曲のお話 T



鏡の中のお魚

November 09, 2008

ラヴェル作曲「鏡」。"のだめ"ちゃんも弾いていましたネ!


品集スタイルなので全曲演奏でなくても良い形になっているけれど、5つを組み合わせた時に浮かび上がる絵が大好き。だから全5曲で演奏しています。


第1曲 「夕蛾」
第2曲 「悲しき鳥たち」
第3曲 「洋上の小舟」
第4曲 「道化師の朝の歌」
第5曲 「鐘の谷」


キャンバスが並んでいるような曲とタイトルに惹かれます。

右の写真はAlborada del gracioso、4曲目道化師の楽譜です。
青い枠印は、SCHOTT版だけにある小さなミスプリント。MAX ESCHIG版には無いの。

このプリント、お魚の形に見える・・・。
前の曲「洋上の小舟」に現れたオーシャンの波から うっかりお隣の曲まで飛び込んできてしまったお魚・・・

楽譜のキャンバスの小さなドラマ。



ヴァントゥイユの音楽

November 05, 2008

大好きなグラヴュールの額の側で、大変に面白い本を読みました。
ぐっと力が涌くような楽しい書籍でした。


仏文学者の藤原裕様のご著書で "プルーストと音楽"ってタイトルにつられて求めたの。

ヴァントゥイユ周辺を追った内容です・・・♪
ヴァントゥイユは、"失われた時を求めて"の中でプルーストが創造した 架空の作曲家なのですよ。

プルーストはお話の中で室内楽曲などを作り出していて、克明に描写しています。
藤原裕様はそれを引いて、
《プルーストが創造したヴァントゥイユという作曲家はいかなる音楽史上の流派に属しているのか。先に言及したようにそのモデルは誰かという議論は虚しいとしても、プルーストの芸術観を知る上にこの疑問は解かれねばならない。》
と仰って、原作引用を多く用いられて突き詰めてゆかれます。

過程ではフランクやサンサーンスが引き合いに出され、冒頭では 原作中にワーグナーやドビュッシーが何度引用されたかと回数までを挙げられ・・・

また、劇中でのプルーストの虚構性を突くサルトルの意見にご反対で 裏付けとして作者プルーストのフォーレらへの思い入れを説かれて。
その御所作たるや 深い共感とともに マニアぶりが実に楽しくなってしまうのです。

中題「マラルメにおけるラヴェル的世界」を一部引用致しますのは、音楽家でない氏の単語や文が 実に音楽的だってことに感銘を受けたからです。

ラヴェル作曲のステファヌ・マラルメ「ため息」の項目。

《ラヴェルのピアノ伴奏は、アポリネールの「カリグラム」さながら、間断なく光の虹を天に描く水しぶきの形に似て、華麗なアルペッジョが最初の≪蒼空にむかって≫の余韻がたなびくまで殆ど同じ形で続けられる。
ラヴェルは他の曲でも、「水の戯れ」以来歴史的な彼の特徴となったアルペッジョの綾錦を以て綴り、それは川波を凝視するひとが、なかなかその単調さの魅力から脱脂得ず、終には放心状態になるかのように、執拗にリピートされる。
けれども≪立ちのぼる、それはさながら憂鬱のみちた庭で/ま白の水が弛みなく溜息を蒼空に注ぐこと≫とクレッセンドになると微妙なさざ波の変化がみられ、時としてせり昇った白波は太陽と交わる。》

音楽そのものを文字で描いたふうな文章は、メロディーをまだお聞きになっていない方にも情景を伝えるものになっていて・・・。

なんて素敵なお方なの。すっかりフアンになってしまったわ。
残念なことに4年前に鬼籍に入られてしまったそうですが他のご著書をみなまでも読んでみたくなりました。

「ラヴェルの倫理」「スタンダール覚え書」「レンブラントの肖像」等のお作があるようです。



ディオリッシモの音

November 02, 2008

ドレッサーの花挿しから零れ落ちたアザレアは 咲いたばかりで露を乗せてた。


ディオリッシモの香水は、ラヴェルを弾くときに。


スズラン、ベルガモット、ライラック、ジャスミン、ローズ、サンダルウッドe.t.c.
純白の花びらが奥に持っている 淡いグリーンの色味を感じるような、
ディオリッシモの漂う空間は 温度が一度だけ下がるような。

花々のブーケ。なのに甘さ抑えた華やかさ。ラヴェルの音質をイメージさせてくれます。

ラヴェル「ソナチネ」を弾いていて、
トップノートのリーフィーグリーン、ミドルノートのスズラン、ラストノートのシベットが それぞれに楽章のようだわって楽しくなった。

お手持ちのお方様、ディオリッシモを纏ってラヴェルをお聞きになってみて下さいな。
香りの滴が音の粒に重なってゆく・・・



楽典教材と暗譜

October 28, 2008

リンダラハのお庭では今またアルストロメリアが満開です。
トレイの本はなぁに? ってお目敏いお友達のご質問。


これはね、楽典教材ですよ。パリの生徒ちゃんに使っていた物です。
rue de Romeの譜面屋さんで教材を探していたところ 古楽譜コーナーで一際美しい装丁を見つけて 迷わず連れて帰りました。

解説内容は国を問わずおよそ似たもので 偏に教師側の使い方次第。ならば"音符や音楽の本って綺麗でしょう?" って伝えられるものを使うのも一興だわ・・・って。

昨日チャイコフスキー先生を前にした試弾は充実した時間になりましたよ。
ベルクの暗譜はそこそこにクリア。

暗譜に苦労した曲は何? ってよく問われます。
やはり組曲の系統かしら・・・。
ハーモニーは類似しているのに組曲ごとに表情が異なる中で ごく細かな音の重なりが入るものが暗譜し難かったでしょうか。

私の場合はシマノフスキー"メトープ"全3曲の連なりと ラヴェル"夜のガスパール"・・・特にスカルボだったかな。

ファリャの"アンダルシア幻想"も時間がかかった暗譜だったわ。迷い込ませるような独特の和音世界に浸ると 暗譜まで迷い込みそうで(笑)けれど本当に好きな曲です。

デュティユはソナタより短編"ル・ジュ・デ・コントレー"の配置やパッセージが 暗譜の頭の体操を余儀なくさせてくれたのだった・・・
完全な現代調で乾いた和音でありながら 全体に漂うウエットな魅力の曲。


今日はラヴェルに手を入れ直す一日です。



紫式部の3連符

October 17, 2008

球根ベゴニアのハンギング。

優しいオレンジ色が暖かなコーナーを作ってくれています。


生徒ちゃんをリンダラハのお庭へ連れて出た。
何故って 左手3連符の間に右手2つの音を、左手2つの音の間に右手3連符を交互に替えて入れることが どうしても難しいようだから。

