L'air de Paris ]



プー、スケールに泣いた日

March 22, 2018

音階を聴いて泣いたことがある。
今でも時々泣く。


昔お指の練習は時間をかけて真面目にしたほうかも。好きだったのじゃあなくて性格的な理由に過ぎなかった。単調な指練習よりも、億劫がって義務を果たさない自分のほうが嫌いだと思ったから。

はじめハノンを好きじゃなかったように、スケールのお稽古も嫌いでした。意味のない音の羅列に思えてた。

  *ハノンと恋


完成度を上げるっていう、子供のゲーム感覚を刺激して誤魔化す方法で各スケールを満遍なくお稽古しようと努めはした。


ところがいざ実行すると '綺麗に揃えて弾けるようにするゲーム' は、ともすれば音楽から外れることがままあった。

其んな現象の正体をまだ言葉で表せない子供だったから
何かが腑に落ちないと感じながらスケールを終える毎日でした。

涙したのはプーのピアノコンチェルト1楽章、譜面の練習番号1と28にある4小節間の音階を聴いた時でした。


感動よりも先に衝撃に強く貫かれた。


その部分は当に一見 '順番に並ぶ音の羅列' なのに、一瞬にして婉美な存在に変えるハーモニー豊かさが信じられないほど美しく思えた。

その豊かさとは広大な総やかさではなく、断じて其れではなく、
ハーモニーの色の移ろいに垣間見える悩ましげな美々しさや
薫るメランコリアのリシェスのほう。

厭だと思ってたスケールは、こんなにも多感な音楽の一片だったって知って泣きました。


■ブルゴーニュ君のプーランク
*お昼寝の曲
*雨の日のお昼寝動画
*可愛い音符

■プーランク楽曲関連
*爛熟、プーランクと爛れ
*腹巻FP146
*カラフルな月
*プー "ノヴェレットNo.1" の生地
*プーランク:一篇の。
*純真
*パレ・ロワイヤル
*似てるモノ・違うモノ

■プーランクの気配
*パリのプーランク
*プーランクとシュレアリスム
*ラファエル前派とカードアイコン
*プーランクのテクスチャー
*フランスの特権

*プーランクで麻酔
*プーと共感
*プーとペダル

■プーランク歌曲&デュオ関連
*プーランク "ロマンツァ"
  *ロマンツァその後
*フランスとルイーズ
*カフェは難しい・・・
*プーランク x ルイーズ
*神のないルイーズとフランス
*ルイーズのチーズ
*ルイーズの赤
*思い出の硝子瓶 + ルイーズ
*ルイーズのお稽古
*落日の色、ヴィオロン音源up
*プーランク "花" 音源up
  *枯れた花のお手紙
*女心とアンドレ婦人
*PJにてプーランク・マズルカ
*プーランク "草むらの中で"
*舌切り雀、Il vole

■クラブ・プーランク関連
*クラブプーランク中間報告
*クラブプーランク延期のお知らせ
*冬のお腹
*裏切者〜
*クラブP第6回ありがとうございました
*12月3日クラブP第6回
*クラブP第5回ありがとうございました
*夜道
*チョコメモ、プーランク、師弟
*プーランクの朝
*打合せ
*クラブ・プーランク5eme
*教養と無秩序
*クラブP4emeありがとうございました
*今日は楽しみましょ〜♪
*チェロソナタのピアノパート
*プーランクと遊ぼう4eme
*お出迎え
*ファリャとプーランク
*クラブ・プーランク第4回
*クラブP第3回終了デス
*プーランクで遊んでます
*プーランクと遊ぼう
*デートとクラブP
*クラブPのコンセプト
*プーランク遊び
*プーランクと伊達
*プーランクとカミュ
*プーランクの著作権
*プーランクと運命の人?
*クラブ・プーランク



プーとペダル

January 22, 2018

クルンと後ろを向いてお首のお花自慢♪ 頂き物です。


さて今日の1曲は一般的な演奏テンポよりだいぶ速いです。
どうかしちゃったの?! ってくらい速いかも。





プーはこの曲を2分の2拍子で書いてます。

よく弾かれるテンポだと自分にはどうしても4拍子に聴こえちゃうのよね・・・ 提示部は四角な様相よりも、気儘な雰囲気の洒脱さも交えたい。

それを音量以外でも施すためにフレーズの間・音と音の間をほんのコンマ1秒よりも少しだけ縮めたり伸ばしたりしてます。

試弾ですけどネ。速いとどんな感じかな? ってやってみた。


sans pédale,très net の注意勧告に従ってペダルを一切踏まないで弾きました。


プーの注意書きって音楽を導く表記っていうより、お人によってはペダルを踏みそうな所にわざわざ書き込む注意勧告めいていて、プーらしいこの感じがとっても好き。

道の脇の2段ほど高い所を歩きたがる子供には注意しないのがプー風なのじゃあないかな? 言わなくても恐怖感があると自分で用心しますものね。

スロープで位置が下がってきて道との段差が少なくなった時にスッと 'ここは高い位置なのですよ' って専心を促す賢いママみたい。


そんなプーの気質から推測されるのは、彼の場合 '何も言わない所を注意なしと考えてはいけない' ってことじゃあないかしら・・・っていつも思うんですよね。


内声を延ばすために [1秒だけ残響のためのペダル] を加えたい場所は追々出てくる可能性もあるけれど、それ以上は踏まないに限るでしょう。

一瞬のカットにたくさんのエスプリを好きなだけ詰め込めるのがプーの懐のあそびと言いますか、プー的な余裕じゃあないかなって思うので色々に楽しんでみます。


■ブルゴーニュ君のプーランク
*お昼寝の曲
*雨の日のお昼寝動画
*可愛い音符

■プーランク楽曲関連
*爛熟、プーランクと爛れ
*腹巻FP146
*カラフルな月
*プー "ノヴェレットNo.1" の生地
*プーランク:一篇の。
*純真
*パレ・ロワイヤル
*似てるモノ・違うモノ

*プーと共感
*プーランクで麻酔

*プーランク "ロマンツァ"
  *ロマンツァその後
*フランスとルイーズ
*カフェは難しい・・・
*プーランク x ルイーズ
*神のないルイーズとフランス
*ルイーズのチーズ
*ルイーズの赤
*思い出の硝子瓶 + ルイーズ
*ルイーズのお稽古
*落日の色、ヴィオロン音源up
*プーランク "花" 音源up
*女心とアンドレ婦人
*PJにてプーランク・マズルカ
*ラファエル前派とカードアイコン
*パリのプーランク
*プーランクとシュレアリスム

*プーランクのテクスチャー
*フランスの特権
*プーランク "草むらの中で"
*舌切り雀、Il vole

■クラブ・プーランク関連
*クラブプーランク中間報告
*クラブプーランク延期のお知らせ
*冬のお腹
*裏切者〜
*クラブP第6回ありがとうございました
*12月3日クラブP第6回
*クラブP第5回ありがとうございました
*夜道
*チョコメモ、プーランク、師弟
*プーランクの朝
*打合せ
*クラブ・プーランク5eme
*教養と無秩序
*クラブP4emeありがとうございました
*今日は楽しみましょ〜♪
*チェロソナタのピアノパート
*プーランクと遊ぼう4eme
*お出迎え
*ファリャとプーランク
*クラブ・プーランク第4回
*クラブP第3回終了デス
*プーランクで遊んでます
*プーランクと遊ぼう
*デートとクラブP
*クラブPのコンセプト
*プーランク遊び
*プーランクと伊達
*プーランクとカミュ
*プーランクの著作権
*プーランクと運命の人?
*クラブ・プーランク



エフと歯磨き

January 11, 2018

兄弟の関係が悪い場合、他人様とより根深い泥沼の揉め事になるケースがある。


肉親でしか起こり得ない種類の案件も多いから、騒動の大きさで一概に比較するのは間違いでしょうけれど、私個人は実感する。

あの弟さえ居なければと恨んだ幾十年は人生を変えてしまった。

変えたのは弟の存在か、それとも弟への私怨に拘わったせいかはわからない。直接の因果関係が後者だったとしてもいずれにしろ前者の余波だという事実が更なる宿怨を抱かせる。


弟は周り中の愛情を一身に受けてた。


私はラヴェルのおうちに遊びに行きたくても、フォーレに内緒話を教えてもらいたくても止められるのだ。'お友達と勝手をしないで、弟のエフの面倒をみてからにしなさい' と。

反抗心で一杯になった。
しかし姉の義務だから仕方なかった。
音楽学校を卒業するまでこの面倒くさい弟の手を繋いで、決して迷子にならぬように連れ回し、弟の身の回りのお世話一切を済ませなければならないって決まってたのだから。

それは全国の音楽学校の決まりだった。ピアノで遊びたい長女は必ずこの弟の面倒をみることに決まってた。

一番の遊び道具のピアノの前はいつもエフに横取りされてた。
お姉ちゃんだから我慢しなさいって言われた。

弟は発表会の寵児で、誰もが彼の曲に触りたがった。
私は弟と真反対の曲ばかり弾いた。幼児の頃はカバレフスキーの斬新で諧謔的な音運びが好きで虜になってた。小学校にあがると、弾ける近現代小品は増えた。


自由に彼らと戯れるための自分のお部屋と自分のピアノが欲しかった。


毎日毎日エフに場所を譲らなければならなかったし、
しばしばエフがピアノを占領してて仲良しのプロコたちを自由に招き入れることができなかった。

当時の不満はそれだけだったかもしれない。
客観的に見ると何でもない事で諍いとなるのは、親密であることを余儀なくされ選ぶ余地なく束縛を受ける運命に、重圧を感じ続けた年月が乗算された時かもしれない。
この乗法は爆発的な数字になるのだ。

