リンク
*試奏の記録
  ?僕が見た試奏会
*ファゴットリードのお話
  ?僕が見たブローチ
  ?僕が見たリード愛
  ?僕が聞いたリードの行方
  ?僕が思うトーテムポール
  ?僕が聞いた暴言

  ?僕が見たモツレク
  ?僕が客席で見たこと
  ?お姉ちゃまファゴットを吹く
  ?僕が知った新年の習わし
  ?僕が見たお鍋


■コンサート外関連リンク
*パナソニックな日・・・♪
*Macへ行こう(14)フォトストリーム
  ?僕が見た虫下し
*ピアノと根気
*満員のPJ、ありがとうございました
*嘘のアンティーク・本当のブロカント

*カタツムリ石鹸とマメマメ
*音楽解説書とマメマメ
*10.13写真とマメマメ
*黄色いハンカチーフとマメマメ



シネマ記録(5)たそがれの女心

November 23, 2012

先日観たDVDのコト。


ルイーズ・ド・ヴィルモラン原作。1953年のフランス・イタリア合作映画。もちろんルイーズが関わるものとして観たかった。

監督は、大戦中にドイツから亡命帰化したフランス国籍のM.オフュルス。レトロな映像が美しい監督でハリウッドでも活躍されたそう。カメラワークが高く評価されてたのですって。

だから当時の映像技術と麗しの社交界の画像だけでも、お好きな方には楽しめるのじゃあないかしら・・・♪

**


私たちはお腹を捩って笑いながら観たのヨ。何故ってプーランク曲から導き出して噂してたルイーズ像そのものだったから。

  そしてね・・・
  どちらなのでしょう? ってクエッションにまみれた。

細部に揶揄や風刺を込めているなら粋なフランス調だし、
自身の行為への正当化も潜んでるなら子供っぽい心理だし、

何方とも捉えることができてルイーズへの謎が深まった。

  ほかで観たインタビュー内のルイーズは
    粋人で・かつ・子供っぽい女性だったから
      ますますわかんなくなったのヨ・・・

1つだけ確かに解ったのは、幾十年後の異国の私たちでさえ夢中になって翻弄されてしまう不思議な美女が、粋を究めた社交場での言動においても、お馬鹿さんなほど子供っぽい私生活の一面でも、其れら合わせて多くの貴族王族文化人たちを虜にしたのだってこと。

不可解さ含めてルイーズはやはり魅力的だわ!

  彼女は子供っぽい才女で
  身なりシンプルに構わぬ美女で
  究極の女の内面を持っており
  多分にボーイッシュであり
  特徴的に美しい鼻をツンと反らせて
  不良っぽく煙草を短く指に挟み
  テレビカメラに躊躇なく
  自然で構えることなく天真爛漫に笑い
  好きな事を好きなだけしゃべり

  強熱的な恋文は慣れ切った様子で軽くあしらい
  壁に枯花を大事そうに飾る富豪のご令嬢で

何が何だかわからないルイーズに、
私たちはただただ夢中になっている。


**


映画では、愚かさの風刺に考えられるお祈りのシーンが印象的だった。主人公は此世的な願いを乞いに教会の祭壇前に跪くの。


主人公は、如何なる者でなければならないか問うことなく要求をただお願いにあがる。蝋燭を買って独りよがりな望みを口にする。

後半で罪を犯したのちのお祈りも・・・
主人公の罪は大罪だった。カトリックに於ける大罪は罪の量じゃなく3つの条件が揃う事。1) 重大な過失で 2) 道徳的罪の意識を持っており 3) 罪が自由意志による。

本来ならばまず告解で罪の赦しの秘跡を受けなければならないところ其うとせず、あるべからざる事にお祈りに必死の言い訳を挟んでゆく。不義の気持を抱いた事に、関係は清らかなのですと言い重ねる。

不幸な心を持った主人公を嘲笑するシーンに見えるけれど
原作者ルイーズは、主人公に自分の名を与えている。

  皮相的な女心を一通りでなく語り
    映画の思慮浅い女性に自分の名を冠する原作者の行為は
      多分に思い切りの良い男性的な企てで

私は、短慮な女心とやらを振り回す主人公ルイーズを疎んじ、
原作者ルイーズに厚意と憧れを寄せるのだ。


*シネマ記録(1)モンパルナスの灯・他
*     (2)宮廷画家ゴヤは見た
*     (3)エゴン・シーレ 愛欲と陶酔の日々・他
*     (4)カラヴァッジョ 天才画家の光と影・他



19世紀フランスのティッキング

November 21, 2012

パリ恋しさに、たまにやってしまう。


このところ新入りさんが続いちゃったのを恥じています。

  *パリのカフェテーブル

ゲスト用寝室が少し殺風景で良いファブリックがあると暖かそうカナって思ってた。

19世紀フランスのティッキングを見つけてしまったの。
昔々19世紀にマットレスを包んでた布でした。

tweed a chevrons、フランス語で山形ツイードって表す生地・・・大好きなの。ヘリングボーンの呼称が一般的ですね。

タフで、ちょこっとボーイッシュ。煙ぶるように掠れた色があんまり素敵で買ってしまいました。大事にしようって何度も眺めて・・・

対になった窓には、せんにひげ様に頂いた古いフランスの布カタログも下がってて何とな〜くパリのアパルトマンを思い出したりする。


嬉しくて、嬉しい気持ちと同時に物欲を恥ずかしくも思う。
恥じる故に自分で購入した品はあまりご紹介しなかったりする。


あんまり素敵だからって、やっちゃったな〜って思う。

  露骨な現実主義に自責を感じる。
  物質はあくまで地に在るもの。

**


育つ過程で両親の教育はとてもはっきりしてた。
育ち方は価値観になんて大きく影響を与えるんだろう。

拙宅ではコロサイ3-1,2 が頻繁な話題だった。
年齢を重ねても離れない感覚になってるのねって思う。

《汝等もしキリストと共に甦へらせられしならば、上にあるものを求めよ、キリスト彼處に在りて神の右に坐し給ふなり。汝ら上にあるものを念ひ、地に在るものを念ふな、》

言い訳は多々あるのだった。
特にアンティークは時代を大切にするなんて言い訳をし易いワ。
其う口にすれば何となく物質主義から逃れてる気にさせられる。
物じゃなく時が大切なのだと都合の利く言い回しもできる。

実際を正せば・・・
物質主義に言い訳を加えてるだけの自分が居るのだった。
目に見える物を求めたことに変わりない。

  そしてもう1つ毎回の自問は、
  私は此んな素敵さんなフランスのお品を
  持つ資格がないんじゃあないかしらってコト。

フランス19世紀なんて言って愚かに喜んでられるほど
大好きなお国の大好きな時代を知っていないかもしれないのに。
知らない事があんまり多いと毎日気づくばかりなのに。

**


  欲しかったお品を手に入れて嬉しくて、
    つい自分を赦したのが格好悪くって、
      だから後の配分の問題かな〜・・・

19世紀の目に見えるお品を求めてしまったから
19世紀の目に見えないものをしっかり培わなきゃネ。
罪悪感を拭えるくらいお勉強しましょ〜

    12月9日のコンサートは19世紀フランス、
      ドビュッシー x フォーレですもの。

**


体調はまだ戻らず。
合わせのあと疲れて眠ってしまった夜でした。

明日は今日と反対に、ちっとも罪悪感を感じずに済むブロカント・インテリアのお話ネ!


*アンティーク好きの理由
*アンティーク途中
*アンティーククロスはまだ先
*アンティークを愛でる

*ゼロ円インテリア
*ペイントもの・・・♪
*断絶ないインテリア
*幸せな椅子

*エートル
*エートルが繋がる
*エートルとプロセス
*エートルとエグザゴン
*エートルを愛でる

*六角のカタツムリ
*古いスクリーンはワンコのエートル
*内緒のエートルは黒田節

*HPお道具ページ

*望郷
*望郷とエートルとショパン

*使い込まれた古書♪
*古いコミュニオン・カードと物



フランスのからくり

November 16, 2012

*今夜 7h30、デュオババールライブです。
 どうぞいらしてくださいネ。


昨日の続きのお話デス。
フォーレ Op.1は "蝶と花" っていう歌曲。
タイトルイメージとの大きな隔たりが魅力的なユゴー詩。

  *象徴(6) "蝶と花" 落合訳

此んな形はフランス近代の様々な学芸分野に多くって・・・

  象徴としてイマージュを引いてくる語を提示し、
  語を其のままに象徴の意味方向を壊す。
  壊すために提示するとも感じられたり。

*象徴(1)月とピエロ
*  (2)オコゼ
*  (3)花色
*  (4)気狂いピエロ
*  (5)シニフィエ
*  (6) "蝶と花" 落合訳


すると小さな衝撃を受けるのです。
変わらぬ日常で使い慣れ聞き慣れた語に知らず知らず先入観を持って、それが万人共通の意識であるかの錯覚をしていたと。

フランス詩にさっと身を翻され、決まりきった語句の捉え方しかしない自分に気づく楽しさ。からくり風の楽しさ。

音楽にも多分に含まれる似た特徴をおしゃべりしたいと思い立った。でもね、上手な解説が浮かばずに・・・
ならばいっそ説明文よりも文そのものを書いちゃえ! って拙く変てこな試みを始めたの。

  *泣く女とバジル
  *不思議な駅(9)人身事故--スケルツォ
  *料理が下手なやつは

見合った実話はいつも起きないからホンの時々・・・

Durとmollの順番はフランス的じゃないかもしれない。
幸せから一転悲劇より、悲劇的な空気から幸せなお話で終わるほうが好きなのだワ・・・

  *過去の女性からの手紙

**


からくり風の詩文文化と並行して音楽も、言葉を用いないぶん純一性は高いながら、一見散文的に置かれたようなメロディーが散文でなかったと見えてゆく含みにくすぐられもする。

今夜のPJプログラムではタンスマン、プーランクに其んなからくりが見えるようです・・・

  夜 7h30より、三宮ピアジュリアンでお待ちしております。
  ご予約はピアジュリアン 078-391-8081へどうぞ。


■フランス的テーマ関連リンク
*フランス的とは

*ゾラの実
*ゾラ19世紀の記念碑
*フランス19世紀の繊細

*音楽のひとこま
*曲決めは楽しい (2009年のお答えを兼ねて)

*フランスとヴォルテール
*オーレリア或いは夢と人生
*仏文学を好きなのはネ・・・

*パリの不合理
*ミスタンゲットのパリ
       ?僕が見た素面の事件
*街角が香る
*街の色

*愛すべきフランス
*怪談の日仏
*トイッチュ

*重なりの量感
       *チェックするブログと おしゃべりな家
*フランス気質と音さがし
*ドイツ民族・フランス音楽
*フランス民族・フランス気質

*自由
*紫陽花の部屋で
*フランスとルイーズ
*神のないルイーズとフランス
*フランス音楽とゲラン


■フランス音楽関連リンク
*フランス音楽(1)霧の具象
*      (2)感情と心象
*      (3)失意
*      (4)エクリチュール
*      (5)さかしま
*      (6)トーン変動
*      (7)崩壊と慈しみと
       *プーランク "花" 音源up
*      (8)感性の求め


■イマージュテーマ関連リンク
*美しい白のイマージュ
*イマージュに血が通う
*本質なきイマージュ
*本質とイマージュ
*イマージュと技巧
*切られたイマージュ
*女の子はファンシー好き(6)ルイ・アラゴン
*イマージュのシルエット
*イマージュ
*フランス音楽とイマージュ考
       ?僕が思うパリの風


■シュレアリスム関連リンク
*海原の娘(1)虚構現実
*    (2)幻想の意味
*    (3)普遍性への問い
*謎 -- ラヴェル "永遠の謎"
       ?僕が思うシューレア・クリーム
       ?僕が思う靴下と階段



