Le morceau ⅩⅠ



ラヴェルの俯瞰

December 04, 2018

赤煉瓦倉庫前のショットです。


今はレストランや雑貨屋さんが入ってる煉瓦倉庫は、神戸市のページに拠ると1890年代建造ですって。

神戸港に到着する貨物で賑わった場所。1890年はファリャがフェリーペ・ペドレルに作曲を習い始めた辺りの年ですね。

前記事の続き、アパッシュ(La Société des Apaches)でもファリャと繋がってたラヴェルのおしゃべりを。

  *なきもの

昨日本文では '無き物' にふれ、それは '亡き者' の曲と重なるイメージを持ってたからと顕したくて、双方に掛かる音を平仮名で 'なきもの' って表記しました。


だけど後で老眼で眺めたらば、'なまもの' にしか見えない。
せんだっても壮麗を読み誤ったばかりなのにね。


先日ふとした事から "亡き王女のためのパヴァーヌ" の譜を何年かぶりに手に取って、13小節目からのTrès lointainに注目しました。


'遠くで' の表記をイベールの曲に関して書いたところですが

  *ナイーヴなロバ


此の曲の場合は '遠く' の単位が異なると感じます。天体の単位くらいに・・・

プラネットのように遠く
夜空のように近しく
天空のように淡く包んでくれるが


'それ' が惑星なのか、惑星は自分のほうか定かならず
どちらがどちらを巡ってるのか分からないまま


手を伸ばせぬほど遠いのに
手を伸ばしたくなる優しいもの。

胸蓋がる想いの先。
ノスタルジーに流す涙の温かみを領るような・・・


こんな描写は、ルーペを覗く如くのジャック・イベールとは距離の部分で対極の世界を持った、ラヴェルの俯瞰であると思いました。



なきもの

December 03, 2018

大昔、持ち運びできる電源なんてなかった時代に、古ケースを利用して父が工作した携行できるバッテリーです。


半世紀ほど前の昭和の頃。

持ち歩くためのショルダー・ストラップは流れた時間の色に染まった。ハンダゴテで接続した所も取れてしまいそうに朽ちました。


コネクタの形は私にとって父の顔と同じくらい、持ち主とセットになって子供時代の思い出によく登場する形なのです。


お仕事を終えた手作りグッズたちは必ず私の玩具になったから。


まだお名前のない断捨離はちょっとずつ進んでる。
いつか家から「大事だった物」が無くなる日が来るのを望む。

55歳までには、そうできたら良いな。


人生もいよいよお尻尾が見えたらば、大事だった物の重たさに縛られない人間にくらいはなってたい。他には望んだどんな人にもなれてないから。


形ある物はいつか消える。そう悟れず足掻く気持ちを卒業したら
物も自分も楽になる。物との関係がわかる。

もともと彼ら物達は重い制約を望んだわけじゃあないのに
思い出だからとぐるぐる縛る人間が彼らに枷を与える。


結構歳をとるまで・・・物を長く大切にするのと 'ただ保管する' のが同じって風に、自分を騙してた気がする。


形が無くなっても物達が与えてくれた輝きは消滅しない、って心から思えてなかったんだと思う。


自分の生存率はさておき、ちょっとだけ先を夢見る。
50代も後半になったら、ひと月以内に楽しく手に取り愛でた物だけ傍に置きたい。

その物達は何も縛らず黴が生えそうに長い思い出は持っておらず
だけど昔愛でた物との優しい共通点がたくさんあったら素敵。


大切だった物が失われることを恐れず
失くしても、共に時を過ごした充足感のほうが大きいような


形を失った物が命ある者をいたわるような
(この場合は物との)関係をきづけたら・・・って

ラヴェル "亡き王女のためのパヴァーヌ" を弾きながら思った。


*屋根裏の心の整理
*物のお別れと未来

  *コートとボタン
  *くたっとした布たち
  *眠る物たち



真水の売り子

November 27, 2018

先日の記事の続きです。


この曲については特にシマエナガ先輩と意見が違ってて、何分間もそのイメージを話し合った。

シマエナガ先輩は1つのイメージを口にされ(断定的ではなく、頭を掠める絵柄といった感じに)、私はそれは全くないと断言(こちらは非常に断定的に)したところからイメージの交わし合いが始まった。

こんな会話にずっと付き合ってくれる方が居られる喜び。
擦り合わせを目的としない、写像の投げ掛け合いを楽しんだ。


私はこの曲に関してふうわりした印象で語ることはしなかった。


パリの上水道が長い間非文明的なまま改良されなかった歴史と切り離せない気がしたから。

文化が大きく花開き、華の衰えを知らぬように次々に芸術を世に送り出した都は反面で給水設備が考えられないほど整っておらず、水に関する衛生観念も低かった。

タイトルに真水とおいたのは、清さを顕すのじゃない。
海水ではなく、浄化したり沸かしたりもしてない「ただの水」の意だ。

汚水が混在する川の水を飲むことも多かった市民にとって、真水は十二分に飲料水に値した。


そんな背景は私の内では当曲の形象と心象に重なる。


活き活きした軽快な歩みの女、とは全く違う。

  1)活き活きした
    2)軽快な歩みの
      3)女とは全く違う

1)
以前、曲冒頭にmonotoneと書き入れられていると書きました。

楽曲の音色を物語る単語にもなるがフランス語でモノトーンは気分を表すことも多い。楽譜上以外のところで日常に使われる際は殆ど気持ちのトーンを示すでしょう。

活き活きしていない。モノトーンである。
シャンソン "パリのお嬢さん" のお針子さんのように気の晴れない心のまま、安い賃金の仕事を淡々とこなす売り子。


2)
軽快な歩みじゃない。記載通りun petit pas égalである。

此の指示書きの時点で、その足取りに華やぎはないと見なして良いでしょう。モノトーンにpas égalで進む時、それも裕福ではない人とわかる職種の仕事中に水を零さぬpetit pasを余儀なくされた時、僅かでも弾む心持ちに関連した演奏になるでしょうか。

あの日も詰め寄るようにお喋りした。


ご丁寧にもイベールは、'曲前の記載でも伝わらぬ場合がないように' と言わんばかりにわざわざピアニシモを刻んでる。


同時に1小節8つの16分音符がヴァイタリティある表情にならぬために、懇切丁寧に「La m.g. par dessus」とまで、言わずもがなを書き入れている。

D'un petit pas égal・monotone・pp・La m.g. par dessusと作曲家に4つも書かせてしまうのは、張り紙をしても・看板を掲げても・張り紙に赤線を引いても・別の標識を立てても、まだ間違った使い方をされる公共施設のようで心が痛くなる。

イベールがこれほど重ねて書き連ねなければならないくらい演奏者は隠し絵を見ないのか。どれか1つで察することができる演奏者でありたいではないか。


3)
水はいりませんか、と少々俗っぽくコケティッシュに呼ばわる女なんかじゃないとも口にした。


パリの水事情はカオスだった。
エミール・ゾラの時代にも続く暗黒がある。

ジョルジュ・オスマンがウジェーヌ・ベルグランに設計させ、第2帝政期から19世紀後半に掛かるころ・・・ジャック・イベール 誕生の少し前に下水はやっと整備されている。

政府はその後に上水道の改善に取り組んでる。従って上水の供給が行き渡るのは更に後になる。

個人が群がる給水栓や貯水場、カンパニーが使う停泊池が設けられ人々は飲料を求めたが、どの時代もパリの水の弁は悪く、水路の引き込みと質の悪さに長年悩まされた。

そんな事実が水の道が完備される以前の「パリの水」だ。
歴史の半ばにあった幾つかのカンパニー。水質汚染により蔓延したコレラによる死者たち。汚染と悪臭の黒いパリを抱いて現在の浄化に至るのだ。

この売り子にとって肩に重い水はパリの水事情の途上にある。


現時点での個人的な考えです。


*イベールの顔
*イベールにとっての物語
*たまゆらの
*少年の本当と嘘

*スピード落とせの表記比較(1)
*スピード落とせの表記比較(2)

*(No.2)ナイーヴなロバ
    *小さなロバと葉っぱたち
*(No.3)物乞いの生気
    *年老いた
    *時とメンデルスゾーンとイベール
*(No.6)美女と宮殿
*(No.9)隠し絵
    *OOの女