ジェンツーペンギン先輩が面白がってくださってエフ記事にコメントをくださった時に、自分の中で上記のように理解した。

'(エフと)お付き合いしたことがあまり無いですが' って書き出しを見て、ああもしかしたら私も、ずっと弟の面倒ばかりみなければならない立場じゃなかったら、
少女期と青年期全部を弟への義務で覆われた位置に立たされなかったら、エフをもう少し楽に愛せたかもしれないと思ったのだ。


九九を憶えるほどの短期間義務でしかないバイエルにも、元素記号と付き合った程度の時間だけ共にしたツェルニー100番・30番・40番・50番・60番(40番以降くらいでクラーマー・ビューローを、50番からクレメンティ・グラドス・アド・パルナッスムを同時進行してる時代でしたっけ。懐かしいですね〜)にも、何の恨みもない。


何故って彼らの曲集に少しくらい好みじゃない曲があったって
クラス替えをすれば付き合わずに済む、その場限りのクラスメイトにすぎないから。

弟って存在とは違う。
子供にとって永遠に思える長い長い時間、遠すぎて見えない未来まで必ず一緒に、息苦しい距離に居なければならない弟は違う。

弟から逃げたかったのは、その才能のあり方じゃあない。
私は弟の歯磨きの仕方が大嫌いだった。
それだけのことなんだ。

だけどこの苛立ちは毎日歯磨きを見、歯を磨いてない時も弟の歯ブラシが目に入る煩わしさを日々感じ、歯ブラシがない外出先では見知らぬ人々が弟の歯を褒めるのを聞き流す作業に人生の時間を費やさなければならない環境が作り上げたのだ。


  ■これまでのお話
  *エフ
  *エフに狭まる心
  *エフと、プーの消化と、フォーレの濾過
  *エフ。収容期間終了
  *エフ。女の言葉と男の語り
  *エフとお国訛り抗争
  *エフ。必須の紋所・無言の執拗
  *エフとドビュッシーの白
  *エフとお食事会



エフとお食事会

January 09, 2018

あるタイプの人間の相談事は、解決を求めているのじゃあないってことは、多くの方々がご経験済みでしょう。


相談の体をとった愚痴だったり、言いたいだけだったりするわけだから、聞いた側が解決策を提示しても 'でもね' が返ってくる。

解決したいのじゃあなくって口に乗せて満足したいだけだって、
聞く側が理解して流せば済む。

とはいえ聞き流して済ませましょうナンテ言ってるのじゃあありません。私なんかは聞きたくないから次は会わないもの。


2度目はないとわかってしゃべってんだろうな? え? と心の中で毒づきながら 'ふ〜ん、そう' と1度くらいは皮肉を込めて相槌を打ったりする。


其ういった種類の人との接触は複数人居る場での経験しかないから、受答えは他の方に丸投げして自分は食べてたり飲んでたりする合間に僅かな言葉を発すれば済んできた。

大根役者のセリフみたいな棒読み調で繰り出す 'ふ〜ん、そう' の真意は、
'今の相槌は共感であろう筈はなく、アンタはそんなくっだらない話を此の場の話題に選ぶ人間だとアピールしたいのだな? ふ〜ん、そう。上等じゃね? ' という皮肉に他ならない。


とまあ性格が悪いことこの上ないようだけど、つまらない状況を2度繰り返す価値を見出せないのだからしょうがない。


それなのに結論のない繰り言が始まっても
それがエフの口から出てる限り一応は聞いてきたつもりだ。

なにしろ世界のスーパースターだから、私ごときの理解で結論がないように感じられたとしても、それは私が馬鹿なせいであって、何かは得られるに違いないとの期待がそうさせた。

お食事会のグループ席で、またこいつのウダウダ話かよって思っても皆が神妙な顔でうんうんと頷いてるから同席してる感じ。

でも性格の悪い私は其んな時も様々なことを思う。


聞いてる人々が頷く。


その仕草こそ話してる本人を、同意されてる・次を聞きたいと思われてると勘違いさせてるのにと苦々しく感じたりもする。

頷いてる人の3分の1はただお話を次へ進めるための促しで、
今3分の1と括った内過半数は聞きたいからではなくお話の終了が速やかにやってくるよう促しているに過ぎず、
もう3分の1は目の前で聞かされてるのとは別のもっと好きな友達や身内や自分に照らしたストーリーを頭の中で展開しており、
あとの3分の1は次何食べようかな・どのタイミングで注文しようかなと思っており、


残る端数の私ともう1人くらいが皆を見渡して、


誰がどの3分の1に当たるかを頭の半分で考えながら、聞いてもらってると勘違いして顔を輝かせながらマシンガントークに移行した本人と2人で会うことは一生ないなと決心してる場面であったりする。

だけどエフの場合、比率はお食事席とまったく違ってる。

世界中で19世紀から今日までエフ曲を耳にしてきた人々の過半数が本気で次を聞きたいと願い、心を打たれ、涙に咽び(本項に関しては私もその1人に入れてもらえるだろうほど泣いてきた)、気持ちを救われ、求めた。

つまるところは 'エフのお食事会' を座って見ていてはならないのは私のほうなんだわって気づき始めてた。

そのときには、エフ曲ばかりを選択する私のためにフランスのお師匠様がエフのスペシャリストの先生をご自宅に招いてまで無料でレッスンを受けさせてくださっていた。無闇に可愛がってくださるお師匠様に、実はエフ苦手です、もうエフ辞めますと言うのは流石に憚られた。


  ■これまでのお話
  *エフ
  *エフに狭まる心
  *エフと、プーの消化と、フォーレの濾過
  *エフ。収容期間終了
  *エフ。女の言葉と男の語り
  *エフとお国訛り抗争
  *エフ。必須の紋所・無言の執拗
  *エフとドビュッシーの白



エフとドビュッシーの白

January 04, 2018

フランスでのレッスン初日にエフのソナタを持っていってから再びエフにモヤモヤする年月が始まった。


  ■これまでのお話
  *エフ
  *エフに狭まる心
  *エフと、プーの消化と、フォーレの濾過
  *エフ。収容期間終了
  *エフ。女の言葉と男の語り
  *エフとお国訛り抗争
  *エフ。必須の紋所・無言の執拗

10歳に満たない年にピアノ発表会で弾いて以降、大学卒業までは収容期間としてだった。だけれど今度は自分から望んだ。

何を? エフを弾くことをじゃない。好まないエフの感覚を手中にできる将来を望んで挑みたくなったのだ。
それは・・・おそらくとても男性的な、狩猟民族的な心理と習慣に起因してた。

エフは当時愛したい相手ではなかったけれど、周り中の人々が欲しがってるから手に入れたい、其うすれば多くの人達がエフの一部の感性でも手に入れたがる意味が自分にも解るかもしれないといった感じの欲望だった。


エフは世紀を越えた世界のスーパースターだから、
エフを愛してなかった時には無論それを口にしなかった。


星の数ほど居られるエフの熱狂的フアンを無駄に敵に回す必要なんてないから、淡々とコンセルヴァトワール時代の3年間とラ・スコラ・カントリュム時代の2年間をエフと共に過ごした。

代わりに家の中では随分とエフの陰口をきいた。
相手は我が師、ドビュッシーだった。

ドビュッシー先生は喩えばブルゴーニュ君が眠る写真を
白色の重なりの観点で話された。

コートやカラーが白なのは見ればわかる。
写真の中で最も白いのは、ブルゴーニュ君の夢に現れた海の波頭だと先生は話す。


ブルゴーニュ君が名前も与えられなかった2歳半までを彷徨い暮らした南の島の海じゃない。


家族に抱かれて見る須磨の波の白さだと話す。

海の波頭は初めから白かったのじゃない。
ブルゴーニュ君が名を与えられ、撫でられ、抱き上げられた時、
なんて無垢な純白の心の子でしょうと飼い主にキスをされ
飼い主が口にした純白の語によってブルゴーニュ君の中に白の概念が生まれた。

その瞬間から波頭はブルゴーニュ君の中で白くなったのだ、と。

ドビュッシー先生は落ち着いた声で毎夜此んなお話を聞かせてくれるのだ。


夜が明けるとエフとの義務が待ち受ける1日が始まる。


私が望んだ義務だった。
義務を全うできるのは人間の喜びだ。
でもエフとは、喜びよりフラストレーションが大きかった。

エフはブルゴーニュ君の写真を見て犬だ、犬が居ると言った。
私はげんなりした気分を隠し、黙ってエフが語る通り鍵盤を押した。

見ればわかる事をわざわざ口にする意味がわからなかった。
見てもわからぬ事柄を '新しく見せて' くれる作曲家に心酔した。

エフは、ああ犬。なんていう犬なのだろう? と続けた。
なんていう犬だって? それは種類を問うているのか、名前を問うているのか、はたまた感嘆符なのか、感嘆符なら美しさに対してか、想像した賢さに対してか、何に対してか、と私は疑問だらけになった。

疑問があっても黙って鍵盤を押した。
次のフレーズで応答があるだろうと考えたからだ。

しかし次のフレーズは 'ああ犬。なんていう犬なのか。' と語尾だけ違う同文が繰り返されてイライラした。

エフは話し方を変えなかったし、私は成長しなかった。
溝は永久に埋まらなかった。

私は一生エフが苦手で、エフを弾く限り凡才の演奏しかできはしまいと諦めた。エフ曲を上手くなりたい一心で進級試験にも最も苦手なエフ曲を選んできたが、この人に合わせるのはもう無理だと思った。

終わりたい。だから最後にと、
コンセルヴァトワールの卒業試験にまたエフ曲を選んだ。

アホか。



エフ。必須の紋所・無言の執拗

December 31, 2017

2017年今日の大晦日を迎えられると思わなかった。


約11ヶ月前は夏が無事に過ぎれば幸運だと思った。
その先に来る年末なんて遠過ぎて考えようともしなかった。

今年はいい年だった。癌にならなければ知らずに過ぎてたことが体験できた。どれもそこそこ大変だったが、なかなか楽しくもあった。

だからって、割合刺激的だった年のご挨拶など書くのは性に合わない。前中半の内容の割にコーダから突然大袈裟になる楽曲のようで手出ししたくない感じがする。


如何にもコーダらしいコーダを格好良いと感じられる方だって多いのは当然だ。


マンネリズムは安心感を与える。マンネリズム特有の心地良さもある。水戸黄門の安定感が心地良いように。

"この紋所が目に入らぬか" のセリフあってこそのコーダであり、
あれをすっ飛ばしたら水戸黄門の造りは成り立たない。

  国民的ドラマに一切文句はない。

黄門様的な造作の楽曲を前に溜息をついたことがあるだけ。


あくまで一定楽曲に関してだが、


懐中で印籠にそっと触れながらも出しはしない瀟洒は、より高い芸術性を醸しそうではないか?
ある時は成敗よりも誰かの何でもない嘘を助けるために、こっそり印籠を落としてみせる心憎さもほしいではないか?
是が非でもグワシと掴んで "この紋所が" と押し出す大衆性は、何が何でも必要なのか?

