L'air de Paris ⅩⅠ



疑惧

May 20, 2018

ブルグミュラーOp.100 No.18 '心配' と題された曲。


ぽつりぽつり書いてる大人のためのブルグミュラーのお話ですが、今日のはどうぶつの日に行なった綱引きの、私サイド(土手の左側ネ)の具体例でもあります。

  *どうぶつの土手の綱引き

[心配は、エゴイズムの塊です]
そんな言葉で当曲の説明を始めました。


心配するとは一見優し気に勘違いをしそうだが
失われる物・人・状況を案じる心にメスを入れれば


其れらを失った我が身がどうなってしまうでしょう? と怖れ憂う気持ちだと。

エゴイズムの自覚なく '心配' と純な優しさのように纏めること、
それに伴い心を配ると表す漢字に因って尚更我欲に目を瞑るのは
私は腑に落ちませんよ、もぎもぎちゃん? との思いで、罪もないビックリ顔のもぎもぎちゃんをラシーヌ風に追い詰めました。


純な優しさならアジタート表記は要らないでしょう。


相手のために気を配り心痛めるよりも、失った時の我が身可愛さに思い乱れるのが此の曲のアジタートだと。

  あの日はそう考えていました。
  だけれど今日振り返って少しだけ違った考えも湧いてます。

エゴイズムに無自覚なまま、他者を気遣い他者のために思い煩っているのだと、私心を見ぬふりをするほうが一層グロテスクで、
そのグロテスクな歪みが人間の真髄に近い気もする。


No.1
  *純真

No.5
  *イノセンス

No.8
  *典雅な女

No.16
  *甘い棘

No.19
  *聖母

No.20
  *似てるモノ・違うモノ
  *タランテル

No.21
  *天使たち



典雅な女

May 14, 2018

タフタが広がる裾。膨らんだお袖。


縫い上げられてそっと掛けられた布はストンと下にさがる。
地球に引力があって布に重さがある限り。

どんなに丁寧に縫われたドレスも、お行儀よく襞が寄せてあるだけじゃあ '優美' には繋がらない。

其処に動きが見え
優しい膨らみと、儚い窪みとが合わさり

衣装を纏った女性の動きのすぐあとを布が追うような
なよやかなモーションが付いてきて


光沢に惹きつけられる反面で
シェード部はよりマットに、より光を吸い込む影となり


艶めくのは女人の肌か、心か、装いか、髪束かを見分けられないまで一体化したエレガンスを優美というのじゃあないだろうか。

と、仮定したらば
ドレープがあることじゃなくて、ドレープとして機能する一連の
(単発ではいけない。妙なる連続性があくまでも必要だ)
雅やかなモーションまたはその痕跡が絶対に必要だ。


ブルグミュラーOp.100 No.8優美のおはなしです。


上記のドレープが均等に目に入るのと不均等なのと
どちらが風雅を醸すのか。紛うことなく後者でしょう。

そのドレープが譜面上にある。
8分音符と32分音符の重なりは、しなやかな布に見える。

別の申し方をすると当曲の8分音符を均等な間隔で均等な長さで弾いてしまうのは、厚手で重たい制服に太い幅で入ったボックスプリーツのようだ。手堅く堅実な印象ではあっても、タイトルのそれとは離れるでしょう。


8分音符は、不均等故に優美と感じさせるタフタのドレープのように異なる幅をそなえてる。


イメージはソフィー・アンダーソンの絵画に描かれた布みたいな。風を孕み、肌にふわりと添う。

8分音符を延ばしたぶん32分音符を速めて柔らかな髪先のように巻き込んでみる。

  ドレス・肌・髪、と女性に拘るのは
  原題がLa gracieuseだから。

定冠詞がなくてもタイトルとしては成立するけれど、作曲者が当曲集で定冠詞をつけて描いている他曲と照らし合わせると、'優美さ' の形容じゃなく '優美な人' を指すと考えて良いでしょう。


その部分では毎度の如くに初期から訳され続けてる邦題には異なる意見を持っていますが、仮に優美を冠する場合でもgracieuseの語源を考えれば、単なる柔らかさとムーディーに流された思考で曲を捉えるほど本質から外れてゆく怖さがある。