*元素
*知りたがり屋の物語

*幸せお昼ご飯
*ニヤニヤ
  *甘いひと口
  *その時
  *本当のこと
*サーモンのムース
*ひねくれ者の希望



OOの女

November 23, 2018

冬の夜、教会前広場の階段座りこのバッグを膝にお喋りした。


細いデニムに踵の太いブーツを履いてた。目が憶えてる。バッグの下にそれらがあったなって。

真冬に石の階段に座って話し、寒さを感じてなかった。すぐに終わる恋をしてた。

その日携えてた、ふっくらしたバッグと先冬お別れした。

思い出の物に触れると映像が蘇るが、
体験してない事柄も私たちはしばしば映像化するものでしょう。


無意識下で情報を集め、纏める。
イストワールNo.9 "真水の売り子" を例にします。

タイトル再考の末、私はこのように訳した。今年前半に触れてたブルグミュラーでも再三訳の変更を重ねました・・・

理由はどんな楽曲か目を見開こうとする際に、上述「無意識下で集める情報」に於いてタイトルが大きな役割を担うから。望む望まないに関わらず。


特に日本語を頼りに楽譜を見る場合に、目に飛び込んでくる訳が楽曲の本髄じゃなければ出発点がずれてしまう。


最初のところの勘違いや思い込みをなるべく少なくできたら、ずっと近道で遠くまで行ける人がもっと居るはず。

例えば "水売りの女" のタイトルと '隠し絵' とにも大きく隔たりを感じたのです。

  *(No.9)隠し絵

(↓写真は紙パックドリンクを模したポーチ。
昭和にリアルタイムだった人と、今レトロ感を楽しむ人とで
脳内情報の集積率が違う... って考えと同種かな)


伊丹十三監督映画で国税局査察の女性とのやり取りを描いた "マルサの女" や、内容をよくは知らないのに例に挙げて申し訳ないのですが題名をよく聞くドラマ "科捜研の女" など、'OOの女' と日本語で表す時、


良いにつけ悪いにつけ特異な性質なり能力なりと切り離せない特別な女性を指すことが多い気がしますし、

もっと言えばその女性は表されたOO(マルサや科捜研)に密接で、時間の多くを割いて身を捧げ(この場合仕事に)た状態で関わっている。

仕事に拘束されることを厭わない生活・性格・人格の代名詞として使われる 'OOの女' です。
"水売りの女" はそれとは完全に異なる表し方ですね。


一見すればわかるがイストワールNo.9の原題に [女] の文字はどこにもない。


商人・売人が女性形なだけ。
それだけで [女] がタイトル化された。

問はそのことよりも、この商人の性別が女性であるって事実の他に、楽曲に登場する人が「女でなければならない要素」がそう大きくないということだ。

女の勘を働かせたり、女ゆえに執拗さの表現をコントロールし易かったり、また女の優れた部分で得ることができる種類の縛られない思考、などの訳合いでいう [女] とは完全に違ってる。

他方性的なものを覗かせて雌を謳い、本人も雌であることを謳歌してる [女] とはもっと異なる。


そんな売り手を殊更に [女] と冠することに私個人はあまり納得がゆかず、"真水の売り子" としてみた。


*イベールの顔
*イベールにとっての物語
*たまゆらの
*少年の本当と嘘

*スピード落とせの表記比較(1)
*スピード落とせの表記比較(2)

*(No.2)ナイーヴなロバ
    *小さなロバと葉っぱたち
*(No.3)物乞いの生気
    *年老いた
    *時とメンデルスゾーンとイベール
*(No.6)美女と宮殿
*(No.9)隠し絵

*元素
*知りたがり屋の物語

*幸せお昼ご飯
*ニヤニヤ
  *甘いひと口
  *その時
  *本当のこと
*サーモンのムース
*ひねくれ者の希望





November 20, 2018

チョコレート色やパープル系リーフが楽しい季節。
コンクリートの刳貫きもよく見える写真だナ。


クリスマス・ベゴニア 'ラブミー' のお隣、小さなカップの中はヒューケラ 'フォーエバーパープル' です。

2枚目の写真、ミルクポット型のに植わってるのはリシマキア 'ペルシャン・チョコレート'。


色と形と質感は
連なって海になると
1枚1枚の葉が見えなくなる。


視覚が散るような感触の中で
葉は [印象] の膜の向こうに
朧な姿を現してる。

葉の1枚ずつを創り、
創っておいて見えなくする。
印象を大切に色づけるために。


楽曲はしばしば其んな形を取る。


耳を傾ける者はそのことに気づいて印象の不思議を識り
譜を読む者は印象から1枚の葉を検出しようとする。

印象の膜に妨げられる前の元の葉の形を辿ろうとする。

  しかしその膜は誰の手によって其処にあるか。

膜の多くは作曲者より主に演奏者が包(くる)み
小さな庭のような囲いに置き描いた葉の残影だ。


聴衆の手で膜にプツリと小さな穴を開け
破ってみせるのは難しい。


何故って葉の残影には模倣者の模倣が組み込まれているし
1枚と思い込んでいる膜も2枚3枚と重なってるかもしれない。

その膜は模倣者の手垢で濁っているかもしれない。


目を醒ませ、覚醒せよと過去の画家達作家達が高らかな声を上げ
新しい絵や文学とそれらへの関わり方を扇動したのは
彼らの世界にも此れと同じような撞着を見つけた時なのか?


でも私は声を出さず眠ってる。
膜の汚れは '雑味' として求められ

  *雑味

膜は存在しないかのように皆安々と通り抜けてゆくから。

膜の外側の世界は行き詰まってなさそうだ。
だから眠りをやめる必要はない。必要なのは諦めか?

これからラヴェルを弾こう。



隠し絵

November 15, 2018

病院から帰ると、椅子の背にかけてた飼い主のショールを引っ張ってきて、ソファでキュウゥってショールを抱っこして、顔を埋めて寝てました。


飼い主の匂いがしたのでしょう。
キュンとなります。

時間も遅いのでさらっと曲のお話を・・・

イストワールNo.2で、譜面をザッと目視した時に浮かぶ音楽と
よくよく考察して浮き上がる音楽とに隔たりがあったように

  *(No.2)ナイーヴなロバ

私たちが最後に触れた1曲であるNo.9水売りにも
同じ構造があります。


代わる代わる弾いてきた曲集は全曲を通し、シマエナガ先輩と私とは考え方が全く異なっていました。だから面白いんだヨ♪ 同じ音楽なら、知りたがり屋の意味がないもの。

シマエナガ先輩の演奏では、例えばロバはユーモラスでウギャッと鳴き声を上げる楽しい動物でありましたし、先輩はコンサートもなさったのでお聞きになられたかたもいらっしゃると思いますがNo.6の "うち棄てられた宮殿" では建造物部分も En pressant も同テンポに弾かれます。

  (あ...同テンポの理由を伺うのを忘れました。
  根拠を突き詰めて聞き出せば良かったって後悔)

En pressant 部分は浮遊するような、と拙ブログでは書き表してますが、そう感じているのは私個人の私観ということです。


その漂い浮かぶ横の美しい線的なフローこそまさにイベールが En pressant の下に書き込んだ 'Très fluide' の表現だと断定しているのも私だけですからネ、ってところを誤解なきよう。


もう1人のピアニストさんは流れるどころかカッチリと縦に聞こえる正反対の演奏をされてるのですから、ここでの考えだけを鵜呑みにしないでくださいネ。


No.9に関して、私の場合はNo.2と重なるイベール の表現を最も大切にしたくなったのでした。

ユーモラスな印象をもつ音にわざわざ Avec une tranquille と書入れ、'第一印象とは異なる姿' を提示してきたのと同様のことを、イベール はNo.9でも行ないました。

テンプレ風な表現なら生き生きと躍動的な音並びの '筈の' 楽曲に monotone と書き入れた。


これは非常に大きな出来事に思えるのです。


  見た通りじゃない楽譜。
  騙し絵に近い '隠し絵' なのだと認識したんです。

作曲者の言葉遣いを辿ると、動きある楽曲は抑えを効かせ
ゆっくり運ぶ楽曲には遅さの意味の細部を問いかける...
彼がそう伝えてきている気がしてならないのです。

正しいことは誰にもわかりません。

でも、これが作曲者の意志なのじゃないかな? と思ったことは
推し進めて考えてみる。違ってたら戻ってリセットすればいい。

もう少しだけ、この考えを進めてみますね。


*イベールの顔
*イベールにとっての物語
*たまゆらの
*少年の本当と嘘

*スピード落とせの表記比較(1)
*スピード落とせの表記比較(2)

*(No.2)ナイーヴなロバ
    *小さなロバと葉っぱたち
*(No.3)物乞いの生気
    *年老いた
    *時とメンデルスゾーンとイベール
*(No.6)美女と宮殿

*元素
*知りたがり屋の物語

*幸せお昼ご飯
*ニヤニヤ
  *甘いひと口
*サーモンのムース
*ひねくれ者の希望



スピード落とせの表記比較(2)