と疑問に苛まれる青春期を送った。
(くどいがドラマの話はしてない。楽曲の喩えです。)


上述の事柄は、


日々のブログにブルゴーニュ君の体つきが可愛いだとか、
寝顔にやられるだとか、いつまで見てても厭きないだとか、
綿菓子のようなほわほわコートを食べたいくらいだとか、
ブルゴーニュ君の毛を味わったら甘いに違いないとか

のキラキラワードを文字としてはあまり書き出さない表現信条と通じる嗜好でもある。

楽曲話題や書物話題の長文の間に場違いに幼い笑顔のブルゴーニュ君の写真が登場し続けることこそ、キラキラワードの紋所を使用しないプー他フランス作曲家たちの【無言の執拗性】であることを顕したかった今年後半だった。

ナンテおしゃべりが自分らしい2017年の締め括りなのかな。
大晦日にこんなものを読んでくださってありがとうございます。


*エフ
*エフに狭まる心
*エフと、プーの消化と、フォーレの濾過
*エフ。収容期間終了
*エフ。女の言葉と男の語り
*エフとお国訛り抗争



エフとお国訛り抗争

December 28, 2017

再び夫撮影写真。


熱で具合が悪かった。夜中夫の声に我に返ると、ストローでお水を飲ませてくれるところだった。その時まで気がつかないくらい苦しかった。

今日は随分スッキリしました。


さてお試し音楽・・・? どちらかというと面白映像です。




11小節目からの動画です。
13小節目にブルゴーニュ君が、えっ? って目を上げる。
わざわざフレーズを切ってピアニシモに落とした箇所。

ブルゴーニュ君がえ? ってなった理由は、11小節目からのフレーズは15小節目まで綿々と流れ渡ってゆくのがスタンダードだからカナ? それに結びついて13小節目からはむしろ間を詰めて巻いてゆくほうが多数派の考え方かもしれません。

だけどココをどうしてもピアニシモで歌い直してみたかった。

すると15小節目 (ブルゴーニュ君が再び目を閉じたトコロ) からが伸び伸びと推力を持つんですね。
それってエフ的じゃあありませんし、べったりを避けてこれくらい速めのかなりスッキリした速度設定の上でやらないと間が抜けちゃいますね。


暗い顔でむつむつ呟くのを途中で止したり、
ある一定のキッカケで


(ドビュッシーならば陽が沈み長くなった影が地面の枝陰に接触した瞬間に。フォーレならば回想の中に吹く風が今この時に繋がった錯覚を覚えた瞬間に。プーならば心の傷をあえて何でもなさ気に括弧つきで注釈のように挿入する瞬間に。ラヴェルならば今しがたのメロディを角度を変えて示したものが合体して立体化した瞬間に。イベールならば音がシャガールの絵の中の動物に届いて耳が絵の中で此方を向いた瞬間に。)

伸びやかに辺りを見晴らす行為はエフの前でしちゃダメなのかも。だけどね、ダメってわかるとやってみたくなるのよね。

15小節目に心を遠くへ飛ばす様な伸びやかさ (それこそを私は '夢' と顕すべきものだと考えてる) を味わってから17小節目で上昇。

本来19小節目はスピードを上げ気味にして20小節目あたりでフォルテに突入するがエフ的かもしれない。


ただ其うした [長い上昇というお国訛り] を、演奏に際しては必ずしも好しとしない人種もあるのだ。

くどいフレーズ回しは19小節目で終えるべく、細めのフォルテで下降1小節を保持。高音だから此れくらいのテヌートが可能だけど1オクターブ下なら重さのバランスが取れないでしょう。

音の下り坂を心情が受け留める如く、20小節目に入る時にはもう終わりへと向かってる。時間をかけたdim.と僅かなcedez。

それは [長い下降というお国訛り] のフランス風を強調した一節になるのかも。

私はエフと、此んな抗争を何十年も繰り広げてた。


*エフ
*エフに狭まる心
*エフと、プーの消化と、フォーレの濾過
*エフ。収容期間終了
*エフ。女の言葉と男の語り



エフ。女の言葉と男の語り

December 26, 2017

ブルゴーニュ君用のネイルクリッパー。


動物病院やサロンも良いけど、飼い主の手で隅々のケアをしてあげたいほうだからお爪のお手入れも自宅でやってます♪

先代ブルゴーニュ君くらい大きい仔は体重で自然に爪が磨り減るんだけど、2世ちゃんは先代の4分の1の10kgしかないから、お膝でまったり大人しくネイルをお手入れしてもらうのです。

飼い主自身の指はピアノ用で、女性らしいお手入れはできないですからね〜。自分ができない分、ワンコのお爪を綺麗にしてる。

お友達ママがつくってくださったブルゴーニュ君のバレッタ写真などupしながら、エフの続きのお話です。

  ■これまでのお話
  *エフ
  *エフに狭まる心
  *エフと、プーの消化と、フォーレの濾過
  *エフ。収容期間終了


大学3年のあの日、
いつの日か記念すべき今日を振り返るだろうと思った。


そして先日書いた科白を言ってやるつもりだった。"最後にエフを道の角でチラリと見た日は" って。

ところが考えを変えてしまった。
強いて言葉にするなら、エフ曲を満足に弾くことができる自分が未来に存在する可能性を捨てたくないって気持ちだった。

エフに情を残したわけじゃあなかったのだ。
美点はわかっても好みを大きく外れてたからだった。

男性は間々女性を指して例えば胸は好みじゃないが脚は綺麗だなんて仰るけれど、多くの女性は其うした構造を持ち合わせない。好みじゃない男の顔形がどうだろうと筋肉の格好がどうだろうと知ったことじゃないと感じるほうが多かろう。

もっといえば好みじゃない男の顔形が妙に整ってるのは苛立ちの元だし、好みじゃない男の筋肉など邪魔な異物でしかない。


女が [好みじゃない] と言えば大概終わってる。


[好みじゃない] は緩和して公約数的に発した言葉であり、男性が仰るところの '接触可能水準か否か' (と緩和表現します) なんて段階には無いのだ。'隣に座ってきやがって体臭でもさせたら、大袈裟に周りにアピールしてお前を立ち去らせてやるぞ' くらいの対象も含まれてるってことだ。

逆に言えば男性はそんな対象までを此の言葉では表現なさらない。しかし女性のそれはとても広い範囲を指すと思う。'おっさん、これ以上言わせるな。含みを読めよ' が内包される場合もある。

文字通りに理解して問題ないのは、愛が成就したあとに 'ほんとうはね、初めは好みじゃなかったのよ' と過去形で優しく白状する場合くらいだろう。[好みじゃない] 事実がなくなった後に口にする言葉には含みはない。


さておきエフに、あなたは好みじゃないと伝えた。
過去形ではない。


彼が、お前なんかに言われる筋合いはないと返さなかった理由はひとえに、女が口にする場合の [好みじゃない] のニュアンスを解さなかったからだ。

彼が如何に女性的な面をもっていようと其処は男性の脳回路だった。女性に母性愛を求めてきた人らしく、相手が大きな負の感情を抱いてると気づかぬまま長話を始めた。

ケッと思ったが、彼の話を聞ける音楽家になりたいという低レベルの望みが自制させた。エフ曲を1からやり直すのだと自分に言い聞かせ、パリで学びたかった課題の隙間にエフを捩じ込んだのだ。

望まなかった許嫁のようなエフに、自らへの挑戦を理由に縁を戻すと言ったものの、目の前のエフが [好みじゃない] のニュアンスさえも理解せぬまま平気で自分語り --- その自分とは相手の好みじゃないところの自分であるにも関わらず --- を繰り広げるのを呆然と眺めてた。

この人とフォーレ達とは根本的に言葉の扱いかたも精神構造も違うのだと改めて思った。
しかしエフのフランス生活を通したパースペクティヴなら理解可能かもしれないと期待してた。



エフ。収容期間終了

December 23, 2017

うふふ〜ブルゴーニュ君のお人形を作ってプレゼントしてくださった方がいらして、と〜っても嬉しいのです♪


タオル入れの中、見えますか?
夫もすごく気に入って、いいなぁって可愛がってる。

そんな夫の横顔に、貴方がたの楽器は一生の殆どをエフ曲無しで過ごしてるのよねと絡んだ。コンチェルト等ホンの数曲が出演プログラムにある時しかエフ曲に触れない人生なのだ。

  羨ましい気持ちが嵩じて妬みに変わりそうになる。
  私もエフを強要されない人生を送りたかった。

と、ピアノ科だけがエフに翻弄される義務を負わされる理不尽を嘆いた。


最後にエフを道の角でチラリと見た日・・・
あれは大学3年のコンチェルト課題発表の日だった。


掲示板のピアノ科の張紙には当然の顔をしてエフが名を連ねてた。ピアノのコンチェルトリストにエフが居ない筈はないが、当たり前のように名が書かれていることに軽い苛立ちを覚えた。

苛立ちはすぐに、何か不遜な気分に変化した。

無理強いされて付きあった元彼が視界に入ってイラつきながら、今彼に殊更派手に腕を絡めて元彼を 'ふふんっ' とチラ見する女のような意地の悪さでエフの名を見た。

そこに今彼の名も並んでたからだ。
楽曲選択に迷う余地はなかった。


この日は記念すべき日になるだろうと思った。


エフとの決別の日だ。
もう一生エフの顔を見ることはないだろう。

長い長いエフの監獄から脱出できる。
4年生の試験は自由課題だから当然フランスものを選ぶ。
そうして卒業してしまえばエフ課題は2度と訪れない。
OH! エフはもう私の人生に関わってこないのだ!

