Le morceau X



心の形

February 04, 2013

小説の登場人物を大好きになったことってありませんか?


人物の姿はたくさんは描写されてない筈なのに、瞳の色まで見えるほどに "此んなお顔! " って知ってる気分になっちゃうこと。

私はヘッセ "知と愛" の修道士ナルチスが其うだったナ。

文字を追いながら思い入れる登場人物がいつの間にか読者の中で形作られ息をし始める。

紙面を見て理解をする僅かな時間差をものともせずに、ワードが重なる毎しっかりと輪郭を備えた人物像に育ってく。

そして彼らの心を知る。

  文字じゃなくって音だったらば
  もっともっとダイレクトに、瞬間瞬間に心を捉え
  律動を刻む臓器を持った人物像が生き始めることがある。


ナルチスの心を確かに知ってる気持ちになったように、
ショパンをチャイコフスキーを幾十年と知り進んでいった。
彼らの心の形をとても身近に感じながら。


  彼らの音は、彼らの肉声として迫るのだった。

  沢山たくさん彼らの語りを聞いた。
  歓びも、辛さも、期待も、諦めも、
  人生や好きな女性を彼らは毎日語り続けた。

  歳月を重ね、
  彼らの勇気のなさや、ためらいや
  後悔や、嘆きや、失望の告白に

  彼らの聲を識り、体温を識る。

  演奏家は作曲家の心の形を知ってゆく。

**


人を好きになるって、心の形を好きになるコトなのかな。
愛してきた作曲家のように、大好きな人の心の形を見つめてゆきたいナァ。



クリスマスツリーと恩寵の聖母

December 17, 2012

クリスマス前の時節にツリーを考える。


樹の実の罪によりイヴが齎した死を
十字架の樹が購い、生命を吹き込む。

    クリスマスの樹は救済の象徴なのだ。

  ツリーは御降誕前の昔より人間の側にあり
    イヴによって樹は死と罪を、
      キリストによって樹は命と救済を、
        私たちに齎した。

クリスマスツリーの意味は重い。
ツリーを家庭に取り入れたのは僅か数世紀前とあって
我が家ではツリーを飾らない年が多い。

代わりにアドヴェントの習慣を守っている。

ご降誕の喜びと共に、救い主を死へ追いやった我が罪が迫る。



階上へあがるごと目にする壁のイエズス様を仰ぐ場所で
クリスマスを考えた。

動画は、愛読させて頂いてるカトリック信仰の源泉☆エウカリスツィアの信心のサイト様で教えて頂いたページです。

とても美しいのでどうぞ聞いてくださいね。

**


御子と共にマリア様を通し与えられた事の数々も
クリスマスには是非噛み締めたくて。

21日風見鶏の館クリスマスコンサートでは
フォーレ "恩寵の聖母マリア" を演奏します。

フォーレはラテン語のお祈り文を用い幾曲も作曲してる。
演奏に当たって今日唱えているラテン語歌詞です。

Maria, Mater gratiae,
Dulcis parens clementiae,
Tu nos ab hoste protege,
Et mortis hora suscipe.
Jesu, tibi sit gloria,
Qui natus es de Virgine,
Cum patre et almo Spiritu,
In sempiterna saecula.



シャンソン枯葉

December 05, 2012

シャンソン "枯葉"。


さびの部分についておしゃべりしましょうか・・・

1 C'est une chanson
2 qui nous ressemble
3 Toi tu m'aimais
4 et je t'aimais


の3,4行目

  君は僕を愛し  僕は君を愛した
Toi tu m'aimais  et je t'aimais



たった此の部分だけのお話ネ・・・

  譜を見て1番に考えたのは、
  2文をどんな風に歌いたい?
  って問だった。

*1)

3行目 (= 3小節目) にかけてクレシェンドする歌い方を1度ならず聞いたことがある。パリでシャンソン弾きのアルバイトをして、色んな歌い回しに伴奏をつけた頃だった。

声質にも歌い方にも寄るので文字で著すのは困難だけれど、耳にした女性歌手に関しては "枯葉" に現れる人物像の部分で根本的に違う気がした。

終わってしまった関係の中で "貴方は私を愛した" を強く押し出すと少し批難めいた感じがすることってないかしら? あんなに好きと言ってくれたのに、って風に。

別れたのちに "貴方は私を好きだった筈でしょう? " って強調する言い方はね、何だか "あの時は此うだった。此んな約束をした。" と言い立てるタイプを連想してかなわないワと感じたのだった。つまり其ういった歌い方だった。

曲が進むにつれ、聞き手の中で人物像も発展する。
楽曲にそぐわない世間ずれした世界の直中へ連れゆかれた。
責められる側と責める側。共感できず閉口した。

楽曲的には3行目の膨らみはあり得るが、歌詞への影響を考慮して楽曲の自然な膨らみ以上に強調するのを私は避けたい。
思い出を愛撫する主人公像として考えたい。

*2)

ジュリエット・グレコ嬢は4行目 (= 4小節目) に傾く形に歌われていた。

The best of Chanson のCDでは2文ともに軽めで流されていて、他の音源では4行目"私は貴方を愛した" の方をテヌート気味にしているものもあった。

彼女の場合は強弱より発音発声の明暗によって4行目へ引込む力があるのが印象的だった。

  "私は貴方を愛した" に明るみをもたせてる。

時空作用だわ。

ジュリエット・グレコ嬢の枯葉では語り部は別れた現在。

でも愛し合った思い出語りが、愛し愛された時と同様の悦びを引き連れているために、現在のやり切れなさと過去の悦びの2つの時空が現れてくる。

"私は貴方を愛した" と過去の幸せと灯りを噛み締め歌う彼女のcharmanteは、言わずとも "貴方は私を愛した" 事実そのものを語る。過去の恋人が愛したのは此んな心の姿なのだと思わせる。

  1)の女性とは対照的だ。
  グレコが描く女性像にとても共感した。

1)の例に共感できなかったのは、"好きと言ってくれた筈" の主張を押込み恨み節を乗せる主人公では、別れた原因の方がずっと良く理解できてしまうからかもしれない。

*3-a)

素晴らしく上品な表現をされてるイヴ・モンタンの場合。
過去にYou Tubeを貼っていました。

  *本日PJ秋の夕暮れ

何度聴いても本当に素敵・・・

4行目 ( =4小節目) でスッと退くモンタンの方式の中 et je t'aimais の囁き。どんなに愛したか物語ってる。

比率自体は3が+で、 4がーだけれど、2から3にかけてのクレシェンドはなく、小節内ディミヌエンドはグレコ嬢も同じだった。

4が弱音だからこそ心に迫る意味で強調となる寸法になっていて。
彼の雰囲気、男ぶり、深く多彩な声、何より風格が成す歌語りだろう。

モンタンはグレコ嬢と反対に "回想である" ことを際立たせる。

過去を慈しみ、寂しさに暮れる歌がモンタンの品位と落ちつきのために、完全に過ぎ去った事実への味わいと聞き取れ、青春の時代、若さ、季節の輝きへの情愛を感じさせる。本当に素晴らしいワ・・・

*3-b)

モンタンの4小節目の退きは青春時代が遠い過去となった壮年の余裕であり、はにかみであり、回想語りが形成する業であり、

C'est une chanson = une chanson qui nous ressemble
で表される "僕たちの愛の事実" と "la chanson que tu me chantais" の2つの間を行き来する余地でもある。

*4)

蝶番君はモンタンより更に弱音で退いた。
モンタンと違っているのは、弱音で表情を強めるのじゃなくて弱音で表情を殺すところだった。

私は此れもまたモンタンと並んで好きなところだった。
蝶番君が表現を殺した同小節はずっと内的なものを示すと思う。

2)の女性が "私は貴方を愛した" と悦びを噛み締めることができるのは、愛する悦びだけじゃなくて、自分が愛することが相手にとっても悦びだったとの確証を要する心持ちだろう。

3-b)の男性にとって "僕が君を愛した" は大前提であり、言わずもがなな真心であり、だからはにかみもし、しかし思い出である。だから非常に雄弁なシーンとして出現する1小節になる。

その雄弁さは、1)の女性像が自説を押込むほど愛の信憑性が疑わしく思えるのと反対に、情実こもった説得力がある。

  しかし1〜3のどれでもない心情がある。
  特に2の性質と真反対の心情が。

僕が愛したことは相手にとって悦びだったのか。
愛したなんてどうして今また口にできるだろう。

例えば其んな風に、内部ではひたむきな愛情が外面に出現するのを自己が阻む因子を含んだもの。言い換えれば自己否定意識。愛や過去に対する敗北感。

4小節目だけ顔を背けた風に楽器の中だけで呟いて未出現に退くのは、心情的には2)と真反対で、性質的には1)と真反対のものとして、心の場所が見えてくる。

今尚口にできない愛の言葉は、モンタンの回想と異なってナマの現在形を抱えた主人公を思わせる。

すると "je voudrais tant que tu te souviennes" の冒頭歌詞の意味が変わってくる。"喜びの日々を憶えてるかい? " って昔語りで済まない切実さと、其うなってまでも言えない Je t'aimais の言葉。

**


人物の様子を直接描写した詞は意外なほど少ないシャンソン。

  1小節で、時には1拍で、
    人物の輪郭が浮き上がり
      背景を映し出してくれますね。



11.16 PJ 人生は過ぎゆく

November 13, 2012

11月16日金曜 夜7時半、ピアジュリアンにて
デュオ・ババール "モンパルナスの夜"


大好きな曲ばかり演奏できて幸せです。今回私たちが特に気に入っているのはババール用デュオバージョンに編曲したノヴェレットNo.3。時々グラナドスに重なる錯覚さえある音遣いが際立つプーランク曲ってやっぱり大好き。

そして思索的な "眩耀の夏のひとひ" は一等外せない曲・・・晩年のフォーレの真髄を感じるナ。

いつものようにオリジナルでピアノパートに手を加えてるシャンソンは、"人生は過ぎゆく" がちょっとツボです・・・

**


ピア・コロンボのLa vie s'en va は恋人の心を取り戻したい想いと、恋人の前でまだ可愛い女で居たい思いから理解もあるフリをしてしまう寂しさと・・・だけど過ぎゆく恋を留めたい、思い出に変えることはできずもう1度自分の手に掴みたいと縋るのです。

  離れてゆこうとする恋人を追い、
    過ぎゆこうとする人生を追い、
      もう戻らないと知りながら
        必死に追いすがるの。

  此んなシャンソンで私は少し粗暴な一面盛り込むのが好き!