November 12, 2018

暖かい日だったから夕方に少しだけ近くを歩いた。
まだ病み上がりだから本当にちょっとだけ。


あとはお庭で走ったらいいねって声かけたのに、ガーデンチェアで休んでる飼い主から離れようとしない。一緒に日向ぼっこして終わっちゃった。

'知りたがり屋の物語' でNo.3,No.6という2曲のゆっくりしたテンポの曲に同時に触れることができたのはとても良かった。


下記リンクで曲の成立ちの根本的な違いに触れてるが、今日はテンポ表記のことをまた少し。


2曲にはよく似た速度表示がある。
No.3の最後から数えて7小節目Un peu retenu
No.6の最後4小節間に渡るA peine retenu

似た表示で単語の意味も類似するところがあるが楽曲の中での含意はまったく異なるだろう。

No.3 "老いたる物乞い" の... 便宜的には再現部だが楽曲の意味として此処は '再現' であり得ないからTrès douxと書かれた部分と言おう。


物乞いの生気が奪われ生きる力が失われたようなTrès doux以降、黒灰色の闇が迫る行く先への過程で


がっくりと衰耗する松葉のディミヌエ。
萎えたようなスラー・テヌート・テヌート・タイ。

引き摺るスラー。退勢のテヌート。譜面の線から人物が浮かぶほど無駄のないイベール の《線の描写》(一般に此う言われてるのではありません。今初めて書いてみる落合の私観にすぎません)。

着目したいのは衰萎直前にくるUn peu rf
生から遠退く人の魂の最後の瞬き、一瞬の煌めきのようなリンフォルツァンド。否、元の意rinforzare(補強する)が近いでしょうか。

Un peu retenuは此れを受け、次小節にくる。
終末の刹那に発光した直後、首を垂れるかのように。


対してNo.6 A peine retenuは温かみあるretenuに感じる。


曲頭から何か懐かしい、近しい旧友のようであった過去の自身。
建造物や物の肉体が朽ちた今も、輝かしい昔の名残のような淡い光が朧な姿を見せるみたいに。

謂わば誘ないのretenuだ。


*イベールの顔
*イベールにとっての物語
*たまゆらの
*少年の本当と嘘

*スピード落とせの表記比較(1)

*(No.2)ナイーヴなロバ
    *小さなロバと葉っぱたち
*(No.3)物乞いの生気
    *年老いた
    *時とメンデルスゾーンとイベール
*(No.6)美女と宮殿

*元素
*知りたがり屋の物語

*幸せお昼ご飯
*ニヤニヤ
  *甘いひと口
*サーモンのムース
*ひねくれ者の希望



時とメンデルスゾーンとイベール

November 09, 2018

冬毛が伸びるのを待ってる間はミディアム・レイヤーみたい。


昨日しっかりカットして幼いお顔になったから、今年バージョンのセミロングコートは最後ショットです。

オトナっぽいヘアスタイルの2世ちゃんも記念に残しておきましょうっと。

今日もちょこっと曲のお話。


メンデルスゾーンOp.67-No.2 "失われた幻影" について以前短く書きました。


個人的にこの曲世界から離れられないバックグラウンドがあり思い入れ深い曲... だから返ってあっさりした上の風な記事でしか解説できない想いがあるのです。


情感溢れるか細いメロディーの下、内声部と低音部が動いてく。
旋律の特質を鑑みれば、下の2声部は感傷的に運ぶかと思いきや
さらさらとスタカットで流れる。


旋律が語る想いの深さに対して、下の2声部はスッと流れ去ってしまうようで... ドライな運びに物足りなさも感じさせる。


しばらく経って納得をした。
アレグロ表示やスタカットを物足りなく思ったのは、悲歎にくれるメロディーを下声部で気遣わし気に包んでほしかったからだった。

でもちがう。
物想いの胸間に関わりなく淡々と流れるものがあるから
旋律の愁いごとが '取り残されたもの' となって孤独感を増すのだって気がついた。


イベール の物乞いの鐘の音にも、物乞いの状態に関わりなく時を刻む無情さがあると・・・。


人としての何か大事なもの... 希望やあるいは生命そのものを失おうとしている人があっても時の鐘は同じ間隔で響いてゆき、そこにレ・ミゼラブルがあるんだと。

(曲の図の設定として、個人的には物乞いと教会堂の距離はごく近いと考えています。パリによくある風景と言えるでしょう。教会の傍は追い払われることが少なく定期的に人の出入りがあり施しを受けられる率が高いため、しばしば目にします。)


最後の3段で物乞いの生気が失われるようにトリプルピアノが現れる頃、淡々と鳴り続けてた鐘も小さく間遠になってゆきます。


物乞いが去ったのじゃなく、疲れ切った彼が傍の建造物から響く鐘さえ聞こえなくなってゆくほどボンヤリした意識に落ちた様子を思い浮かべるのです。


*イベールの顔
*イベールにとっての物語
*たまゆらの
*少年の本当と嘘

*スピード落とせの表記比較(1)

*(No.2)ナイーヴなロバ
    *小さなロバと葉っぱたち
*(No.3)物乞いの生気
    *年老いた
*(No.6)美女と宮殿

*元素
*知りたがり屋の物語

*幸せお昼ご飯
*ニヤニヤ
*サーモンのムース
*ひねくれ者の希望



年老いた

November 08, 2018

一昨日立ち寄ったハーバーランドで。


JKも外国客もファミリーもワンコも通っていった。
様々な国の言葉が飛び交い、外国人歌うたいのギターが響く。
船の軋み、港の匂い、光の点滅、釣り人たちの得意げな顔。

子供時代から好きな港。


ランドックの港町セットが大好き。男の港って雰囲気のマルセイユもいい。漁師町特有のザックリ感が心地良い。出されるお酒はどれも強く、木床はぎしぎし音を立てる。


だけれど此うして港を眺めると、神戸に住むのも意外に悪くないところもあるかも? ってちょっと思った。

関西の街に興味もあまり持たずにきてしまい、やさぐれてお出かけも少なかったほうだけど海だけは大好き。海だけは。此の海も地中海に繋がってる。


先日イベールの '小さな' の形容について書いた。

  *小さなロバと葉っぱたち


知りたがり屋の日に私がシマエナガ先輩との会話で繰り返し口に乗せたのも、タイトルの形容の問だった。No.3 "老いたる物乞い" の老いについても素通りできず、本来的なアプローチが必要なところだと感じるのです。

物乞いが老いたお人である例は少なくない。再就職が難しい年齢だからって理由もあるでしょう。人生の半ば以降に不運が起きて、足掻いた末に物乞いになり、気づけば老いていた場合も多いでしょう。


その上で '年老いた' と形容するところに着目したいとお話した。


老いている・老い続けているのは点の描写じゃなく時間の線だ。

老いた形容はまず形容された時点に過去が映される。ごわついた髪に、皺に、軋む関節に。
そして形容された点から更に進行形を取る。

  何の進行か? 何が増大するのか?
  諦めだ。


当曲の演奏に際して自分ならば1等大切にしたいのは、
曲の前に添えられたaccableの単語だ。


打ちひしがれ諦めてしまった者が老いを重ねるということ。

楽曲表現で '悲しそうに' 演奏されてしまう例が大変多いと思われるので敢えて重ねて記載するが、打ちひしがれたり立ち直ったりが 'できる' 私たちのお話ではない。

来る日も来る日も十数年あるいは数十年もを「打ちひしがれて」過ごし続けた者の諦めが如何なるものかという発想だ。

それは疲労困憊した心に時間という錘りが滞積することだ。
もはや「悲しげ」ではない。悲しみを感じるほど「軽い時間」ではないのだ。


*イベールの顔
*イベールにとっての物語
*たまゆらの
*少年の本当と嘘

*スピード落とせの表記比較(1)