今後の人生が輝いて感じられた。
エフに閉じ籠められない日々はなんて自由なの?
金輪際エフと関わらなくて済むのだ!

私はスキップしてコンチェルト譜を求めに行った。


パリへ渡った。


コンセールヴァトワール入試にもエフの課題はなかった。
心は晴れ晴れとしてた。ラヴェルが痩せた頬に一筋皺を刻んでふと微笑みかけてくれた。ドビュッシーは精密でさえあれば実に自由にやらせてくれた。

気持ちが踊った。
入学して初めてのレッスンに自己紹介がてらの曲を携えていった。

厚めの譜をカバンから取り出した。
私はエフのソナタをもっていった。

アホか。


*エフ
*エフに狭まる心
*エフと、プーの消化と、フォーレの濾過



エフと、プーの消化と、フォーレの濾過

December 20, 2017

エス小山さんのクリスマスセレクション。
こちらのパティスリーは冒険心が好きです。


大メゾンのお菓子の歴史の広がりも大好きだけど
独りよがりじゃない攻め方はグッときます。

  *ボンボンと共感

セレクションものははじっこから順にいただくのが楽しいな。
いちじくの赤ワイン煮&シナモンの1つ目と
真珠粒のように美しいシャンパンカラーの2つ目。

モエ・エ・シャルドンとホワイトチョコベースのガナッシュで、サルタナレーズンのコンポートが入ってると説明書が。香高くて美味しかった。


カラフルな可愛さが充分に売りになるマカロンにホワイトパールを採用する冒険は、敢て物言わぬが故に強調となる感覚のようで好きだ。


春ではなくマイナスの気温の中で真冬に咲くクレマチスのように魅力的だ。

  *エフに狭まる心

何が魅力的であるかを話し合うのが好きだ。
人生を終えるまでに、魅力を放つものを多く見つけることは、生きる手助けになるほどの愉悦だからだ。

喜びであれ悲しみであれ消化され処理されたものを濾過し尽くして書き出すフォーレのような感性に私たちの日常は及ばずとも、動作や言が音楽と美学から離れない日々を作りたい。


美学に正解はないが、美学のあり方には好みが存在する。


個人的には、事柄をよく消化して完全にこなれたものだけを用いようとする行為に美意識を感じる。端的に言えば蒸溜の度合の高さが美学(とするとライプニッツより森鴎外の感じ方に通じるの?)の形とも言える風な。そして其れは '純度' とは似て非なるものだと思うのだ。

エフの語りは、場合によっては '純度' は高かった。
しかし蒸溜によるものではなかった。
彼は端から蒸溜の香味とは違うものを求めてるようだった。

私は蒸溜器の精度や仕組みにばかり興味があった。
審美とは感性の精度でもあるからだ。


エフは話が長かった。
同じ話を繰り返した。


エフの目的は精度の追求とは異なっていた。
従って私たちはどこまでも相容れなかった。

プーは飽き性なのか? と思うくらいに続け様には同じ事をやりたがらない。プーたちの音楽を友と定め彼らに慣れた耳には、エフが同じ事を繰返す語りが入ってこなかった。

私はエフの長話を聞いてなかった。
彼の話を聞かなければならない立場は(音楽学校に普通に在籍してられる程度にお茶を濁して)保ちながら、何故エフはこんな話し方しかしないのだろう? との疑問に解答を見つけようとしてた。

消化しないままの言葉を口に乗せる人間がわからなかったのだ。


*エフ
*エフに狭まる心



エフに狭まる心

December 19, 2017

'天使の歌姫' って呼ばれる冬咲きクレマチスが蕾をいっぱいにつけてる。正式名はアンスンエンシスっていうみたい。


多くは春が開花期のクレマなのに、冬咲きの常緑性原種ってところが面白くって。

落葉性クレマは残った蔓を隠すのに必死になっちゃうの。
前年に伸びた蔓に翌年お花を咲かせるタイプは蔓にハサミを入れられず、行灯仕立にすると冬のお庭に蔓色が美しくないのが悩みでした。

そこで地を這わせたり岩陰を登らせたりして仕立になかなか苦労をしてたの。この品種なら安心して行灯型にできますものね。


こっちは 'ブラック・プリンス' ってお名前だったカナ。
植えつけたばかりでまだしょぼしょぼしてる。


繊細なブルゴーニュ君はお花を傷めぬよう花びらに触れないようにそうっとそうっと匂いを嗅ぎます。

ピンクのお花も好きだけど黒やチョコレート色の花びらに惹かれます。

お蒟蒻のお花がすご〜く欲しいけど悪臭がするそうで諦めた。
薄葉細辛(うすばさいしん)・チョコレートコスモス・雄山火口(おやまぼくち)なども素敵!
座禅草は貝みたいに有機的で格好良いナ〜


ピンク色の花びらは黒いお花を引き立てる。
ピンクを引き締めるために黒を挿色にするのと逆に考えだ。


  苦味と偽りと。
  ニヒリズムに、その正反対の強烈な生命力。

装いと真実とが異なる仮装の美のようなお花。

  肉感的で心の底にまで生と肉が入り込んでるような、
  此れを花と呼ぶのかと疑問を抱かせるような、

  一見不健全で、えぐ味を備えて、
  だけど逞しさの意味ではこの上なく健全なお花。

それが私の中のフランス音楽、フランスの花の音楽だ。


プーやルイーズ(ド・ヴィルモラン)やヴェルレーヌやバルビエや、ドビュッシーやバンヴィルやバシュラールやルパプが居る世界の中で自分は限りなく自由で、広がり(或いは空間が極度に狭められる故の点の割合の広がり)のあるピアノが弾ける。


音楽である詩世界や、音に色がつけられたような絵世界が
音楽に繋がって、フランス音楽美学に繋がる悦び。
学びたい、知りたい、解りたい、と止むことなく欲する。

ただそういうことだ。

エフが話す内容を、特に解りたいと感じられなかった。
私たちの間には常時、話題選びのミステイクがあった。
いつか理解し合える間柄には起こり得ないミステイクだった。

エフが選ぶ、私には理解し得ない話題に疲弊し
彼が居る際の私の心は、40年余りをかけて狭まっていった。


*エフ



エフ

December 17, 2017

嫌いな人間はスルーしたらいい。
軽視の対象がお隣で話すつまらぬ内容は心に入ってこない。
でも・・・


嫌いな相手より、ちょっとは好きなトコロ 'も' あるのに合わない間柄のほうがキィ〜ってなることってありません?

  私の場合のその人の名はエフという。

スルーするには近過ぎて、知らんぷりしたいのに
仕事や住まいや立場上その人と離れることが不可能で

どうせ顔付き合わせるなら少しでも気持ち良く在ろうと努め
努めては失敗し、時には自分がした努力と譲歩を後悔もする。
其の度にどう頑張っても此の人とだけは合わないと痛感する。

諦め、疲弊し、それなのに不可抗力で離れられない。


気持ちが回復すれば再び擦り合わせようとする。
相手のためじゃない。自分のためにだ。
共に居る環境を変えらないなら、心が膿むに任せるよりは
符合する事柄を1つでも見つけた方が楽だと思ったからだ。

だけど此方側一方からの努力には限界がある。
幾度も限界を超えた。


此の人さえ居なければ、
此の人と一緒に過ごすことさえ強制されなければ、
私の人生は幾分かマシなものだったろうにと呪い嘆いた。


其んな対象をお持ちのかた、きっと沢山いらっしゃるでしょう。

一緒の時間を長く長く過ごした。
最初は自分から興味を持って近づいた。小学生だった。

何かがおかしいと感じつつ、しかし
彼と自分はそぐわないと気づくのは遅かった。
何年も経ってから愛してないと気づく遅鈍ぶりだった。


我慢を重ねた分、もう厭だ2度と会いたくないと憎んだ。


だけれどどうしてもピアノを弾きたい欲求と、どうしても彼と距離を置けない運命とはパラレルだった。

ピアノ科の学生である限りエフと赤の他人の顔をすることは許されないのだ。桐朋の入試はエフのバラードが課題だった。入学すればエフのエチュードの内部試験が待ってた。

試験はどうだっていい。エフと共に居ることを余儀なくされる運命を呪ってた。

私の人生を返して! と思い続けた。エフの縛りが息苦しかった。
ピアノが弾きたかった。エフの曲じゃない。エフの曲では自分は解き放たれない。エフが見てると居心地が悪くてたまらない。私のピアノが弾きたかった。

自由にさせて!
エフから解放して!