それを防ぐ意向で "典雅な女" とタイトルしてみます。

'優美' に私たちが抱きがちなステレオタイプの感想から離れ、
何をもってして典雅と呼べるだろう? と自問できるタイトルへ。


No.1
  *純真

No.5
  *イノセンス

No.16
  *甘い棘

No.19
  *聖母

No.20
  *似てるモノ・違うモノ
  *タランテル

No.21
  *天使たち



エフの言わずもがな

May 04, 2018

ここ数日は寒さが戻ってきてる神戸です。
3枚着込んでまだ寒い午前でした。


夫のお土産の本が増えたから同じ数だけ古いものを処分しようと5冊を手に取りました。

内一冊に昭和38年の書込みを発見。
母が卒業した大学の学長様が書いてくださったものでした。


母は先生方がご高齢で亡くなられるまで親しくさせて頂いて、本も女性学長様からの贈り物だったのです。


母が若い学生の頃からお世話になったずっと目上のお方。だからよく知りもしない娘が、お亡くなりになったのに申すのはいけないと思うけれど正直私自身はこの手のメッセージが苦手。


'常に深い信仰と 高い専門の知識を追求め
愛と奉仕に生きて下さい'


あ~~・・・
何も間違っていないし、正しく当然の事が書かれてるのに
野良犬的な私なんかから見ると、檻に入れられる感ハンパない。

訓示めいた空気にげんなりする。
エフに接した時のムズ痒い感じと似たものを感じる。

だから非礼と自覚しつつ敢えて挙げてみました。エフを識るピースとして必要だから。

本だけで、内容にも頂いたことにも心動かされるでしょうに
言わずもがなの1文がわざわざ加えられたことで、本の感動まで押し付けがましさに変化して食傷する感じ。

エフの音楽を部分的にしか受け入れられないポイントは【言わずもがなをわざわざ言う野暮】なのでしょうね。
プーの粋とどこまでも対極です。


  ■これまでのお話
  *エフ
  *エフに狭まる心
  *エフと、プーの消化と、フォーレの濾過
  *エフ。収容期間終了
  *エフ。女の言葉と男の語り
  *エフとお国訛り抗争
  *エフ。必須の紋所・無言の執拗
  *エフとドビュッシーの白
  *エフとお食事会
  *エフと歯磨き
    *シャポンのアガーツ
  *エフとの関係



エフとの関係

April 17, 2018

声出して笑っちゃった。


お首の後ろへ回してあると悪くないコサージュが、重みで前にズレてくるとなんてアンバランスな。

漆黒の大きなお花をつけるには、ブルゴーニュ君の幼い心は清すぎる。それなのにお洒落さんしたよって満足気に悦に入ってるのが可笑しくて。

この姿くらい変てこにに感じる事が他に2つある。

1つは抽選のガラガラの形。
あれを目にするたび思うの・・・

もっと少ない力で回せる形がありそうなのに何故これなんでしょう? とか、ハンドルの位置や曲がり具合は本当にベストなの? とか、どっち方向へ回すって矢印シールをお店が貼ったりしなくてよい方法はないのかしらんとかって不思議な気持ちになる。

2つ目のミステリーは自分の気持ち。





あれほどまでに鬱陶しいと疎んじてきたエフ。

1番苦手で、1番下手くそで、1番弾きたくなくて
どうしても嗜好に合わず、接点が見つけられず
エフが居るだけで暗然とした気分になり、
付き合い方が全くわからないにも関わらず
何十年ついてまわられた現実に釈然としない。

それでもコンサートで随分な数のエフ曲を弾き終えた人生後半は
もう2度とオフィシャルにはエフと関わるまいと決めたのに
おうちでだけは何故ちょっと弾いてみたりするんだろうって。

答は抽選のガラガラ以上にまだ見えない。


  ■これまでのお話
  *エフ
  *エフに狭まる心
  *エフと、プーの消化と、フォーレの濾過
  *エフ。収容期間終了
  *エフ。女の言葉と男の語り
  *エフとお国訛り抗争
  *エフ。必須の紋所・無言の執拗
  *エフとドビュッシーの白
  *エフとお食事会
  *エフと歯磨き
    *シャポンのアガーツ




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