私自身は此ういった場面の経験がまだないけれど・・・

きっとね、離れたくない別れがくれば自分ならば形振り構わぬ狂態を演じるのじゃあないかな。
最も男性から嫌われる最悪なタイプで、かつ、嫌われてもどんな醜態を晒しても構わぬと開き直る最低なパターンを演るのじゃあないかしら・・・って何となく自分の特質を顧みたりする。

女としても人間としてもなっちゃいない。

  其して、シャンソンやルイーズ詩の女性たちも同様に
  女というものを剥き出しにし、
  しばしば慎みを忘れ、ナマの醜態を見せる。

此れ等の曲にはまっちゃうのは、自分の中に同じものを見ているからかもしれない。

**


合わせで蝶番君の "人生は過ぎゆく" を聴いて
我慢できずに鍵盤に突っ伏して笑い転げた。

毎回の如くのパターンで・・・

  *ルイーズのお稽古

蝶番君の演奏は、過ぎ行くままに悲しみをただ傍観する人の其れだった。

  去ろうとする人を直接に追うことなく、
  行ってしまったと無力に嘆き呟く風な・・・

もぉ何其れ・・・?! ってお腹が痛くなるまで笑った。
それじゃあ何にもしないで人生も恋もただ去っちゃうったら!

どんな演奏家も得意とする分野外の曲には苦心する。
手向かわず受容してゆく曲想が素晴らしい相方さんの
反対の面が本当に面白かった。

  *変態解説:タンスマン音源up

理が非でも、髪を振り乱して縋り掴む[女]になって下さいって鼓舞した。汗かきながら試しては、自分の中に無い要素をどう演奏しようと途方に暮れる相方さんを盛り上げつつ作ってゆきました。

1人1人の性質は可笑しなほど違ってるペアだけれど、だからこそアンサンブルは面白いナって思う。

**


本日ババール合わせ。
金曜PJのプログラムを再upしますネ。
先回は1ヶ所曲順を間違えてしまったの。

  *11.16 PJプログラム

お気に入りの曲を見つけて下さると嬉しいです。

  11/16 金曜夜、デュオババールライブのご予約は
  ピアジュリアン 078-391-8081までどうぞ。

**


  [ファーストステージ] 19h30〜

シャンソン 枯葉
       毛皮のマリー
       人生は過ぎゆく
       薔薇色の人生
       失われた恋
       雪が降る

タンスマン ソナティヌ


  [セカンドステージ] 21h〜

プーランク ノヴェレットNo.3
       モンパルナス
       偽りの婚約 1) アンドレ婦人
               2) 草の中で
               3) 飛んでる.

フォーレ  ロマンス
       水に浮かぶ花
          *"水に浮かぶ花" 落合訳
       愛の歌
       眩耀の夏のひとひ
          *"眩耀の夏のひとひ" 落合訳
          *解説 "眩耀の夏のひとひ" 訳
       セレナード


■デュオババール関連リンク
*デュオ相性
*分かち合いと本
*やさしい理解とケクラン
*ナニソレ解説の払底

*2012年7月のリビングルーム
*紫陽花の部屋で
*マンドリンと中也
*ドビュッシー "木馬" 音源up
*ラヴェル "カディッシュ" 音源upとロラン

*ピアノ室の時計
*自由
*ドビュッシー絵画と過ごしました
*女心とアンドレ婦人
  ?僕が知ってるオフィシャル
  ?僕が聞いたお誘い
  ?僕ができなかった球拾い
  ?僕が聞いたiTunes
  ?僕が見たお客様
  ?僕が聞いた常連様との会話
*相方さんの夢

*伴奏者の勘違い
*アンタ、サイコー!
  ?僕が見たリハーサルの隙間


■ファゴット音楽関連リンク
*PJにて。ファゴットの魅力
*抵抗とスムージー
*サスペンダーの殿方
*変態解説:タンスマン音源up


■ファゴット楽器関連リンク
*試奏の記録
  ?僕が見た試奏会
*ファゴットリードのお話
  ?僕が見たブローチ
  ?僕が見たリード愛
  ?僕が聞いたリードの行方
  ?僕が思うトーテムポール
  ?僕が聞いた暴言

  ?僕が見たモツレク
  ?僕が客席で見たこと
  ?お姉ちゃまファゴットを吹く
  ?僕が知った新年の習わし
  ?僕が見たお鍋


■コンサート外関連リンク
*パナソニックな日・・・♪
*Macへ行こう(14)フォトストリーム
  ?僕が見た虫下し
*ピアノと根気

*カタツムリ石鹸とマメマメ
*音楽解説書とマメマメ
*10.13写真とマメマメ
*黄色いハンカチーフとマメマメ



女心とアンドレ婦人

November 06, 2012

一昨日と昨日の連続ババール合わせでプルーストの社交を描いた本を相方さんと一緒に見た。


せんにタピオカちゃんがパリから送ってくれた書籍だった。

若い頃から読み集まった資料が今ババールでたくさん役立つ。どんな事も無駄にはならないナァって嬉しくて、得意気に古い時代のパリが詰まった本を見せびらかしてた。

それから16日PJ演奏予定のプーランク曲 "アンドレ婦人" について話した。

**


この度はタイトルに "婦人" の漢字を当ててみた。

どなたかの奥方ならば "夫人" になる。
夫人の前に記すのは苗字が一般的でしょう。

ファーストネームらしきお名前に "婦人" の文字を添えるのは2重に奇妙な表記ネ。

  此の奇抜さこそルイーズ詩の背景と感じて当てた文字です。

ルイーズ詩の上ではなかなか理解が難しくって、婚姻関係にあるのか、別の婚姻をしながらの一時的な不義のお話か、はたまた思い出の中の事か判じるのは困難だった。

語り手が第三者か婦人自身かの設定に寄っても読み方が異なる詩だった。

ただ、気持ちか戸籍かまた両方かが、アンドレに属さない者として扱われているのは確かで、"夫人" じゃなく "婦人" を取った。

関係性は複雑怪奇な詩ながら、プーランクは静かな中にエモーショナルな音の動きを重ねてて・・・ ルイーズと同時代に共に在った作曲家を頼りに幾度も読み直してた。

**


先週相方さんのお宅へ寄って映画DVDを一緒に観た。


ルイーズが脚本を手がけた邦題 "たそがれの女心" を、此の曲を演奏している内に観たかった。

私たちはルイーズの不可思議に夢中になってて、お顔を合わせれば会話の大部分がルイーズ話題になっていた。

探してた注文品DVDが届くや否や相方さん宅へお邪魔したの。

  映画は "アンドレ婦人" に類似した設定が見られた。

主人公の名はルイーズ、夫である伯爵の名はアンドレ。
でもルイーズはアンドレを愛してはいなくって・・・

フランス貴族社会の社交界をバックグラウンドにして主に精神的不義が多く描かれるルイーズらしい映画だったが、そのタイトルに注目した。

  フランス語原題は "Madame de..." だった。

Madame + 伯爵のお名じゃない事、非常に含みを持たせたタイトルが表したい事と、"アンドレ婦人" の心的背景は重なるところがある風に感じた。

**


まだまだお勉強中・・・ でもね、ルイーズの風な女心は一生わからないかもしれないワ。

  私は人を真っ直ぐに愛したい種類の人間で、
    複雑な関係も、嘘も、ましてや不義はとても苦手だわ。

不倫行為の複雑さから気持ちまでを修正不可能なまでに汚してしまう事や、好きな思いが濁ってしまう関係や、其れらの苦痛によって何を大切にしたかったかまで見失うほど心に澱が積もった様子を見聞きするのがとても苦手。

中でも1番の苦手は、自らの働き及ばない事をただ嘆き、ないものねだりの我が儘な思いを指して女心は此うしたものと括ってしまうことかもしれない。

**


映画内容についてはまた今度おしゃべりしますネ。


■プーランク関連リンク
*爛熟、プーランクと爛れ
*フランスとルイーズ
*カフェは難しい・・・
*プーランク x ルイーズ
*神のないルイーズとフランス
*ルイーズのチーズ
*ルイーズの赤
*思い出の硝子瓶 + ルイーズ
*ルイーズのお稽古
*落日の色、ヴィオロン音源up
*プーランク "花" 音源up

*プーランク "ロマンツァ"