  *スケ4 動画

ドビュッシー、助けて!
プー、ここから出して!

ずっと・・・40年以上そう思ってエフ曲を弾いてきた。
続きはまた。



タランテル

December 09, 2017

ブルグミュラーOp.100-No.20の続きです。


今テーマのブルグミュラー考は曲のお話じゃなくパリの風カテゴリーにしてる。何故って大部分が '風'のお話だから。

  *似てるモノ・違うモノ

  初めて弾いた幼少期も、CDを出した時も
  曲の同じ箇所で心底悩んだ。
  最終5小節の表示が大きな悩みだった。


楽譜を見ると最後の4,5小節にポコ・リテヌートって書かれてて、末尾2小節のフォルテで3回刻む和音にin tempo記載がある。


これは本当だろうか? って、幼児のときから疑ってきた。
当時習ってた先生に記載通り弾くよう注意されて、気持ちを譲ることができず無視し続けた痕跡である注意書きが複数ある。

当曲の表示は・・・
ペンが滑って作曲家の指示位置がわかり難かったために、最初の印刷が位置ずれしたってことはない?
出来上がりは意図した指示書きとは意味が違ったけれど、作曲家の自国の感覚に照らすとむしろ此のほうが善いと直さずにいたってことはない?

ナンテ考えずにいられないラストの仕様なのだ。
尠くとも幼児の私は違和感を感じて、以降この問題に取り憑かれた。

'この問題' とはブルグミュラーの問題じゃあない。


タランテラに現れたのは氷山の一角だ。

ドイツ・フランス間の感覚の問や、パリの異国人の感性または個人の性質として作曲家が母国の何を残し何を居住国のものに入れ替えたかを感受することの問題など、水中の氷山は巨大だ。


楽譜が示すのは、アレグロ・ヴィーヴォの華やぎが最後から数えて11小節目の2番括弧後、2小節ずつの松葉をもって昇っては落ちるを2回復誦すると、最終7小節目の上行で音は目的地を俄かに見失う。
そのまま気づかぬうちに終りの5小節目でディミヌエンドが始まって、同じく5-4小節目はポコ・リテヌートに速度を緩める。

それらは華やぐ時を終え、素の欲望を押し込めるように幕が降りる前に急いで準備をする者のようだ。  

ほんとうに?
腰のくびれに手を遣って (多くのタランテラ・ダンスの振り) 自己の魅力を知り尽くした美々しい女の最後が本当に此うだろうか?!


此処をリテヌートする? だっせーなぁ!
と野良犬は思い、納得ゆかない事は無理と諦めた。

  *野良犬


あろうことかディミニュエンド&ポコ・リテヌートの箇所を、クレシェンド&アッチェレランドですっ飛ばした録音をした。最後の3つの和音も、大仰な扱いでヨッコラショとお尻を重くする鈍な感じはどうしても厭だった。

心を翻して去った女は、何が起きたんだ? お前は何処へ行ったんだ?! と嘆く声に耳を傾けない。
いつ終わるかを決めるのは貴方じゃないわ、と高飛車な姿が自分の中のタランテルだ。

タランテル。原題通りとすれば発音のカタカナではタロンテルのほうが近いが、イタリア語で浸透した日本では元の意味が伝わりづらそう。だから闇鍋すぎる表記と自覚しつつタランテル。

タランテ dim.e poco riten. ラ
じゃあなくって '最期のトコロが' パリっぽい
"タランテル" ってことです。


No.1
  *純真

No.5
  *イノセンス

No.16
  *甘い棘

No.19
  *聖母

No.20
  *似てるモノ・違うモノ

No.21
  *天使たち



似てるモノ・違うモノ

December 07, 2017

いつもフルーツが入ってるお皿の奥は
ボッホのレギュミエです。


中身はブルゴーニュ君のワンコガムや大好きな蹄のストック。

穴やピアノ室、キッチンやダイニングその他よく居る場所のブルゴーニュ君用クッションにもガムや玩具を置いてるくせに、ストックも色々無いと何故か不安な飼い主・・・
物を溜込まないタチなのに、ワンコ用品は別みたい。


ワンコオヤツに見えない感じのしつらえを作って楽しみます。


手前のラフランスと蹄は全然ちがうモノの筈なのに
色やカーブがちょっと似てて
そういうのって楽曲にもあって。

作風が似てる幾曲かには、心の状態が似てるんだワって思わせるものがある。


プーのノヴェレットNo.2 (*パレ・ロワイヤル) と
ブルグミュラーNo.20タランテラには、共通した心の状態を感じませんか?


片や2分の2拍子の半拍つなぎ(4分音符づつ)で3連符。
片や8分の6拍子で3つの8分が音符と休符で繋がれる。

乾いた表情と、反対に濡れたメロディと。
此の曲は多くのタランテラのイメージでもある一種の線の太さやストレートに拍頭で縦割りする路線に嵌めるのはもったいない気がする。


推進力よりマ(間)のあそび部分を大きく備えることができるタランテラだと思うのだ。


通常縦カウントになるタッタタッタ(タァタタァタ)という独特の音形の、横のラインに目を向けて強調することで出現する色っぽさ。女性的な気儘なニュアンスで運ぶ間合い。

細い線で、意地悪で、身を翻し、心を翻す。華やかに煽って、さっと消える。パリっぽいプーとブルグミュラーを弾きたい。

時間です。準備しなきゃ。


No.1
  *純真

No.5
  *イノセンス

No.16
  *甘い棘

No.19
  *聖母

No.21
  *天使たち



イノセンス

December 05, 2017

ちいさな子が 'どうして?' って問う。


此うしなさいね --- どうして?
其うしちゃダメよ --- どうして?

これは1つの純真さである。

しかし疑問を抱かず言われるがままに従うほうが素直と指されることも多い。その文化慣習に於いてはNo.1La candeur は素直より純真をタイトルに選びたくなる・・・というのが昨日のお話でした。

  *純真


"純真" と一見似た風な曲調に感じられるのは同曲集No.5 Innocenceじゃあないだろうか。


此方は '無邪気' と訳されてる。
やはり正しい訳です。でも現代の目で見ると齟齬も覚える。

無邪気は大きく2種類に分けられるから。
無邪気故に愛らしいものと
無邪気だからこそ愚かしさが際立つもの。

ラ・サノミユーズは後者の代表格かな・・・

  *ラ・サノミユーズ


邪気がないからといって、それを理由に認めるべき事になるわけじゃあない。


無邪気さは場合によって軽忽な愚かしさに繋がる。

例えば太りすぎたラ・サノミユーズは少しは動こうと省みるが反省は一瞬で、用事ができた途端に怨言を連ねる。所用責務を良い運動とは考えない。

用に怨言を述べ、運動となる筈の用を減らそうとし、僅か残った用のせいで運動時間がなくなったと更なる怨言を重ねる。

  その1つ1つは無邪気な発想なのだろう。

悪気はない。何もかも他者のせいと考えるが悪意じゃない。
彼女の代わりに動くはめになる人々に悪意を向けてはいない。
迷惑と気づかない無邪気さが漂ってるだけだ。

'無邪気'の単語にはラ・サノミユーズ的な像も含まれる気がする。
個人的にはむしろ此の像のほうが先に浮かぶくらいだ。


無論、ブサ顔のブルゴーニュ君のように・・・


お膝で撫でられて幸福感でブサくなっちゃって
それにも気づかず、自分の表情を意識したこともなく、
感じるままに笑顔を投げてくる '無邪気' もあって。

昔ブルグミュラーをはじめに邦訳されたお方は無論此のほうを指して訳されたに違いない。

そう理解した上で、訳された時代より言語が多様化した今は、
昔一般的でなかったが故に使えなかった原語を用いるのが可能になった。私は "イノセンス" の原タイトルを保持したいと思う。


No.1
  *純真

No.16
  *甘い棘

No.19
  *聖母

No.21
  *天使たち



純真

December 04, 2017

ブルグミュラーOp.100-No.1は、古い時代に訳された "素直な心" ってタイトルがついている。


正しい訳です。しかし、
国ごとに異なる言葉のニュアンスは難しい。

素直さは、日本では '他者に従う従順さ' や '異論に対して反発を強くしない腰の弱さ' とも繋げられることがある。本来の意味はそうじゃなくても常用するうち単語にニュアンスが被せられてゆくものだ。

そのニュアンスは、各国の考え方や美徳とされる事柄の種類に拠っても決定づけられる。


従うことが美徳の1つとなる国で、そのニュアンスを少なからず含む '素直' の単語を用いるのを避けたくなって "純真" を冠した。


ブルグミュラーが40年あまりを過ごした国で彼が用いたタイトル "La candeur" は、英語だとartless mind、純真無垢のニュアンスでの '素直' がフィットするのであって、流されがちな性質をも指す用い方での '素直' には当たらないからだ。

純真であるほどに、ともすれば純粋な抗争も起こすことがある。
'素直に物事に巻かれる' とは真反対の現象がある。


さて楽曲だが野良的な申し方かもしれないけれど ( 野良犬 ) 此の曲はもうあなた自身の純なものが溢れてれば好い、っていつも言う。


調った演奏にする必要はないと思ってる。純なものが既に綺麗なのだから。

綺麗なものを纏めようとすると '純な心' じゃなくなって
整えることに '縛られた心' になる。

  *小ジワとメロディー

'8分音符の長い連なりに巻かれる' のを素直で従順と指すなら、もはや "La candeur" のニュアンスじゃあなくなってしまうでしょうから。


大きなヒントが1つある。


もしできたら、幾度も例に出してるプーランク・ノヴェレットNo.1と弾き比べてほしい。

ブルグミュラーとプーの2曲のCdurが醸す無垢な雰囲気を並べ弾くと、小ざっぱりした子供っぽさとは異なる、何か共通した清白なスピリットが見えてくる感じがしないだろうか?