お庭で紫式部を切って見せたの。
葉っぱが 生徒ちゃんの弾いている曲と同じようにできているから。

紫式部の葉は、○印の実に対してこんな風に付いてるの。ll 印は枝ですよ。

2○1
 ll
1○2
 ll
2○1
 ll
1○2

3つの音符のように3枚ずつ、左右を互い違いにして。

面白いでしょう? 紫色の実が2つの八分音符の2番目の音の役割として、左右交互に見てご覧なさい? って。

→2○1
  ll
 1○2←
  ll
→2○1
  ll
 1○2←

生徒ちゃん、独り言を呟きながら熱心に枝を眺めてた。枝を見ながら手拍子でリズム練習をしたわ。
上手にできたご褒美は沢山実のついた枝。

そうそう宣伝もしなくっちゃネ。
大人の生徒ちゃんも常時募集していますよ☆



ドビュッシー「喜びの島」(2)ホールケーキ

September 05, 2008

朝のお庭の一角で お花たちが楽しそう。


お出掛け前に昨日の続き「喜びの島」のお話です。

喜びの島は、演奏上は分析が不可欠ではないように感じます。
喜びのリズムと申したいほどの活き活きした動き、溢れんばかりの色香、生命を感じる高揚感、幾度も見られる高潮e.t.c.
奔放かつ雅やかに歓喜を謳うことが無二の奏法と言えるでしょう。

ただ、分析は曲の魅力を一層身近なものにして、また隠れた魅力も見つけ出してくれるものとして楽しむことができるから・・・。演奏上不可欠じゃあない場合も奏者の心構えとして備えてほしいと。
何故って ドビュッシーが本当に嬉しそうにこの曲を作った様子を垣間見ることができるからです。

だってホールケーキを作ったような跡がある・・・♪

リディア旋法で始まる第一主題の鼻っから 跳躍上行分散和音が定型で登場します。スポンジ、フルーツ、スポンジ、クリーム、スポンジを分散させ散らばせたバスということ。

発展部分では声部交換が行われます。ババロアの上にクリームを乗せたお隣で クリームの上にババロアを乗せた部分が作られているような様子。

そして派生楽句も多数飛び出します。苺、野苺、木苺、山苺と派生したモチーフが並んでいる楽しさ。

展開部はドビュッシーにしては珍しくモチーフを積み上げる形。
展開部導入では 展開する対位音型を予め出してきています。
次はゼリーの部分とわかるよう、見えない部分に使われたゼリーの一部をケーキの天辺に乗せたみたいに。

複合拍子、落下する上部のメロディー、昂まる下部の波!
変化著しいまま 留まりを見せずに入る第二展開部では 旋律線を真ん中に 上下から属音で取り囲む、旋律線包囲(再現部では外周包囲)の手法になります。
ホイップをゼリーで囲んじゃうのよ。

第三第四展開でも バスが二拍子化され 続いてソプラノが二拍子化され、後の太鼓のような二拍子の舞踏へと繋がります。
これまでも多用されてきた全音音階で上昇し、連鎖を生み出し、ファンファーレへ!

譜面を見るだけで堪能できてしまう曲・・・。
ホールケーキの表現は少々乱暴なようでも 作曲者がこれほどに楽しみ、試みを実践して 連鎖的に湧き出すように記された快さに触れて下さる方がいらっしゃると嬉しいな・・・。
美味しそう、食べてみたい、って思わせるスイーツのような 五感と言いますかしら 人間の基本の欲求を満たしてくれる、ある意味原始的な欲望を捉えた曲と感じるのです。

曲の最後のトニック+付加6の音。音楽史上初めて 最後尾を付加6にした曲でもあるのですね。



ドビュッシー「喜びの島」(1)シテール

September 04, 2008

夜のお客様にお作りしたカクテル。


一日のお疲れが取れるものをと思うと 滋養酒のようになってしまったかしら・・・。
ジン、乳酸飲料、青レモン。ローズマリーで香り付け。それからグラスの底に黒胡椒の粒を沈めて 冷蔵庫でうんと冷やしておきました。

ブログご訪問のお客様よりリクエストがありましたから、今朝は「喜びの島」について拙い考えを・・・。

ロココ美術で名高いヴァトーの「シテールへの船出」に霊感を得て作曲されたと言われる喜びの島。
けれども諸説がありますね。

《1.》
ヴァトー作の「シテール」の絵画は、パリ・ルーブル所蔵1717年の作品と、ベルリン・シャルロッテンブルグ宮殿所蔵の翌年の作品、また青年期に同じシテールを描いたものも存在します。
色彩から受ける印象は少しずつ異なり そのどれもが 喜びに溢れた曲の印象と違っていることが議論の焦点でもあります。

《2.》
L'embarquement pour Cythereが barking to Kytheraと呼ばれたりbaking on Kytheraとなったりすることも、新たな議論を呼びました。
愛の島と言われるシテールへ船出をするか シテールから船出をするかでは意味が異なるとことも疑問だとの議論です。

《3.》
ギリシャのキュテラをフランス語読みにしたシテールは 地図上ではイオニア諸島として実在しますので 地理上の考察をする向きもあります。

ざっと挙げるだけでも このように大きく3点の問。
どれも未だ解決をみない問ですから、考察は音楽学の先生方にお任せして プレーヤーはプレーヤーの視点で、と取り組んだのが最初でした。

絵画は作曲の着想時点のものと考え、島の所在もギリシャ神話からの印象に重きを置いて、愛と美の女神アフロディテが海の泡から生まれた時に流れ着いた島の有り様を 音で彩ることを優先したいと思いました。

楽曲内容は大変物語的でリッチですね。
「カデンツァのように」の注釈で始まる非調性的な序奏の後、導入−提示−発展の形を軸に 主題が表れます。

一つの句節が発展を遂げて次へ進む形・・・それってとても膨らみを持った形ですね。
主題一つ、挿入句一つに持たせた膨らみは、「喜びの島」の豊潤さを支える要素じゃあないかしら?

厳密には 導入−提示−発展−回帰−発展
       導入−提示−反復
       提示−発展−再現−反復
(第二主題が現れ回帰する98小節目まで)

の形になります。こんな骨組みだけを覗いても 随分と物語的でしょう?
一寸法師も桃太郎も こんなようなお話の骨組みを持っていませんでしたかしら・・・?