プーランク "花" 音源up

November 02, 2012

プーランク偽りの婚約 "花" をupしました。


音源は此方からどうぞ・・・



ルイーズ詩らしい朽ちた恋が歌われる。

錆び、腐食した後の恋の姿と思い出を綴ることにかけてルイーズ詩は興味深い。この度も未体験の領域に誘い込まれて長く夢想した。

腐敗進行した色恋は、壊れた恋とは異なるのだとふと思った。

何かの拍子に割れ壊れたものは、元に戻せなくても記憶を繋ぎ合わせ生きた姿を思い出すこともできる。けれど腐敗の変容はその過程が長いほど真成の面様を残してくれないものかもしれない。

"花" は愛を失った悲しみより、愛し愛される理由を見失った悲しみとして捉えてた。

**


錆びつき、腐敗し、崩壊した恋と
崩れ去ったのちの色沙汰と人の心の暗部。

時は更に過ぎ、膿んだ交わりも遠い記憶となった後
笑っていた頃が霞んで見えなくなったまま
愛念の理由を探りたくなる欲望だけは残存し
答は無く、愛は亡く、霧は晴れず、
空虚な穏やかさだけが漂っている。



"花" は其んなイメージで作ってみた。

**


    そうして・・・
      与えず、貪り合う縁の哀れな結末を思った。

  彼女の詩の主人公は
  何に涸れ、何に溺れ、
  何故愛する事の軸を失い
  何故捧げる喜びを捨てるのだろう。


■プーランク関連リンク
*爛熟、プーランクと爛れ
*フランスとルイーズ
*カフェは難しい・・・
*プーランク x ルイーズ
*神のないルイーズとフランス
*ルイーズのチーズ
*ルイーズの赤
*思い出の硝子瓶 + ルイーズ
*ルイーズのお稽古
*落日の色、ヴィオロン音源up

*プーランク "ロマンツァ"


■フランス音楽関連リンク
*フランス音楽(1)霧の具象
*      (2)感情と心象
*      (3)失意
*      (4)エクリチュール
*      (5)さかしま
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*      (8)感性の求め

■フランス的テーマ関連リンク
*フランス的とは

*ゾラの実
*ゾラ19世紀の記念碑
*フランス19世紀の繊細

*音楽のひとこま
*曲決めは楽しい (2009年のお答えを兼ねて)

*フランスとヴォルテール
*オーレリア或いは夢と人生
*仏文学を好きなのはネ・・・

*パリの不合理
*ミスタンゲットのパリ
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*ドイツ民族・フランス音楽
*フランス民族・フランス気質

*自由
*紫陽花の部屋で
*フランスとルイーズ
*神のないルイーズとフランス
*フランス音楽とゲラン

■イマージュテーマ関連リンク
*美しい白のイマージュ
*イマージュに血が通う
*本質なきイマージュ
*本質とイマージュ
*イマージュと技巧
*切られたイマージュ
*女の子はファンシー好き(6)ルイ・アラゴン
*イマージュのシルエット
*イマージュ
*フランス音楽とイマージュ考
       ?僕が思うパリの風

■シュレアリスム関連リンク
*海原の娘(1)虚構現実
*    (2)幻想の意味
*    (3)普遍性への問い
*謎 -- ラヴェル "永遠の謎"
       ?僕が思うシューレア・クリーム
       ?僕が思う靴下と階段



変態解説:タンスマン音源up

October 24, 2012

ひげ様からのバターケーキ第2弾写真デス。


昨日の続きのお話ネ!

  *抵抗とスムージー

タンスマンを大好きになって是非演奏したいと思ったのは異邦人精神を愛したから。フランス語を日用語にし、パリの音楽界で歓迎され愛され、9つのサンフォニーはじめ数多くの作品を手がけたタンスマンなのに、常に見え隠れする異邦人精神。

余所者としての寂しさ、居場所を求める思いの切なさのようなものが曲中其処此処に感じられるところが大好きなの。

外国人だから、って理由だけじゃあない気がした。彼のようなお人は祖国ポーランドに在っても同様だったのじゃあないかしらって。

タンスマンのうら淋しさや、ためらいに細管ファゴットはどんなに素敵でしょうって思った。

色んな材料で作るスムージー・・・此のお味のときには特に細いストローで飲みたいわネ! って気持ち。

**


2楽章の1部をupしました。
音源は此方へどうぞ・・・



音源を10小節だけ切り取ったのは変態さんっぽい下部リンク:
《意志的な低音と抜けのある高音、1楽器の内にある力バランス》
って書いた内容がわかり良い箇所だと思うから・・・

  *サスペンダーの殿方

mp3内ピアノパートは9小節4拍目から開始。
ファゴットパートは10小節目に当たります。

11小節目 f で音のテンションが上がった一瞬に細管の特徴が出ますね。

12小節目頭のタイあとに譜面指示上はブレスがあるのだけど、蝶番君は此れを無視して一本息で2拍の回音下降までを繋げてる。譜面上は松葉のクレシェンドが掛かっているけれど、前半でブレスを取らず松葉を後ろ、つまり12小節3拍目まで持ち越してゆき、13小節目頭 g に張りを当てる。だからとっても緊密性のある g になる。

そして同音の短時間の間に再度抜いた音質にしているのが2、3拍目の上行前の弛い歪みになる。

  此の歪みが14小節目 as の応力に繋がるのだと思う。

地震の説明などで使われる応力とは、物体が受ける外力に応じて内部に現れる抵抗力。

**


楽曲を保つ緊張と弛緩には様々な角度がある。通常管で出易い所謂力強さはパワーの意味で緊張の1つだし、同時に、抵抗がないからこそパワーを現せる特性から見れば阻むものがない音自体は弛緩の性質を持ってもいる。

対して細管での演奏に応力という言葉を使ったのは、緊張と弛緩の方向の意味が上記と異なるから。

パワーという緊張を出しつつ音内部が弛緩している状態と正反対に、発現のパワーとしての形で表面化するものが低い分、内部の抵抗と緊張が高まると申せばわかり良いでしょうか。

楽器の選択は、求める音の選択故で
求める音の選び方は、求める音楽の選び方


どなたもが自分の楽器に合った演奏になってゆくのは当然の結果に見えるけれど、きっと逆なのネ。自分の理想の演奏に合った楽器を選ぶトコロが始まりなのかも。

だから結局は私も、細管が好きというより、細管を選ぶお人の音楽が性に合うってことなのネ?

  音楽としての熱テンションが高まるほど:
  液状から遠い濃いスムージーを飲もうとするほど

  内部抵抗が大きくなる:
  ストローの中に固形物を感じる

其ういった音楽の痛さ、心の喘ぎを愛してるの!
タンスマンのタイプの曲に此の種の楽器は特に生きる気がする。

**


上行後14小節目高音 as には・・・
道路の凹凸で自動車がふっと浮く感じになって、ぞわんっ♪ とするアレに近い感覚をおぼえる。

正直申すとねコンサートで演奏しながら一等気をつけていたのって、此の as の不条理な苦しさに感じ入り、変態さん気質がくすぐられてヘニョって笑みを漏らさないようにってコトでした。
お稽古中は毎回、ぞわんっ♪ ヘニョ・・・の繰り返しだった。

**


高音 as から下行後15小節目中音 as は、前高音 as と対照的なまろやかさ。

続く16小節目 c-b-as-g-f-g の上品な諦感。
此の無力感が蝶番君の演奏の中でもとっても好きな要素なの。
同じ要素は11小節3拍目にも。前2拍で僅かに押上げたクレシェンドを3拍目ですぐに控える品の良さ・・・別の言葉で申せば 懦弱性も変態さんがくすぐられる部分だワ。

**


16小節末でも譜面指示ブレスを取らずに17小節目1、2拍を浮きのある細い囁きで落ちる。芯を作らないまま19小節目低音 g へ。

変態伴奏者は、待ってましたと顔を崩しそうになるのを必死に堪えた箇所なのヨ。

其して20小節目低音 c 。此の1音を聴くために全楽章に挑んだと言っても過言ではない。また、此んなに c を高テンションに響かせてもらったのも伴奏者の要求です。

ファゴットの低音 c が異常に好きなの・・・♪

質感も艶も硬さも!