パリのカフェテーブル

November 05, 2012

ゆえあって、鶯君からテーブルを引取った。


カフェテーブルにしてはなかなか大振りでずっしり重い。

他の家具とよく合って初めから此処に居ましたよってお顔して
リビングルームのはじっこでアルコールボトルなど乗せている。

新入りだのに古馴染みのように、しっくり収まった。


パリ街中のカフェにあるテーブルのようなアイアンの脚に惹かれて、鶯君のお話に飛びついた。


私、まだまだパリが恋しくて、寂しくてたまらない時がある。

ずっとフランス音楽に触れてても、フランス文学ばかりを読んでても、パリのお友達とたくさんメールを交わしても、街の匂いや音が懐かしくて仕方ないの。

だからちょっぴりでもパリの通りを思い出す物を側へ置きたくなる。

**


昨日に引続き、今日も朝から午後一杯までババール合わせデス。
フォーレをとっぷりとお稽古しましょ・・・♪

  お披露目は11月16日午後7h30〜
  三宮ピアジュリアンにて。

デュオ・ババール "モンパルナスの夜" に
どうぞお越しくださいネ・・・



元彼のメッセージ

October 31, 2012

女子限定話題。殿方はスルーなさってネ!


facebookメッセージを受け取った。元彼だった。

  ありがちだわ・・・

    くだらない・・・

恋人か奥方が居るかもしれない男性が、昔の女に連絡しようとする神経は何だろうって思う。現パートナー女性に秘密にしなければならないと知った上の言動はゲンナリする。双方に対して失礼極まりない。

ノベルティ君やネコヤナギ君たちと長く親しくお付き合いしてるのはね、彼らが奥方をとても大切にする人たちだから。

今日の写真のチョコレートも、年に幾度か共に仲良し旅行をするノベルティ夫妻が旅先のポルトーで求めてくれた品。

コンサートにも必ずマダム・ノベルティを伴って来てくれるノベルティ君とは対照的に、ネコヤナギ君はひどく照れ屋さん。
奥方の前では偉ぶったりするくせに、私にはこっそりと奥方への大きな感謝を語る。かわゆいの。

  私は目の前に居るパートナーを大切にする人が好き。

別れるや否や、元恋人に一分も心を残さないのも其ういった考えが根本にあるかもしれない。どちらかというと新しいパートナーの女性の気持ちで考える。

お別れした2人の男女がそれぞれに新しいお相手を持ち、だのに一方が昔の恋人に感情的なメッセージを送るなんて全く気分の悪いお話だわ。

**


メッセージは非常な長文だった。仏文学者の仕事がそうさせるのか元々長いお手紙が多い人だった。

此の度のメッセージはメッセージの範疇を越えた長文だった。
うんざりして頭とお尻尾を十数行ずつ読んで終わった。

元彼は何かの偶然から私の私物が入った箱を地下カーヴで見つけたらしかった。見つけたきっかけは、文中に説明されているのでしょうけれど目通ししてないから知らない。

アパルトマンを移るとき、幾箱かの荷を数日預けたことがあったと思う。1箱だけ回収し忘れたのかもしれないワ。其の後の生活で足りない物に気づかなかったほどだから余程大したものじゃないのでしょう。

せいぜい靴の敷き皮とか? 買い置きのパスタの乾麺とか? 予備のお洗濯ネットとか? 無くても気づかない物って、そんなところじゃないかしら。

  其の箱を元彼はパンドラの箱と名付けてしまった。
  
  あやうく紅茶を噴いてしまいそうになった。
  馬鹿馬鹿しい・・・

お別れの原因さえ忘れてしまったのだけれど、幾年が経つのによくまあセンチメンタルな吐露ができるものだと呆れた。恋人同士の頃には其んな性質も繊細で細やかな特徴として好きだったのだ。自分の悪趣味には一層うんざりだわ。

フランス人の文学史家などにありがちな表現で、元彼は箱を開けるか開けまいか、開けたらば自分を保持できなくなるだろうと恋情と見まごう述懐をし、メランコリックに感傷と思い出語りを炸裂させていた。

  さっさと開ければ良いんだわ。
  靴の敷き皮くらいが出てくるでしょうから。

**


怒りと疎ましさしか見出せず、其れは元彼その人へというより、箱を見つけただけの些細な事でさえ心が乱されてしまう人間の弱さ全体への嘆かわしさだった。苦衷を独白せずに居られない男の弱さへの怒りだった。

  もちろん返信なんてする筈もない。

2人の人生は分かれ、共通の思い出があったとしても
思い出に触れる心持ちが同じだなんてあり得ない。

  別れと年月とは其ういったものだ。

新しい思い出を作るべき女性に隠したメッセージを
私は美しい思い出と感じることはできない。

**


メッセージで認識したのは2つの事だった。

1つは私の趣味の悪さで、恥じ入りながら反省した。
もう1つは別れの選択だけは自賛できるものだわってことだった。

  明日はブルゴーニュ君かな。


*a Mec
*思い出の硝子瓶 + ルイーズ



解説 "眩耀の夏のひとひ" 訳

October 30, 2012

11月16日PJ "モンパルナスの夜" でルイーズを真似て髪飾りをつけてみましょうか? って遊んでるトコロ。


前髪も横もぐっちゃぐちゃなのは、寝起きのままにまだ梳かしてない時刻に撮ったから(汗) よく見ればお洋服もトレーナー・・・
むぎゅっと手で束ねたところに髪飾りだけを付けてみた。

何を目指してるのやらわかんないったら・・・


ヴェルレーヌ詩、読んでますヨ。


フォーレ歌曲訳のお話の続きネ!

  *"眩耀の夏のひとひ" 落合訳

豊かなる日輪は
2行目 Le grand soleil 。"大きな太陽" が直訳だけれど、先回書いた夏への意識と同じく描き直しの必要を感じた。

大きな太陽の言い回しはフランスでよく使われる。
煮詰めてみれば単純に視覚的表現であることが多い。

邪魔をするものがない太陽・・・重い空や霧に閉ざされることなく享受できる太陽。そして太陽の固体描写より、太陽の恩恵を受ける喜びの表現としてあり、陽が射さない季節が長い国の言葉として捉えるべきだろう。

蒸し滾る暑さやエネルギーに満ちた放射を指すとするよりも、物理的な光と心理的な希望の大きさとして "大きな太陽" と考えたくなり《豊かなる日輪》と置いた。

我が逸楽にこだまして
complice de ma joie の直訳は "私の喜びに味方して" となる。
太陽が加担してくれるのは妻君の美しさを引立たせる光・・・ その様子を是非とも秒を追って想像してみましょうよって呼びかけたくなった。

豊かな陽光が妻君を照らし出し、輝く彼女はあたかも光を放つように夫君には見える。夫君は一層の喜びを感じ、日の光は妻君を彩ると同時に自分の喜びの反映のように思える。心浮き立つとき太陽を見上げると、まるで日輪に自分と同じような鼓動を感じはしないだろうか。

喜びへの《こだま》の語を用いたのは、太陽と夫君の感情との交感を記したかったから・・・

また喜びに関しては多くの日本語が候補に挙がる中、妻君の美しさへの尊重と幸福感の他、大きな満足感を含んだ喜悦が想定されるために《逸楽》にした。女の私にはわからないけれど、殿方独特の "見る楽しみ" の部分だ。

高みに巡る天蓋のごと
此の時点で宗教的な意味合いを含めたのは他でもない直ぐ後の Sur nos deux fronts《我らの額(ぬか)へ》の記述故だ。

額へ何かが置かれるという表現からは、ごく一般的なカトリック教徒は神の手を想うだろう。

十字を切る際、額に指を置く時は神の愛を思う瞬間だし、灰の水曜日に灰で十字を描いて頂くのも額だ。身体の部位としての額じゃなくて神の愛を受け止める額との考慮を訳上も備えるべきと考えた。

それを踏まえ haute は高低の高さより天の高みが示唆的に表れるよう《高みに巡る天蓋のごと》とし、somptueux も物質的な華やかさ・贅沢さの訳より《惜しみなき久遠(くおん)の》と据えた。

陶いと萌しの情動に 蒼褪める我ら
"幸福と期待" が日本語文化的には相応しいと思う。
ただし神の御前で額に印を置かれる前段階に此の文があるとすれば違ってくる。

幸福は独善的かつ個人的な幸せの所有願望としてじゃなく、また "期待" とも "待機" とも "待受" とも訳すことが可能な l'attente は、自らの道を定める権利の内に期待を持つ心情よりは、起こりうる事柄を受諾する謙遜を込めるべきと考えて《陶(ふる)いと萌(きざ)し》という言葉を使ってみた。

額を差し出すとき、畏れながら御手が行なわれる事の全てを享受する心持ちを込めたかった。

来たる夕暮
楽曲訳の部分になる。

前パラグラフ最後《惜しみなき久遠のひだを揺らめかせ》の後、フォーレは4/4 4拍分の全休符 + 3/2 3拍分の全休符 + 9/8 2小節分の全休符 + 2拍 という[時間]を空けた。9/8 からはモルト・ピユ・レントでテンポが落ち、長い休符のあとにドルチェでメロディーが入ってくる。

《来る夕暮れ》ではないだろうか?

最初の全休符分はピアノパートが徐々にディミヌエンドしてモルト・ラレンタンドで緩んでゆく。直訳では "そして夕暮れになると" などが当てられるが、フォーレが読んだヴェルレーヌは前2パラグラフと空気感を変え、神秘性を含んだ第3パラグラフの意識だと感じた。

星々は慈悲深き眼もて
regards paisibles は平和・安らかと訳されることが多い単語。文章上は此処で安らかとすることに問題はないように思われる。ただ、星が何であるかの意識に注視したかった。

《我らの額に》がある限り神の御手が背景にあり、其処での星は神のお側近くに神の僕として瞬く象徴との意を考えた。

すると星自体が "安らか" なのではない。
神が祝福されるものを星が取り次ぐように光る構図を思った。
低座の私たちは星に見守られて安らかになるが、星が安らかであるという形容は妥当でない風に思えた。星を主語にするならと、取り次ぎの位置として《慈悲深き眼(まなこ)もて》を当てた。

後文の Bienveillamment を敢えて2重に訳さず、眼差しの優しさは前出《慈悲深き》に含ませた。


■訳すということ関連リンク
*訳すということ(1)野鳩
*       (2)椿姫の白
*       (3)マノン・レスコー
*       (4)カフェオレのボウル
*       (5)マカロン
*       (6)マリア様のお顔
*       (7)クロモスとお友達
*       (8)伴奏
*       (9)エコルセ
*       (10)メープルクッキー
*       (11)スタンダール
*       (12)演奏通訳


■訳詩リンク
*"ロマンス" 落合訳

*"リディア" 落合訳
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    *リディアという女性
    *バロックとgalantuelles

*"月の光" 落合訳
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     *月の光と諦念
     *月の光に溶けて消える
     *月の光と母性
     *フォーレ "月の光"

*"イスパーンの薔薇" 落合訳

*"トスカーナのセレナード" 落合訳
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      *トスカーナの気配
      *フォーレ "トスカーナのセレナード"
      *トスカーナに憑かれて
      *フランス気質と音さがし
      *19世紀の恋情

*"罪の償い" 落合訳
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    *罪と長調

*"墓地にて" 落合訳
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*"眩耀の夏のひとひ" 落合訳

*"祈り" 落合訳

*"夢のあとに" 落合訳
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*"クリメーヌに" 落合訳
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*"水のほとりに" 落合訳
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*象徴(6) "蝶と花" 落合訳

*"この世にて" 落合訳
*"ゆりかご" 落合訳
*"漁夫の悲歌" 落合訳
*"秘密" 落合訳
*"棄てられた花" 落合訳
*"水に浮かぶ花" 落合訳
*"秋" 落合訳
*"贈り物" 落合訳