波の反復の上でお話が膨らみ進んでゆく喜びの島。

続きは次回に・・・。



ドビュッシー「ミンストレル」

August 21, 2008

ローズミュージックが咲きました。ナイチンゲールちゃん差し入れの梨を頂きながら お友達のご質問にお答えしましょうね。


MP3にUPしましたミンストレルは宮仕えのジョングルールのこと?って。
お答えはOui et Nonです。

貴族や騎士階級出身者の多かった宮廷詩人トルバトール、彼らに仕えまたは影響を受けて叙情詩を吟唱するミンストレル、って振り分けの中で 後者はjongleurとも呼ばれますね。

近世以降、大道芸や余興師も含めてミンストレル、ジョングルールの呼び方が独立して残り カテゴリーに混同も見られますが、12、13世紀には琵琶法師のようなお役目で伝承物語も担っていました。

前奏曲「ミンストレル」は 出典が異なります。
1820年代からアメリカで人気を博したミンストレル・ショーが より直接的にタイトルと繋がっています。
1840年代になって フランスにも入ってきたミンストレル・ショーのグループは ミンストレルズと呼ばれて、ドビュッシーが好んでいました。
白人が黒人に扮装をして トラッド・バンドをバックに踊りを踊ります。
ケークウォーク、ステップダンス等々・・・楽しそうね。
サーカスの間の出し物から発展したショーキャラクターのためか、寸劇や滑稽劇も演じますよ。

このスタイルが近代の大道芸とも、中世の無所属の吟唱旅人とも一部共通するため 尚のこと「Minstrel」の単語の混乱を呼んでいるよう・・・。

前奏曲ミンストレルの表記は あくまでも「Minstrels」。
1909年刊「ケークウォーク」1910〜13作曲「風変わりなラヴィーヌ将軍」と並んで、「ミンストレル」はドビュッシーがロートレックと共に通ったミュージックホールの見世物の世界。

現在の日本で申せば (故)阿久悠氏が歌詞によってピンク・レディーをプロデュースした感覚に近いのじゃあないかしら。
架空の世界観を積み上げ、フィクションであることを全面に押し出すことで一層のショー効果を高めるような。
だからこそ大きなエネルギーに満ちる世界があるような。

「モンスター」ですとか
「UFO」ですとか
そして「Minstrels」ですとか・・・ネ!



ドビュッシー「水の精」(2)哀惜

August 18, 2008

《現実のあるところそこは空かそれとも水の底だろうか?
われわれの夢想において、無限は大空とおなじく波の下でも深い》
(訳者:小浜俊郎様、桜木泰行様)


ガストン・バシュラールの言葉です。
哀惜のオンディーヌのために歌われた文があるとすれば このような言葉ではないかしら・・・

彼は著書内でエドガー・アラン・ポーの詩を引いています。世を去った人へポーが記した長編詩、Al Aaraafの一部です。

Away, then, my dearest,
Oh! hie thee away
To the springs that lie clearest
Beneath the moon-ray-
To lone lake that smiles,
In its dream of deep rest,
At the many star-isles

これを以ってガストン・バシュラールは 《空の中の島である星、湖の囚人である液状の星》 としてstar-isleの二重概念を解いています。

この世の別離を愛の成就にするしかなかったオンディーヌの二律背反も、囚われる者の哀しみと、だからこそ無限を求める ふたえの心を持たせるのでしょう。
そんなことを考えさせられた曲でした。

ドビュッシーとエドガー・アラン・ポーの書簡を繰った夜。
私的関係の中のドビュッシー氏のお手紙はお茶目でしたよ。

今日の植物は、ウォータークローバーと薔薇の不思議な雰囲気のコラボ。



ドビュッシー「水の精」(1)メタモルフォーズ

August 17, 2008

海の底で咲いているような琉球朝顔。なんて柔らかな色かしら・・・。
お庭の片隅にはブルースターとポーチュラカがブーケを作ってくれています。


はっすん・・・ブログコメントにしてくれれば良いのに(笑)
昨日UPした「水の精」への長文感想を引いて、曲のお話を致しましょう。

フランス音楽には馴染みの薄いリスナーとして お友達のはっすんが受けた主な印象は下記のもの。核心に近い要素があると感じましたから 簡単に解明を・・・。

《不可思議な世界に落ちていくような》
《不可思議といっても、シェーンベルクのそれとは違って溢れる詩情、そう、これもまた『詩情』に彩られてる》
《古典的な音階を飛び越えていて、訴えかける情感があるのが素敵》


*不可思議を感じられる事について*


32小節目以降mouvementとしては初めに戻りますけれど 成り立ちはコーダまでを'変容'が形作っています。
展開でも ヴァリエーションでもなくて、あくまでもメタモルフォーズが3つの形で続きます。

開始からドミナントで10小節が続き、メタモルフォーズ領域も多くの部分がドミナントで占められていること、その中で基となる音がどんどん変化してゆくこと等も、不安定感を覚えさせる表現に繋がっているでしょう。


*判別し難いコードの事*


連続して登場する和音は、古典的な和音に比べ人工的な手が入っています。
長7度の鋭さ・増4度の曖昧さ・完全4度の硬さを合わせ持たせ、同時に鳴っていることが 混沌とした印象を与える要素の一つでしょう。

はっすんの記事にあった数学的な解明を、更に進めて詩情に昇華することにかけて、ドビュッシーの才能が余すところなく表現された曲でもあるのじゃあないかしら。

混合和音の多用の他、副調も使用されています。高音と低音で2つの旋法が使われています。
・・・暗譜し難い曲ですワ。


*MP3に掲載した絵について*


はっすんが、曲世界の理解にピッタリと言ってくれたジョン・エヴァレット・ミレイのオフィーリア。選ぶ前には随分と迷いました。
何故って、同プレリュードの「妖精は良き踊り子」と同じく オンディーヌにもアーサー・ラッカムが挿入画を入れていますから・・・。

けれども、美しさの中に限りなく死の予兆を感じる絵が この曲にふさわしいと考えたのです。
水妖記では、水界の者が人間と情を通じることは死を意味する前提がありました。
死をもってしか贖われないものを 曲の中にも強く感じるから。
全曲を通して起こる凶兆、優美な音律の中の禍々しさ。
それにはラファエル前派の絵が使いたかった。

場面も湖と川、人物も人間と妖精・・・と違いはありますが、狂ってゆくオフィーリアの変容と ストーリーの持つ凶兆を表す絵は、ミレイを置いて他に無いように思いました。


********************


曲中ではコーダでトニックが出現します。
葛藤する魔の世界から一転、音の動性が静止します。
水妖記でフルトブラントのお墓の周りに泉が湧き出すシーンのように。
死が成就させるものの象徴のように。
だからジョン・エヴァレット・ミレイ。