プログラムにcmollが多過ぎる悩みをせんに書いたのだけれど、c が魅力的に置かれた曲にどうしても触手が動くんだワ。

  *cmollの悩み

此の音は楽器性質上は上擦って不安定になり易い。敢えて強く吹き込んでもらうと、強度を保つために音が上滑りにならないよう抑制するぎりぎり感が出て、タンスマンの抑えた嘆きと相俟って、更に細管の抵抗が強く感じられもし、至福の瞬間なの。

  とりあえず10小節間だけを例に挙げてみました。

    ごめんなさい・・・変態です・・・


■デュオババール関連リンク
*デュオ相性
*分かち合いと本

*2012年7月のリビングルーム
*紫陽花の部屋で
*マンドリンと中也
*ドビュッシー "木馬" 音源up
*ラヴェル "カディッシュ" 音源upとロラン

*ピアノ室の時計
*自由
*ドビュッシー絵画と過ごしました
  ?僕が知ってるオフィシャル
  ?僕が聞いたお誘い
  ?僕ができなかった球拾い
  ?僕が聞いたiTunes
  ?僕が見たお客様
  ?僕が聞いた常連様との会話
*相方さんの夢

*伴奏者の勘違い
*アンタ、サイコー!
  ?僕が見たリハーサルの隙間

■ファゴット音楽関連リンク
*PJにて。ファゴットの魅力
*抵抗とスムージー
*サスペンダーの殿方

■ファゴット楽器関連リンク
*試奏の記録
  ?僕が見た試奏会
*ファゴットリードのお話
  ?僕が見たブローチ
  ?僕が見たリード愛
  ?僕が聞いたリードの行方
  ?僕が思うトーテムポール

*やさしい理解とケクラン

  ?僕が見たモツレク
  ?僕が客席で見たこと
  ?お姉ちゃまファゴットを吹く
  ?僕が知った新年の習わし
  ?僕が見たお鍋

■コンサート外関連リンク
*パナソニックな日・・・♪
*Macへ行こう(14)フォトストリーム
*カタツムリ石鹸とマメマメ
*音楽解説書とマメマメ
*10.13写真とマメマメ
  ?僕が見た虫下し



恩寵の聖母マリア

October 22, 2012

お約束より15分以上早くやってきた蝶番君と昨日クリスマスコンサート曲に取りかかってた。
広報事務と練習で過ごした。


所謂クリスマスソングは、ホワイトクリスマスなど心的抵抗がないものを選んだ。銀世界を夢見て幸福を願う・・・心優しい12月の歌だ。

I'm dreaming of a white Christmas.Just like the ones I used to know.Where the treetops glisten and children listen to hear sleigh bells in the snow.I'm dreaming of a white Christmas.With every Christmas card I write.May your days be merry and bright and may all your Christmases be white.

御降誕の恩寵を少しも貶めない季節歌として拘りなく演奏でき、昨年なかなか素敵さんなアレンジも入手した。

**


クリスマス歌がクリスマスコンサートでの暗黙のオブリゲーションとはいえ、クリスマスの意味を壊さない幾曲かを除いては、キリストの御降誕をアトラクション化することはカトリック教徒にはできない。クリスマス期毎の深い悩み。

御降誕の大祝日に読む典礼の聖祭の項にティトへの書簡第2章11〜15節がある。

《救主イエズス・キリストの栄光のあらわれを待ちつつ、この世において、思慮と正義と敬虔をもって生きるべく、不敬虔と世俗の欲望をすてよと教える。》

こと降誕祭に、よりによって著しく世俗的な音楽演奏は抵抗が大き過ぎる。カトリックの心情を日頃からよく理解してくれ、俗に流れたものを自身も好まない相方さんとクリスマス演奏としての第1部曲を先日一緒に探し終えてた。

  *2012年10月のベッドルーム

とても暖かな音楽を見つけることができた。
フォーレ作品 "恩寵の聖母マリア" 。

同じくフォーレ作曲 "神はお生まれになった" も
シンプルで清々しく、耳に当たり良い曲だった。

この上なく美しいカッチーニ "アヴェ・マリア" を
是非に加えたいと希望し、パート割編曲をした。

  カッチーニのアヴェマリアは大好きだわ・・・

イエズス様の御受難を共に受けられる悲しみの聖母の姿が浮き上がる。楚々として繊細で悲しみを秘めた透明感あるメロディー。クリスマスが地上の私たちにとって希望の日である一方で、御子が十字架へ向かわれる初めの日でもあることを思わせられる。


夜、相方さんが帰られた後ドストエフスキーを半ばまで読んだ。


其んな1日。



落日の色、ヴィオロン音源up

October 20, 2012

仇っぽいホトトギスが咲いた。
ヴァイオレット地に黒い斑。


肉感的でなまめかしい姿で咲く。
美しいのか醜いのか判別困難なほど有機的なお花。
私は此んなぎりぎりの感覚が好きだ。

プーランク "ヴィオロン" 音源をupした。
落日の色と、頽廃の香。

ルイーズのうたには性の気配が付き纏う。
美しいルイーズが綴る爛熟の詩は彼女の女体そのもののようだ。

微分音の多用を相方さんに要求した。
ルイーズの爛れに結ばれる風に作りたくて。

半音を更に割った狭い1/4、1/6の微細な音程は
腐敗し沈みゆく感性ととめどない欲求の狭間世界を作る気がして
迷いなく此処までやってしまった。

相方さんが出す音にもっともっとと重なる要求をして
官能と共に凋残の感を匂わせる形を求めた。


(撮影者:leonarhodo様)


"ヴィオロン" のライブ録音は
此方へどうぞ・・・


ワードヒットから普通ならばオトナなサイト様からお書き込みがありそうネ! でも幾年間毎日更新して時に濃厚な訳詩を上げても

  *"リディア" 落合訳

拙ブログには未だお見えにならないみたい。


■プーランク関連リンク
*爛熟、プーランクと爛れ
*フランスとルイーズ
*カフェは難しい・・・
*プーランク x ルイーズ
*神のないルイーズとフランス
*ルイーズのチーズ
*ルイーズの赤
*思い出の硝子瓶 + ルイーズ
*ルイーズのお稽古



ルイーズのお稽古

October 12, 2012

ライブラリコンサートがいよいよ明日に迫りました。


1日くたくたになるまで通して、合わせて、打ち合わせて、
そうして私たちは茫然としたのでした・・・

メールが来たの・・・広報時期だからクリスマスコンサートのプログラムを出して下さいって。きゃ〜・・・

  クリスマスコンサートなんてまだ白紙よ〜(涙)

コンセプトを立てて、曲候補を決めて、タイムを計って、選曲微修正する暇ナンテいつあるんでしょう・・・。明日が終わったらばすぐPJの曲に取りかからなきゃなのに、どうしましょ。

仕方ないからヴァントゥイユが終演した後、
ご飯食べながら曲候補を相談しますか・・・

**


合わせは昨日も心から楽しんだ。
プーランクに時間をかけた。

  *愛の小径

"ヴァルス・シャンテ" の記載を踏まえ、ヴァルス2拍目の拍感覚と浮き沈みの変化感覚をだいぶうるさくお願いして作ってみた。

  *ヴィルモラン詩4曲

相変わらず最も力を入れた曲。言語に添ったアーティキュレーションを踏まえることを前提に発音と歌い回しのお願いに逐一付き合って頂いた。

2曲目 "Il vole" の合わせは大笑いすることになった。

この曲はルイーズ・カラーが強烈で、過敏性の女の精神錯乱的な鋭さと、惑乱の美しさが際立っていると思う。カプリス風の音運びは、気侭で蠱惑的な妖婦そのものにさえ感じられる。

ところが蝶番君の雰囲気は、なまめかしい狂乱の美女の其れよりは、神経症的な女の錯乱に狼狽しつつも訴えを律儀に聞いてやる年若い青年の心情のようだった。

噴出しお腹が捩れるほど笑ったあとに幾度もやり直してみた。
演奏は正しく、必要技巧も楽曲理解も何も問題なくて、ただただ雰囲気だけの問なのだった。

汗をかきながら繰り返し付き合ってくれる蝶番君は、ルイーズその人からは遠く、寧ろ尋常でなく神経が立った女に振り回されて当惑する無垢な男性の雰囲気が薫るのだ。

この曲のお稽古はとても楽しかった。

  お人に備わった空気の色は変え難く、
    だから奏者は楽曲世界を旅し変化を遂げることに
      一層の憧れを覚えるのではないかしら・・・


■"ヴァントゥイユを巡って" 関連リンク
*10.13プログラムとコンセプト
*読書記録とヴァントゥイユ

■プーランク関連リンク
*爛熟、プーランクと爛れ
*フランスとルイーズ
*カフェは難しい・・・
*プーランク x ルイーズ
*神のないルイーズとフランス
*ルイーズのチーズ
*ルイーズの赤
*思い出の硝子瓶 + ルイーズ



プーランク x ルイーズ

September 26, 2012

月曜は拙宅で1日中ババール合わせをしてた。
プーランクメインで話合いながら進んだ。


母校音楽学の宮内勝氏の面白い論文を発見した。
つい先日ピュタゴラス派哲学を読み終えたところだったが
論文は丁度、音楽数論からの音楽アトミズムで開始されていた。

  *読書記録とヴァントゥイユ

音楽の現象学をまとめられる先に音楽世界の現れ方としての情感性の説明が面白かったのヨ。

音楽の "感情" と一面的に (氏は '粗雑に' と顕されていて共感した) 言われるものは4つの複合態だと仕分けてらっしゃった。其のまま書き抜いてみましょう。

  1)サウンド・モルフェーの情感性としての表情、
  2)音楽世界の情感性としての雰囲気、
  3)音楽的生の情感性としての感情、
  4)音楽世界にたいする音楽的生の情感応答としての気分、

私は此のまとめが最も面白かったので先に書き出してみましたよ。遡ってそれぞれの注釈に当たる部分を抜粋しますね。

1)サウンド・モルフェー:
現実のサウンドのまとまりは "形式" というような静的な輪郭をもつものではなく、動的でそのつど変化し移ろう出来事である。そのようなサウンドの "かたち" を、ギリシャ神話における夢の神 "モルフェウス" にちなんで、サウンド・モルフェーと呼ぶことにする。

(氏によるとモルヒネはモルフェウスを語源にしているのですって。なるほど〜)