*"森の鳩" 落合訳
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"眩耀の夏のひとひ" 落合訳

October 28, 2012

せんにノベルティー君に頂いたチョコの写真。
確かクロアチア共和国のオミヤだった。


フォーレ歌曲のヴェルレーヌ詩を訳してみた。

《眩耀の夏のひとひ》

             ヴェルレーヌ
         落合訳

眩耀(げんよう)の夏のひとひに、
豊かなる日輪は 我が逸楽にこだまして 
繻子と絹とに包まれた
愛し君の艶めきに
一入(ひとしほ)の際立ち与え

青き空、高みに巡る天蓋のごと
陶(ふる)いと萌(きざ)しの情動に 蒼褪める我らの額(ぬか)へ、
惜しみなき久遠(くおん)のひだを揺らめかせ

来たる夕暮、風甘やかに
君が薄衣忍び入り 戯れ遊び、掻い撫でる

星々は慈悲深き眼(まなこ)もて
浄きつがいに 微笑み給う



 *眩耀は、実際には火+玄の字を使っています。
 残念ながら当ページでフォローされない文字にて
 此処では便宜的に眩を当てました。

**


フォーレの譜を一目見て、えも言われぬハーモニーの甘美にすぐ夢中になった。

解説を多く挟まなければならないと思う。
一等はじめは夏の感触について・・・

タイトルを直訳すれば、"それは、ある晴れた夏の日"。
けれども私は晴れた夏日の語に日本で連想するものを取り去りたかった。

蒸暑さや、熱っした空気の重みや、湿度高い空気感が呼び込む風景のすべてを、日本的情景の連想に至らぬよう描き直す必要を感じた。フォーレのハーモニーが、語感をくまなく掬い取るフォーレの音が、そうすることを必要としている気がした。

フォーレの譜面は夏の空気感を、東洋の其れと異なる空気感を表しているから。

冒頭は生彩豊かなアルペジオで開始する。
湿度はごく低い。そして汗が流れるほど暑くはない。

月の名としてのフランスの "夏" であり、長袖を着る日もある初夏とも考えられるし、日中高温になる日の朝夕に大きく気温が下がった時刻とも考えられる。いずれにしても曲中に描かれる "夏" は、熱中症防止に努める風な茹だる夏じゃない。

音の描写は本当に興味深い。ドビュッシー作曲グラナダの夕暮れ、アルベニス作曲タンゴなどは確かに多湿で動かない空気を描いてる。

対して当曲は光の輪の揺らめき、祝福の風、そして愛と親和の神秘を見せてくれるのだ。

楽曲訳として、フォーレが読み作曲したヴェルレーヌ詩として訳にしたいと思った。

**


続きはまた今度ネ。
今日は色んな用事を片付けにお出掛けです。


■訳すということ関連リンク
*訳すということ(1)野鳩
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《Donc,ce sera par un clair jour d'été》

              Paul Verlaine

Donc,ce sera par un clair jour d'te
Le grand soleil,complice de ma joie,
Fera,parmi le satin et la soie,
Plus belle encor votre chere beauté ;

Le ciel tout bleu,comme une haute tente,
Frissonnera somptueux à longs plis
Sur nos deux fronts (heureux) qu'auront pâlis
L'émotion du bonheur et l'attente ;

Et quand le soir viendra,l'air sera doux
Qui se jouera,caressant,dans vos voiles,
Et les regards paisibles des étoiles
Bienveillamment souriront aux époux.


■訳詩リンク
*"ロマンス" 落合訳

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*"月の光" 落合訳
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*"イスパーンの薔薇" 落合訳

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ピアノが辛いとか、カトリックとか

September 30, 2012

うちの生徒ちゃんはお気楽に育つのか、悩み深い子が居ない。


悩んでお教室へきた生徒ちゃんが1年ほどでお気楽になるみたい。

お気楽とは安穏とする事じゃない。
"お気楽" の実態は最善を尽くす結果なのだ。
克己的にお勉強して成果をゆだねること。

ストイックな精神がもたらすのは、
抑圧じゃあなくて安堵ではないかしら?


**


ピアノ科学生ちゃんや卒業生ちゃんのお悩みを聞く時がある。
するとピアノが辛い、って言葉を耳にすることになる。

練習が辛いと感じる年少さんの段階からもっともっと先へ進んだ人たちの心の問題に触れる場が割合にあり・・・それはもうお顔を合わせると食い気味に相談事を吐露する格好なんだわ。

如何に悩んでらっしゃるかは食いつき具合でよく伝わってる。
でも私はいつも、彼女達がおそらく求めてるだろう答え・・・

----- 誰だって悩み、ピアノを辛く感じるのヨとは応じない。

**


私はピアノが辛くなかった。
長時間のお稽古も、酷く叱られることも、なかなか弾けるようにならないことも、身体条件が悪いことも。

  *ピアノを諦めてる人へ(1)4.20ライブちらし
  *          (2)5.30パリの風ちらし

**


1)

1つはピアノや音楽への向き合い方の問じゃあなかった。
ピアノと同じくらい小さな年から身体に染み込んだカトリックの大きな柱の問だ。

私の精神構造の根本に、苦しみは忍んだのち神様にお捧げするので、苦しみを受けるのを恐れないことを求められる教えがある。

だから仮に辛いと感じる一瞬があるとしても、
[辛い] ことが [辛いからイヤ] の感情に結びつかず
[辛いから避けたい] 風にもあまり考えない。

辛いと感じなくなるほどの喜びを得るほうを求める。
ヨブ記に憧れるのかもしれないし、欲張りなだけかもしれない。

  何事につけ癖のようなもので
  ピアノに対しても同じだっただけ。

**


2)

2つ目は音楽の素晴らしさの問だ。
音楽を偉大なものと感じ、心から愛し、
大きな音楽の前に居るのを大切に思うか否かだ。
辛いとか苦しいとかのつまらない個人感情が
どうでも良くなるほど愛せるか否かだ。

相談事めいた吐露に毎回毎回同じ答えしかできない。
正しくもなく、求められてる言葉でもないかも。
それでも自分の体験と実感でしか話せない。

  貴女にとって辛い、貴女が苦しい。
  それは貴女の中で貴女自身が
  一番大事だからじゃあない?

自分以外のものをただ愛することは何と困難なのだろうと思う。

  音楽を愛してるつもりで居ながら
  音楽より自己愛を優先するから苦しいのじゃない?

  音楽を素晴らしいと思うなら
    貴女の気味や雑念や
      貴女の自信や他信や
        自意識や劣等意識や
          競争心や敗北感や

  貴女を雁字搦めにする心理が
  音楽の前にどんな姿か見てみるといい。

  それらを美しいと思うなら持ち歩くといい。
  音楽に勝るほど美しいものじゃないなら捨て、
  捨て切れずにあるものは音楽の中に捧げればいい。

**


理性をもって理念を得て、
抱え切れないものは委ね捧げる。

その道筋に誠実だったという処にだけ
確信と安堵を見つけられるのだと思う。


2もやはり考えの大枠としてカトリックの影響大で培われたところかもしれない。私は此処から離れることはできなくて、そのことを幸福に感じる。

愛するとは何か。未熟で実践できないままでも音楽を愛する歓びだけは、心を柔らかにして手を伸ばせば湧く泉のように与えられているのだもの。

**


さあ譜面を復習しながらお出掛けです。
本日のファゴットパーティー+プラスの皆様、どうぞよろしくお願いいたします・・・♪


■お教室関連リンク
*ピアノを諦めてる人へ(1)4.20ライブちらし
*          (2)5.30パリの風ちらし

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*ピアノレッスン1:辞めちゃう理由?
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■HP
*ピアノ室



神のないルイーズとフランス

September 27, 2012

ヴィルモラン詩の女性は、またはルイーズはなんて不幸せに悲しいのだろう。


プーランク歌曲に触れるごと幾度も詩を読み返し考える。

彼女の悲しみの種類は所謂心弱さからくる気持ちの乱れと違ってる。ルイーズが高濃度に重なるヴィルモラン詩の女性は、あくまで主体的だ。

  *プーランク x ルイーズ

自らの意志で破鏡を招くかのようだ。
主体的で、そして能動的だ。

  何に対して?

  幸福を望みながら反面で意志的に暗雲をさし招く能動性。
  何に抗い、何を求めて、何故自らの幸福に反撃するのか。

  ヴィルモラン詩に触れる際の自分のテーマの1つだった。

精神的な浮き草となり、愛を飽食し、享楽が心的不摂生を誘い、
多くを遇された現実と辻褄が合わぬ寂寥を持て余すようだ。

  私にとってヴィルモラン詩は救いのない詩、
  神のない詩と言える。

**


フランスカトリック作家モーリヤックのお作について幾つか触れたと思う。物語として、また、生き動く人間描写として高い完成度のモーリヤックは人間の苦悩や混沌や絶望を描きながら絶えず彼らと対照的に絶対神の存在を投げかける。

懸命に生き、けれど不完全な人間の嘘や悪や即物性にメスを入れ洗い出すことは、完全な聖性の求めへ帰結する。


拙ブログは此れまで音楽や文学、詩や哲学を引いて、くどいほど精神の不備不良、貧弱、拙劣を語ったと思う。


不完全な人間の愛すべき難と善、憎むべき悪と罪の両面に注目したいと思い続けている。

  再三表明している事を此の辺りで今1度文にするなら、
  ルイーズはじめ人の闇を持つ詩に愛情を注ぐのは
  その度私自身がカトリック世界に帰結するのが前提だ。
  神が在する世界を求める心の確認作業でもある。

  *"祈り" 落合訳

**


続きはまた今度ネ!

今日は蝶番君とアンサンブル指導で遠方へ。
SHUN様、ぴょんきち君、おっちゃんさん、
どうぞよろしくお願い致します・・・♪


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*10.13プログラムとコンセプト
*読書記録とヴァントゥイユ

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フランスとルイーズ

August 23, 2012

ぴょんきち君に宝塚ホテルのバームクーヘンを頂いた。
層の幅が細かくて優しいお味。


1926年創業の文字に心が躍った。
プーランクがバレエ "牝鹿" を評価された後、積極的に作曲活動に取り組んでゆく時期・・・

そしてルイーズ・ド・ヴィルモランが1度目の結婚をした直後。

  お菓子を頂きながら一挙近代フランス世界を旅した。

**


ヴィルモランに思い入れて何年になるだろう。

  斬新で美しくて破滅的な詩。
  透明感があって、どこか残酷。

才能と美貌に恵まれたルイーズは、
文人・王族・貴族の男性を総なめにする。

  けれども何となく・・・

    彼女は花形として愛されるほど
    哀しかったのじゃないかしらと
    思えてならない。

詩よりもルイーズ自身に一層思い入れてしまうのだ。

  ルイーズの自嘲的な詩は、
  歓心を買おうと惜しみなく愛を与えられるごと
  苛まれる穴の空いた心に思えて。

美々しく華麗を極めた彼女が
ひび割れのガラスのような
酷薄な自虐を見せるのが
気持ちに響いた頃があった。

  眩い人生を欲しいままにしたかに見えるルイーズは
  トリッキーかつフランス的な流儀で詩を描き・・・

彼女の手法も行動もともにフランス技法のお手本のようで

  *音楽のひとこま

尚のこと心惹かれる女性になっている。

**


ルイーズの詩は気まぐれな散文に見える。

散文の形に流されず見てゆくと、
奥底に途絶えず継続し続けるものを
重ね重ねて描いているようにも見える。


デカルト "省察" を読み終えた。


能動的な観念を生産・実現することについて書かれているところで、デカルトが述べる知覚は 常に明瞭な知覚であるようにふと感じた。

自分が具体的な形と感じられる筋道で知覚し、同時に自分が知覚していると意識を持てる状態。

  なんとなく・・・本当になんとなく、
  ルイーズも此うだったのカナと思った。


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自由

July 10, 2012

トリオの日の写真が郵送されてきたからupしておきましょう。


本番から1週間後に写真が届いたとき、私たちにはトリオの日は遥か昔の出来事になっていた。コンサート毎に同じパターン。リサイタルのあとも其うだった。

  *異常食欲、2012年5月

終演すぐ後から終えた曲と新しい曲に関して考えを詰め

  *御礼トリオババール無事終了

翌々日に打ち合わせに同行し、

  *2012年7月冒頭
  *次、井上陽水さん

曲内容を話し合い、何時間も何時間も合わせをした。

  *回復と大切なお客様

**


密度高く凝縮したデュオ合わせに激しく飢えてた。


1日中弾く普段のデュオ練習よりハードで隙間ない合わせを望んで蝶番君にお願いした。

生きた音楽本来の自由さを渇望してた。
久しぶりの音楽の自由。音楽の本質に向かえる開放感と1日中の濃厚な練習に高揚し、ごく初めの頃のデュオの悦びが甦った。

  *変態さんオタク・アマチュア

大量の資料読みも、普通じゃない合わせペースも、編成によって編曲を手がけることも、リードのミリの長さや零コンマの厚みに言及することも、ヴィヴラートの幅と波形に注文をつけることも、他ありとあらゆる変態言動に答えてもらえる幸福に慣れてしまってた。