ドビュッシー「アラベスク」(2)

July 29, 2008

アサギリ草オーレアの柔らかい葉っぱ。朝霧のようにふんわりした細かな葉先をしています。


痛み止めを飲んで寝ていた今朝は 遅い更新です。

激しい雷が続いた昨日午後。
ドビュッシーアラベスクを弾いていると停電に。
ブラインドを下ろした涼しいピアノ室は 灯りが消えると真っ暗になりました。

鍵盤が見えない闇になったテンポ・ルバートの弱音箇所。
申し合わせた雷に、ここではもっと音を落としてと言われているようで・・・。

停電はほんの一分弱でした。
湧き上がるような再現部で灯りが点いた。
闇と光に手伝われた アラベスクの仕上げ。



ショパン ワルツNo.7

July 24, 2008

門に絡まる桔梗咲きの朝顔。涼し気な薄い花びらのサフィニア。お花達が夏を告げています。


チャイコフスキー先生を前にお話したのは ショパンの7番ワルツのこと。

小学校の時 初めて取り組んだショパンが7番ワルツでした。
その頃からこの有名なワルツには、淡く切ない憧れを歌う一種男性的な心持ちがあると捉えてきました。文学的な女々しさも含めて・・・。
女々しいとは女性に使われる言葉じゃあないことを前提に、女性的ななよやかさより 男性的な女々しさを根本に持って奏する曲と考えていました。

せんだって茜屋珈琲店さんに7番が流れていて・・・
古いレコードプレーヤーから流れ出すワルツに 至極ひそやかなものを感じたの。
演奏者フランソワが意図したものじゃあない 別の要素の絡み合いに過ぎません。

暗い店内、古い木の香り、ボンボン時計が刻む音、二人の会話。その背後で音の粒が聞こえないほど音量を絞られて、織り模様のように聞こえてきたの。
こんなワルツもあるんじゃあない?
沢山の要素が内包された曲の一面としての ひそやかな7番も作り上げてみたい。



ショパン ワルツNo.3

July 23, 2008

春よりも一段濃い色で咲き始めたロイヤルボニカとマンデビラ。


チャイコフスキー先生がいらっして 演奏をしながら曲のご相談。音楽尽くしでお茶の一杯もお出ししなかったワって、お帰りになってから気付くのも何度目でしょうかしら。

私が拘っていたのは ショパンの3番ワルツでした。

海の波のような低音のたゆたいを、フレーズが途切れないぎりぎりの線までテンポを落としてゆるやかに歌いたい・・・と しっくりくるまでテンポを試し
右手のメロディーが入る時は歌い込みをするべきか、それとも波の上に乗せるように開始するか・・・と 結論が出るまで繰り返して。

Cdurに転調した時 慌しさ無しに3拍子感を強調していく流れをどう作るのか。
Durの響きは空虚感から始まり、後半に明るさの実態を伴う構成がほしい。
・・・等など、弾きながら口に出してお話してみると イメージが纏まってゆきました。

チャイコフスキー先生はお目を閉じて腕組みで聞いてらっしゃる。
時たま「うん、そうだ」「美しい」「ああ切ないねえ」と呟かれて、ご意見を求めるまでは何も仰らない。
繰り返され変化していく曲を 静かにやり取りしながら時間が進んで・・・。
徐々に確かなものになってゆくと 共感の気配が広がって。

3番ワルツの蒼の世界。重なり合う青と群青の けぶるような音が欲しくて、先生をお見送りした後も考え続けた。

今日はお医者様へ。貧血検査のお呼び出しも受けちゃったから、病理と一緒に片付けて参りましょう。



チャイコフスキー「囲炉裏端」

May 12, 2008

5月なのに? って、びっくりしちゃう寒さでしたネ。


雨が降って、寒くって・・・するとね、暖めたお部屋でほっこりする幸せを感じましたよ。

カーディガンを着ても冷え込んで、小さなストーブの前でお友達と沢山お話してた週末。

ストーブにあたりながら思ったの。チャイコフスキーの「囲炉裏端」を うんと幸福感のある音色で弾きたいわって。

春の光が少し戻ってきそうな今日のガーデンテーブルは こんな風。



ラヴェル「クープランの墓」フーガ

May 02, 2008

写真はブルゴーニュ君と大の仲良しのプレーリードッグちゃん。


先月はピアノを聞きにいらして下さるお客様が続いてました。

私は上がり症だから、緊張の予行に色んなお友達の前で練習をさせてもらうの。

するとね、聞いて下さる方の気配が それぞれにはっきり違っているのを面白く感じるの。
弾き手の気配がお客様に伝わるように、少人数だとお相手が感じていることが こちらにも伝わってくる。

表現豊かなマダム・ビスコッティは、息を詰めたり 大息を漏らしたり。
照れ屋さんのぽっぽちゃんは、ピアノにのめり込む私を なるべく見ないようにしている様子。
素直なプレーリー・ドッグちゃんは 受けた感覚を身体の線に表しながら聞いてくれた。

様々な感想も、自分にとっての次の課題を設けるヒントになりました。
テントウムシ君の感想には特に助けられたナ。
クープランの墓のフーガに まだ迷いがあった時のこと。

構造は複雑でボリュームが低く、細い細い糸を縒ってゆくような曲。
一瞬も気を緩められない、でも張り詰めた構築性の高いフーガじゃあない。
精神面での処理を迷っていた曲でした。

お気に入りを尋ねると、フーガだってテントウムシ君。単音の美しさに惹き込まれる、って。
大曲が続く中 フーガだけを取り上げる感想は、聞いてくださったお友達の中でも初めてで・・・
曲に心をどう合わせるか迷ってたものが その時に見えたのだったわ。

音色そのものをリリカルな要素に置いて、自然のままの反映に私自身が耳を傾け、音の線を無心に辿ってゆくこと。
明日は そのように弾けると良いナ。



葡萄園のグリザィユ

April 21, 2008

先日エディット・ピアフに捧ぐで 注釈和訳に触れたところですから、楽曲表現の言葉についても ちょっぴりお話してみましょう・・・。


ドビュッシー分析の恩師へお送りした 最近のお手紙の一部を載せてみますね。
お師匠様の論文を下読みさせて頂いて、不肖の弟子は言いたい放題・・・。
お師匠様は お書き物を沢山送って来なさるから、どんどんご返事しなきゃあならないんだわ。
卒業以来 ずぅっとこんなやり取りをしてきました。
この日の話題は「葡萄園の門」の曲です。