*(No.2)ナイーヴなロバ
    *小さなロバと葉っぱたち
*(No.3)物乞いの生気
*(No.6)美女と宮殿

*元素
*知りたがり屋の物語

*幸せお昼ご飯
*ニヤニヤ
*サーモンのムース
*ひねくれ者の希望



小さなロバと葉っぱたち

November 06, 2018

夏によく増えてお庭を彩ってくれたグレコマ。


グレコマは、もっと大きくもっと肉厚でもっとカラフルな種類を持つヒューケラに憧れてる。

それだのにグレコマよりは大きく肉厚でヒューケラよりは寒さに弱いゼラニウムのことは、どこか苦々しく思ってる。

ゼラニウムが自分に近いから?
それとも憧れのヒューケラに自分よりも近く見えるから?
どちらが理由か知らない。
グレコマ自身もわからないんだ。


我々は植物の物語を知らなさすぎる。


春と夏の短い季節が出番の夏蔦が、先っぽに触手を携え
意思をもって伸びてるのじゃないなんて誰が言えるでしょう。

我が家の夏蔦の触手には行きたい所があった。

夫のお部屋の出窓だった。今年こそは2階窓まで届いて、人の家の中ってものを見てみたいって思ってた。

お庭で鋏を入れてお家の中に連れて行かれた花々は戻ってはこなかったから、口伝えもなかった。自力で這い上がろうと決めた。


お掃除やお洗濯物の整理に入る飼い主にくっついて時々やってくるブルゴーニュ君を、うまいタイミングで窓の外から見てみたいと懸命に伸びてた。


私は彼らの望みを知らず、蔦が付着根を出して絡みつくと壁の塗装を汚すからってカットした。

先っぽを切り分けて窓辺に挿し、おうちの中を見せてあげれば良かった。

グレコマがゼラニウムに悪い感情を抱くのも、蔦はその全体が体で先が触手になるのも、書物や曲の中では簡単に起きる事。

簡単に、頻繁に。


色んなところの声を聞こう。
耳を傾けよう。


  楽曲に出てくるもの達の声に。
  取分け作曲者がそのもの達に付与した形容に。


イベール作曲 "小さな白いロバ" で「小さな」に関する疑問を聞いたことがないのを残念に思ってきた。

  《'小さな' は、どれくらい小さいか》

曲に触れる前、タイトルを見てすぐ自問すべき問になった。
もし同じ考えのかたが何処かにいらしたらとても嬉しい。


小さなロバ。小さいとはどういう小ささか?
ロバにしては小さい? そうだろうか?


本当に? 自信はある?
カフェボウルほど '小さなロバ' じゃないと言い切れるか。
消しゴムくらいに '小さなロバ' は絶対に居ないのか。

イベールがそれを見たかどうかはわからない。
お部屋に落っこちてた白いクリップがロバっぽかったなら、その意味で彼は 'ロバを見た' かもしれないし、白昼夢を象った静止画の1枚かもしれない。

いずれも彼のロバは '生物学的にロバと言える大きさの範疇' なのか?

'小さな' の意味はどこにあるか。


*イベールの顔
*イベールにとっての物語
*たまゆらの
*少年の本当と嘘

*スピード落とせの表記比較(1)

*(No.2)ナイーヴなロバ
*(No.3)物乞いの生気
*(No.6)美女と宮殿

*元素
*知りたがり屋の物語

*幸せお昼ご飯
*ニヤニヤ
*サーモンのムース
*ひねくれ者の希望



がるー属と音楽

November 05, 2018

過日、シマエナガ先輩のブログがupされた時
一目で "欲しい! " って思った。


ブログ本文とは直接関係がなかった青い子に目がいってますってFBに書き込んだ時には既に、先輩のと双子の此の子が神戸行きに準備されてたのでした。

惹かれ合っちゃった子♪
干し鰈科、がるー属の '欲しがるー' です。
せんから繁殖してる 'ぷるぷる' たちと同じ属みたい。

  *僕が見た増殖


鰈には沢山の科・属があり、
その1つにムシガレイ亜科ムシガレイ属があるんですって。


虫鰈って書くそうだけど蒸し鰈に聞こえるでしょう?
だから干し鰈科を設けた。我が家ではネ。


鰈って不思議よねって昔にお料理の歴史本を見て思ってた。

鮃は鰈目・鮃科
鰈は鰈目・鰈科

鮃も鰈も鰈目なんですね。
そして舌平目は鮃じゃなく、

鰈目・牛の舌科

なのだそう。


舌平目のようなムッチリした肉感の欲しがるーも、
鮃じゃなく干し鰈科。


頭からカラフルヘアーを生やした欲しがるーは、ヘアーに見えるのは本当はトサカで、ぷるぷるとお揃いなのさって歌ってる。


階段の吹き抜け壁には 'こっちゃり' と好きなモノがぶら下がる。


クラブハリエのリーフパイが入ってた葉っぱのボックス。歌い手さんのご主人様のクレヨン画カード。生徒ちゃんからのカード。

  それらに描かれたお花からタネが零れて、
  壁のすぐ下のニッチに落ちた。


だから真下で似たお花が咲いた。


欲しがるーとぷるぷるのようによく似た本たちは、手前のバスケット内 "ちいさなちいさな王様" と向こう側のアルミヴァーズの側 "思いがけない贈り物"。共にミヒャエル・ゾーヴァ挿絵です。


共通の属に共通するトサカがあり
2匹のトサカの持ち主の物語が動いてて
お花同士は上下で繋がる。
異なる作者・共通の挿絵画家の組み合わせの本は
同じようなお顔をしてる。

いろんな所で双子ごっこ。
ちょっと同じでちょっと違う。
そっくりで歩いてて、ふいに逆立ち。
すると別のところが似てると気づく。

それが楽曲。

音楽と物語と
音と登場者と
空気と色と

五線の中の絵。



ナイーヴなロバ

November 04, 2018


一方向へ流れるようなお花のつき方。


太陽が当たった角度のせいでしょうけれど、この子は胡蝶蘭になりたかったベゴニアかもしれないって想像してみた。

昨日末尾のほうで書いたイストワールNo.2における一定の情態とは。

「明るい曲だ」と断定して、焚き付けたような愉快さを作り出し
明るい要素やロバの表情(?!?!)を探すような形でのスピードの弛みは、個人的には気恥ずかしささえ感じるのです。

スピード表記の意味を考える過程で派生してきた考えです。


ちらと楽譜を横目で見るだけで目に飛び込んでくる曲の動性。
過半数を大きく超えた人たちが容易に想像するユーモラスな音。


それを敢えてイベールは、曲が始まる前から私たちを戒めてる。

Avec une tranquille です。跳び撥ねるのじゃありませんよと。
それから懇切丁寧にbonne humerとも語る。

tranquilleと「書かなければならなかった」意味にまだ気づけない人でも、次では気がつけるように異なるアプローチの道路標識を2枚並べてる。「気分」の特色を書いた看板も上げておく。

  ここまですれば誰も勘違いする筈がない。


演奏者は '過半数以上が容易に浮かべるような' ベタな絵面しか連想できない凡夫ではいけませんよ、と鍵盤に指を置く前に言われてしまったかの表示だ。


くどいがbonne humerは気分の現れ。気質・キャラクターの限定にはならない、といったところにも目を向けたい。スターリンにも bonne humer な時間はある風に。

この冒頭が曲の大部分を決定づけるとも言える。
'イベールが言葉少なに求めてくる知恵の使い方' を、機智の有無を問われる冒頭だから。

観察してみましょう。

3小節目2拍目に入ってくる弱音 ut♯
pでわざわざLointainと言い重ねてる。


これはドォォオ~とタイに向けて伸びのあるutではいけない。


ダイレクトなドはLointainじゃない。
伸びやか過ぎず停滞せず、遠くにそよぐutが求められる。

pのLointainをおとなし気に支える左手は、上述utから逆算すれば自ずと冒頭音量が決まる。大抵の例では強すぎる。

ppにTrès légerと、曲前ばかりか曲頭でまでも2つ言い重ね「なければならなかった」作曲者の心中を、この時点で察するべきだ。
3小節目から逆算して戻れば '頼むから! 君のやり方は強すぎる。その指は乱暴すぎるんだ! ' と泣いて服を掴んでくるイベールに出会う筈だ。

一筆に連なる小さな玉のような音たちはデリケイトで
《決してギャーのピーのといった種類のユーモラス(日本語での意)な様子ではなく》

走り過ぎず、太っちょのような重量は一瞬も鍵盤に掛けず、
mfで和やかな膨らみとアクサンのウィットを振り撒いた後の僅かなUn peu cédéには、'可笑しみ' からは離れた、粘りのないナイーヴな音がほしい。


*イベールの顔
*イベールにとっての物語
*たまゆらの
*少年の本当と嘘

*スピード落とせの表記比較(1)

*(No.3)物乞いの生気
*(No.6)美女と宮殿

*元素
*知りたがり屋の物語

*幸せお昼ご飯
*ニヤニヤ
*サーモンのムース
*ひねくれ者の希望



スピード落とせの表記比較(1)

November 03, 2018

11月1日 "知りたがり屋の物語其の1" を省みた記録。


全曲を終わらせるオブリゲーションがないプライベートな会はゆったりと進み、4曲に触れました。

イストワールで取り上げたのはNo.3,2,6,9。選曲・順序ともにシマエナガ先輩のご希望に沿って流れるのを楽しみました。

こんな時や伴奏なども、パートナーさんに順を決めていただくのって割と好き。

自分にとって順序がランダムになる時、それでも1曲ずつの考えがブレないのを確認し確証を得る良い機会になるからです。


全体を見返した私なりのポイントとして、上記4曲では
徐々にゆっくりになる表記が大きく着目すべき点の1つに思えた。


No.3、16小節目のRetardezは疲労して緩慢になった物乞いの人生の歩みや、人の波から置いていかれる風な、'元々あった遅れがちな因子' が澱のように募って起こったもの・・・
といった状況的・心理的なRetardezじゃないのか。