  改めて相方さんに感謝しながらアンサンブルを満喫した。

**


自由について説得力ある記述を見つけた。

面白くってすぐ読んじゃったロマン・ロラン6巻あとの7巻前半。


《今はじめて、フランス人が崇拝している戦闘的な "自由" の意味が、ほのかにわかってきた。それは "理性" の恐るべき刃だった。そうだ、フランス人にとっては、それは、彼がはじめ考えていたような単なる美辞麗句でもなく、漠とした観念でもなかった。

理性のためのたたかいが、他のあらゆるたたかいのうえにあった。こうしたたたかいが、実際的であると自称している国民の目に、どんなにばかげたものに映ろうと、そんなことはどうでもよかった。

深く洞察する目からみれば、世界征服のたたかいも、帝国的支配や金銭のためにするたたかいも、いずれもいたずらなものである。そして、百万年もたてば、それらのたたかいからはなに一つ残らないであろう。

だが、生に価値を与えるものは、存在のすべての力が高揚して、より高い "存在" に自分を犠牲にするほどのたたかいの強度にあるとすれば、

フランスにおいて、理性のために、あるいは理性に反抗してなされている永遠のたたかいほど、生に栄光を与えているたたかいは少ない。》

             (新庄嘉章様訳)

**


7巻までの背景と読み方は多数あろうけれども確かに言えるのは、
自由を緩慢な心の状態のものとするのは間違いってことカナ。

  自由は弛緩の上に成り立ってはいない。

    理をもった戦闘的な自由は、
      生と存在のたたかい。

フランスの此んな思想が大好きヨ。


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フランス民族・フランス気質

June 09, 2012

フランス的って何か考えてみたいナ・・・ってテーマを
ぽつりぽつり続けてきた。


  今朝はジャン・クリストフ4巻のおしゃべりネ。
  先回のドイツと入れ替わりにフランスの悪が書かれる。

  パリに渡ったクリストフは街を以下のように感じるの。

《パリは古くて乱雑な都会という印象を受けた。クリストフは、誇らかな新しい力が立ちのぼってくるのが感じられる、非常に古いと同時に新しい、ドイツ新帝国の町に慣れていた。

そこでは、穴のあいた道、泥だらけの車道、押し合いへし合いしている人ごみ、ふぞろいな車
--- あらゆる種類、あらゆる形の乗物があった。たとえば、尊重すべき乗合馬車、蒸気の車、電車、その他あらゆる装置の車 ---

歩道の上の露店、フロックコート姿の立像が並んでいる広場の回転木馬 (むしろ回転する怪物や竜頭)、普通選挙の恩恵に浴しながらも、浮浪者的な昔ながらの素質から抜けきらない、なにか中世都市的な不潔さ、といったものに不快な驚きを感じた。

前日の霧は、身にしみ通るような糠雨に変わっていた。多くの商店では、十時すぎだというのに、まだガス燈がついていた。》


  小ざっぱりと小綺麗なドイツの小都市とは違ってる。
  不潔で雑然とした不合理を其処かしこに宿したパリ。 
  すっきり整わぬ街や習慣に主人公は違和を覚える。

**

 
  パリの街の他、フランス国を軽んじる部分もある。
  ワーグナー協会主催の1人ヨジアス・クリングは

《彼にとって、ワーグナーが純粋なアリアン種族の典型であり、ドイツ民族は、ラテンの特にフランスのセム精神の腐敗的な影響に対する、侵すべからざる避難所であることはもちろんだった。彼は不純なゴール精神の決定的な敗北を宣言していた。》

  と感想を持ち、主人公自身も

《クリストフは、善良なドイツ人として、道楽者のフランス人と、彼らの文学とを軽蔑していた。》

  の如く当書を含めフランス文学を軽く扱う。

  軽蔑していたところの旅回りのフランス女優とは
  後に会うことになり、興味深いシーンが多かった。

《彼女は帽子をピンで髪にとめながら、かけてきた。弾き終ると、彼女はもっとつづけてくれと言った。フランスの女は、"トリスタン" の曲を聞くときにも、一杯のチョコレートを味わうときにも、同じように、気どった短い感嘆の言葉を、習慣的に、やたら振りまくが、彼女もそうした感嘆の言葉を漏らしながら、恍惚となっていた。》

**


  此の舞台人コリーヌはフランスを愛して
  お国自慢をするのだけれど、一方でロマン・ロランは
  シュルツという老人を通して此う語る。

《彼はドイツを熱愛していたが、ドイツを "自慢" にしてはいなかった。彼はヘルダーとともに、"自慢をこととする人間の中でも、自分の国を自慢する者は完全なばかである" と考えていた。》

             (新庄嘉章様訳)

**


さて実は先回から書いた両国の差異 "内容" は
一等重要なところじゃないと思ってる。

着目したかったのは、ドイツ人フランス人が
それぞれに批判を受けたときの行動なんです。

ドイツ批判も
*ドイツ民族・フランス音楽
またフランス批判も、
書かれている内容そのものの重点より
批判に対する行為描写の後ろにある感情こそが
特徴的なお国柄に見えた。

**


クリストフは前半で随分と自国ドイツ気質への不満を口にする。
特徴に過ぎない事を悪い事の風に述べるクリストフに、
悪である筈がない・悪と言ってほしくない、という
半ば感情的に自尊心保護に乗り出す人々が登場する。

そう、本書ではお国柄の気質批判が直接的に
自尊心と面目に障る人たちの心理が興味深い。

ドイツは素晴らしく、其れを批判するドイツ人など
ドイツ人とも言えない者だとドイツ擁護をする。
ドイツを誇り、けれどもシュルツ老人と同じく
お国自慢は愚かと知って、ドイツ的なものを心の中で愛し
もの言わぬ自尊とドイツ人としての気位に結ばれてゆく。

  フランス人はどうかしら・・・

安易にやたらなお国自慢をする彼らがフランス批判を受ければ
果たして体面が保てなくなるのか。
悪である筈がない・悪と言ってほしくないと感情的になるのか。

ドイツと比べようもない不潔さ、汚さ、
道楽主義、快楽精神、軽み、愚かさ
あらゆる要素が批判対象になる時
彼らは簡単に言うのだろう。

  仰る通り悪だけど?
    其れがフランスだ。

彼らは善であるから愛してるのじゃない。
善きものとされない気質や習慣を、
悪と知り、しかし悪だけに留まらぬ魅力を
肯定し、驕り、自惚れを楽しむ。

利己的で、強引で、思い上がった国。

フランス国を真に愛する人々は、
此ういった少しも善きものじゃない高慢に
大きく惹かれるところはないかしら?


**


私自身はフランスとフランス人とフランス文化を愛して止まない者ながら、ずっとフランスの悪を並べてきた。

今日の冒頭に戻ってみれば、クリストフが嫌悪感を持った雑な街の様子が悪であるのを前提に愛してきた。

  *パリの不合理

ヨジアス・クリング氏のゴール精神への軽視に関しても、彼が考える不純で腐敗したフランスに此の上ない愛着を持っている。

  *愛すべきフランス

**


コリーヌが語る此んなフランスの自由描写、
抜粋最後がとってもフランス的だったナ。


各人が自分の自由を利用し、それを乱用はしない。
自分の思いどおりに考え、信じ、愛し、

あるいは愛さない。




■フランス的テーマ関連リンク
*フランス的とは

*ゾラの実
*ゾラ19世紀の記念碑
*フランス19世紀の繊細

*フランスとヴォルテール
*オーレリア或いは夢と人生
*仏文学を好きなのはネ・・・

*怪談の日仏
*トイッチュ

*重なりの量感
*フランス気質と音さがし
*ドイツ民族・フランス音楽

■ロマン・ロラン関連リンク
*ショパンとロマン・ロラン
*本日PJソロライブです
*満員御礼Merci beaucoup!
*大人から始めるピアノ
*ちょこっと凝集
*おしゃべりな家



訳すということ(12)演奏通訳

May 23, 2012

La vie a table。19世紀の食の文化史の本。
詩やシャンソンに出てくる食卓も引用されて楽しいの。


  演奏は通訳を担う部分が大きいと考えて、
  繰り返し其ういったおしゃべりをしてた。

私たちが演奏するのはおおよそは過去の時代の曲たちで、
作曲家さんご本人に聴いて頂く機会は少ない。

メンデルスゾーンもドビュッシーも残念ながらこの世に居ない。
彼らがもし生きてて下さったらって仮定は空想に過ぎなかった。

  存命する作曲家が演奏者を通した描写に当たった。

《彼は、胸を締めつけられるような思いで、待っていた。楽長の指揮棒が高く上げられて、音楽の大河が沈黙のうちにあふれ、今にも堰を切ろうとする瞬間に、すべての作曲家が感ずるあの胸苦しさだった。》

  作曲家の胸の震えは守られるべきものだと感じる文だった。

《自分の夢みていた生きものが、どんなふうに生きるであろう? 彼らはどんな声をだすだろう? その声が自分のうちで唸っているように感じた。そして、音の深淵にかがみこんで、そこから出てくるものを、ふるえながら待っていた。》

  音楽が表す世界観が如何ように形になるかは
  奏者の思弁に寄っている。

  まさに通訳者という単語に当たった。

《出てきたものは、なんともいいようのない、形もそなわらぬ曖昧なものだった。和音は、建物の破風をささえるしっかりした円柱になるどころか、まるで廃墟の建築のように、次から次とくずれていった。漆喰の粉以外にはなにも認められなかった。クリストフは、自分の作品が演奏されているのだと信ずるまでには、ずいぶんためらった。

彼は自分の思想の線とリズムとを探し求めた。
だが、それはもう見わけられなかった。

その思想は、壁につかまりながら歩く酔いどれのように、
なにやらわけのわからぬことをしゃべりながら、
千鳥足で進んで行った。

彼はそうした状態にある自分の姿を見られているかのように、
恥ずかしさに打ちのめされた。
自分が作曲したものはそんなものではない、
と知っていてもだめだった。

愚かな通訳者によって自分の言葉がゆがめられたとき、
人は一瞬疑い、こうした愚劣さにはたして自分は
責任を持たねばならないのかと、びっくりしながら考える。

だが、聴衆のほうはけっして不審には思わない。

聞き慣れている通訳者を、歌手を、オーケストラを、
ちょうど読み慣れている新聞を信ずるように信じている。
彼らが間違っているはずかない、
彼らがばかげたことを言うとすれば、
作曲者がばかだからだ、と信じている。》

           (ジャン・クリストフ 4巻より
           新庄嘉章様訳)

**


作曲家さんの立場で書かれる此の箇所は
まだ若くよくわからないまま読んだ昔に
一等印象に残ったところだった。

クリストフは演奏の瞬間存命してて
演奏者に怒り、結果に恥じることができたけど

もはや反論することもならない作曲家の思想を
敬愛する人たちの大切な思想を
奏者の自分が歪めていないか
歪めたまま聞く人々に伝えていないか
どれほど検証しても、し過ぎることはないのだと思う。


*訳すということ(1)野鳩
*       (2)椿姫の白
*       (3)マノン・レスコー
*       (4)カフェオレのボウル
*       (5)マカロン
*       (6)マリア様のお顔
*       (7)クロモスとお友達
*       (8)伴奏
*       (9)エコルセ
*       (10)メープルクッキー
*       (11)スタンダール



ドイツ民族・フランス音楽

May 16, 2012

ドイツ的な感覚について、ジャン・クリストフに幾度ともなく書かれる。
本当に何度も何度も。ためしに各巻たった1つずつを抜粋しますね。


1巻

《彼らの演奏は非常に正確でもなければ、非常にそろっているとも言えなかった。だが、けっして脱線することなく、そして指示されたニュアンスに忠実に従っていた。彼らは、いい加減のところで満足する音楽的な器用さと、世界中でもっとも音楽的と言われている民族によく見られる凡庸な完璧さを持っていた。彼らはまた音楽に対して貪欲な味覚を持っていて、量さえ多ければ、質についてはたいして気むずかしくはなかった。こうした健啖な食欲にとっては、どんな音楽でも、内容がたっぷりあればあるほど上等なものだった。》