*******************************************************************
ironiqueの曲想指示を「辛辣に」とお書きですが、会話上のニュアンスは取り置き、ここでの指示の場合 「皮肉な」が適当だと思います。
日本語では「辛辣」は論理が確定している・または強固な語調のニュアンスがありますね。
曲内では 明確で強固なニュアンスでなく 柔らかい皮肉と言いますか、柔らかいから「こそ」皮肉になる仏語世界のニュアンスの方が数段大きいと思うのです。ここは書き換えを強くお勧めします。

「碇」の漢字にもルビですか? 碇が読めないようでは この論文をそもそも理解できないでしょうから必要ないかと。

・・・という言い方が「ironique辛辣」であり、

碇の字が読める読者は、以下にお書きしますことを加えずとも理解することと存じます。

・・・というのが「ironique皮肉」でしょう。
是非お書き換え下さい。

堀口クンの訳詩。良いところの引用ですね。
私ならばドビュッシーの言葉と詩との間に「灰」の意味合いを解説挿入したいものです。
日本語と同じロジック故 読者に伝わり易いところでしょう。

ここで言う「灰」が色を表すと同時に曖昧さの意味を持つ部分で日本と共通しており、またそれが仏語の場合は一層強調されることへの理解を求めたいのです。

日本語で灰色の空というと、色味と 空を見る心模様を思うのが一般的ですが、そこに sombre陰鬱、薄暗さが強調されて入ることで より不安定な色調を見せ、色調が不安定なことが イメージにより大きな可能性を持たせることに繋がるところの、いわゆる詩世界のグリザィユです。この部分は葡萄園の曲とは関係なく ヴェルレーヌの方のお話です。

それは、風土とも密接なのでしょう。風景が灰色にくぐもっても 数時間後には太陽が顔を出す恵まれた日本の風土と 「灰世界は続く」ことが前提の北ヨーロッパの感覚で言う「灰」の差異は、私ならば読者に充分理解してほしい。

その上で、葡萄園の灰とは、Monsieurの言われる「さだかならぬ」に繋がるのであり、
何が定かならぬかと言えば 《一見鮮やかな印象を与えるこの曲の根底に流れる なにがしかの不安定な色調を持つ部分》 であり、
それこそが 《根底に流れる通りに「続いていくグリザィユ」なのである》 という論法を求めます。
*******************************************************************
          
生意気で お行儀の悪いこと・・・

今日のお花は金魚草



プーランク「エディット・ピアフに捧ぐ」

April 19, 2008

"ロレーヌの追憶" の回、第二部

4曲目に配したプーランク作品です。


情感たっぷりでありながら、流れすぎず 男性的な歌心がとても好き。
曲を読み取って音色を決定付けてゆく際、引っ掛かりをおぼえたのが注意書きの和訳でした。

お尻尾から5小節前に書かれたtrès a l'aise が "とても気楽に" って訳された版。

直訳としては間違いではありません。けれども訳を当てる時は、言葉の後ろのもう一つの言葉・・・言語の背景を考えなければならないんじゃあないかしら。

ふと浮かんだ一例に過ぎませんが、田舎家と聞いた時 藁葺き屋根と素朴な日本杉の柱を思い浮かべるのか、赤土の屋根と石積みの壁を思い浮かべるのかというベース。単語の対訳では測ることができない部分です。

それは私なんかが語るより森有正氏が網羅しておられましょうから終曲部分の書き込みにだけ触れることに致します。

"気楽に" という日本語の背後にある感覚は、演奏になった場合 明るい音色を示唆する言葉に受け取られてしまいがち。
aiseも日常語では "寛ぎ" "陽気さ" の意味は強いですが、曲中では "気まま" のニュアンスの方に感じます。

私はプーランクの書き込みを "最終部分を殊更に歌い込まないで、そのまま流れに乗せて" の感覚から出た言葉と捉えています。そこに "気楽に" の和文が入ってきては これまでの曲の流れを壊してしまう。EとESの混じり合いは ニヒルな灯りを感じるもので、いわゆる気楽さとは表現できない筈。

個々人さえお勉強を重ねれば訳などは問題にならないこととはいえ、和文注釈だけをご覧になって弾かれる方も多いことを思えば、短い直訳を載せるにしてもせめて "容易に" が使われてあればと感じました。

今日のお花は薄紫色のパコバ



サティ「グノシエンヌ」No.5

March 27, 2008

モナリザという名前の大輪のアネモネ。しっとりと儚い美しさだわ。


サティ作曲グノシエンヌNo.5を HPのMP3コーナーにUP致しましたヨ。

グノシエンヌの言葉は ギリシャ語のギノースコーから取ったサティの造語。「ル・アーブル港から 世界の旅」の回で取り入れた曲です。古代クレタのグノーソス宮に繋げての演奏でした。

グノシエンヌは過去にはNo.1〜3の3曲のみと考えられていましたが、作曲家の死後No.4〜6が発見されました。内5番は グノシエンヌ中最初に書かれた1889年の作品です。

明るい音の曲ではあるけれど、淡いシニシズムのイメージは拭い切れず。
ロセッティ・グリーンの知と 物憂い表情に曲を重ねて、絵はVeronica Veroneseを使用しました。

作曲年となったパリ万博で ジャワのガムラン音楽にインスピレーションを得た作品とされています。

実は桐朋ガムランクラブ出身なの。うふふ・・・
お初に告白しちゃったワ。ガムランは主にボナンを受け持っていました。
サティをはじめ、ドビュッシー、プーランク他フランスの作曲家達が影響を受けた音楽ですもの・・・ネ!



シマノフスキー「セイレーンの島」

March 25, 2008

1915年シマノフスキー作曲の「セイレーンの島」は特別に思い入れのある曲です。


美しい歌声で シチリアの小島に近寄る船乗り達を魅了して破滅させたセイレーンを描いた 魅惑的な曲。

曲自体にボリュームがあって、軽やかな音形から受ける印象とは裏腹に 膨大な数の音を弾きこなさなければなりません。
弾き手の難易度が高いのは、複雑で精緻な音の粒を 一見フェミニンな印象にもっていくだけでなくて、精神的に大きくこの曲を捉えて反映させなければならないことでしょう。

例えば、どこからともなく降ってくるような美しいセイレーンの声の描写で始まり、次には怪しさを浮かび上がらせ、纏い付く波か 破滅への誘いか、のまれるような音が動き出し、最後には 怪しいものだからこそ美しいのだと説得力を持った構成が、演奏者に求められることの一つのように思います。それらはテクニックだけでは表し切れないものであることが この曲の難しさでしょうか。