2)音楽世界の雰囲気:
いわゆる "感情表現" ではなく音楽世界の現象の仕方であり、解釈学的問題ではなく存在論的問題である。

3)音楽的生
サウンド・モルフェーは音楽世界内部現象であり、これにたいして音楽的生は音楽世界・内・存在である。

4)情感応答:
雰囲気は音楽の "表現内容" に含められてきたが、現象学的にはそれは音楽世界現象である。

**


注目した理由は音楽の聞き手としてじゃあなかった。

フォーレ然りプーランク然り、詩人ごとの作曲の空気の変化を大変に興味深く思っているけれど、ヴィルモラン詩を前にしたときのプーランクの調子を独特に感じて・・・上出、音楽的生の情感応答を考えたくなってた。

宮内氏はモーツアルトを例に下の風に書かれてた。

《たとえば、モーツアルトの交響曲第四十番は "悲しみ" の感情を表現していると言われる。しかし、その "悲しみ" が感情であるなら、誰かの感情であり何かにたいする感情であるはずである。だが、その感情の主体も対象も現実には存在しない。
この楽曲は "悲しみ" の感情を "表現" しているのではなく、"悲しみ" の雰囲気を持つのである。楽曲に立ち込める非主体的・非志向的な雰囲気は、端的にその楽曲の音楽世界がどのようであるかを示している。》

稿の結論より何より "感情" と括られるものを分類し選び出す方法を他の学問じゃなく音楽に結んでゆくのは、ありそうであまり見なかったように思うので興味深いことだった。

**


モーツアルトでの表現を引くと、ヴァントゥイユで演奏の "偽りの婚約" は主体的・非志向的に感じた。それはヴィルモランの特質と切結んだ結果のように思え、アポリネール詩を作曲するプーランクの同調・兼・自分の音楽世界へ詩を引込み乗せてゆくスタイルと異なる果敢さと、同時に逼迫した空気が実にルイーズらしさを浮き立たせてゆくのだった。

大好きだわ・・・

ルイーズxプーランクのお披露目は10月13日午後3時〜
大阪南YMCAにて。


■"ヴァントゥイユを巡って" 関連リンク
*10.13プログラムとコンセプト
*読書記録とヴァントゥイユ

■プーランク関連リンク
*爛熟、プーランクと爛れ
*フランスとルイーズ
*カフェは難しい・・・



謎 -- ラヴェル "永遠の謎"

August 30, 2012

青い空ちゃんとお約束してた写真。


  *海 -- アストレ
  *楽譜表示:アストレ

初夏だった。

非現実的な程なめらかな運転で降り立った海辺は
風がまだ少し肌寒かった。

不思議な建物が点在してた。

丘の上の砦に思えた建造物からはトロッコが通るような細道が
空中に伸びていた。

海に突出した要塞のような建物は超自然的な雰囲気で佇んでた。

  少し不安な思いで恋人の手を握った。

浜では付近の中学生が体操着で校外学習をしていて
黄色い声が遠く風に乗って聞こえてくるのに・・・
此の世に2人だけが残されたような奇妙な感覚を覚えてた。

空中路を指して恋人は、あすこへ行ってみようと言った。


吸い込まれそうな下り階段が、にわか雨に湿ってた。
階段の先が空中路に通じているらしかった。


深い緑のトンネルは湿り気を帯び、話し声を吸い込んだ。
足を踏み入れると戻ってこられなくなりそうな気がした。

  恋人の手をぎゅっと握ってゆっくりと歩いた。

段の縁に発見したカタツムリは怖いくらい大きかった。
変テコな飛び模様のある巻貝も棲みついてた。

此処を進んで良いのかしら?
私たちおうちに帰れなくならない?

  幾度も幾度も恋人のお顔を確かめた。
  
歩き進むうち、恋人のお顔が巻貝に変わっていたらどうしましょうと考えはじめたのだ。

ねぇそれよりも私の顔は巻貝になってない?

**


先日演奏しましたラヴェル作曲 "永遠の謎" は
此んな空気と重なる部分がなかったかしら。

ごく短いながら別の世界が突然に現れる超現実。
ユーモラスにも聞こえ、不安も誘う。


**


今朝は訪問記を模して曲のお話でした。

鉄の橋を渡ると子供たちのほがらかな声が響いてたのよ。
要塞に見えたものは、臨海学校の宿泊施設だったワ。


*不思議な駅(1)想い出
*     (2)階段の恋
       *バロックと階段
       *一目惚れの理:ケクラン
       ?僕が思う靴下と階段
*     (3)見送り
*     (4)車窓
       *ドビュッシー "バラード"
       ?僕が見たお別れとリスク
*     (5)プラットホーム
       *音楽のひとこま
*     (6)初めての待ち合わせ
*     (7)ミンティアの味
*     (8)チェコの袋
*     (9)人身事故--スケルツォ
*     (10)別れの時刻
       ?僕が見たウザい女
*     (11)2度目の出逢い
       ?僕が知ってる8月の嘘っこ
*     (12)不在

*古い携帯の音
*別れの月光
*揺らめきのドビュッシーバラード
*過去の女性からの手紙
*恋した匂い
       *繋いだ手のしらべ:転調
*ご不浄のやり取り
*白く光る花
*春のおでかけ
*海 -- アストレ
       *楽譜表示:アストレ
*恋路の花
       ?僕が思うコイビート
       ?僕が聞いたシマシマヒストリー
*デートのキャンセル
       ?僕が見た恥ずかしい旅行
*お土産のエピソード
       ?僕が見た小箱の中身
*ありがとうのお誕生カード
*バレンタインの思い出
*前髪パッツンのわけ
*ポップコーン
*もう一度だけ
*水のほとりの恋
*夜とマカロン
       ?僕が見た素面の事件

*恋の問いごと
*頬杖の恋
*タピオカちゃんの呟き
*タピオカちゃんのお手紙

*白木蓮が降った朝
*恋の花びら

*食の開放
       ?僕が見た餃子
*オーブン壊れちゃった
*渡り鮭のパスタ
*泣く女とバジル
*半片の



ラヴェル "カディッシュ" 再考

June 28, 2012

骨髄炎症はだいぶ退いた。痛みも少なくなって座薬を使わなくても飲み薬だけで抑えられる程度になった。
夜も傷まず眠れるようになった。


熱風邪はなかなか治らない。合わせでも鼻ばかりかんで咳ばかりして挙げ句にまた貧血を起こしたけれどファゴットとのデュオはフルプログラムをお稽古できた。

**


  カディッシュに時間をかけた。

よく話し合っておきたい曲のため合わせ前夜にお電話までした。

宗教観と楽曲の捉え方のテーマで話した。2人ともが聴いた録音のマタイ受難曲のアリアを例にとった。

私は女声の場合はメゾ・アルトが奏でる宗教曲が特に好みなことも手伝って、ある歌い手さんの第39曲アリアが大好きだった。残念ながら早逝されてしまった彼女のお名を敬意と憧れと共に挙げたいけれど、その録音はヴァイオリンが聞くに堪えず、とてもご紹介できないものなので伏せるより仕方がない。

マタイ26、27章に添った受難曲の中でも第39曲はペテロの否認を悔いるシーン。人間の弱さの罪、弱さ故に大切なものを裏切る罪をペテロが激しく後悔する69節〜75節。

1人の悔いの悲しみだけじゃなく人間全体の罪の顕現と人間としての罪の哀れを負う重圧を感じさせてくれる歌唱に深く共感した。

マタイは趣味好みに留まる範疇として、カディッシュのためにエヴァンジルの扱いについて予め意志交換しておきたかった。


2人ともやる気満々に臨んだ。
私は小節単位どころか16分音符単位で修正を入れた。


重視したのは語句と音価の兼ね合い、また詩句の意味と儀式の有りようで、具体的には1つずつの語句に忠実な一方で西洋音楽風の歌い回しと異なる音楽を望んだ。シナゴクの礼拝で歌われる賛歌の原型の感覚が欲しかった。

フレーズを優先せず唱和として存在する詩句をファゴットで表現するために、舌を突かずに素朴なポルタートを要求した。暗い響きのために一定音を低めにほしいと希望した。

後半数小節のAh--! 部分にひりつくような歌いと、音を張ったまま持続させることを要望した。

**


細か過ぎる要求にも、時間をかけながら熱心に答えてもらえて本当に嬉しく合わせは楽しかった。今の段階の考えでは、とても良いカディッシュができてるように思う。

  ほかの合わせでは勿論此んなコトしませんよ〜

モチベーションを極端に上げて嵌り込むのは蝶番君とのデュオだけだから他のソリストのかた、どうぞご安心なさってネ!
他の伴奏ではちょっとした希望さえ出さないほうかもしれない。
先日のMPでも当日合わせで要望事項はゼロだった。

トリオババールも、チェロのほうは余程の誤差がある事を舵取りしただけで何も手を加えてない。チェロが好きなように弾いてピアノで合わせるごく普通の伴奏者に徹してます。

明日はトリオ合わせ。

  ラヴェル "カディッシュ" のお披露目は7月1日AM11時より
  ムーラン・ド・ラ・ギャレット第1公演にて。

  
*ラヴェルとエゼキエル



ラヴェルとエゼキエル

June 26, 2012

今日もババール合わせ。
ファゴットとのデュオ曲を取り出し練習の日。


先回は体調が悪くって、合わせ途中で鎮痛剤を飲まなきゃならなかったりして迷惑をかけてしまった。

今日は調子良く進ませなきゃ。
ラヴェル曲を暖めたいナ。

**


7月1日トリオ・ババール第1公演終曲に演奏予定のラヴェル "カディッシュ"。以前アラム語のタイトルと読めない歌詞に四苦八苦したことがあった。

  *ラヴェル「カディッシュ」

蝶番君とは初めての曲。今回はフランス語訳つき譜面が簡単に手に入っちゃったお陰でストンと理解した気がする。

読めない言語と実感し得ない異教世界に、過去の演奏ではトンチンカンな妄想を膨らませてたと思う。自ら体験し得ない宗教曲に、勘違いと思い込みで触れて起こす間違いの恐ろしさを改めて感じ、深く反省した。