2巻

《ときとすると彼らは、四部合唱の --- 四脚の --- ドイツの歌謡を一緒に歌った。それらはどれも、彼ら自身に似ていて、愚かしい荘重さと平板な和声で、重苦しく進んでいった。そういうときは、クリストフはいちばん奥の部屋に逃げこんで、壁に向かって罵っていた。》

3巻

《クリストフは憤慨して、曲の途中で立ちあがった。だれもそのことに気づかなかった。比較的黙って傾聴されて、絶対的な賞讃を受ける特権を持った曲は、わずかに三つか四つの古い曲で、そのあるものは非常に美しく、またあるものは非常に愚劣だったが、いずれも世に定評のあるものだった。最初の調べから、老人はうっとりし、目に涙を浮べた。それは、今味わっている喜びよりは、かつて味わった悦びのためだった。それらの曲のあるもの、たとえばベートーヴェンの "アデライデ" のようなものは、クリストフにとっては貴重なものではあったが、ついに彼はそれらを嫌悪するようになった。老人はよくそれらの最初の小節を鼻先で歌っては、"これこそ まさしく音楽だ" と言い、それに比較して、"メロディーのない近代の低俗音楽" を軽蔑した。--- たしかに彼は音楽についてはなにも知らなかったのだ。》

4巻

《音楽は魂を無慈悲に映し出す鏡である。ドイツの音楽家は素直で まじめであればあるほど、ドイツ魂の弱点、その不確かな基礎、その柔弱な感受性、率直さの欠如、やや陰険な理想主義、自分自身を見、自分自身を直視することの無能力を示すことになる。この偽りの理想主義は、もっとも偉大な芸術家においてさえ --- たとえばワーグナーにおいてさえ、欠点となっていた。》

**


少し驚きながら読んでたの・・・
ライン河のほとりを舞台としながら
ドイツらしさへの表現が辛口なことに。

9年の歳月をかけた此のノーベル文学賞大作は、
ドイツと其れまでのドイツ音楽を
どのような位置に置いてゆくのかしらって。

昨日まで読み進んだ4巻途中、
クリストフ自身の弁として書かれるところに
1つ目の回答を見つけた。



《人は、腹もすかず、喉もかわかず、欲しくもないのに、ただ貪欲の習慣から、食べたり、飲んだり、聞いたりしている。それはシュトラスブルクの鵞鳥の食餌法だ。わが民衆は、貪食症にかかっている。与えられるものはなんでもかまわないのだ。"トリスタン" であろうが、"ゼッキンゲンのラッパ手" であろうが、ベートーヴェンであろうと、マスカーニであろうと、フーガであろうと、速足行進曲であろうと、アダム、バッハ、プッチーニ、モーツァルト、あるいはマルシュナー、彼らは自分がなにを食べているかわからないのだ。要は、食べることにあるのだ。彼らはもはやそこに喜びすら覚えない。音楽会における彼らを見るがいい。世にドイツ的快活ということが言われている! だが、彼らは 快活とはどんなものであるかを知らない。彼らはつねに 快活である! 彼らの快活は、彼らの悲しみと同じように、雨のように降りそそいでいる。それは粉末のような喜びである。それは弛緩していて、力もない。彼らはのんきに笑いながら、幾時間も、音、音、音に聞きほれてじっとしている。彼らはなにも考えていない。彼らはなにも感じていない。それはまるで海綿だ。真の歓喜、真の苦悩 --- 力 --- は、樽のビールのように、幾時間もつづけて与えられるものではない。》

《音楽が多すぎる! 諸君は自分を殺し、音楽を殺している。諸君が自分を殺すことは、これは諸君の勝手である。だが、音楽を殺すことは、これはやめてもらいたい! 聖なる調和と低劣なものを同じ籠の中に投げこみ、たとえば諸君がいつもやっているように、"連隊の娘" による幻想曲とサキソフォーン四重奏曲との間に "パルシファル" の前奏曲を入れたり、あるいは、黒人舞踏(ケーク・ウォーク)の一節とレオンカヴァルロの猥雑な曲をベートーヴェンのアダジオの両側においたりして、世にある美しいものを汚すのはゆるせない。諸君は音楽的な大国民だと自慢している。諸君は音楽を愛していると自負している。だが、どんな音楽を愛しているのだ? 良い音楽をか? それともくだらない音楽をか? 諸君はそのいずれにも等しく拍手を送っている。さあ、いよいよ、選択したまえ! 本当はなにを欲しているのだ? 諸君はそれを知らない。知ろうと欲していない。諸君は決心することを、危険をおかすことをあまりにも恐れている・・・そんな用心など悪魔にくれてしまうがいい! --- 自分たちは流派を超越している、というのか? --- 超越しているとは、その下にあるということだ・・・》

             (カッコ内全文 新庄嘉章様訳)

(流派云々はゴットフリート・ケラーの詩句を引いたものと文中にありました)

**


  此処までで考えさせられたのは、
  ドイツ的な特徴の事じゃあなかった。

  例えば作者の国フランスの音楽を聞く人たちが
  何を大切に感じているかなど・・・

  旨趣と意図を大きく担うフランス音楽。
  其処にあるのは大義じゃない、理念じゃない。
  何があるの? ・・・いつか知りたい。


《詩法》

            ヴェルレーヌ
           堀口大學訳

心して言葉をえらべ、
さだかなる さだかならぬと
うち交る灰色の歌
何ものかこれにまさらん。

われら詩に色彩(あいろ)を求めず、
配合(ニュアンス)を、ただにかの配合 をのみ!
げに配合ぞ、夢を夢、
笛の音(ね)を角(かく)の音(ね)にこそ婚(めあわ)すれ。




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バロックと生と死

February 27, 2012

(撮影者:セニョール・ウナミゴ)


セニョール・ウナミゴのコンサート打ち上げにて彰タンと。

一緒に撮ると決まってモザイクをかけたいほどに私がおへちゃに写っているものばかり。いつもいつもボツ写真なのヨ〜。やはり今回もだわ・・・仕方なくハーフトーンをかけてみました。

**


演奏曲の60%ほどが近代音楽に属してる私にとって、バロックは遠い遠い世界なの。バロック経験浅く知識はそれ以上に浅い。

ですから今日のはホンの思いつきのおしゃべりネ。
史料に当たっていない1個人の感覚的な妄想文。
自分なりのバロックへの触れ方を模索するための問。

**


ルネサンスの揺動する音楽が天上世界の表現に繋がるっておしゃべりを書いた。下部リンク "バロックの聖と俗" 内。

ふと考えたのは此ういったルネサンス要素が伝える死生観は、バロックから受ける死生観とは異なる影響を人々に与えなかったかしらって問。

天上界を触れられぬイメージに置いたルネサンスでは、地上の死は生の先にあるものとして、生と死が後の時代よりも緩やかに繋がっていなかったカナ。生きる者の宿命として。死を内包する生として。

中世と連続性を持ち、思想の躍進も比較的少ないルネサンスでは、まだ見ぬ天上界へ近づく死は朧な輪郭を備えてはいなかったかしら・・・

ルネサンスの巨匠ミケランジェロが描く創世記は、天上絵巻として地上絵と異なる雲間世界に神の御顔が描かれる。其うして絵を目にする人々は絵の中の人々同様に遠い天上を地上にて畏れる。

ミケランジェロを引いて美術史家の宮下規久郎様が指摘なさるのは、時代移ってバロック期を背景にしたカラヴァッジョが描く神の降臨について。例は1601年 "聖パウロの回心 第2作"。

辺りの静かな風景に対し聖パウロだけが目を閉じ倒れて両手を天上へ掲げる。地上に居る聖パウロの個人的体験図の降臨が起きる近代的解釈を説いていらっしゃる。

カラヴァッジョの時代、音楽では人間界の概念として拍感覚を強め、絵画では地上へ降りる奇跡が個人体験として描かれ、建築では目に見える形での威光を盛り込んでゆく。

**


以下も資料も何もない私観。

バロックの生命力と情念を照らし合わせると、人間があらゆる物事を掌に握ること、多くをこの地上の事柄として人知の掌握を進めることは、人知及ばぬ死出までも人間が論究しなければならないものと変わる結果を導きはしなかっただろうか。

カトリック絵画には死を象徴する髑髏が多く描かれる。
memento mori (メメント・モリ)。死が身近にある事を想うため中世以降描かれてきた。

ルネサンスのティツィアーノ・ヴェチェッリオ "マグダラのマリア" も、マニエリスムのエル・グレコ "悔悛するマグダラのマリア" も髑髏を傍らにして瞑想する。

数字的検証無しにイメージのみで申せば、バロック期になって、ラトゥール "悔悛するマグダラのマリア" やカラヴァッジョ "瞑想の聖フランチェスコ" など他多数が髑髏を側へ置くのでなく手に乗せ、また掴んでいる絵画 --- 同カラヴァッジョ "祈る聖フランチェスコ" では傍らに描かれています --- が印象に残るのは何故かしら・・・ナンテ考えちゃったのよ。

死と隣り合わせの人生の悔恨と瞑想がより印象に残る絵画たち。

多くのルネサンス絵画を知っていないから実際の数を検証すれば間違いかもしれない。ただ、死が人間が司るものの範疇にもあると意識した時代の思潮として、髑髏を両の掌へ握る形が多く顕われてきはしなかったかしらナンテふと頭を過ったのでした。

**


今日のブログは呟きでした。

本日ババール合わせは、イタリアバロックにおける鮮烈な生死とは関係なさそうな雰囲気の、おっとりしたフランスバロック。


楽しみ〜♪ カワウソちゃん、蝶番君、どうぞよろしくネ!


*バロックとカラヴァッジョ
*バロックと聖と俗
*バロックとフランス
*バロックとベルカント
*バロックとヴェルサイユ
*バロックとヴォー
*バロックとフランスの雅
*バロックとフランスサロン
*バロックとgalantuelles
  *"リディア" 落合訳
  *"リディア" 再考
  *リディアという女性
*バロックとルネ・ラリック
*バロックと階段



バロックと階段

February 16, 2012

パリのオペラ・ガルニエは1875年完成のネオ・バロック様式。

絢爛豪華でありながら冷たさを持たない劇場ですネ。


バロック建築の要素を取入れた建築は有機的で、特に外観などヒューマンなまでの印象が・・・

**


間口125メートルのガルニエ宮内は正面に有名な大階段。
滑らかな大理石が連なって大円柱に支えられ、ブロンズの燭台が見守る。

此ういった階段が生まれたのはバロック期なのだそうですね。
ガルニエはネオ・バロックの設計案として過去17世紀の階段スタイルを用いた。

少し前バロック音楽の拍スタイルが聖俗の概念に通じるとおしゃべりしたけれど、上述 "階段スタイル" も概念の変化に思えているの。

建築も建築史も存じないから間違っているかもしれないけれど私観を少しおしゃべりしたいナ・・・

**


ルネサンスの階段は上階と下階を結ぶものに過ぎませんでした。つまり其れがルネサンスの概念。階下の行動空間と階上の行動空間を繋いでいる物。

バロック時代になって階段の据え方が変わったってコトかしら。

本当に拙い私論なのだけど、人間が前後左右ならず上下に動くということを、高低差を、劇的な要素に捉えたのじゃあないかしらん。階段を行動舞台へと・・・ナンテ思ってみるのです。

バロックに興ってきた階段建築はとてもドラマティックで、梯子代わりの道具じゃなくって行動空間として見せるものになった。廻り階段あり、左右に翼が張ったガルニエの風な形あり。

ガルニエの階段天井にフレスコ画が描かれているのも1つの舞台装置としての階段という形式の現れでしょうし、コクトーやマリーローランサンがデザインした衣装展示にガルニエの大階段が使われた写真を見たこともあるワ・・・♪

流儀・方式としてルネサンスの階段の "スタイル" は、目に触れさせるものに当たらないとして陰になってた。バロックで概念の変化が加わることで、"スタイル" から "デザイン" として具体化し、その "コンセプト" が行動舞台のあり方って格好が《バロック階段》っていうものじゃあないかしら。