だから当曲の '遅れ' には '鈍さ(あるいは物乞いがある時期に、心を守るために感じまいと望んだから実現した鈍さであるかもしれないもの)' が付き纏っていなければならないのじゃないか。というのが私観です。


対してNo.2の場合29小節Un peu cédé、52小節Un peu ralenti、79小節Retenez un peu という具合に


常時 '少し' とセットになっており、心情的なゆったり感より物理的なテンポの緩みが求められてるように受け取れる。

ブレーキと表示しても大きくは差し支えないかもしれないと考えるのは、この曲にはある一定の情態を加味するまいという決意故なのだが、その内容は次回に。


*イベールの顔
*イベールにとっての物語
*たまゆらの
*少年の本当と嘘

*(No.3)物乞いの生気
*(No.6)美女と宮殿

*元素
*知りたがり屋の物語

*幸せお昼ご飯
*ニヤニヤ
*サーモンのムース
*ひねくれ者の希望



物乞いの生気

October 30, 2018

歩きながらずぅっと見上げてくる可愛い子。


飼い主がリードを自分の手に巻いてるのはお散歩マナーでは普通 (何かの拍子に放れてしまう事故を防ぐ・公道でのお行儀として飼い主が進路のアルファになる等) だけれど、2世ちゃんの場合は飼い主の真横にキュウってくっつくから巻かないとズリズリ地面に着いちゃうのです。

歩きながらのブレブレ写真と共に、昨日思ったコトなど。


イベール "物語" をお稽古しました。
一応は弾けるようにしておかなきゃネ。


ロマン派音楽の特定の作曲家の場合に、同じ響きの短い旋律や同じ音形やらが3,4回続けば、訴えかけのように・高唱のように・心の主張が心の波に揺られるように

  1度目...2..度目、さんどめっ!⤵︎四度・目....寸止め

と噛み砕き・吞み下す風な旋律回しがあるが


3曲目 "老いたる物乞い" の譜面を開いてホッとする。
上記みたいなことは何処にも起きないのだ。


やれやれ。エフ周辺じゃアウェイ感に喘いで (今日は韻好きな日) たけど、イベールの傍はやはり身体に馴染みます。

17小節目ディミヌエ。バスも松葉でピアノへ
18小節目ピアノ。バスは松葉でピアニシモへ
19小節目plusピアノ。一層弱音に
20小節目ピアニシモ。松葉で無きがごとくに


すーーーっと。
水墨画の一筋で描かれる明暗のように。


構ってチャンっぽくこぶしを回すなどあり得ない世界。
ここではこぶしは無作法で趣がない。

  静やかな陰り。
  音だけが減少するんじゃない。

  物乞いの生気が減衰するのだ。


だからその先・・・


物乞いの生の先、21小節目はトリプル・ピアノとなり
Très doux やさしくなる。死のようにやさしい。

生きてきた間は拒まれ続け、今も存在さえ拒む人が居るなかで
受け入れ迎えてくれる場所を近しく感じている。

最後の指示書き en se perdant で失われてゆくのは間隔が間遠になる音だけじゃないと、10代後半に此の楽譜をお師匠様に頂いた頃思ったものです。


*イベールの顔
*イベールにとっての物語
*たまゆらの
*少年の本当と嘘

*(No.6)美女と宮殿

*元素
*知りたがり屋の物語
*サーモンのムース
*ひねくれ者の希望



元素

October 28, 2018

昨日のホームセンター写真は、レモンカナリアちゃんの自動車に乗せてもらって行った先でした。


他所様の自動車に乗る日も、普段使ってる箱型のブルゴーニュ君シートを置けば、ここに乗るのヨってサインになって自分でピョンと乗り込みます。


さて台風で一度流れた '知りたがり屋の物語' の日はもうすぐ。
当日どんな運びにするか、せんに提案させていただきました。


曲内で大事にしたいものって曲ごとに違ってますね。


1個の部分やら、もしかしたら部品に見えるものやら、あるいは複合的なコンポーネントが何の基準で何と手を結び、どのようにして全体を導くエレメントになってゆくか。

その考え方は演奏者によって違っています。考えの道筋もね。


だから音符・小節・主題・フレーズなど大小長短のパーツが撒かれた [楽譜] という箱を一緒に覗いて、「元素は何だと思いますか?」って議案を出したかった。


音符が重なって作られた楽曲を解剖するのがアナリーゼだとして
学生じゃないから解剖は今更すぎますし、元素を導き出すのは解体の作業とは意味が異なるでしょう。

葉や根を分けて見つけるのは目視はできない物。
有るか無きか判らないものを蒸留して最後に残るエキス。

  ただひとつの原子から成る物。
  物質の根源。


この場合の物質の根源とは、ジャック・イベールの魂と言い換えても差し支えないと思います。


どの曲にもある筈の、楽曲を司る根本を探すんです。

顕微鏡でも見えないから正解はありません。
正誤はないけれども如何に近く心を寄せるかの手順や感覚を取り出してみるのは楽しいと思う。


それぞれが「此の曲に於いては何を1番大事にするか」「それは何故か」をお互いに解説し合って解明することがあるなら知ってみたい。


私個人は常にアマチュア演奏者さん大歓迎なんですが、濃いめのお遊びとなると '聞クダケナラ良イケド弾クノハ何トナク怖ソウ' みたいな感じで付き合ってもらえなさそうだから


現役のプロピアニストさんご来訪の素晴らしい機会にディープな遊びをしちゃいます。楽しみ~


*イベールの顔
*イベールにとっての物語
*たまゆらの
*少年の本当と嘘

*(No.6)美女と宮殿

*知りたがり屋の物語
*サーモンのムース
*ひねくれ者の希望



美女と宮殿

October 27, 2018

ホームセンターでお利口にペットカートに乗ってるブルゴーニュ君をupしながらおしゃべりです。


すれ違うカートのワンちゃん達に軽く会釈する風にご挨拶して、カートの中からゆったり店内を見てました。


'美女と野獣' の映画は1946年のコクトー以降、幾作も作られてますね。私も複数の映画を観ました。コクトー版は両親がデートで観て好きだったって昔聞かされて観に行ったんだったナ。





どの映画バージョンもそれぞれにいいですね。

個人的な趣向では、2014年のクリストフ・ガンズ監督作の世界に浸るのが楽しかった。映像が音楽の声部のようでとても音楽的だからです。

ガンズ監督が描く野獣の城内を見たとき感動したの。
ジャック・イベール "イストワール" 6曲目 'うち棄てられた宮殿' (現在の自分はこのように訳すのが相応しいと感じてます) において、言葉では説明しづらかった作画が実現されていた喜びに酔いました。


それは朽ちた現在と輝く過去の混在です。
イベールのほうのお話なのだけど・・・


その設定には既に1つのパラドクスが感じられて面白いのです。

人が暮らしてると新しい物が増え、古い物が失われてゆきます。
消費社会のペースでは新しい物と古い物の割合は、新しい物の数が古い物の分量を追い越すことが多いと思います。

同時に '古さの単位' とも呼べる '古びの程度に対する見方' が変わる。1年も経てば古いって言われる分野もあるのですものね。


古い時代は、古さの単位がどんどん短くなるでしょうって概念さえあまり持たなかったかもしれない。


いずれにしろ人が暮らす生活圏では混在し、動いてゆく配分は
うち棄てられた場所では変わることがない。

永劫、古い物が時を経るにつれ朽ちるという絵図があるだけ。

人が生き暮らせば未来へ向かうにつれ新しい物の率が増すのに
廃墟では逆さまに、未来へ向かうにつれ古い物の率が増す。

それをパラドクスと感じるのは別の生命の存在故だと思います。


廃墟と人は呼ぶ。
ところが其処に生命はある。


今は朽ちてしまった物たちの '面影' という光です。

意思をもった生命体であるかのような面影は、
過去を語り、現在疲れ朽ちてしまった物 (現在の彼ら自身の姿ですが) を励ますかのように寄添う存在として豊かな息吹を持ってる。

これが高音部で6つの和音を奏でるTrès fluideと指示された、光の輪のような音たちの存在に重なってるように思えるのです。あくまで私感です。





小節1つ1つから吸い込んで

舌の上で、また胸の奥で転がしてみる 何故? は、6曲目の場合光の音がキーとなりました。

曲頭で別々の動きをしてるかに思わせた現在と過去の音たちが
曲半ばには呼応し始めるのです。過去の声が、澱りを纏った今の眠りを醒まさせるように呼び、古び沈んだ物が応えます。