詞が読めないままに
《旧約聖書世界の一節からユダヤ教の死者へ唱える語》
って解説を、哀悼の語と誤解した。

カトリック宗教曲のある種の演奏を耳にする際、演奏理解に対して大きな違和感を抱くことがある自分がそっくり同じような失態を犯してしまった。

最も愚かな、最も避けたかった種類の、無知無識ゆえの冒涜をしでかした自己嫌悪に苛まれてる。

**


  "死者へ唱える" "死者への祈り" と解説にあった。
  此れ自体が日本語的意訳だと思い至るべきだった。
  追悼の辞のように考えてしまった要因の1つだ。

彼らも同じく祈りの対象はあくまでも神様で、死者である "人" を "対象" に願ったり祈祷をあげたりはせず、死者の "ために" 神様に祈り、また取継ぎを願う形である筈だった。
ところが "死者への祈り" の意訳から、祈りの精神部分の焦点がズレたままに捉えてしまった。

  モチーフはEzechiel (エゼキエル) 38-23。
  3言語の旧約3冊を見比べてみた。

破壊と再建が多く描かれたエゼキエル書は、苦難の後の再構築の示唆に扱われて、ユダヤ教の父と謳われる部分でもある。死による喪失の悲しみを乗り越えることもまた、エゼキエルに描かれる "勝利" の象徴かもしれない。

詞は旧約の言葉そのままじゃなくって、王の中の王の栄光の称揚で始まる。

栄唱・頌栄である。
ユダヤ教では埋葬から11ヶ月もの間唱える詞だそうだけど、内容は栄唱である。此の事が大切な部分だと思う。

哀しみを心に主の栄光を唱える。
希望の、また自らの、再建を願う。

埋葬の辛さのあまり困難な栄唱。
ラヴェルは耐え忍ぶようなメロディーと
悲痛に鋭角的なハーモニーを添えている。

其れでも11ヶ月を唱え続けるうち、
ラ・グロワールの言葉が再び胸に響き
心に届く日が来ることだろう。

押し殺した弱音のフェルマータ。
"イスラエルの子よ、永遠に。" の句。
昇華の勝利までを、もがき耐える心。



楽譜表示:アストレ

June 06, 2012

ドビュッシー関連カードがタピオカちゃんから届いた。


嬉しいナ。グラン・パレの展示会だったよう。
ニジンスキーものなどバレエ音楽関連も・・・♪

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今朝は楽譜表記のおしゃべりネ。

7月1日トリオ・ババールでお披露目のオズィのソナタ。
No.3 - 1楽章にラストレ (定冠詞+アストレ) って表示がある。

"アストレ" の表現に稀に誤解があるって知った。

Larousse辞典は此んな説明になってる。

  "L'Astrée, roman pastoral (d'honoré d'Urfé)
  Il retrace les amours de la bergère Astrée et du berger
  Celadon : une des sources majeures de la préciosité."

アストレは16世紀の貴族詩人オノレ・デュルフェの最晩年作のタイトルでもあるんです。
羊飼いの娘アストレの物語で当時主に高い階層の人たちの人気を博したお作だった。

おそらく田園物語って理解の仕方のせいで、"アストレ" を牧歌風楽曲に考える向きがあるよう・・・。

楽曲の場合、上記ラルースの説明を見るならば着目すべきはpastoralじゃなくってpreciositeのほうですね。

**


preciosite・precieuxはたくさんの意味をもつ単語・・・

1) 商品価値・市場価値があるって意味で多く使われ、
2) 人や経験などを対象に掛け替えのない価値を示す場合も。

これらが一般的ですが、文芸世界では17世紀初頭の特定サロンにおけるスタイルを表しますね。洗練され垢抜けた様子を指し、其処には良い意味でも悪い意味でも気取った装いって意味合いも含まれる。

また趣味の良いものを表すと同時に裏の意味として趣味人ぶった、って揶揄にも使われるよう。

**


デュルフェの文学のほうでは羊飼いの男女を主人公にしながら、作者のポジションもあってか貴族身分の人々に好まれたところを承け、先日ブログで遊んでみたんです。

小さな旅での牧歌的な場所を題材に

  *海 -- アストレ

趣味人風の運転模様を書いてみたのはアストレのおしゃべりをするための前振り的お遊びでした。あまり判り良い書き物じゃあなかったワ。

**


半日くらいお休みをしなきゃ大分疲れててもたないなぁ・・・って実感が増してきた。

今日は蝶番君のために助っ人にお出掛けなのです。その時間がお休み代わりネ!

蝶番君とカワウソちゃんのデュオ曲が綺麗に嵌まらないの。和声替えと若干の編曲が必要みたい。合わせ中に見てると2人の曲が上手く運んでないようだから助太刀を申し出た。

こんな和声づけなら喫茶店でチャチャッとできちゃうワ、って私は高を括ってるけど、どうかな?

大学時代にお友達と喫茶店でいつも和声課題に取り組んでた楽しい思い出が過ってる朝。



フランス音楽(8)感性の求め

May 05, 2012

白磁のレリーフボウル、大好き♪


1900年代初頭の品としかわかっていない。
バックスタンプがないのヨ・・・
パリ市内の窯とも言われてるそう。

フォーレは此のボウルが焼かれた頃、この世に生きたのね。

**


大学でアポリネール詩をお習いしてお世話になった金原(きんぱら)礼子先生の論文を読んでた。

リサイタル後の残務処理でグッタリ疲れちゃって、寝転んで読んでいました(謝) フォーレ作品へ近代詩分野からアプローチなさってて楽しいの・・・♪

  研究論文からちょこっと抜粋しますネ。

《フォーレはユゴーの詩のオードやバラードなどの物語性がある詩や異国情緒の中で繰り広げられる初期の詩を選ばずに、愛の苦悩や自然との交感の中から聞こえてくる声に耳を傾けて1830年代から40年代に書いた叙情詩 "薄明の歌" "内面の声" "光と影" の中から歌曲になる詩を選んでいる。このこともユゴーの詩による音楽の数々のデータを集めて発見したことである。

(中略)


しかしながら、ユゴーやゴーチエのロマン派詩に作曲したのは20代までのことで、すでに、25歳くらいからフォーレは、ル・コント・ド・リルやボードレールなど芸術至上主義の詩人の作品に歌曲の詩を求めた。すなわち、行間の奥にある目に見えない詩的想像力の世界に己れの音楽を飛躍させてくれるものを見出したのである。》

金原先生はフォーレの "作曲態度" って言葉をお使いになってた。
幾度か引用してきたケクランの著書を思い出しちゃった。

  *ケクランの甘美
  *独創とシャルル・ケクラン
  *ケクランと叙情
  *フランス音楽(7)崩壊と慈しみと
  *繋いだ手のしらべ:転調
  *ケクラン、ディドロ、ドビュッシー
  *一目惚れの理:ケクラン


金原先生がお書きの風にフォーレが楽曲のために詩を求め選ぶ際の作曲態度と、ケクラン著書内で描かれるフォーレの和声の取扱いを巡る作曲態度はとっても似通っていて・・・

  1人の人間が選び取る様々に、その人の軸が表れるのネ。
  軸となる1感覚が様々な態度行動を決めてゆく。
  
当たり前だけれど改めて見遣ると、芸術を巡るそれらはとっても興味深いナ。

**


    ケクランはね、此うも書いてるんです。

《人間的な要素が常に芸術の根柢にある。(中略) 人間の魂とその表現 (芸術の物的手段によってなされる表現)、この関係は、心と物、質 (落丁部。おそらく "質と量" でしょうか) 無限と有限等におけると同様に神秘なものである。》

               (清水脩様訳)

  此れで思い出したもう1つの言葉は、
  大好きなフランス哲学者ディドロのもの。

《生命は集合体で、感性は要素なんです。》

               (新村猛様訳)

  しばしば思うのヨ・・・
  フランス音楽とフランス哲学は密着してるって。
  少しずつお勉強してゆきたいナ。

**


昨日にリサイタル残務は全部終えた。
ほっとしながら今日のメインはレッスンですよ。

明日のブログはブルゴーニュ君ネ!