敢えて推測を続ければルネサンスからバロックというのは、教会音楽や教会美術が、触れられぬ天上界を示す表現から、天上の威光を此の世に見せる表現としてダイナミズムを備えたように、上界下界の高低の意識を強めた時期だったのじゃあないのかしら。

だとすれば上下を結ぶ階段に変化を来したのは当時の思潮として自然なことにも思える。

**


続きはまた今度ネ!
今日はミスターメジロ宅で音出し・のち・宴会。


*バロックとカラヴァッジョ
*バロックと聖と俗
*バロックとフランス
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*バロックとルネ・ラリック



バロックとルネ・ラリック

February 07, 2012

パリ・アルマ橋近く。


ヌーヴォーからデコ期に活躍した工芸家ルネ・ラリックが装いを施したアパルトマンがある。

  磨りガラスのドアーに植物模様のレリーフが入ってて、
  ドアーを囲む壁面も同じ風に植物が彫り刻まれてる。

ラリック写真集で目にして、実物を見に行ったの。
すっかり古びているけれど とても美的で感動した。

  ラリックが作る物って、詩があるんだもの。
  単なる装飾感覚じゃない密やかな詩情。

2つのマテリアル、2つの用途が違うピースをひと続きに歌うような作品って、ラリックはお得意でしたね。

  小さなジュエリーやパフュームボトルに詩を乗せて、
    対象が小さければ小さなほどに、
      見る者が、小さなものに閉じ込められた詩世界に
        集中して入り込んでゆく風な・・・


  囁き声を聞き漏らすまいと
    近づいて耳を傾けさせる。
      観賞するほどに私たちは
        作品と親密になってゆく。
          詩に誘われて、知らぬ間に。

ルネ・ラリックの魅力は其んな風に感じる。

**


ラリックがシール・ペルデュ制作を始めた時より300年前。
カラヴァッジョは衝撃的な作品を送り出す。

"キリストの埋葬" で亡骸を描いた絵が、御ミサの祭壇でパテナ (カトリックミサで御聖体を乗せるお皿) の上へ掲げられていたのですって。ラリックが用いる "2つのマテリアルをひとつ通しにする" 表現が、イタリアバロックでは声明として現れる。

御ミサでの聖変化に絵のキリストの御身体が重なって見える強いメッセージ性があったのね。言わずもがなカラヴァッジョの息詰まるような作風も相俟って、シグナルの強さは如何ばかりだったでしょう。

**


ラリックとカラヴァッジョ。2人の表現の用い方は、テクニカルには類似項があり、しかし内の黙示は全く異なる。

親密な小宇宙へ誘なうラリックと 緊迫したテンションで聖書世界へ引きずり込むカラヴァッジョは、2人の芸術家の顕われの前に、時代と国の顕われをより大きく感じるのでした。


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バロックとgalantuelles

January 28, 2012

フランスバロック時代のサロン文化は古典・ロマンの時代を経て近代に引き継がれますが、
数百年を経て未だ変化が少ないことに驚くのです。


18世紀サロンで力を持っていたディドロや

  *スペイン料理とディドロ

19世紀サロンで人気だったパパ=モンヴェル

  *趣味の生徒ちゃんのモンヴェル教材

そして20世紀サロンのモンヴェル=フォス

  *ブキニストで紙もの(5)モンヴェル=フィス

などたまに触れていたけれど・・・
室内や家具の様式、生活や流行の芸術の移ろいがあろうと、サロンの存在としての価値観は幾世紀を隔てたと思えぬほどに変わらない風に見えた。

    変わらない事・・・
      何が典雅かを見極めようとする事。

  繊細さ・豊かさ、サロン芸術の魅力と見える多くの内、
  ノーブルな美、また galante な美を吟味する体質。

バルザックにもそのようなお作が多くありますね。

  *古書と優雅

**


近代サロンで音楽の中心になったフォーレやドビュッシーには、過ぎ去った王政の典雅を投影する要素が時々見られる。

  *ドビュッシー小組曲「メヌエット」

彼らが身近に振り返った宮廷は、具体的には前時代ナポレオンが倒れた直後のオルレアン公爵ルイ・フィリップの7月王政とするのが定説ですけれど、作曲家が求めたノーブルな美は、オルレアン朝に変わろうとも過ぎたヴァロワ王朝の輝きを受け継ぐもの。
宮廷絵巻全体を指したって考えて大きな間違いはないのじゃあないカナ・・・

当時の作曲家たちへはヴィクトル・ユーゴーが詩によって王朝風で galanterie な題材への刺激を与えたようですが、あとはバンヴィルたち高踏派詩人が居ますね。彼らを引率したのがルコント・ド・リール、歌曲 "リディア" の作者ネ。

リディアをもう一度解いてみたいの。

下はお客様のkotoko様がコメント欄にお書込みを試みられて入り切らなかった長文をメールで下さったもので、ブログでの引用をご了承頂いている文です。文内 "彼女" とはフォーレにリディアを献呈されたMadame Marie TRELATについてネ。

《当時のフランスの室内歌曲ブームというのかな、の中で彼女のサロンはそのブームを牽引する位置にあったように読める部分もあり、フランス歌曲の発展と当時のサロン文化は密接な関係だったろうことなどを想像すると、通人好みに洗練された親密的な雰囲気のサロンを開催する女主人であることと、プロとして劇場でなどではなく、そういうサロンのような場で愛好家として歌っていたことには、共通の美意識があったのかも、などと想像しだしております。》

此処を読んで、本当になんとなくだけれど先回おしゃべりしたセヴィニエ夫人を連想したの・・・。今日の写真、たまたま拙宅にあった Marquise de Sevigne チョコレートのお箱のお顔のことネ。

あくまでも個人的な演奏解釈ですが、

  楽曲上のイマージュは近代サロン音楽の観点で
  galantin な要素を見せて

  ボリュームなどはサロンが引き継ぐバロック宮廷を意識して
  当時好まれた小さい音のリュートに乗せる風を作り

  そして音質・声質はバロックサロン風に
  至極素直で伸びやかでアマリリスのチャームさえ持ち
  ヴェルサイユの流儀のように愛好家の楽しみのように
  作為なく、押し込まず、とことん愛らしく・・・

リディアって歌曲は、200年以上のサロン世界で一等変わらない galanterie を持ち合わせてないかしら。文字通りの4種の意味を備えた・・・

宮廷の慇懃と、
  サロンの優しさと、
    フランスの色好みと、
      古語表現での雅を。

  王がヴェルサイユの風儀に目覚めた1661年から
  リディア作曲1878年の200年と少しを行き来する曲。

ギャランテュエル galantuelles !!

なんて言葉はないけれど
作っちゃいませんか。

フランスのサロン史が受け継いできた
王朝流儀を含む galante 風諸事を
galantuelles って呼びたいワ。



**


今日お目にかかる皆々様よろしくお願いします・・・♪
明日もお集まりだから私は早出・早帰り組になりますネ。


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*"リディア" 再考
*リディアという女性
*"リディア" 落合訳



バロックとフランスサロン

January 26, 2012

パリからのお届け物。

差出人はタピオカちゃん。


スミレのお砂糖漬け、古本、教会冊子と長いお手紙が入ってた。
今朝は下部リンク、先回の続きから・・・

フーケ氏は様々な芸術家を招き、また庇護しました。その顔ぶれこそ彼の審美眼を物語るでしょう。ラ・フォンテーヌ、セヴィニエ夫人、モリエール、モリエールと共に上演を行なっていたリュリ。

建築のルイ・ル・ヴォー、絵画彫刻・内部装飾のシャルル・ル・ブラン、造園のアンドレ・ル・ノートルは申すまでもなく有名ですね。

後者3人は後にルイ14世の命でヴェルサイユの主席建築家、ヴェルサイユ宮とルーヴル宮の内装担当、ヴェルサイユ庭園とテュイルリー庭園の造園家にそれぞれ配属されたのね。

ヴェルサイユは財力と権力でフランスバロック芸術を育んだ場所として大切に思う。けれども礎になったフーケ氏の眼識に勝る人物は果たして居たかどうか・・・

当時モリエールは "亭主学校 (L'ecole des maris) " が新作で、パレ・ロワイヤルで上演してた。その最中モリエールに新たなお芝居 "うるさがた (Les facheux) " を依頼したのがフーケ氏でした。

私ね此んな歴史事情に思い入れて 2007年のリサイタル ・パリの風第11回には "コレット広場に吹く風は" ってタイトルをつけたのでした。コレット広場はパレ・ロワイヤル前の広場ネ。

**


観賞眼豊かなフーケ氏はサロンを備えてて、出入りをしてたのが前記セヴィニエ夫人。Marquise de Sevigne チョコのお顔と申せばお判りのお方も多いカナ?

彼女は17世紀後半、現カルナヴァレ美術館を館としてサロンを開きました。場所はセヴィニエ通り23番地。通りの名につけられた社交界の花形で文筆が有名になっていますね。

フーケ氏逮捕後も褪せぬ友情で親交を持ったセヴィニエ夫人が居た時代、芸術と高雅を愛でるサロンもまた宮廷文化と並び広まってゆくんですね・・・

政界・社交界の有名人の行動を逐一フォーカスしてた当時のガゼット紙など見れば詳細が判断できるかと思いますが、セヴィニエ夫人のサロンにフーケ氏のエスプリが影響したことはほぼ間違いないのじゃあないかしら・・・

カルナヴァレ美術館では彼女が使ってたお部屋家具も見ることができますヨ。

長いサロン史の内、フーケ氏はじめセヴィニエ夫人などお仲間が設えた芸術の調和の空間。高い趣味のサロンのあるじであろうとした人たちが選りすぐった雅は、後に350年を経て尚フランス国民に愛されてゆく。

続きはまた今度ね。

*バロックとカラヴァッジョ
*バロックと聖と俗
*バロックとフランス
*バロックとベルカント
*バロックとヴェルサイユ
*バロックとヴォー
*バロックとフランスの雅



バロックとフランスの雅

January 23, 2012

写真はヴォーの居城敷地見取り図。


とっても好きで、フランスに暮らしてない時の旅行から合わせて4度通いました。此の場所で取り行なわれた宴の続きのお話ネ。

ラフォンテーヌがモークロワへ宛てたお手紙の続きから。

《最初に姿を見せたのは、モリエールである。"うるさがた" の口上を王へ向かって語りかけ、そつを詫びる。王の目配せで幕が開く。ラ・フォンテーヌによれば、まず観客の前に本物と区別のつかない岩が現れる。それが感じとれないほどゆっくり、貝殻に変化してゆく。

マドレーヌ・ベジャール --- 当代随一の名女優でモリエールの恋人だったとも伝えられる。ただし、翌年モリエールが結婚した相手はマドレーヌの妹、一説には娘のアルマンド・ベジャールである --- とおぼしい、たおやかなニンフがそこから出現する。

劇の主役である噴水のニンフを演ずるベジャールが、ペリソン作のプロローグを朗読する。と大勢の森の精が牧羊神やサテュロスを伴って、木の間から、胸像柱の間から走り出てバレーのはじめの部分を舞う。

そこから喜劇が始まるとバレー曲は中断され、嬉遊曲に変わる。バスク風の衣装を纏った1人の羊飼女と4人の羊飼男が、陽気に、しかもたとえようもない優雅さで踊りだす。

劇と舞踏が終わると、もう一つの催物の花火が待っている。方池の南岸の真ん中に王の席が設けられた。花火が始まる前、王は照明にされて欄干上の彫刻までくっきり浮かび上がるグロットをあらためて凝視した。そのあと引き返し、鏡池の南岸に佇んだ王はそこで釘づけになる。池面に投影する揺らぐ松明と居城が、彼を夢幻の境地へ誘ったのである。》

             (カッコ内全文 岡崎文彬様著)

■モリエールに触れた以前の記事リンク
  *ヴィヴァルディの喜び
  *フランス的とは

**


14世がうらやみ、開眼し、そして嫉妬を新たにし、後にヴェルサイユのモデルにしたものは、私観でありますが演劇・舞踏・音楽・建築・装飾・造園・食卓一つ一つの目映い要素だけじゃなくって、融合性そのものではなかったのかしら、って思えるんです。