わずか2ページで過ぎてしまう、ジャック・イベールが描いた城の '時' の中の出来事。


*イベールの顔
*イベールにとっての物語
*たまゆらの
*少年の本当と嘘

*知りたがり屋の物語
*サーモンのムース
*ひねくれ者の希望



たまゆらの

September 16, 2018

ピンクのディゴワンにシャインマスカット。
今年初めての福岡産でした。


果汁たっぷりの大きな粒が柔らかで美味しかった。

昨日は目眩が酷くて、自分の目眩に酔うような半日を過ごし、夕刻になってやっとカーポートをお掃除した。


ブルゴーニュ君が優しく案じながら見守ってる。


自由に遊んでれば良いのに、飼い主の調子が悪いと此うしてジッと見てるんです。

後ろにあるのは、レモンカナリアちゃんが注文で作ってもらってプレゼントしてくれた椅子で実際に座れるの。エイジング加工がされてるけれどピカピカの新品です。

出来上がりまで数ヶ月を秘密で待って完成翌日に届けてくれた。


こんな場所でイベールを弾いて遊ぶ日が半月後に近づいてる。


といってもまずは9月の度重なる通院を最後までクリアするほうに一生懸命だから準備が進んでるのでもない。

だけど合間合間に楽曲への自分なりの解答は固めてゆきたいな。


診察を待つ時間ジャンケレヴィチのドビュッシー論を読み返してて、今弾こうとしてる小さな "物語" の曲集に通じる精良な文章を見つけたからメモしましょ。


《彼の前奏曲は、ショパン、スクリャビン、ラフマニノフの場合のように、主観的気分の束の間の状態を描いているのではない。


ドビュッシーが前奏曲と呼ぶ典型的な、静止した絵のような映像は、いかなる心情の吐露とも違って、つねに非個人的、客観的性格を持っている。

ジョゼフ・ジョンゲンの悲壮で気まぐれな前奏曲は、'不安'、'郷愁'、'苦しみ'、'熱情'、'苦悶'、'優しさ' ....と題されているが、ドビュッシーの前奏曲は、感覚的な [束の間の印象]、幻影である。》

             (船山隆様・松橋麻利様訳)


イストワールと重なったポイントは「静止した絵」という点。


例えば水が流れていようとも其れが意思を持って何かを押し流そうとする力ある水じゃなく、また流される運命への悲嘆を湛えてもおらず、

流れる水を '1つの時という点' である瞬間を描いた、謂わば「切り取られた図案」であること。

'止まってしまったもの' '連続性を断たれたもの' '閉じ込められたもの' がもつ儚い息遣いこそ最も耳を欹てたいものということ。

これが、作り話を押し被せて澄んだ音のピエスを覆ってはならないと考える所以です。

たまゆらの小さな瞬きをそのまま掌に包みたい。


*イベールの顔
*イベールにとっての物語



ピアノ弾きたい動画

July 29, 2018

ウサギの '地下足袋' を抱っこしてご機嫌なブルゴーニュ君。

  *地下足袋と七五調


飼い主がお稽古終いをしてると、もう遊べる? って問いかけてきた笑顔なの。

カメラアプリ規定の30秒内に収まる箇所を探してグラナドスを弾いてみた。




台風が近づいてた昨日は気圧の変化で調子を崩して、結局は午後から夜まで寝っ放しになってしまった。

ブルゴーニュ君の隣でうっすら目を開けたのは19時頃。
まだ沈み込みそうにだるかったけど、ピアノが弾きたくて起き出した。


病気になる前は、弾かなきゃ、早くお稽古しなきゃって頑張ってエンジンをかけることも多かった。

今は、ピアノ弾きたい! と鍵盤に指を置きます。



ハノンと恋

March 11, 2018

昔ハノンが辛かったのは、単純作業を繰り返すせいかなって思ってた。

  *ハノンとワンコ写真


それは考え方の順序が逆なんだワって、ある時思い直した。

音楽がしたい筈なのに '単純作業のステップを踏まなければ音楽ができませんよ' って具合に [此れは単純作業である] と間違った変換がされてることに苦しい気分なってたと思う。

この御達しは不思議が過ぎる。音楽の前に必要な事柄を '単純作業' と括るだなんていう趣のない粗略な発想に納得する必要はないと考えた。


ハノンがいけないのじゃあない。


ハノンを単純作業の課題と据えてしまう教師のぞんざいさに納得ゆかない子供達があの頃たくさん居たのねと振り返った。

教師が単純に指の遣い方を教える教材と捉えれば音の種類には無頓着になり、感受性豊かな子供ほど美しくない音が上がったり下がったりする繰り返しに気が変になりそうになる。

じゃあ美しい音でハノンを弾きさえすれば良いのか?
ちがう。そういうことじゃあない。


わかり易く言おう。


上品な例じゃあないけれど音楽になり得るものを粗雑に扱う仕業よりは、下品なほうが幾分マシだから。

ハノンは指の訓練の教材だから我慢しましょうなんていうのは、職業訓練できた効率良く稼げる男だから結婚しなさいって御達しのようなものだ。

次に美しい音で弾けばそれなりに楽しいですよなんて甘言は、そこそこ顔が良い男なら悪寒はしないから取り敢えず付き合いなさいとでも言ってるようなものじゃないか。


ちがう。全然ちがうんだ。
ハノンと結婚したいのでも付き合いたいのでもない。

  私たちはドキドキしたいのだ。
  それが最初じゃあないの?


私はドキドキしないやり方が厭だった。
オブラート(ビニール袋かな?)に包んで申せば、プンプンかよ! って感じだ。


少しなら弾けそうなバッハの易しい曲に、または先で弾けるかもしれないスカルラッティのパッセージにハノンと同じ音形を見つけ、今重ねるお稽古が、いつか憧れのあの曲の1部となるかもしれない期待こそドキドキさせてくれる。

ある時はラモー風、ある時はモーツァルト風・・・
それらはとても有効な練習でもあり、
ドキドキする何かを音から見つければ曲への恋は始まるのだ。

何を '我慢' する必要があるだろう。


恋のために雨に濡れるのは '我慢' だろうか?
そのためにひいた風邪の辛ささえ甘美じゃあないだろうか。

それくらいの恋をすればいい。
我慢をしてハノンを弾かず、ハノンと共通するモチーフに恋を見つけられるといい。



枯れた花のお手紙

January 19, 2018

アンティークのボタンたち。色褪せて、シミも浮き出てる。


何からお話するのが順序かわからないまま、この黄色い '音符' を手に取った。お好きと聞いた文旦の黄色で思いついたボタン。

ボタンと文旦を掛けてるのじゃあない。
それとも掛かってるほうがフランス的だろうか。


ブロカントのお紐で束ねて、おままごとのタスに入れた。


楽曲を手がけるとはそういうことかもしれないと思う。
今自分が何を言おうとしてるか判らなくても、思うままに音に触ってみる。音を触覚で感じてみる。

タスはフライングタイガーさんの現行品。


黄色いアンティークボタンを次々出した。


傷が入ってくすんだボタンは、あの花だ・・・と
ヴィルモランの歌詞を思った。


色褪せた花、砂が降りかかった花、と歌われる。


過去には愛の花だったものだ・・・と、
詩を思い起こしながら気の向くままにボタン穴に通した。

お紐は、花が生きてた頃に瑞々しかった茎に見えてくる。
花が朽ちた後に、茎もこんなに細っていったろう。


小さなボタンは黄色い糸で綴じて
おままごとのシュガーポットに入れた。


死んだ愛の花の骨壷のようでなかなか気に入った。
甚だ不健康なルイーズ詩によくマッチするじゃあないか。


といっても不健康な気分で作業してるのじゃなく


チェコの皮布でボタンを包んだりしてミニチュア荷物を楽しむ。


黄土がかったごく小さなアンティーク布切れも選ぶ。


昨年だったかアンティーク収集家さんから幾枚もセットでお安く譲っていただいたのだ。

コースターにしたり、小物のステージにしたりして楽しんでる切りっぱなしの布片。うちでまだ使わずに仕舞ってた色柄をそのままお箱に入れた。


詩の '花' は燃されるのだ。
暖炉にくべられる。


花は、愛の思い出であり、ひょっとしたらお手紙もあったかもしれず、詩中の女性自身でもあるだろう。

そんな事を想いながら暖炉の火のような赤い布片も出してきた。


燻したような銀色たちは
昔輝いてた愛なのだろうか。


光を失った愛は灰になろうとしてる。


ムートンの綺麗めなケースに、古い愛を乗せる。


花が瑞々しかった頃、男が真っ直ぐに彼女を見つめた頃、
そして彼女の頬が薔薇色だった頃に男から貰ったかもしれないアクセサリーケースだ。

干からび、死んだ愛の残骸を乗せるにふさわしい。


えへへ、ここまで読んでくださった方々は、'え? 今日のブログ何?' って思いなさったかも。
ルイーズ・ド・ヴィルモランの歌詞を読んだ健全な方々のご感想のように。


今日のはね、フランスものでどんな曲がお勧めでしょうと問われたお答えの1つとして、プー '偽りの婚約' の終曲 "花" を思い浮かべた図です。

《フォーレ "リディア" のように歌のメロディーとピアノ伴奏が同じ旋律で進むため、意外と音程が取り易いです。

そしてピアノのハーモニーが曲の雰囲気を随分と手伝ってくれますし(ピアニストの責任は重大ですが) 縦合わせから自由になれて、しかも譜面ヅラよりも難解じゃなく、イマジネーションの中にグッと入り込んで遊べる曲だと思います。》