*フランス音楽(1)霧の具象
*      (2)感情と心象
*      (3)失意
*      (4)エクリチュール
*      (5)さかしま
*      (6)トーン変動
*      (7)崩壊と慈しみと



標題音楽とメンデルスゾーン

May 02, 2012

季節が終わりかけてもまだイチゴを食べ込んでる。
プライベートルームの写真をパチリ★


お庭に咲いたラナンキュラスや大好きな馬酔木は
しばらく楽しんだら順にせっせとドライにするんダ。

パリの風に数年前からメンデルスゾーンを入れてる理由、
PJライブの間の時間にお話する心づもりでいた。

すっかり上がって、ご説明を飛ばしてしまったって今になって気づいた。駄目ねぇ・・・

**


標題音楽がとっても好き。

たまに間違えられてしまうけれど標題音楽と題名つき音楽は別個ネ! 標題音楽は心象や風景や曲の中に起こる事柄を音のストーリーとして表現する音楽。標題音楽のテーマストーリーが題名つきになる場合は "表題" ですネ。

メンデルスゾーンは標題音楽を得意としていました。物語風な叙情性が卓越している様が大好き。弾くごとに好きな物語に誘われるように読み返す気持ちになる。

**


パリの風で多く取り上げてきたフランス音楽は、風景的な描写を持って聞く人を導いてイマージュを呼び起こし、情景世界に誘導する意味に於いて、メンデルスゾーンの標題音楽のあり方に近しいように感じるの。

**


明日のリサイタルでもメンデルスゾーンを演奏致しますヨ。
皆様にお目にかかれますように。

  5月3日祝日
  パリの風 第16回 "リュクサンブールの思い出"
  神戸布引ハーブ園 森のホールにて。ご入場無料です

  午後1時半開場/2時開演



ショパン "ポロネーズ" No.11

March 25, 2012

プレーリードッグちゃんがピアノを聞きにきてくれた。


演奏を終えピアノ室を出たあとはリビングルームで一緒にお茶してお菓子を食べた。

明るい可愛いお友達が居るとお部屋に日が射したようになる。
感動したり緊張を得たり弛緩したり、たくさん表情を変えながらピアノを聞いてくれた。

蝶番君にピアノを聴いてもらう時は随分と雰囲気が違う。
コンサートほどのマックスの緊張をし、それがとっても良い予行になる。

今度はポロネーズでお世話になった。
毎回本当に有り難い。

  *ショパン "ノクターン" No.11

3、4小節目にある形はリピートとda capoを合わせると3度繰り返され、15、16小節目では別の調のリピートで2度現れる。

私は
B・bb・ B・ B・【C】・ B/A・B・A・B・A--
と最高音Cに重心を持ってきていた。
フレーズ後半のディミヌエンドが長く取れれば
ポーランド民謡風の寂しい感じが表現し易い気がした。

1センテンスとして間違ってはいない。
ただ5度現れるうちにパターン化されて耳慣れることで
メロディーの美しさよりリズムが勝って聞こえてくる。

蝶番君は
B・bb・ B・ B・C・ B/【A】・B・A・B・A--
に重心を置く風に歌った。
其うして繰り返される毎に重心の分量を変化させ
変化自体を聞かせると良いのではって言った。

  ハイ!
  其れだわ!

いつもいつも迷っているところをジャストなポイントで指摘してもらえて感激です。私は此んなに頼りないことで中々お返しできないなぁ・・・

ショパン・ポロネーズのお披露目は、
4月20日7時半〜ピアジュリアン・ファーストステージ
または5月3日2時〜森のホール・パリの風リサイタルにて。



ドビュッシー "夢想" と自己

March 17, 2012

イングランドの思想家トマス・ホッブスは
"感じることは思惟することである" と書いた。


フランスの思想家エルヴェシウスは
"感じることは判断することである" と記した。

ドビュッシー "夢想" の感覚は此のどちらでもない気がする。

**


妄想って表し方がある。
お人によって言葉の受け取りは方は違っているかもしれないけれど、妄想には多分に自我が含まれる気がする。

例えば現在が改善された未来をシミュレートするところに、改良策が占める幅が大きく実現困難なものも妄想と呼んだりする。
現在の生活に関わりなく理想の断片を想定することも やはり妄想かもしれない。

いずれも妄想の中心は "我" なのではないかしら。
自分にとって良しと感じる態様に照準がある。

夢想の定義はよく知らない。
ジャン・ジャック・ルソー "孤独な散歩者の夢想" は自己探求だったけれど・・・

**


ドビュッシー "夢想" には自己の偏重や自己陶酔を感じない。

(申すまでもなく夢想という楽曲そのものであって、演奏者の自我が混入した音源については別のご感想がありましょう)

無我の内に、知らず知らず周りに起きる事をそのまま愛するような。出来事を愛し受け取り・・・ただそれだけの無防備さが、とても暖かい感覚を運ぶ1曲。

  世の中は難しい事象で溢れ返っているから
  フランスの作曲家の夢想に導かれて
  無防備な気持ちを見つめてみたくなる。


ドビュッシー・夢想のお披露目は、
4月20日7時半〜ピアジュリアン・ファーストステージ
または5月3日2時〜森のホール・パリの風リサイタルにて。



ショパン "ノクターン" No.11

March 15, 2012

山盛りの古ヤスリ。目の細かさや形がそれぞれ異なる。


コンサートへ持ってくヤスリは此処から選ぶのデス。

  *ピアニストの七つ道具(1)

**


ショパン・ノクターンOp.37-1 No.11を少し迷ってた。

最初はアンダンテ・モデラートを設定してみた。
多く演奏されるアンダンテ・テンポは悲しげでとても綺麗だけれど、楽器や会場条件に寄っては延ばした音の減少がフレージングを邪魔する気がした。

装飾音が流麗さを持ち、運びが滞らないテンポ設定が気に入った。けれどもモデラートの前向きな意識が生み出す "軽み" が納得できなくなった。

僅かな差で楽曲の意味合いが異なってしまうから悩み抜く。

思い切ってアンダンテより後向きなテンポに変更した。4拍子感の味わいを保ってみる。男歌の雰囲気。装飾は流麗さより即興性を重視。

段々と納得ゆくものに近づいたものの、遅めのテンポで重い曲調に作ると展開部が厳しい。どうすればいい?

**


ずっと聴いていたくなるコラールですね、と蝶番君が言った。
昨年の如くわからない処を助けて頂いたの。
合わせを打ちやってピアノソロでお頼りしてしまった。

  *ショパン "ワルツ" No.5

ソステヌートをもっと全体に感じてコラール調で、と言い置いてから、展開部4小節を無理にワンフレーズに取らなくても良くないですか? って・・・

  そうなんだわ!
    展開部のフレージングが苦しいのは、
      2+2にラインを分ければ解決するのネ。

  まさに知りたかった箇所でした。
    細かな小フレーズ分けが
      かえって24小節に大きな波を与えそう。

**


今回も本当に助かっちゃった。
ピアニスト目線じゃない他楽器奏者様のご意見って
とっても大切ですよね。
蝶番君、いつも的確なご指示に心から感謝です。

ショパン・ノクターンのお披露目は、
4月20日7時半〜ピアジュリアン・ファーストステージ
または5月3日2時〜森のホール・パリの風リサイタルにて。



音楽のひとこま

March 08, 2012

(撮影者:ツバメ君)


PJ貸切りの夜のカワウソちゃんとのショット。

ナント前へ出て来てからPJ置きの楽譜を繰って
"どれ弾く? 此の曲にする? " の相談中〜。
初共演にして何とも大雑把ななりゆきデス。

**


今朝は物語や楽曲のひとこまのお話。

知人にメンデルスゾーンをお聞かせしたの。センチメンタルな作品だったので質問を受けたのよ。
"メンデルスゾーンは恵まれない人生を送った作曲家なんですか? " って。

プロイセンの富裕な銀行家の子息として生まれたメンデルスゾーンは、哲学者を祖父に持ち、ゲーテを友に得て、結婚をして子供たちに恵まれ、息子たちは歴史家や化学者になって名を馳せ、自身はドイツ音楽界の御大として永きに渡って君臨する。

其うと知った知人は少しガッカリしたようだった。
悲しみを湛えたメロディーを書いた作曲家には、幸福を掴むことができない筆で記してほしかったのだと思う。

  安定した権威を手にした大作曲家が描く幸薄いものは
  嘘っこに感じる・・・?

  いいえ、人間はそんなに一面的な存在じゃない。

**


  ブルゴーニュ君は何が本当なのかを問い、
    私はその度にどれも本当よと答える。
      どれも皆本当。
        ただし、たくさんの本当を合わせても
          物事の全てには至らない。

  ?僕が思う靴下と階段

プラットホームが寂しくて、
去られることが悲しくて、
永遠の別離のように思えたのは本当。

  *不思議な駅(5)プラットホーム

けれども3日後に会うお約束をしてたのも本当。
すぐに会えるからといって別れが不幸せじゃないとは限らない。

事実のひとこまをクローズアップすると
全体像の印象と違ったものが生まれ出る。

楽曲には其ういった要素が多分にある。

**


  事物のパーツを重ね嵌めても
  一体の人間が表れるには遠い。

  だからより多く、より濃く、
  知り得る限り作曲家と楽曲を理解したい。

私たちが見てるのは、常に物事のひとこまに過ぎないから。

**


メンデルスゾーン4曲のお披露目は、
4月20日7時半〜三宮ピアジュリアン
または5月3日2時〜森のホール・パリの風リサイタルにて。 



ケクラン、ディドロ、ドビュッシー

March 06, 2012

昨夜はPJ貸切りコンサート♪

私も参加させて頂きました。


お世話になりました皆様、楽しい時間を有り難うございました。

前夜にメールが届いた。
"明日チェロの崎元さんがいらっしゃいますが、落合さんはご存知でしょうか。"

  え? カワウソちゃんが?
  お互い知らなかった嬉しい偶然。
  急遽一緒に演奏しましたヨ。

ブログ用にお顔を隠してミニカワウソちゃんとパチリ。

**


さて昨日の続き、転調のお話です。
ケクランが適切な文を記してる。

《近代の音楽を仔細に研究すると、これらの転調も決して調の意味を変えていない。時には、調性が強められていることすらある。すなわち、それは調性への復帰を重要視することから起る。この事は充分に認められることである。長い間同じ調性をきかされると、かえって調性の性質を忘れることがある。これに反し、一時主要調性を離れることによって、その調性が眼立たされる。そしてむしろ主要調性が全然新しいしかも確定したものとして感じられる。あたかもしばらく見なかった旧友にあったようである。ここにコントラストという永遠の法則があり、主要調性がますます意味を深めてくる。》