ヴォー・ル・ヴィコント城の芸術統合の世界。フーケ氏は突出した芸術感覚と審美眼を備えたお方として尊敬してて様々に書物を読んできたのだけど、彼の居城に於いて初めてバロック期のフランスは 芸術が他の芸術との融合を以て自らを生かす美しさを意識的に見留め現したのじゃあないかしら・・・

フランス音楽が極めて絵画的・空間的であること。フランス詩が常に音楽的であること。フランス建築がしばしば物語的であること。其れら美意識を思う毎、17世紀の此の日 --- 正確には1661年8月17日水曜日 --- に繋がっているようにさえ感じるの。

イタリアバロック時代を指して美術史家の宮下規久朗様は
《宗教が美術を求めた》って的確な表現で著されてる。
とっても納得できるお言葉です。

ならばフランスバロックは
《五感が雅を求めた》と表現したくなる。

フランス音楽を学ぶ上で私にとって本当に大切な部分なの。

ブログを始めた2007年、アドレスを lasalledeconcert に決めた。
la salle de concert コンサートホールってタイトルアドレスはね、

居所も食も生活意識も一体になって、それらが思想に結ばれて音楽空間へ帰化するって考えからなの。真似事でも、フランスバロックが育んだ形に憧れてるんです。

比類なき美感で文化芸術を融和させたフーケ氏と、写しなぞったヴェルサイユのお話の続きはまた今度ネ。


*バロックとカラヴァッジョ
*バロックと聖と俗
*バロックとフランス
*バロックとベルカント
*バロックとヴェルサイユ
*バロックとヴォー



バロックとヴォー

January 21, 2012

今日も下部リンク続きのおしゃべりです・・・


フランスバロック建築の代表作になったヴェルサイユ宮殿。
古びてたルーヴル宮の改築を縮小延期して建造された裏側には何があったでしょうか。

ルーヴル宮を巡る歴史は何だか好きで、リサイタルテーマにも致しましたヨ。

  *神戸新聞松方ホールHPより
  *第14回ルーヴル宮の舞踏会 副題

ヴェルサイユ宮がヴォー・ル・ヴィコント城を模したって事はよく知られていますね。ヴォーの館は、ベル島侯爵・ムラン子爵・ヴォー子爵だったフランスバロック期の財務官フーケ氏の居城だった。

写真は拙宅書棚で大切にしてる書籍。
京大名誉教授でいらした岡崎文彬様が記された、フランスバロック期の美学が詰まったヴォーの "居城と庭園" っていう項を抜粋致しましょう。

フーケ氏が居城に国王を招いた日の描写です。

《すべての泉水からは噴水が上がり、園路、花壇はもとより林苑の隅々まで生気を帯びていた。王冠噴水と野獣噴水の対照の妙、それにもまして幾段も落下するカスケードと無数の飛沫を噴出する束状噴水の競演。

大王は両側にトリトンの噴水が上がっているところまで、中央園路を真っ直ぐに進む。王の足下にカスケードが聞き取れる園路の突き当たりは、カナルの彼岸にグロットが眺められる。しかもグロットでは水が帯状に落下するほか、飛沫をあげそこの貝殻からは泡状に水が吹き出していた。

(中略)


食事中、リュリの音楽がヴァイオリンで演奏し続けられる。王の食卓の周りには、賓客の食卓が並べられ、気楽に食事できるように配慮されていた。

雉、あおじ、鶉。ペルドロー、芝海老肉を潰したスープ、シチュー料理をはじめとして、フランス料理でも飛びきりの珍味が用意され、ありとあらゆる銘酒が注いで回られた。テーブルが、5度ないし6度にわたって改められる豪勢さである。それを準備したのはヴァテルであり、フーケの意を帯しての珍味が用意されたのである。

食事が終わると喜劇の出番である。ル・ブランはモミの樹林の下方に劇場を設営した。そこには大魔術師のあだ名を持つジャコモ・トレリの手で、道具立てがなされていた。

夜の帳が降りた。素晴らしい爽やかな一夜である。ラ・フォンテーヌ (*下リンク) が、この夜の情景をローマ滞在中の友人モークロワへに (原文のまま) あてて克明に書き送っている。野外劇場の場面を抜粋してみよう。

これ以上あり得ない美しい環境の中で
心地好い場をつつむ
モミの裾と水格子の下
爽やかで清々しい
噴水、杜、木陰に西風の
この夜を謳歌する楽しみが整った
繁った木の葉がかもし出す情景を
百の松明が明るく照らす
空が妬んでいる
幕の開く場面を想像してもみよ
すべては大王の喜びのために
ヴォーで懸命である
音楽も水も光も星も》


               (カッコ内全文 岡崎文彬様著)

■ラフォンテーヌについての以前の記事リンク
  *女の子はファンシー好き(7)ラフォンテーヌT
  *女の子はファンシー好き(8)ラフォンテーヌU


ヴェルサイユのモデルになったヴォーの館にもう少し立ち返ってみたいナ。続きはまた今度ネ! 明日はブルゴーニュ君かな。


*バロックとカラヴァッジョ
*バロックと聖と俗
*バロックとフランス
*バロックとベルカント
*バロックとヴェルサイユ



バロックとヴェルサイユ

January 19, 2012

(撮影者:えむきゅう様)


先回に、ヴェルサイユで求められたベルカントはどういった種類のものかと問を残しました。

ベルカントほど、同じシニフィアンを持ちながらシニフィエを変化させた言葉もないのではないかしら。長い音楽史の中で大きな変遷を辿ったものの1つですね。

話題の中のベルカントは古来 Bel Canto って言葉が生まれた頃の概念に近いものネ。

其うして此の場合、どんな風なベルカントが求められたかとは、端的にはどんな種類の "美しさ" が求められたかって問になるのじゃあないかしら。

ソプラノドラマティコの技巧こそ美しいとされた国と時代がある一方、力強い歌唱を以て美しい歌の不文律になる慣行もあり。その他ベルカントのシニフィエは多過ぎるのですもの、こちらのコメント欄の風に細かにお名前つけちゃいたくなるくらい。

ヴェルサイユ流儀のベルカントを知りたくても何の証拠材料もありません。何故って当時の録音は無いのですものね。私なんかは勿論のこと、研究者様だって証拠は出せずお間違いもある事項。

ねえ憶えてらっしゃる? ミケランジェロ絵画を20世紀終わりに修復したらば、考えられてた色調よりグッと鮮やかな色が出てきたニュース。ミケランジェロ認識が改められた他方では、修復剤が色を変化させてしまったってお考えの方々もお残りです。

**


研究者でもなくバロック専門でもない私が取りあえず思いつく方法は、当時に歌が用いられた音楽場面設定を考えるコト。

日々の歌では王室シャペルが挙げられますね。聖堂でアジリタなど無論のこと考えられる筈もなく、聖歌を歌うに相応しい声質は、よく響く石壁と高い天井の要素を考えずとも、近世の大劇場に響き渡らせるタイプのベルカントでもなかったのは必至ですね。

そしてシャペル以外の2本柱のもうひとつが宮廷室内楽。
多声部歌唱と通奏低音のシンプルな組み合わせも多かった頃。どんな楽器で室内楽を演奏してたかしら?

ルーヴル宮ではルイ13世がリュート好きでお習いでもあったと読みました。王室がヴェルサイユへ移ってからもリュートは盛んに用いられ、他クラヴサン、ヴィオール、テオルボなどですネ。

テオルボのコンサートは10月末に蝶番君と参りましたヨ。

  *北野異人館コンサート

音の小さな楽器を組み合わせた室内楽。ルイ13世の可愛らしいアマリリスのように王室の人たち自らが小さな作曲をして楽しんだ音楽と共に歌われた女声は?

ヴェルサイユという絶対的な価値観と流儀をもった世界で美しいと好まれたベルカントは?

考えてみたくなる魅力的な問。
続きはまた今度ね。

*バロックとカラヴァッジョ
*バロックと聖と俗
*バロックとフランス
*バロックとベルカント

*"リディア" 落合訳
*"リディア" 再考
*リディアという女性



バロックとベルカント

January 17, 2012

東京佼成ウィンドオーケストラ みやむぅ氏と。
1周りお年下、大活躍のオーボエ奏者クンです。


遠近感が狂った写真になったに違いない〜! ってみやむぅ氏。
バロック絵画の遠近感を際立たせる手法ナンテ連想して今日のネタ振りに・・・

**


バロック中後期にはフランス宮中でもイタリアオペラ上演の機会がありました。愛好・賞賛する貴族達が居た一方、叫ばれたのはイタリアオペラが野蛮って考えだったのですって。

此の頃ローマで教会音楽にもオペラにも大変な人気を誇ったカストラートたち。

  *シネマ記録(2)

昨年upしてる上記事内カラヴァッジョ画 "リュート弾き" のモデルのカストラートは、カラヴァッジョと共にがデルモンテ枢機卿の元に住んでいたペドロ・モントーヤ氏と言われてるのですってね。

カストラート人気とともに彼らが貢献したベルカントの発展はオペラに、そしてオペラの考え方に影響を与えてゆきますね。上手に申せないけれど例えば、より多く訴え、より競技的に勝り、より動力を掲げる歌唱を優位とする方向と、それを生かす形のオペラへと・・・

フランス貴族社会で論争を起こしたイタリアオペラが多く反発に遭った理由は、容易に推察できる気がする。粗野・野蛮と見立てられたのは恐らくは押し出しの強さを高踏的じゃないと考えられたせいじゃあないかしら。

バレエや舞踏中心で、バレエ・ド・クールに音楽を組み合わせたフランス式オペラが流行っていたヴェルサイユ。当時ローマで推奨された、大衆に向けるわかり良い要素など宮廷風じゃない事は直接反目を呼ぶものでもあったかもしれませんね。

**


こうしてフランスはイタリアバロックと違う独自の道を歩みますが、では貴族的な形が何より愛された世界で求められたベルカントは何だったのか。

  *"リディア" 再考
  *リディアという女性
  *"リディア" 落合訳

それが "リディア" に歌われる声と似ている気がしてならないの。

**


うふふ、フォーレ "リディア" のために一旦16世紀に遡っておしゃべりを始め、やっと行き着いた。
続きはまた今度ね!


*バロックとカラヴァッジョ
*バロックと聖と俗
*バロックとフランス



バロックとフランス

January 15, 2012

昨年片桐敬子様に頂いたヴァティカンのお品です。
ローマから続く話題にパチリ。


先日コンコルド広場のショットの噴水は、ローマ・サンピエトロ広場を模してジャック・イニャス・イトルフが1836年〜1840年 (広場全体の整備は46年まで) に設計したものなんですって。

19世紀のフランスが此んな噴水にも取り入れたイタリアバロックは、果たしてリアルタイムではどのようにフランスに影響したかって話題に繋がります。

先回に "ルネサンス" と記さずにイタリアルネサンスのって限定したおしゃべりにしましたのは、フランスの歩みが少し異なっているから。

おしゃべりの時期のフランスの背景は、アンリ2世が負傷で没する少し前から、急逝したフランソワ2世を挟み、その弟シャルル9世までの時代。その後ヴァロア朝からブルボン朝へ継承された王宮は、バレエ・ド・クール (ballet de cour) を愛好してゆく。

私は大学授業で此んな真似事をしていました・・・♪

  *クーラント

イタリアが国民のための芸術を開いていった頃、フランスは宮廷のための音楽のほうがより大きな発展を見せるのね・・・。お国柄の1つと申せましょうか。

イタリアが民衆を渦に巻込む強大なプロパガンダを繰り広げ、栄光と繁栄と力量を見せつける風な動きをしたのに対して、フランスは王宮という小さな世界に芸術の粋を圧縮して詰め込み、王侯貴族だけのためと限定された世界の内で厳選吟味を重ね、そのエレガンスを武器に勢威を誇ってゆくのです。

**


両国の芸術は共通点も沢山で、けれど一等違っているのは "力" の種類・持ち方・表し方だって気がする事がよくある・・・

フランスの力の用い方はしばしば強硬で硬直的と感じる。
イタリアの器量の大きな動力とは違って、狭い世界で培ったが故に狭量な威令で統制する気質を持ってる風に思う。

前述シャルル9世統治1572年に起きたサン・バルテルミ (バーソロミュー) の虐殺も、その前1544年までヴァロア家が繰り広げたイタリア戦争の混乱も、気質的土壌が見える気がする。

  *パリの不合理

けれども狭量こそが芸術分野の発展に於いてはフランスのフランスたる所以として寄与してて・・・

  *オーレリア或いは夢と人生

**


フランスの物事の始まりの多くは "排斥"・・・ナンテ申してしまうのは乱暴が過ぎるかもしれないけれど・・・

プロテスタントを排除し、民衆を排除してしまった非寛容な王侯の園の狭範さ。其れは高雅と洗練を好み、精選するサロン文化がどこよりも発展した体質と同一のものかもしれないと思う。

続きはまた今度ネ!