ナンテ応答を書くよりも、上のよくわからないパッケが届くほうが面白いから。暖炉に焼べて、ルイーズごっこをしてみてください。(変な気化物質が出ると危ないからお外の焚き火のほうがいいかもです)



動画:むはむはマハ

January 18, 2018

飼い主の調子をみながら、優しい優しいお顔で付き添ってくるブルゴーニュ君。


しんどい2日間だったので、ちょっと心配そうな表情で飼い主をピアノ室前まで導いた。

ところが曲を聴くときは変化します。此処が僕の場所! って自由な世界に遊ぶのです。




今日の演奏は完成形じゃあなく、ピアノ弾き的には撮り直したい箇所があるけれどブルゴーニュ君が面白いからこのままupしちゃうワ。

前半は僅かにお耳の中が動いてるのにご注目。そして


クレッシェンドで盛り上がる直前から察知して、お口をむはむはさせて歌い始める。


思いがけず急にピアニシモになると (ブルゴーニュ君にとっては思いがけなかったのね) オヤッ? って薄目を開き、

再び陶酔。むはむは歌います。

寝言かなとも思ったけど動画最後(約1分)のフレーズ仕舞いで 'ハイここで1フレーズ終わりネ︎' ってしっかり目を開ける。

元野犬ちゃんがこんなにお利口になりました。



プリュドムの風景

January 13, 2018

井上究一郎様の訳詩集 "シテールへの旅" がとっても楽しかった。


ロンサール、ユゴー、マラルメなど翻訳が少ない詩も収録されてる価値ある1冊だった。


霜が降りて張りがなくなった花びらが多いエクステリアで
色の賑わいをくれるヒューケラが頼りです。


全国的な寒波の中、恒例行事があった。
バス用の給湯器が凍結で調子悪くなり、ガス会社さんを呼ぶ毎年の拙宅の催し。


昨年の今頃は入院前の検査が忙しく、その後すぐ入院になった。


全館暖房で一定気温に保たれた病棟で過ごした昨冬は給湯器行事のことなんて忘れてたし、それどころじゃあなかった。

面倒だけど土地の気候に根ざすが故に何か愛しい気もする例年の催しを、昨年は夫がしてくれたのかな? 毎日お見舞いに来てくれても其んなお話は耳にしなかった。

ネガティヴなことや心配なことは口にせず、ただただ優しく毎日見舞ってくれてた。


おそらくあっただろう給湯器トラブルを病中話さなかったのは夫らしい仕業だわって思ったのをきっかけに、昨夜は結婚前のことを思い出してた。


プリュドム詩にフォーレが曲をつけた "水のほとりに" のような2人でいたいと話してた事を。

すると折良くフォーレの此の曲をこれから歌われる方からメールをいただいた。

新しい曲の命が生まれそうなお知らせは楽しい。何処かで誰かが何かの曲を愛する事実が卵のように1粒零れて、其処に楽曲の小宇宙が1つ生まれて、中に様々な風景が大切に閉じ籠められる。その素敵な球体を覗き見るのがコンサートなのかなナンテ思った。


此うしたお知らせに私はたとえば '歌うときの彼女は川からどんな距離に居るか' と想像するのが大好きだ。


足許すぐ傍に流れる川か、遠景で見遥かす河か。

その何処かに彼女自身は居るのか、それとも主人公の心の中に入ってゆく形なのか、または並んだ2人の周囲に流れる音楽を写生する画家のような存在として歌うのか。

川の大きさは、深さは、対岸は?

川音は聞こえるのか、聞こえるならどんな風に?
それとも心の窓を隔てて何も聞こえない想像の岸なのか。

水の色は、空の色は、空気の流れは?

曲の想像は楽しい。演奏者の誰がどんな風に '曲の中の位置' を選ぶか知るのもとても楽しい。

心の中で風景をたくさん動かしながら
作るうちに演奏も自分も変わってゆける曲。

それ以外のお返事はまた改めまして・・・と、此んな所に伝言を置く。



メロディーに掛かる

December 21, 2017

ヌガーを見るとつい素通りできなくなる。


メレンゲを加えて作るほうの、甘みを抑えて粘り気も少ないタイプのヌガーは子供時代の駄菓子で、懐かしい感じがする。

今月はじめにブルゴーニュ君が書いた記事をご記憶に留めてくださってるかたが居られるでしょうか・・・

  *僕が見た鼻血

後にフレーズのお話に使いたくて、文章スタイルを試しました。


文字色をワントーン落として原文の一部を貼りますね。


続く下をちょっと見ていただけたら嬉しいです。

**


2人で話してる最中にも一筋血が流れた。
だから蝶番君、焦って早口で言ったの。

  '桜ちゃん鼻血出てる'

慌てて滑舌が悪かったのか、お姉ちゃまには別な風に聞こえっちまった。

  桜ちゃん愛してる、ってさ。

おしゃべりを辞めて嬉しそうに笑った。なにしろ
お話途中で急に愛してるって言われたと思ってるからね。

驚くのは蝶番君さ。
鼻血出したまま笑う女はなかなかシュールだあもの。

蝶番君は前より強い調子でもう1度言った。

  'ねえ! 鼻血出てるよ!'

お姉ちゃま、くすっと笑ってウンって頷いた。なにしろ
強い調子で

  ねえ! 愛してるよ!、って言われたと思ってるからね。


同形式のメロディーを2度重ねる曲ですと下のようになりますね。


(1)流れた。

  '鼻血出てる'

(2)別な風に聞こえっちまった。

  愛してる、ってさ。

(3)笑った。なにしろ
急に愛してるって言われたと思ってるからね。

(4)もう1度言った。

  'ねえ! 鼻血出てるよ!'

(5)別な風に聞こえっちまった。

  ねえ! 愛してるよ!、ってさ。

(6)頷いた。なにしろ
強い調子で愛してるよって言われたと思ってるからね。


だけども全く同じものを並べるのは人の耳にとって必ずしも '快' じゃなかったり、発展が感じられなかったりもしますね。


エステティックの問があったり、語るうちに変化するものの表現でもあったり、他様々な理由でメロディ納めに差異が現れる場合は多いですよね。

それを模して次のように作りました。

(1)流れた。

  '鼻血出てる'

(2)別な風に聞こえっちまった。

  愛してる、ってさ。

(3)笑った。なにしろ
急に愛してるって言われたと思ってるからね。

(4)もう1度言った。

  'ねえ! 鼻血出てるよ!'

(5+6)頷いた。なにしろ
強い調子で

  ねえ! 愛してるよ!って言われたと思ってるからね。


最後に5と6のメロディーを混ぜる(言葉を前後の文に'掛ける' の意味)手法ですが、ポイントは何の色もつけなかった最終行の句点にあるかもしれません。

  ココね➡️「てるよ!って言われたと

水色の2番愛してる、ってさ。
緑の5番ねえ! 愛してるよ!、ってさ。では
句点を使ってます。

ピンクの3番とピンクの6番愛してるって言われたと思ってるからね。は句点を使わない格好で揃えました。

2種類の書き方が5番+6番になって総括される格好です。
一見、此処には [必要ないかに見える句点] が2番3番5番6番みなに掛かるアーティキュレーションになるということ・・・楽曲の中でたくさん見つかりますよネ。


*お散歩とテーマの変容
*ソナタ的お茶の日



小ジワとメロディー

December 01, 2017

先日お出かけした日は久々にしっかりメイクした。

  *メイクアップ


夫とブルゴーニュ君がお迎えに来てくれて3人で帰った。おうちに着くと夫がiPhoneカメラを構えた。

じゃあ髪を写してってお願いした1枚目。
重めのカットを毛先だけ細かく巻いてジェルでくしゃくしゃにして頑張ったのだ。

力入れた毛先写して~
コテを使ったのもメイク同様久方ぶりだったから。


よく揉み込んで、行きには立ち上がりを作ってあったのに
帰る頃にはカールが伸びてつまんないヘアになっちゃった。


雨上がりで湿度が高い日だったのだ。

写してくれたのは電気の真下。此処で撮るとシワが目立たなくて良いかも? とか目の前の夫にしゃべってる2枚目。その代わり顔の凹凸まで光で飛ぶ。

つまるところ其れなんだわ・・・


昨日ピアノを弾いてて


音ムラ (顔写真だと小ジワなどの凹凸) をなくして音粒を揃えると、1フレーズの中のカーブ (目鼻などパーツの線) までぼやけてしまい、音の流れ (顔の輪郭) の中で音の表情が負けてしまうところがあった。

音ムラ (小ジワ) が見えるほうが良いって意味ではない。でも
全体にペンダントライトが当たったようなメロディーの扱いはいただけない。研究してみましょ。

(そのお話のために失敗顔写真を晒すことに夫が大ウケしてます。
リスク高すぎる曲のお話・笑)



プーランク:一篇の。

November 09, 2017

すべらかな細い糸で母が手編みしてくれたカーディガン。


くったりしちゃうまで着つくして、またもやお別れ前のショットになった。いつもボロばっかりです。

  *今日のコーデ?