他者が介入しない独自の真白なものと言おうか。
ノヴェレットに童謡 "粉挽きが寝てる" が挿入されてるように、"純真" にも各自が自らの童謡めいたものやそれを追う心を見出せば其れだけでいいと考える。

演奏上ただ1つ注意する項目があるとするなら、意味もなくただツルツルに揃えた演奏をしないってことだけだ。


No.16
  *甘い棘

No.19
  *聖母

No.21
  *天使たち



野良犬

November 29, 2017

そもそもはシマエナガ先輩のCDだった。


ブルグミュラーをリリースされ、買わせていただいてブルグミュラーの事を少しやり取りしてた時だった。シマエナガ先輩も私も以前からブルグミュラーが好きだから。

やりとりの内に、私自身の演奏を指した一文を先輩に打つことになった。

曲について沢山語っても、自分の演奏について言葉で顕す機会なんて普通は皆無なもの。だから初めて考えてみて初めて思い浮かんだフレーズだった。

  "偏屈ジジイみたいな人間の
  野良犬みたいな演奏 (しかも躾不能の野良犬)"


一言で言えば自分は偏屈ジジイでょう。
一言で言えば演奏は野良犬みたいでしょう。


よくよく考えてみて間違いはないと、大変気に入った。

もしかしたら私に野良犬のイメージを持ってらっしゃるかたは、割合に少ないのかな。ブルゴーニュ君じゃあなくって飼い主自身を表す言葉として。

他にどんな悪いイメージをお持ちだろうと、野良犬って様子とは違う風に捉えられてるかもって何となく思う。

多分それは単に、音楽教育を受けた期間が比較的長いだとか、我流だったり無手だったりでピアノを弾いてるのじゃないとかって理屈だけだろう。

そんなものは野良犬じゃない証明にならない。


此んな表現をすると、ブルゴーニュ君はじめお利口で聡明で忍ぶ力のある野良ちゃんたちに大層申し訳ないと思う。彼らは概ね素晴らしい真っさらな資質に満ち溢れてるから。


だから今言ってる野良犬とは無論そっちじゃない、と誤解なきよう加えておきます。教育しづらい一面を持つ野犬のことです。


学生のうちは野良犬であることを是認されない場面が多いから
適度に様子をみながら従うケースがありました。

学内試験やコンクールがあったりすると
とりあえず躾が済んでるワンコのフリをしたもの。

それって音楽に懸命に向かい合ったのとは違ったのかも。躾けられたワンコぶることに懸命だった。懸命にならなければ、なんでお座りとかさせるわけ? って考えてるのが伝わってしまうから。


学生時代よく試験用と自分用 (野良仕様?) の両方をお稽古したものだった。


結果的に倍近い量のお稽古をすることになるから役立った面も大きいかもだけど、誰も自分のピアノを矯正(教育は施してもらった。その経験をあまり有意義に使おうとしていないが。ここではあくまで矯正のお話)できなかった、って我身にうんざりしてた。


でもね今年病気でコンサートができなくなって
ブルゴーニュ君と自分のためだけにピアノを弾く時間を過ごして
野良っぷりがすっかり進んでしまった。

自分自身を矯正することも辞め、試験用もなくコンサート用にも手を出さず、野良用だけを自宅で弾く 数ヶ月を過ごした。

限りなく自由な音楽。
生きてきて今1番ピアノを楽しいと思ってる。





November 08, 2017

珍しく朝早いお散歩に行った日でした。


朝は体調が不安定だし先月までは通院疲れをしてた。
でも嬉しいことに11月は午前を通院に取られる日が少なくて、ブルゴーニュ君とぶらっとできた朝だった。

枯葉が風に舞っていた。
写真を撮ろうとすると再び吹いた一陣が軽いプルオーバーの裾を翻した。


枯葉を踏む音が、1つの映像を思い出させた。


古びて今はさよならしたレトロなコートを着てた遠い日のこと。
古いお洋服にありがちなように布の重さを感じてた橋の上の情景だった。袖口にバンドを乗せた形が古めかしいコートだった。

  その日の視界には、高さがある建物群よりも
  空のほうが広く映ってた。
  どうしてかな? 上のほうを見てたのかな?

記憶にあるのは空のニュアンスばかりで目印になる建物を憶えてない。あの風景はパリのどこだったかと掠めた疑問もすぐに忘れてお散歩から帰った。


数日をおいて1人の古いボーイフレンドからメールを受け取った。
普段の通信は頻繁じゃあない。


数回のやり取りを終えると合間が空き、ある日思い出したようにまたポツリとメールが来るような関係だ。

サンルイ島でお茶を飲んだ午前のことが書かれてた。
あっ・・・と思った。まったくの偶然だけどブルゴーニュ君を連れた朝に思い出してた空はその日の空だった。

背の高いその人と橋の上で話してたから、視界が上の方に偏ってたのだ。


彼が言うカフェのことは何も憶えてないとお返事した。


ただ空が明るい灰色で空気が澄んでおり、その灰色が欄干をくっきりと浮き上がらせてた橋の上はよく憶えてると書いた。

橋を渡るたびに、望む望まぬに関わらず景色が大きく変わるのが、若かった自分に小さな恐れを抱かせ、それは "橋が、橋の思うがままに景色を決めてしまう決断の前に自分は無力だ" という恐れだったと話しかけた。

若かったが故の恐れで、今の私はすっかり歳をとって病気を持ち、たくさんの '橋を渡った' 者に変わったと結んだ。


ボーイフレンドは歳月を指し、万人の上に注がれる '法' って言い方をした。


あの日私が捉われていた橋のイメージに対しては、あらゆる物を揺り動かす '水の上' にかかるものと表現し、朝の空の下にあったのはパリの心臓部位にあるサンルイ橋だったと思い出させてくれた。

それから我々が '景色' と勝手に名指しているものについて少し話してやり取りを終えた。



可愛い音符

November 07, 2017

可愛い・・・
弾く手を止めて楽譜を見た。


Macで赤くマルをつけたところ。

寂しげな曲調に反して、どうして可愛いって思ったのかな? って
お隣に目を遣れば


音符と同じ形で眠る子。


そっか、この子が作る形に似てたから
音符が可愛く見えたのね。


生活のあらゆるそよぎが曲に溶ける。
今後、内声の此の音を撫でるように弾くだろう。



闇と意味

November 06, 2017

[神戸に戻ってしばらくしたある日、急にフォーレに出会ったの。


彼との出会いは初めてじゃあなかったけれど、気持ちが出会ったのは其の時が初めてだった。]

パリに暮らした頃にはあまり弾いてなかったフォーレの訳詩のきっかけについてお友達に問われたから答えた。書いたメールを訳すと此んな風になる。


[彼のことは無論前から知ってた。彼の顔と曲の幾つかを知ってる程度って意味で。


何曲かを試験やコンサートで弾いた。ただそれだけ。
一緒にお茶を飲んだこともなければ一緒に外出もしなかった。
"この男はタイプってわけじゃないワ" って内心思ってたのよ。

ところがある日歩いてるとフォーレが通っていったの。
"ああ神様" と衝撃だった。"なんていい男なの?" って呟いた。

女にはよくあるでしょう? 趣味が変わったのか見方が変わったのかどちらとも言えないけれど、何も感じなかった相手と突然恋に落ちるのは珍しいことではないわ。


彼の美しさを見過ごしてた後悔と共に、私たちはすぐに長い時間を共に過ごすようになった。


フォーレと私の間には常にジャンケレヴィチが居たのだけど、彼1人じゃあなかった。詩人たちもやはり私たちの間に居たのよ。フォーレが選んだ詩人たちが。

彼らに助けられて訳してみることにした。だけど訳詩者としてじゃない。何故って彼は音楽で既に訳をしてるのだから。

歌曲作曲後から振り返って曲に乗った詩の訳と・原詩の訳詩を同じ感覚で扱うことが彼の歌曲にとって100%満たされるものになると思えなかった私は、フォーレの音楽視点で訳を始めた。

それだけよ。まだ何もわからない。正しい形が見える日がくれば良いと願ってる。]


友人にお返事を書きながら・・・


一体全体何の誤りか日本語だとすべらかなお話にも思考にもならない自分の気持ちに相変わらず疑問を抱いた。日々抱く疑問だ。

疑問?
違う。闇だ。

同じことを問われても相手によっては 'それ聞いて何か意味あんのかよ?' と思いながら "いいえ特には" とこちらも全く意味のないぼんやりしたお返事を捻り出す苦痛から逃れて、友人の前ではおしゃべりになる。

今はお人との関わりに余力を使えず失礼することが多いし、メッセージツールの処理は家族任せにして久しいけれど、何も考えずただおしゃべりを交わしたくなる数少ない友人の存在に心から感謝してる。



2017年5月3日

May 03, 2017

だんだん壁があるトコロ。


設計者も嬉しがって作ったけど、1等喜んだのは蜘蛛殿だったの。

巣を張るのに最適なだんだんを素晴らしいって褒めちぎってくれて、鼻歌歌いながら毎日建設作業をしてる。建材は人の何倍もある手で一気に運んでく。

私は箒に建材を巻き取って他所へ移す。攻防戦が日課です。

蜘蛛殿は諦めない。私も諦めない。示談を持ちかけたけど不成立になった。


示談内容は此処へ転居してもらうこと。


雨樋やインターホンパイプを隠してる場所。ほら此処だって悪くない環境でしょう? って説得したけどだんだんを寄越せと言ってきた。

私は、損害賠償請求権は時効を迎えたと説明した。大昔から攻防戦をやっているから。

ところが蜘蛛殿は、新たな建造物破壊には新たな損害賠償請求権が発生するとねじ込んできた。

蜘蛛殿は今朝もだんだん壁にへばりついて作業中。


今日は5月3日。
第21回 'パリの風' を予定してた日。


20年以上この日にリサイタルをしてきました。神戸市主催だった初期に 'パリの風' って名を頂いてからは17年になります。

現在午前11時前。
リハーサルも半ばを過ぎて切羽詰まってる時刻。

さすがに今日の日くらいは涙が出たりするのかなって怖い気持ちがあったけど違ってた。


  風はちゃんと此の田舎家にも吹いていて
  楽曲で紡ぐ物語は家壁にも息づいていて


ピカピカのお天気の空を見ると


お客様に気持ち良くお出かけ頂けるお天気で良かったナンテ
頭を掠めてしまうけど

  今日の私は与えられた風から音楽を受け取る日。
  お客様になる日。

だからちっとも涙は出ない。
もし復帰できたらその時に沢山泣くんだろうな。嬉しくて。



ピアノを弾いた日(2)

April 16, 2017

どれくらい指に力が入るのかな? って
そっと音階を鳴らしてみて確かめて


ちゃんと動く指・加減が難しい指がわかったら
負担をかけないようにちょっとだけ弾いて楽しんでみる?