リサイタル告知をして頂く放送用に「セイレーンの島」のライブ録音を取り出したついでに HPMP3コーナーにもUPしてみました。
使用した絵はロセッティの「海の呪文」。ラファエル前派の美学は「セイレーンの島」の曲に通じる気がしたものだから・・・

UPはしたもののMP3のボリュームを全開にしても音量が低すぎて・・・。
変だわ。音源はしっかりした音量で録音されているのに。PCに取り込むと うんと小さな音になってしまうの。困ったわね。

今週お医者様へお出掛けついでにスタジオへお寄りして 音圧を調べてもらってきましょう。引き上げができる状態なら良いけれど。

今日のお花は次々に開くヒメリュウキンカ



ドビュッシー前奏曲集U

March 04, 2008

ドビュッシー前奏曲は 順にリサイタルに乗せています。ブログでは前奏曲集全体の様相に触れてみましょうかしら。


金子篤夫先生の論文の中に興味深いお言葉があります。

《前奏曲集第U集の第1曲は、あたかも第U集全体への前奏曲であるかのように思われる。それは、あまたの変貌、逍遙を経てのち、第12曲に総合されるであろう。》

第1曲目「霧」で始まり、第12曲目「花火」を終曲に置いたことが、水と空気と火を扱ったドビュッシーの象徴的な並びだとするお話です。

ユングの概念をG.バシュラールが援用して、アニムスからアニマへの転換としてドビュッシーの音楽を捉えることに倣う一方、金子篤夫先生はドビュッシーにおけるアニムスの解明に重きを置いてみたいと仰って 興味深い分析をされています。

「霧」「花火」両曲ともに無定形の流動が音響体の変容に繋がること、鍵盤上では両曲の白鍵と黒鍵の対位が照応し合うことを引いての和声分析が主な内容です。

ところが分析の最後には、ヴェルレーヌの「詩法」を引用なさって、
《げに配合(ニュアンス)ぞ、夢を夢、
笛の音(ね)を角(かく)の音(ね)にこそ婚(めあわ)すれ》
(堀口大學訳)
と まさにアニマで結んでいらっしゃいます。

この様式が ドビュッシー前奏曲集の根本だって仰りたいのかもしれないわ。
科学から詩への変容、そして科学と詩の同一性。

今日は先生にお葉書をお送りしましょう。
お葉書にお書きしないことを此処に・・・

曲中84アタック数のうち、ab音響が31%でd音響が6%だなんていう表は読みませんでしたワ、先生・・・
あれだけは正直申して 未だに意味がわからないんです。どうしましょう。



ペダルのお話

December 18, 2007

レオニーラメッシュの清楚な表情・・・。曇り模様の下で、お庭の陽光になってくれています。


生徒ちゃんに、ペダルを取って練習するお話をしました。主婦の方だったので、ペダルの使い方にカレーパウダーの例を挙げてお話しました。

カレーパウダーって魔法の粉のようなところがありますね。いかにお味が悪いものでも、カレーパウダーさえ掛ければ不出来なところが隠せてしまいます。カレーの風味で誤魔化されてしまう。
忙しい朝のお弁当作りには便利ですが、音楽のお料理がそうであってはならないでしょう。

美味しく下味をつけてからカレーパウダーで風味だけを加えた音楽にしなければネって。
作ったお料理からカレーパウダーを差し引いたら不味くなってしまうのではいけませんから、最初はカレーを入れずにお味見。ペダルを取って よく音を聞いてみることをしてもらって、その後、表情と音色を加えるためにペダルが必要な箇所を見極める作業を。

新しい生徒ちゃんの中には、これまでペダルの役割を一度も意識しなかった方もいらっしゃることは、私の勉強にもなりました。なるべく早いうちから 自分が出す音に対して敏感になってくれるよう もっていけるとイイナ・・・。

今朝一番の生徒ちゃんは楽器店で教えている先生。音楽が素直で 綺麗な音の出せる人。音が少なめで 繊細な旋律を歌うことはお得意な分、演奏に人間性が出ずに寂しくなりがち。だから土着性のある曲を選んで 泥臭い旋法にチャレンジしています。
お人に合わせてそれぞれ異なるレッスンをすることは、色んな発見があってとっても楽しい。



ドビュッシー「パックの踊り」

November 27, 2007

昨日3度目の合わせを終えたマリンバコンサート。良いペースで準備が進んでいます。こちらにプログラム全曲を追加更新致しましたのでご覧下さいね。


今日は楽曲のお話。妖精や妖魔は 文学にも音楽にもしばしば出て参ります。愛らしさの象徴としての花のような妖精だったり、人間の女の心を持ち 葛藤に苦しむ妖精だったり、成熟した穏やかな精霊だったり。闇を背負った魔物も居れば 人に害を与えないイタズラをする小人達も。


ドビュッシー前奏曲の「パックの踊り」が描いたシェークスピアの戯曲に登場するパックは 後者のイタズラ小人。パックを弾きながら私の中で 動作的イメージがかぶっていたのはコリガンでした。

コリガンは上のカード写真にある姿をした フランス・ブルターニュ地方に伝わる民話の中の小人です。見目麗しいとは言えないけれど 愛嬌のある姿がなんだか可愛い♪
農家への働きをしてくれる良い妖精としての場面が多い小人なんです。人が眠っている間にお鍋を磨いてくれたり、お料理を作ってくれたりします。そしてお気に入りの馬のたてがみを編むのが好きな お茶目な小人。
その存在は、アイヌ伝説のコロボックルにちょっと似ているかもしれません。


2枚目のコリガンはキノコに乗っかっています。コロボックルは蕗の葉でしたね。

コリガンの絵を見ていると、「パックの踊り」で鳴り続ける付点のリズムが聞こえてきそうな気がするの。
パックとコリガン、容貌は少し異なりますが イギリスに程近いブルターニュ地方のこと・・・そう的外れなイメージでもない気がするワ。


今日の植物は龍陽とハムシー



ショパン ワルツNo.9

October 18, 2007

スイートフラミンゴが背伸びをするように咲き、大株のソニヤも早くも満開です。ソニヤは初めはソンジャという読み方で出ていました。デンマーク・ポールセン社で2003年に出品された薔薇です。


ライトフィグリアも零れるような花びらを開いています。薔薇達が幸せそうな表情になる季節。


彫刻家さんから連絡があって、もう一度モデルをと・・・。考えを練りながら触っているうちに 彫刻の表情が変わってきたので、直前になってもう一度考え直したいとのこと。曲もそんな風なことがあるから お気持ち分かるわ・・・。