*バロックとカラヴァッジョ
*バロックと聖と俗



バロックと聖と俗

January 13, 2012

バロックのお話の続きです。


ネウマ譜の古い時代に出来上がっていなかった拍の観念を得た後の事から・・・

ルネサンス教会音楽では、後期パレストリーナの頃には対位法音楽故に当然小節・拍は持ってはいても、バロックの拍感覚とは異なります。

いわゆる揺動する音楽。
それは天上世界を表しました。

拍というカウントは時間の区切りでもあります。
私たち人間の宿命である過ぎ行く時間。
悠久の時間を持つ人は居ない。

人知及ばない聖なる天上だけが持つ
悠遠への憧れを人々に示すような音楽は
ローマカトリックの理想と呼ばれた清浄さを備えます。

**

教会に対して、ルネサンスも世俗音楽は拍に支配されます。
拍って感覚よりも、此の頃は動性としてのリズム風な考えだったと読み取るべきでしょうか。

イタリアルネサンスの聖世界と俗世界の音楽双方は、バロック期には教会音楽を司るオラトリオと 世俗音楽の中心になるオペラに取って変わってゆきます。其の流れの中で着目すべきが 教会音楽の拍感。

ルネサンス教会音楽の理想と異なる強固な拍感覚が、
バロックの教会音楽で用いられることになります。

ローマ教皇庁の流れを見ますと、パレストリーナを招いたユリウス3世は第3会期のトリエント公会議の議長をお務めでした。
一方せんだって書きました公会議の採決とは、1563年ピオ4世が務められた第4会期のもの。
教皇様が変わり、教皇庁が求める芸術の形も変化しているのね。

**

天上を求めた音楽から、地上の私たちにも相目見えることができるものへと教会母体が選定したバロック初期の教会音楽は、美術建築世界と同様の歩みとして、教義世界を扱うことへの概念の変化と広がりを備えたものであるように感じます。

20世紀初頭に初めて策定されたバロックという長い時代は形式の1つと考えられても、初期バロックの興起は概念だったというのが今段階の拙い考えです。

続きはまた今度ネ。
ちらし印刷校正で寝不足の眠い朝・・・

明日はババール音出しだから今日はしっかりソロをお稽古しておかなくっちゃ。


*バロックとカラヴァッジョ



バロックとカラヴァッジョ

January 11, 2012

バロック絵画の頂点とも言うべきカラヴァッジョの解説本。
せんにフォトエッセイストの片桐敬子様に頂いたのでした。
写真は大好きな "ラザロの復活"。


一緒に写っているのが片桐敬子様お写真に寄るカード。コンコルド広場の噴水が題材で、バロック様式繋がりネ・・・♪

**


多くのお方がご存知と承知ながら、筋を追うため自明から始めますね。

バロックはカトリックが行なった対抗宗教改革に支えられていました。ネーデルランド、ドイツのプロテスタントによる宗教改革で宗教美術を偶像崇拝とする考えに対し、反・宗教改革の意図をもって聖画を推進したところに根ざします。

だから平たく申せば大衆的要素が大きかった。
16世紀半ばのトリエント公会議はわかり易い聖画や聖像で信仰心を高めるよう採決して、ローマは市内も聖堂も壮大なバロック芸術運動で埋め尽くされてゆきます。

わかり易くて大衆的とは、例えば水戸黄門を挙げたくなる。
印籠のように権威的で、スカッと情動的に私たちに訴える風。
待ってましたとばかりの快感を呼ぶような。

水戸光圀翁にひれ伏す如くにイエズス様マリア様にハハ〜ってなっちゃう風。ひれ伏す事が一種の快感になるくらいに威光を謳い上げる作品の群。

不謹慎な説明は此れくらいにして・・・
禁欲思想とは異なる劇的要素を盛り込んだバロック作品は
コントラストが強く、暗示的かつ教訓的。

**


バロックがマイブームになったのは今年弾きたいオズィがきっかけだった。時代的には古典派音楽だけれど、バロック要素を感じたからだった。

  *外国曲コンプレックス
  ?僕が聞いたiTunes

私ね、バロックを形式じゃなくって概念と考えてるんです。

続きはまた今度ネ!
何故ってトースターからいい匂いがしてきたから。



象徴(6) "蝶と花" 落合訳

December 09, 2011

今日の合わせは最初に

"蝶と花" をお稽古するカナ・・・


風見鶏クリスマスコンサートの第一曲目。

プログラム冒頭に持ってきた理由は、フォーレの記念すべき作品1だからなのヨ。昨冬に始めたフォーレ祭りで発掘したの。

  *フォーレ祭り

"蝶と花" ってタイトルで、初々しく仲良しのペアを想像した。
まだまだ若かったフォーレが1曲目に選んだ詩は、光溢れる春の風景? なんて・・・

  浅はかな考えだった。
  詩を読んでびっくりしちゃった。
  
フランス浪漫主義の巨匠ヴィクトル・ユゴーの "蝶と花" は、
愛らしい羽と花びらの舞いじゃあなかった。
  

《蝶と花》

             ヴィクトル・ユゴー
       落合訳

行かないで!
  哀れな花が空飛ぶ蝶に言いました。

私達の運命はなんて違ってるの?
私は留まり、貴方は飛び去る・・・

それでも私達は愛し合ってる筈。
人々が居ない処で生きてるわ。
彼らから遠く離れて。

私達はよく似てて
2人ともが花と呼ばれるの。


でも、ああ残酷な天命よ!
貴方は風に運ばれて、私は大地に縛られる。
貴方が飛ぶ大空を 私の吐息で満たしたいのに!
でも駄目。貴方は遠くへ行き過ぎる。
花々の間をするりと逃げる。

私は・・・
たった一人取り残されて
足許に自分の影が巡るのを見てるだけ。


貴方は逃げ、戻ってきては・・・
再び外の世界へ輝きに行ってしまう。

朝焼けの度、貴方が私を見るとき
いつも私は泣いてばかり!

ああお願い、
愛の忠誠が欲しいから、

私に貴方のような羽を頂戴。
でなければ、

貴方が私のような根っこ授かって!



**


"蝶と花" と題しながら、"蝶と花" のタイトルが齎す象徴的イメージを想定しながら
  ---例えば羨望・嫉妬・執心、なんてタイトルじゃなく---
観念を覆す有りようは、何ともフランス的じゃあない?

訳しながらワクワクしてしまった。
"花" に対するシニカルな視点を感じた。

  愛し合っている、と花は言う。
  愛を受ける自分を愛するとも言い換えられるでしょう。

  愛を受けたところで成長を止め
  願い叶わぬ嘆きへと心を向けるうち
  欲求ばかりが一人歩きする。

  愛したい欲求は
  愛せる条件をくれと
  独善的に姿を変える。

  自分は変われない。
  蝶の羽を持てない。
  ならば貴方に根が生えればいいと・・・

蝶の視点では何も書かれない。

"自分の影が巡るのを見てるだけ" と
花の長い長い1日を示し、
声も届かぬ蝶への恨み言を連ねるユゴーは
あえて蝶が見る花の姿に触れない。

**


詩も文学も映画に於いても見られるフランスのお家芸的なニヒリズムが覗く。

年若いフォーレが華やかなハーモニーで彩った軽妙でイロニックな名作だと思う。


   《Le papillon et la fleur》

            Victor HUGO

La pauvre fleur disait au papillon céleste:
Ne fuis pas!...
Vois comme nos destins sont différents,je reste.
Tu t'en vas!
Pourtant nous nous aimons,nous vivons sans les hommes,
Et loin d'eux!
Et nous nous ressemblons et l'on dit que nous sommes
Fleurs tous deux!

Mais hélas,l'air t'emporte,et la terre m'enchaine.
Sort cruel!
Je voudrais embaumer ton vol de mon haleine.
Dans le ciel!
Mais non,tu vas trop loin,parmi des fleurs sans nombre.
Vous fuyez!
Et moi je reste seule à voir tourner mon ombre.
A mes pieds!

Tu fuis,puis tu reviens,puis tu t'en vas encore
Luire ailleurs!
Aussi me trouves-tu toujours à chaque aurore
Tout en pleurs!

Ah! pour que notre amo ur coule des jours fidèles.
Ô mon roi!
Prends comme moi racine ou donne-moi des ailes
Comme à toi!


*象徴(1)月とピエロ
*  (2)オコゼ
*  (3)花色
*  (4)気狂いピエロ
*  (5)シニフィエ



"枯葉" 動画

November 12, 2011


                         (撮影者:leonarhodo様)

曲途中から1部分だけネ・・・

コンセルヴァトワールの学生時分、ごくたまにでしたがシャンソニエでアルバイトをしました。

未来でクラシックコンサートにシャンソンを弾くことになろうとは思わずに。シャンソニエの雰囲気が好きだったのよ。
賄いで出してもらってたお料理も美味しかったナ・・・

シャンソン伴奏の場合、此のように (実に適当に) 編曲して主旋律に付けてみていますヨ。

9月だったから涼しそうな伴奏になった。寒い季節にまた演奏する事があれば違った編曲にしたいナ・・・

**


次回12月16日のコンサートはサンサーンス・ソナタなど華やかな曲たちが盛り込まれていますよ。どうぞお申し込みくださいませネ・・・♪



ラ・セーヌ小唄

October 29, 2011

ラインの館のお庭にて

開演前に。


2日後のシャンソンコンサートの事、相方さんとおしゃべりした。

  もしも一言でシャンソンとはって申すなら、
    セーヌが映した恋と人生だって気がする。

音楽家としてのお答えならば、ルネサンス期の世俗音楽から17世紀ロンサール詩が韻律に音をのせることに繋がった変遷を語らなければならないかもしれない。
音楽史的影響は確かに現代のシャンソンにも反映されてて・・・

  其れこそがね、ラ・セーヌの物語かもしれない。

**


川のおしゃべりをしたんだわ。

滔々と流れる父なるライン川は、広い川幅で数々の歴史を包み運んできたのでしょう。領土拡大、国防とゲルマン世界の発展、大きな興亡史を抱えて流れてゆく。

ラインの倍以上の全長を持つドナウ川は国家、民族間の巨大なドラマを川底に沈め押し流している風に見えた。幾日か滞在したドナウ流域で、川は悠久の歴史を伝える哀しみの表情を持ってた。

"でもねセーヌ川はフランス革命を見ていないんです。"
唐突な科白を相方さんが何と思いなさるか、もはや考えずにお話する癖がついた。

きっとね、ラ・セーヌが見てたのは革命の中に潜んでた恋や人間ドラマでした。動乱の渦に隠され見過ごされてしまった人々の想いや生活の小さなコト。

革命期、やっと手に入れた古毛布を子供のためにと嬉しげに抱えて橋を渡った父親が居たかもしれない。傷んだ野菜屑が売れずに叱られると恐れて川沿いで項垂れた少女が居たかもしれない。

フランス史ってね、国家史を個人史で読めると感じるときがあるの。丁度同じ風かしら・・・。セーヌ川は長い歴史の中で小さな人生の重なりを眺めて流れてきたように感じるのよ。

**


シャンソンは、1人1人が主役の個々の人生ドラマ。
家々の窓を、出逢いと別れを映し、優しく見守りながら巡るラ・セーヌの小唄のように思える。


(IKU様
お書き込みありがとうございます。コメントupをお望みじゃない部分は全文かまたはお作の事かが判断できず、反映せぬまま取り置いて御座います。)




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