  其んな感じで始めるつもりでピアノの前に座った。
  想像と違う結果でも落胆しないでいようと思ってた。

  *ピアノを弾いた日(1)

でも・・・鍵盤まで腕を伸ばせるくらいに回復してるって知って安堵すると自分を止められなくなった。

音階を弾いてみることもしないで、いきなりコンチェルトを弾き始めてしまったのだ。


切断された筋肉が演奏に全然支障がないとは想像してなかった。


手指の筋力の衰えも全く感じなかった。
動きにくい箇所は皆無だった。

次から次に湧き上がる音の豊かさに激しく嗚咽しながら全楽章弾いてしまった。

無意識にカバーしているところがあるかもしれないけど、本人がわからないくらいに他の筋肉でかばってたとしてもコンチェルトが丸々弾けるなら問題なさそう。


  病院では毎日何時間も音楽を聴いてた。
  ピアノの音に飢えて聴き続けてた。
  音楽を耳で聴いてた。

  ところがこの時久しぶりに音楽を目で見たんだった。


2mほど奥にあるピアノのお尻尾からも、もっと手前のピアノの体からも音が跳ね上がる。五月雨式に途絶えることなく音が動く。

身体の前面に音が次々に立ち昇ってゆくのを目で見る感覚。
その情景の美しさに興奮した。久しぶりに音を見た感動に涙が止まらなかった。


病室でずっと耳を傾けてたその曲は、弾いたことも譜読みをしたこともない新しい1曲だった。


  *プーランクで麻酔

プーランクのコンチェルト。2台ピアノのためのコンチェルトじゃなくて、演奏される機会が何故か少ない1949年のcismollのほう。


ピアノの前で音を読む日常の形と違って、頭の中だけで曲を組み立てる毎日の辛さは、素晴らしく貴重な体験だった。

ピアノに飢えて飢えて飢餓状態になった。
水断ちした植物が一層育とうとして着果が良くなるように
読んだ譜は身体の中で鳴り響きながら全身を巡った。

いつでも楽器に触れられた時には無かった密度で音に向き合った。其して、心いっぱいに蓄えた音をピアノを介して放散できる日を待ち望んでた。


再入院するまでたくさんピアノを弾いた。


3日間ほどは音を出してる間中、ピアノが弾ける感動で泣き続けてた。

本当に楽しかった。
ドビュッシー、グラナドス、ラヴェル、サン=サーンス、グノー、プーランク、デュカ、シャブリエe.t.c.時々身体を休めながら思いつくまま弾いた。

今から始まる治療は副作用が大きく、先のことはわからない。

もし思うように弾けなくなったとしても、代わりにこの短い期間に一層の音楽の美しさに触れたことは大きな財産になった。



ピアノを弾いた日(1)

April 15, 2017

あるとき主治医の先生にピアノを弾いてることを渋々言った。
オペに関連して止むを得なかったのだ。


入院仲間には勿論言わない。入院生活には必要ないから有難い。

数が少ないほうにあたる職種に興味を示されるだけの会話は不毛で、日頃から可能な限り避けたいやり取りなのだ。
入院してまで同じ会話にうんざりしたくはない。

患者同士として個人の気持ちの形だけに目を向けてもらえる暮らしをとっても気に入ってるのだからわざわざ言う筈がない。

  *フラット


お医者様にだけは術前の話合いで予め伝えるしかなかった理由はカテーテルに絡んでだった。


無理に挿入したら指先に繋がる神経を傷つけるかもしれない事情で結果的に断念するしかなかった硬膜外麻酔だけれど、入れたとしても普通の生活に支障が出るほどじゃあなかった。

あくまでコンサート演奏の精度での運指を守るという特殊な場合だった。

  *プーランクで麻酔

演奏が賭かってなければ術後のあれほどの痛みを我慢しなかっただろう。


ただ、もう一度試すか辞めるかの決定は麻酔科医の先生がなさると思ってたから可笑しかった。


まさか手術台に乗っかった患者本人に決断を求められるとは思わなかったので、そこの部分は思い返すと今でも笑いが漏れそうになるが、ともあれ先生方のお陰で中の神経は傷つかずに済んだ。

だけど一部の筋肉は切断するしかなかった。

術後は水洗ボタンも押せなかったし、
備え付けのお茶やお湯のボタンまで手を伸ばすことさえできなかった。

腕を持ち上げる力がなかった。腕の筋肉は無事なのに、別の部位でも切断されると思うような動作ができなくなった。

スマホを操作できたのもタッチパネルだからこそでガラケーの押しボタンなら何もできないくらい力が入らなかった。


不思議なことに、それでも特に失望はなかった。


ピアノを弾いてることを知らない入院仲間達が気軽にお湯のボタンを押してくれた。

"手が動かなかったらいつでも呼んでね" なんて言葉を聞くことなる状況にも抵抗がなかった。

音楽を愛することは鍵盤に向かうことだけじゃなく、ピアノを弾いてた者としてできることはたくさん残されてると思った。

**


一時退院の日、ピアノの前に座った。

どうかな? そもそも私の腕は鍵盤まで伸ばせるのかな? と
痛みが出ないよう気をつけながら、鍵盤に乗せてみた。

このあと、とても楽しいことが起こった。
続きはまた。



こんなお出かけ

February 25, 2017

まだ2月なのに暖かい日が続いた数日でした。


道行く人は軽装が多かった。
私は身体を冷やさないよう、うんと厚着です。

訪問先には小ぶりな癒し空間がありました。


手術前にしておかなきゃならない最後の検査で訪れた
神戸百年記念病院です。


嬉し〜。大きな石がお池の橋になってる♪


カーブした石は雨だと滑りそうにも見えるけれど濡れてないから大丈夫。足元に気をつけるよう注意書きもある。もちろん自己責任で乗りましょう。

落っこちたらお魚をびっくりさせちゃうから大変です。
病院にちょこっと生き物が居る一角があると本当に和むナ。
大切にしたい空間ですね。


木が写り込んで綺麗・・・
ああドビュッシーの水ね!


ジャンケレヴィッチが書いています。

《ドビュッシーは、むしろ重い水、澱んだ水、動かない水、バルトークのユディットが '青ひげ公の城' の第六番目の扉を開けて見つけだす水(訳註:涙の湖のこと)の音楽家といえよう。

ドビュッシーは、どこかへ行く水の流れ、小舟を運ぶ川、流れ進んで他の場所へ通じるものには関心がなく、水盤の同じ場所へふたたび落ちてくる噴水を眺めながらうっとりと夢心地になるのだろう。


湖畔詩人と同じように、彼も池に映る黒い柏の木の影について瞑想する。


清らかな水の流れる小川に沿って、'水のほとり'(訳註:フォーレ歌曲)を散歩するときの詩情は、ドビュッシーのものではない。彼は動かない水を前にして夢想するときの詩情を好む。

二点を結ぶ連絡道ではなく、湖の囲いがドビュッシーの得意とするところだ。》

             (船山隆様・松橋麻利様訳)


お池はドビュッシーでしたが
病院のガラス窓の反射はラヴェル的でした。


今は病院へしかお出かけできないけど
フランス作曲家世界は彼方此方に見つけられる。
パリの風はこんな所にも吹いてきてくれる。

今日もどこかに楽曲世界を見つけましょ。



パリの風リサイタル延期のお知らせ

February 11, 2017

2017年5月に予定していましたパリの風リサイタルを
延期しなければならなくなりました。


若い頃・・・フランス音楽って言葉がまだまだ定着しなかった頃に、フランスの良さを知ってくださるかたが増えると良いなあって始めたシリーズでした。

昨年同シリーズ20回を終えて、今年は第21回を予定していました。


治療のため、この5月は延期せざるを得ません。


辛くていっぱい泣いてしまったしとっても残念な気持ちですが、元気になってきっと 'パリの風' を復活させます。だから少し待っててくださいね。


注文引き取り後のリーフレットは保管中だった。
未発送だったから各会館に回収のご迷惑をかけずに済んだ。

昨年春から予約の会場も、キャンセル料と予約差引きの清算を速やかに済ませて頂けた。

損害は最小限。

書類を通してくださった後援元様には、体調の良い時をみながら1つずつご連絡して延期継続のお願いをしてゆきます。


奏者お2人には迷惑をかけてしまって本当に申し訳ないことをしました。


合わせまでしてくれたのに、って謝罪する私に2人は優しい言葉をくれました。


"難曲に1年の猶予を頂けて、じっくり勉強してから歌えると思うとときめきますし、治療を頑張ってる間に私も負けずにしっかり勉強しておきます" ってゴシキノジコちゃん。

"じっくり曲達と向き合える時間が増えたと思ってますし、沢山教わらないといけないことがあるのでいっぱい練習して磨いておきます" ってロップイヤーうさぎちゃん。


まるで申し合わせたかのような素敵に似た反応・・・

  彼女たち言葉は彼女たちの音楽です。
  2人の音はこうして素敵なアンサンブルになっていました。
      
きっと治って、ピアノソロと共にこのアンサンブルを聞いていただけるようにしたいです。



アンサンブルをありがとう

January 19, 2017

ペンダントライトにちょんと留まる青い蝶々。
合わせで出すホットチョコレートを練りながら写しました。


リーフレットが届いたのに、まだお箱を開かないままだった。

  5月3日はコンサートができるのか
    治療中でできないのか
      そもそもそんなこと以前に

  今年の5月に私はこの世に居られるかな?