今年のリサイタルで弾いたショパンのワルツ9番、op.69-1。4分の3拍子で書かれていますけれど コンサート直前までは4分の6拍子の拍感覚を思っていました。
理由をごく簡単にご説明します。1番から14番までのワルツを見ていくと、ワルツのテーマ部分のバスが付点2分音符で書かれているのは 4,9,12番と少なく(3番の序奏部分は これに当たらず除く)9番に関してのこの付点音符のあり方は 3拍子2拍目の浮きが大きくない、故に右テーマの2小節単位(あくまでも最小単位として)のフレーズ感が前面に出ると考えていました。con animaからリズム型を強調するにしても メロディーは共通した2小節フレーズで歌われていくので、冒頭も6つ割りの考えが自分の中では有力でした。

これについて何度もイバネス先生とお話をして結論の出ないまま 二つの曲想を一日中代わる代わる繰り返しながら どうしても迷いが解けませんでした。評論の井上和雄先生がピア・ジュリアンに聞きに来て下さった時にどちらにしようかと迷いをお話し、その時のおしゃべりでクリアになりました。完全な3拍子系に戻そうと決めてリサイタル直前の再スタートでした。

さあ、彫刻はどう変わるんでしょうね。楽しみです。



ドビュッシー「アラベスク」(1)

September 06, 2007

ドビュッシー・アラベスクを始める趣味の生徒ちゃんと レッスン前にお話。耳にしたイメージから問を投げてきました。「どうしてフワフワっと聞こえるんですか」って。


冒頭はW度和音。古典的な非機能の使い方なのですが、趣味の方ですから和声の機能を説明しても解り辛いことでしょう。そこでこんな例を挙げました。

男性の通勤着は、濃い色のボトムに白や水色の薄い色のトップが多いですね。落ち着いても見えますし、多くの人が慣れた色の合わせ方だと思います。
反対の色使い、白のボトムに濃い色のトップを合わせた場合は自由業に多いような流動性や柔らかさを感じさせる組み合わせになります。
喩えの上でのお話ですけれど、これがサブドミナントの開始で私達が感じる軟質のものに当たります。

同じ白のボトムでは、タックを取ったチノパンはカジュアルに、前の折り目の線を付けた麻生地ならお洒落な雰囲気に・・・と、アイテムから受ける印象も出てくるものですね。
軽い印象を与えるサブドミナントの冒頭、つまり白のボトムにどの素材を使うかが 演奏の仕方に関わるものになります・・・。

と、こんな風なレッスン前の解説。
和声用語の前準備の無い趣味の方にも、教師側が機能和声をしっかりと理解していさえすれば やり方によっては和声の本質をお教えすることができるのではないかしらと模索します。
それもまたレッスンをする楽しさです。

今日のお花はリンドウとスパティフィラム




デュティユ ソナタ

July 27, 2007

デュティユのソナタには思い入れがありました。デュティユの曲との出会いはコンセルヴァトワールの内部試験で演奏した「ル・ジュ・デ・コントレー」。この曲に嵌まり込んで作曲家に興味を持ったことからソナタに行き当たりました。
現代ものは多く弾く方ですが、斬新な和音使いの上でロマンティックな要素を持つことにかけて群を抜いていると感じ、是非ともこのスケールの大きなソナタを弾いてみたいと思いました。


イバネス先生の勧めでデュティユ先生のご自宅を訪れました。後に先生のお宅にほど近い場所に住まうことになったのですが、最初に古いアパルトマンを訪れた時は少し緊張しました。アンリ・デュティユ様なんて歴史上の人物のように思っていましたから。失礼ながらご存命かどうかも存じていませんでした。
実際イバネス先生に顔合わせを進められた時、思わず「まだご存命なんですか。」と失礼を問うてしまいました。
イバネス先生は「そう [まだ、今は] ね。だから [今のうちに] 行かなきゃ!」と笑って励まして下さって。

デュティユ先生はカウチで寛がれ、主に横でレッスンを付けて下さったのはソナタを捧げられたピアニスト、ジュヌヴィエーヴ・ジョワ様。デュティユ先生の奥方様です。私はまだコンセルヴァトワールの一年生で、ご当人に自分の演奏がどれくらい通用するものかも分からずに、イバネス先生に言われるまま飛び込んでしまったのでした。

お部屋に入ってピアノの前に座ろうとすると、お身体もお声も大きくていらっしゃる夫人が「何やってんの。こっちこっち」と仰って・・・。
びっくりしているとソファを勧められ、「慌てて弾かないでもいいじゃない、何か飲みなさいよ。」とお酒が出てきて・・・。
ほろ酔いで長大なソナタを弾くことになってしまって、ちゃんと弾けたのだかどうだか・・・。

演奏を随分と褒めて頂きました。でも、あちらも酔っ払ってらっしゃったみたいだから真偽は分からないのです。

一枚目の写真がレッスンの時ソナタの譜面に頂いたサイン。二枚目はクリスマスプレゼントに下さった、サイン入りのプレリュードの譜面です。

今日のお花はゼラニウム。ビロードみたいな手触りの葉っぱが可愛いのです。



ドビュッシー「レントより遅く」

July 02, 2007

ウラジミル・ジャンケレヴィッチが著書「生と死の音楽」の中で《静かな蛋白光》という言葉を使っています。ドビュッシーの水の音楽の比較の中でモネの絵を引いて使われた言葉でしたが、「レントより遅く」にも相応の表現だと思います。


浪漫の要素に満ちたゆっくりしたワルツ。明け様の空に月の影が消えていくような、また霧の濃い早朝 霧の粒子に弱く反射する仄かな明るみのような、ほの白い光に包まれた曲のように感じました。
乳白色の光がそこここに見えてくる曲です。

寂寥感と同時に人肌の暖かみのようなものも感じられて・・・。
どう言えば良いかしら、例えば寒い日にストーブの前で食べるアイスクリームの幸せ。
アイスクリームはいつも美味しいけれど、真夏の浜辺で食べるアイスクリームと冬のアイスクリームの幸せのイメージは随分違うのではないかしら。
暗く寒い外の世界があるからこそ、ストーブの火が暖かく、その暖かさに守られながら匙を頬張る特別な幸せのワンシーン。

寒さと暖かさ、暖かさの中の冷たいクリーム・・・耽美な楽曲に 喩えが少々可愛らし過ぎはしましたが、場合によっては相反する位置の二つの要素が融合しながら交互に現れる感覚をこのワルツに持つのは私だけではないでしょう。そして懐かしさを誘いもしますね。