私も母から習った好きな模様の先っちょに、実が成ったように縫い付けられたパールビーズもコーティングが剥げてきたしね・・・

お下がりを毛布にしたがるブルゴーニュ君が居てくれるから、ちっとも惜しくないのです。

昨日のような記事のお約束のように、頭のはじっこにあったのはプーランク曲でした。

  *


ノヴェレットNo.1が好きでよくこの曲のお話をしていますが
好きな理由を問われれば、'(主義ではなく)愛情でくるんだ新古典だから' です。

上リンクの拙い文は説明のため曲の造りを一部模倣しました。

  [軽いプルオーバー]と[重いコート]の間を隔ててるのは
  現在とパリ時代という '時' です。

過去であるパリ時代に既にコートは古めかしい物だった事実があります。重いコートを手に入れた大過去と、コートを継続して使ってた半過去を重ねる用法のように、楽曲の中で '時の用法が混雑' する感じを面白く思ったのです。


枯葉を踏んで思い出した過去の橋。


つまり橋の上にも枯葉はあったということですが、大過去であるコートを手に入れた時点には文章的には当然枯葉は掛かってないんですね。

だけれど "枯葉はコートの季節ならおそらくどこにでもあっただろう" という推測は可能です。


コートのお話は 'コートとお別れした' ところから始めたのでいきなり過去完了(継続じゃなく点で捉える大過去) ですが、'時間' の流れ的にはコートを破棄したほうが近接過去です。

っていうのが私の中での単一篇の印象。


第2主題に彼が挟んできてるフランス童謡と、1927~1928のプーランクが時を遡って書き付けたバロック調のmoll部分との時間軸を含む一篇を通して、


いずこにでも舞い散る枯葉のような存在が流れそよぎ、時の美しさを見せてもらっているようです。

moll部分に関しては『これをシンプルにネオ・バロックと言ってしまうかどうか問題』が自分の中でくすぶってますが答は出ないまま。


■ブルゴーニュ君のプーランク
*お昼寝の曲
*雨の日のお昼寝動画
*可愛い音符


■クラブ・プーランク関連
*クラブプーランク中間報告
*クラブプーランク延期のお知らせ
*冬のお腹
*裏切者~
*クラブP第6回ありがとうございました
*12月3日クラブP第6回
*クラブP第5回ありがとうございました
*夜道
*チョコメモ、プーランク、師弟
*プーランクの朝
*打合せ
*クラブ・プーランク5eme
*教養と無秩序
*クラブP4emeありがとうございました
*今日は楽しみましょ~♪
*チェロソナタのピアノパート
*プーランクと遊ぼう4eme
*お出迎え
*ファリャとプーランク
*クラブ・プーランク第4回
*クラブP第3回終了デス
*プーランクで遊んでます
*プーランクと遊ぼう
*デートとクラブP
*クラブPのコンセプト
*プーランク遊び
*プーランクと伊達
*プーランクとカミュ
*プーランクの著作権
*プーランクと運命の人?
*クラブ・プーランク


■プーランク楽曲関連
*爛熟、プーランクと爛れ
*腹巻FP146
*カラフルな月
*プー "ノヴェレットNo.1" の生地

*プーランク "ロマンツァ"
  *ロマンツァその後
*フランスとルイーズ
*カフェは難しい・・・
*プーランク x ルイーズ
*神のないルイーズとフランス
*ルイーズのチーズ
*ルイーズの赤
*思い出の硝子瓶 + ルイーズ
*ルイーズのお稽古
*落日の色、ヴィオロン音源up
*プーランク "花" 音源up
*女心とアンドレ婦人
*PJにてプーランク・マズルカ
*ラファエル前派とカードアイコン
*パリのプーランク
*プーランクとシュレアリスム

*プーランクのテクスチャー
*フランスの特権
*プーランク "草むらの中で"
*舌切り雀、Il vole



ある寒い秋の日に

November 03, 2017

10月末、冷え込む日が続いた。


翌月は病院の予定回数が減るのが嬉しかった。時間的には自由になる。それを自由と呼ぶのかどうかはわからないけど。

病気を抱える不自由と読書や音楽に没頭する自由との間を行き来した。



ブルゴーニュ君は夢と現実との間を行き来し、
ショパンは歌と語りとの間を行き来している。



秋だし、しんどいし

October 30, 2017

やさしい表情でお散歩中に立ち止まり、
飼い主と共に夢想するブルゴーニュ君。


飼い主は、体調変化に振り回されるしんどさで病みそうな週末だった。

秋だしね、しんどいしねって
この日のお遊び曲を決めた。

この間からパッと手に取った曲集の中からその日の気分で弾いてみてます。



悩み多く、雨に降り込められた秋のメランコリー。

ブルゴーニュ君が各曲に合わせて顔を作ってみせる役者犬みたいで可笑しいです。



1匹の聴衆

October 26, 2017

嬉しくてゴロゴロ転がりながら甘え中。
すごい顔です(笑)


気持ち良いと目を閉じる癖があるブルゴーニュ君。
ピアノの横でも目を閉じてるけど明らかに目覚めてて聴き入ってる風が面白くって・・・



音楽を理解してるみたいな雰囲気を醸してるのが不思議で
ついブルゴーニュ君を眺めながら弾いてしまいます。

  お尻尾のある、心をゆるした聞き手が傍に居て
  1匹の聴衆の存在を心にとめて弾くことが
  大きな安らぎになっています。


そうそうイクラ先生、トリドリさんへ行ってくれたんだってね~。どうもありがとう。なんかすごく嬉しかったヨ!



お散歩とテーマの変容

October 19, 2017

年若いお父上に楽曲テーマモチーフの変容について急に問われた。


色んな事柄を混乱されてるようで知りたい事が何かわかりにくかったが、多分それが質問したい事みたいだった。

子供さんがヴァイオリンを習ってて尋ねられたそうだが、ネット検索して読んでもよくわからないって事情を説明された。

通りがかりに出会っての軽い質問だったから、私もブルゴーニュ君を連れたまま軽く答えた。


私たちのお散歩は相変わらずペアルックもどきだった。


ブルゴーニュ君の赤いおリボンがカーブを描いてて
飼い主のトレーナーの文字が調性を変えてカーブを描く。

8型に結んだおリボンの1つの輪はトレーナー文字のDに通じ
結び垂らした部分は、Iの文字に現われ見える。

そんなとき、


まぁるく結わえた8型のおリボンが必ずしもOの文字じゃなく
むしろDであることに私は感動したりする。


OとIを足した形がDになると気づくのは喜びだ。
つらつらっと其んな内容を並べてご説明してみた。

たったそれくらいのお話で5千円札を取り出されたのをお断りして(笑)お散歩コースに戻った。

テーマ変容は忘れてしまっても構わないが、発見は喜びだと知ってくれたら嬉しい。



雨の日のお昼寝動画

October 15, 2017

ブルゴーニュ君2世は日を追うにつれ何故か先代ラブラドールに似てきたのです。


遠目だとシルエットがラブラドールの子犬っぽいでしょう?

もちろんラブラドールの血は入ってないし、多犬種が混在したわけがわからないMix具合なのに不思議。

先代を一生懸命真似ようとしてるのかな。


定位置は此処。


自己主張しない子なのに唯一此の場所だけは、絶対此処がいい! と陣取って動かなくなったの。以来ブルゴーニュ君の定位置になったのでした。



ピアノ大好きブルゴーニュ君は映画DVDをかけててもピアノの音がするとじっと画面を見つめます。

ブルゴーニュ君のお昼寝姿をチラ見しながら楽しんで流し弾いてると、一連のノヴェレットが全部お昼寝の曲に思えてきた(笑)




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