数千枚のリーフレットを撒いてしまったら回収が大変だから
受け取ってお支払いだけ済ませたまま、置いてました。

お箱を見るのはちょっと寂しくて
だけれど発送のしようがない。


合わせも無駄になってしまうかもしれなくて・・・


それでも一縷の望みを込めて予定通りお願いすることに決めた。

もしも合わせの労だけで終わったとしても、みんなきっと怒ったりしないよね。

  *幸せなアンサンブル

無駄になるなら尚、楽しみにしてた曲を一緒に音出しする時間を大切にしたくなった。


コンサートで弾くためだけが合わせじゃないもの。
集まって音を出してそれぞれの音楽が混ざり合う時間はとっても素敵だから、その幸せな時間をくださいって気持ちだった。


昨日の4人の音楽は綺麗だった。


お初の顔ぶれでお初の音合わせだったのに、それぞれの想いが同じほうを向いてたせいかな・・・何回もアンサンブルを重ねたメンバーみたいな空気だった。

  管と声それぞれの音色が互いの色に染まって、
  響が寄り添っていくのを不思議な思いで聴いてた。

  心の底から癒される時間でした。
  本当にありがとう。

どうか2度目があるように・・・
そのためならどんな事でも頑張れます。



生きたい理由

January 18, 2017

音楽を理解してピアノを弾けるようになるのに何年くらいかかるでしょうか。天才は別にして、私たちごく一般的な人間がです。


200年かな? 300年かもですね。幾世紀の歴史をもつ音楽って、人1人が一生のうちに簡単に掴み取れるほど小さくチャチなものじゃあない。

ピアノを弾くのだって100年やそこらでは無理なのでしょう。
私は未だに弾けないけれど、それでも音楽の真似事をできるのはお師匠様たちが音楽に費やされた時間をくださったからです。

  音楽を教わるって、
  師が音楽に捧げた時間を頂くことだと思うんです。

  音楽に限らず他のどんな教育にも内包されてる尊い形。


1人の恩師が、ご自分の手で得た60年分70年分の音楽を授けてくださる。たくさんの指導者に恵まれたら、何人もが音楽を愛した年数の分を頂くことになる。

お師匠様にもまた先生がいらっしゃる。お会いしたことがないその方々の時間も、お師匠様を通して頂戴したんだって思ってる。


其れなのに
受け取るだけ受け取っても、まだ私なんにも還元してない。


半端にもほどがある。

恩師とそのお背中の向こうに無数の人が存在したから受け取ることができた音楽を、何も伝えられてないまま霧散させて終わりなんて厭だな。

**


  生きたい理由は誰だって幾つも幾つもあるもので、
  これなんか別に病気と何ら関係ない事の1つです。

  元気な時に常々思い続けた事・・・
  何十年も思い続けたからこそ今また強く願うんだと思う。

  恩師がくださったものを誰かに還し反映させる役割を
  少しくらいは果たしてから死にたいって長く考えてきた。
  
自分はまだ音楽のために使える、って思いたい。
才能はなくっても音楽に七転八倒する余地はあるじゃあないかって思いたいな。

音楽に悩んだり苦しんだりする、この上なく幸せな時間がもっとほしい。



ロップイヤーうさぎちゃんと入口

December 01, 2016

高校生時分、母が学生時代に読んだ本を譲ってもらった。
10代当時はフランス哲学一辺倒じゃあなかったから面白く読んだんだったナ。


後年開くことのなくなった本をもうせん断捨離した写真の記録。

**


昨年、ロップイヤーうさぎちゃんとお初にご飯に行った日のお話です。

パリの風のコンサートでフルートが要り用の曲を受け持って頂く打合せに一緒にお出掛けした。


それまでちゃんとおしゃべりしたこともなかったから
ナンパした女の子に取りあえず会話のきっかけを探る男子の如く下らない質問をした。


  好きなフルート奏者さんって居る?

聞いちゃってから激しく後悔。
ナンパした娘さんに何を話そうってワタワタした第一声を、我ながらくっだらね〜! って反省する男子よろしく、聞いた自分が恥ずかしかった。

何故って私自身はこの手の質問の大のアンチだからです。
質問者がプロの場合はって限定つきです。

アンチなのに、此んな問が横行してることにキーッてなってるうちに何故か自分で言っちゃった。やだやだ。

他愛無いおしゃべりをしようとしたら目の前の可愛い子にアガって、気がつけば耳馴染みのある頓馬な質問。


だけどロップイヤーうさぎちゃんは大変聡明なお返事を返してきた。


  好きなフルーティストが居るって感じじゃないんです。
  この曲だったらこの演奏がいいっていうのはあります。

お見事。
その通りですね。

ナンパ男子が "好きな食べ物なに? " ってつまんない質問をしちゃったところ、"好きな料理があるわけじゃなくて、この食材ならこの料理という形があるんです。" って返ってきたわけです。素敵です。

彼女の意見にとっても共感した。

対象楽曲がどんな姿になるべきか、各曲にオピニオンを持つ人を表わす回答が嬉しかった。


(繰り返しになりますが、楽曲を識り演奏を導き出さなければならないプロ奏者の姿勢に絞ってのことで、聞いて楽しむ場合においては無論この限りではありません。)

演奏として善と思われる [場合が多い] 奏者
  共感 [する部分が発見できる] 奏者
    仮に好みじゃなくても学び取る内容多数の奏者

  等はたくさんたくさん居らっしゃるし
  特定奏者に興味があって知りたいって視点も勿論存在する。


だけれど1人をバイブル化する感覚が解せないとよく思う。
人間1人は何世紀もの多種の音楽のバイブルになりえない。


幸い器楽世界では其うした傾向は殆どないから良いけれど、たまに特定分野のバイブル感覚に遭遇すると違和感が拭えない。


せんにはフランスの名歌手について '彼はどうなんですか?' なんて、プロにおぼつかない質問をされたなって思い出した。

どうって・・・
'某曲は某点で素晴らしいと思います・また某曲は某点で共感します・某曲は自分の考えとは異なりますが某点に関して勉強になり某点の発見があります・某曲ははっきり知らないので答えられません'
と、およそ4つほどの項目以外の答ってあるんだろうかと不審に思った。

訝しんでると、'彼をお手本とすべきかどうか' を問いたいと知って脱力した。

もしもアマチュアのかたが同じ事を尋ねられたら、自分にできうる限り楽しいお話に繋げて分かち合える事を喜んで探しただろう。
けれどもこの空漠たる発言が、何としたことか年上のプロの言だったので厭気がさして投げ出した。この頃多いな・・・

  *お水まわりの出口

プロフェッショナルの不分明は出口がない状態も呼込むけれど
上の場合は音楽への入口がないと感じたのだ。



どうもありがとうございました

May 04, 2016

昨日はパリの風第20回へご来場くださいまして
どうもありがとうございました。


お客様のなごやかな雰囲気に支えられて、緊張しつつも無事に終えることができました。温かく見守ってくださる客席に気持ちを助けられて弾き切ることができました。

開演前、会場の真ん前の三宮交差点で車が暴走する大事故がありました。消防車や救急車が何台も出て、現場が物々しい警備の元に封鎖されていました。

大きな辻の一角には行楽途中のご家族も、お休みなく日常職務をこなすお父さんも、私たちのようにリハーサルをしてる者も、模試会場へ行く学生さんも、笑ってるカップルも、ぐずってる赤ちゃんも居たでしょう。

その中で痛ましい出来事と幸せな出来事は常に隣り合わせに起きていて・・・だから我々はもう、次に何が起きるかわからない一瞬一瞬をただ懸命に生きるしかないのだと改めて感じました。

今日も、与えられた今日を生きよう。
昨日のお客様へ心からの感謝を込めながら。

どうもありがとうございました。
記録は追々upしてゆきますネ!



本日パリの風 第20回です

May 03, 2016

大輪のクレマチス、シルバームーンは蕾もボリュームたっぷりです。


今にも開きそうな様子は果実のようにも見えて、何だか美味しそう。もしも食べられるならどんなお味かしら? なんて想像するのが好きです。

いちじくのクリーム色の部分みたいな食感で、アケビのような素朴な甘さで、真ん中部分にアセロラみたいな酸味がある・・・とか。

此んな馬鹿馬鹿しい妄想は昔、ただ独り楽しむものだったのに


いつしか生徒ちゃんと一緒に物語音楽を作るレッスンに顕われ
とうとうコンサートにも顕れてしまった。

今日のプログラムは窓辺の2人の物語。
楽曲群にショートストーリーを見出す楽しみも感じていただけましたら幸いです。

本日午後2時より
ピアジュリアン・ホール8Fで
お待ち申し上げております。




Topページヘ
Blogページヘ