二つの要素は、フォンテーヌブローの秋色の風景の中で目を引いた温もりの風景とも連動していたのでした。

写真は鉢植えのかすみ草



ドビュッシー「葡萄酒の門」

June 26, 2007


先回の続きです。ドビュッシーが大層讃えていたロセッティのカードと共に金子篤夫先生が送って下さったのは、アルハンブラ宮殿の門の写真パネルでした。プレリュード「葡萄酒の門」の元になった場所です。
下の写真は、ファリャがドビュッシーに送った絵葉書。上の写真の門を描いた葉書をドビュッシーが受け取ったことが「葡萄酒の門」作曲のきっかけとなりました。この絵葉書の写真も数年前に金子先生に頂いたもの。


14世紀に建造されたアルハンブラ宮殿にドビュッシーが夢見たのはどんな世界だったでしょう。
ドビュッシーの表すアルハンブラは 単なる異国趣味の外国人の仕業とは全く異なるものです。熱を帯びた空気、強い日差しと濃い影が眩暈を誘ってきます。そして非常な色香を持っています。
光の色と土の香りが身体に傾れ込んでくるような思いになった曲でした。



曲の中に咲く2つのお花

June 19, 2007


ウラジミル・ジャンケレヴィッチがこんな文章を書いています。

《ドビュッシーにおいてほとんど無なるものは、とりわけ軽妙でうっとりするような事物の形となって現れている−−たとえば夕暮れの大気の中を漂う発散物の香り、束の間の色合い、虹以上に気化しやすい蜃気楼、水に映る影など。》


ジャンケレヴィッチの示す発散物の部分は、プレリュード「音と香りは夕べの大気に漂う」の中のお話。
まさに発散物・・・。空気の濃度や漂う発散物こそ音にしたいものでした。
この曲を弾いているとき私の目に見えていたのは、ミモザやオランジウムの黄色い小花が沢山つく花。緩い風に花びらが舞うかと思えば、枝は僅かに揺れただけ。舞っていたのは黄色い花の香りそのものだった・・・。

元となった詩の中でシャルル・ボードレールの表現はこうでした。
《Chaque fleur s'evapore ainsi qu'un encensoir》
上田敏はこんな風に訳しました。
《花は薫じて追い風に、不断の香の爐に似たり》

何のお花と記されてはいませんし詩歌の研究上のことには無知ですが、譜面の中の夕暮れの風に乗るのは 小さな黄色い花の香りだと感じました。

イバネス先生にそうお話すると楽しそうに笑われて、もう一つのお花のことを話して下さいました。
先月演奏したアルベニス「スペインの歌」のゴルドバ(夜想曲)。冒頭右手高音部を突出させずに 和音全体に同じ重量をかけた弱音が甦らせる風景として、スペインの夜に咲く 香りの強い白いお花の描写をなさいました。

先生方とこんなお話をする時間が幸せ。そして、高負荷低重量の描写とも言えるこれらの曲を愛して止みません。

写真はコンサートで頂いた胡蝶蘭



ドビュッシーの水溜り

June 04, 2007


字が読めるようになったばかりの子供の頃、石井桃子さん著「ノンちゃん雲にのる」のワンシーンが頭から離れなくなりました。小さな女の子ノンちゃんが水の中を静かに覗く場面です。
ノンちゃんが覗く池の真ん中には柔らかい雲が浮かんでいたり、水溜りの中には木が立っていたりします。
ノンちゃんは水に映る空が、ノンちゃんの言葉によると「うその空だとは、とても思えない」のです。


子供の私はノンちゃんの真似をして水溜りの縁に立っては 空に落ちそうな感覚について考えていました。雨上がりの水溜りを傘の先で触って、水溜りの底が抜けないのを不思議に思っていた頃です。

時が経って 金子篤夫先生の影響でフランス哲学を読み始め、ウラジミル・ジャンケレヴィッチが幻影について記した文に出会いました。
そこには《存在と非在の境は朧である》とありました。
ドビュッシーを巡る文章です。

《ドビュッシーは可聴と不可聴の間を微分し、段階に分けて、無限小の目に見えない調和の中に無数のニュアンスを加えた》
文はこう続きます。
《「霧」の終わりでは、最後の一条の靄が一〇月の葉陰に消えていき、「水に映る影」の終わりでは、金褐色に輝く池の縁で最後の波形がふわりと消えて見えなくなる。・・・・・・》(船山隆・松橋麻利訳)

水溜りの答えを、ドビュッシー音楽の中に見つけるようになったのは「ノンちゃん雲にのる」から十数年後のことでした。

写真は庭のカリフォルニア・ローズ・フィエスタ ピンク・ラッフル



ドビュッシー「枯葉」

May 31, 2007


紅葉(もみじ)の言葉の元は「もみ出ずる」だったとか。色づくことを意味する「も」の字は例えば「自然」ならば おのずから然えるを意味し、「も」に当てた「然」「燃」「萌」等も同じ考え方からきたとのこと。
春は草木が萌え、秋になれば葉が燃える。いずれも時期が来れば自ら色づく意味だと知った先日、頭に甦ってきたプレリュード「枯葉」のことをお話したくなりました。


ドビュッシーに目覚めたきっかけが「枯葉」の曲だったのでした。
減7和音の平行運動で開始する曲調は憂愁のものなのに、落ちていく葉は燃えていました。

「枯葉」との出会いは音楽学の金子篤夫先生のドビュッシーのピアノ曲分析でした。講義で一小節ずつのハーモニー分析に加えて 構造、使われた和音構成音と旋法、リズム形の並び、機能領域を表形式で綿密に当たっていく方法を知ったことで、今も演奏する曲群は同じやり方で分析をするようになりました。
作曲家のデッサンを見ることができるのです。

「枯葉」で先生がジェオトロピスム(向地性)のお話をされたことが強い印象を与えてくれました。
枯葉の向かう方向と ドビュッシー音楽の音の向かう方向を思った時、それは所謂機能和声が手助けをするディレクションとは異なる、ドビュッシー的ジェオトロピスムに於ける下降線を捉えることの必要を強く感じさせられました。

金子先生はポール・ヴェルレーヌの詩集「土星の子の歌」内「Chanson d'automne(秋の歌)」を「枯葉」の曲のテクストに取り上げられ、訳詩では@上田敏「海潮音」内「落葉(らくえふ)」A永井荷風「あめりか物語」内「秋の歌」B堀口大學「月下の一群」内「秋の歌」C窪田般彌「フランス詩大系」内「秋の歌」の比較と共に、ドビュッシーの円熟した世界観を見せて下さいました。

美的世界にいざなってくれた一枚の「枯葉」は、パリへの片道切符になりました。

写真はいつもお手作りの野菜を下さるご近所さんから頂いた紫玉葱。あんまり綺麗な色だったので・・・♪これも然えている色ですね。




Topページへ
Blogページへ