                   (清水脩様訳)

大好きなディドロが哲学のアプローチとして似た風を書いているのよ。対話形式 "ダランベールの夢" 内レスピナッス嬢とボルドゥーの科白です。

レスピナッス嬢
《わたくし手を腿(もも)の上におくとき、まず手が腿と違うことをはっきり感じます。でも、しばらくたって、手と腿との熱がひとしくなるときには、両方の区別がつかなくなります。二つの部分の境界が融けあって、もうただ一つのものになってしまいます。》
ボルドゥー
《そうです。どちらかが刺されるまではね。刺されると区別がまた生まれます。従ってあなたのなかには刺されたのが手であるかそれとも腿であるかを知っている何かがあるわけです。そして、その何かは、あなたの足でもなく、刺された手でさえありません。痛むのは手です。しかし、そのことを知っていて、しかも自分は痛まないのはほかのものなんです。》

                   (新村猛様訳)

身体の部位の差異についてはディドロが書く通り。
異なるのは、楽曲は刺された際の ---半音の下降に刺されたり、臨時記号に刺されたりするという意味で--- 知覚が、単なる刺激としての痛感じゃなくて新しい気づきを誘起するところ・・・

**


新しい気づきとは、劇的な変化に寄るとは限らない。

  あなたが静寂の谷を歩いてて、
    辺りを無音と感じながら進み、
      せせらぎを目にする。

  小さな清水の流れを見て
    無色透明の水に気持ちを揺さぶられ
      水面に近づいてみる。

  両手で水を掬い、水音を聞く。
    其の時はじめて先程から
      水の音は聞こえていたのだと知覚する。

  間近で水に手を延べた瞬間が
    其れと気づかぬほど柔らかに移行する
      転調の瞬間と言える。
      
そんな転調もある。
例えばドビュッシー "夢想" など・・・

(また宣伝?)

ドビュッシー "夢想" のお披露目は、
4月20日7時半〜ピアジュリアン・ファーストステージ
または5月3日2時〜森のホール・パリの風リサイタルにて。      


■ディドロ関連記事
*スペイン料理とディドロ
*絵をみる
*書棚
*クリームプディングとディドロ
*サンサーンスとディドロ
*善と悪
*オークラにて。悩みました
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*ケクランの甘美
*独創とシャルル・ケクラン
*ケクランと叙情
*フランス音楽(7)崩壊と慈しみと
*繋いだ手のしらべ:転調



繋いだ手のしらべ:転調

March 05, 2012

手を繋いで歩く。


  歩きながらおしゃべりする。
    耳をくすぐる声に気持ちが躍る。
      お話が心に響くと
        繋いでた手を急に暖かく感じる。
          過ぎてゆく風景が違って見える。

**


"転調って何ですか? " って問われると、私は此んな風に答える。
ババールのお教室のレッスンです。

  転調とは、大好きな人と手を繋いで歩く心の変化。

  1つの要因を契機に、感じる温度が変化すること。
  風景が違って見えてきて、その時を貴重に思わせるもの。

新鮮な変容は生物の変態と脱皮に近いかもしれない。
再現部で同じ風な肢体が現れた時、以前と少しだけ違う。
変化の後、新たにインティメイトな感覚が生まれてる。

ケクランが転調について著していた。

《転調は感情そのものから生れる。転調は天空を明るくすることもできれば、暗くすることもできる。転調は、われわれを非常に遠い所へ導いていくこともできれば、再び出発点へ返してくれることもでき、しかも返された出発点はもとの場所であるにもかかわらず全然新しい場所に戻されたかのように思われる。》

                      (清水脩様訳)

転調は感情故のものと言い切るケクランが大好き。

子供時代に音楽に触れた方々が楽典で転調を習ったとき、心が動いただろうか。限りなく100%に近い人々が、楽典に感動しなかったのだと思う。転調は既存のものとして、その処理や考え方を学ぶことになったと思う。此処は転調だから此うすべき、と。

  転調の瞬間に、トクッと胸がときめいたり
    ハッと不幸せな気配を感じ取ったり
      手を繋いだ曲の温度が変わった風に思えること

  それが転調を識る最初じゃあないかしら。
  
生徒ちゃんに一等味わってほしいのは、
転調も楽典も美しい感情だということなんです。

**


お話の続きはまた今度ネ。
本日お目文字の皆様、どうぞよろしくお願いいたします・・・♪


*ゆる〜いピアノ室へ生徒ちゃん募集
*ヘンレ色のピアノ室
*小さい生徒ちゃんのフランス教材
*趣味の生徒ちゃんのモンヴェル教材
*楽譜って綺麗・・・
*ピアノ室の紙ものと色紙展
*ババールのお教室


*ケクランの甘美
*独創とシャルル・ケクラン
*ケクランと叙情
*フランス音楽(7)崩壊と慈しみと



ドビュッシー "バラード"

March 03, 2012

ドビュッシー曲で特別に思い入れてる作品が幾つかある。


1910年のレントより遅く。
其処から20年を遡る1890年の3作も。
ノクターン、ロマンティックなワルツ、そしてバラード。

此れら作品はとても詩的で私小説風な語り口を感じる。
精巧なプレリュード24作とも、光の粒が散りばめられた "映像集" とも異なり、人の体温や手触りを思わせる浪漫的作品だと思う。

理知による一種の束縛がなく、束縛から脱する技巧もない。
素裸の心のためらいや、希いがリリシズムを齎す。

音の色合いが胸中の色合いそのもののようで、
甘く匂やかに立ち昇る浪漫の気配に心惹かれる。

**


ドビュッシー・バラードは言葉にならない想いのようで・・・
胸の中では雄弁なのに、募る気持ちを唇に乗せようとすると隔てられるもどかしさを思わせた。

弾き止んで、指先で鍵盤を撫でていた。
曲途中に考えるときの癖。

  ひんやりした白い鍵盤。
    ドビュッシー譜を鳴らせば
      暖かな音が豊に湧き上がる。
        冷たい鍵盤越しに・・・

          ピアノキーの奥に
        しっとりした霧と
      まろやかな香が潜むような
    錯覚を覚えた。

内と外に手を合わせた列車のガラス窓を思い出した。

  *不思議な駅(4)車窓

ガラス越しに手の暖かさを求めた窓に触れたと同じ動きで
鍵盤を掻い撫で弾いた。

**


ドビュッシーバラードのお披露目は、
4月20日7時半〜ピアジュリアン・ファーストステージ
または5月3日2時〜森のホール・パリの風リサイタルにて。



フランス音楽(7)崩壊と慈しみと

February 29, 2012

プレゼントを頂いた。
包みの外まで複雑で華やかな香りが漂ってた。


1926年、南フランスで創業したフラゴナールの石鹸だった。

お箱を開いた。
更に多重に感じられる香が絡み合って立ちのぼり、
ある夕の事を思い出した。

**


テレビが点いてた。
何でもない紀行番組だった気がする。
心に留めず聞き流したナレーションに続いて音楽が流れた。

知らない曲だった。
恐らくは番組のために作られた小編成のBGM。
特徴ない長調の音楽はファ♭シで始まった。

  あっ・・・
    この感覚、
      何だったかしら。
  
  今流れてるものと出だしだけが同じで全く違う曲に・・・
  よく知ってる筈の曲に覚えたある感覚を思い出した。  

ファ♭シにつくハーモニーもテレビの曲とは違ってて
知っている曲はもっと複雑な和音で、
そして多調音楽だったはず・・・


急にうるさく感じたテレビをOFFにして思い出そうとした。

**


  Durなのに、
    たった2つの音なのに、
      曲の始まりから報われないものを予感させる曲。

予兆を備える音楽や文学が大好きなのだけれど

  *ラシーヌの魅力
  ?ラシ犬

思い出したい件の曲は、悲劇的予感とは少し違った種類。

    既に壊れたものを愛しむような
      失われたものを懐かしむような

  崩壊の美を包蔵するハーモニー。
  具体的な和音を思い出せない。

異なる調で同じインターバルの開始では
グノシエンヌNo.5も近い性質かもしれない。
(音が出ます)

探してる曲は何だったかな・・・

**


思い出せないまま電車では変わらずケクランを読み込んでた。

  *ケクランの甘美
  *独創とシャルル・ケクラン
  *ケクランと叙情

またもやハッとする記述に巡りあった。

             (カッコ内 清水脩様訳)

《ある種の多調音楽は、光輝という不思議な印象がある。》

《二重調声あるいは多調音楽に根拠を置いた音群の光輝は、
 種々の異なった外観を示す。》

《異端の音集合であるにもかかわらず、きわめて柔らかい。》
      (譜例:ケクラン "林檎の花の歌" )

《星夜の神秘な光を表出することもできる。》
      (譜例:"夜鳴きうぐいす" )

**


  長調と悲劇、慈しみと崩壊。

  多重調声そのものが表現するものかもしれない。

それで・・・
  何の曲だったんだろう。
    記憶のお尻尾を捕まえられないのも
      多調音楽だからなの?



*フランス音楽(1)霧の具象
*        (2)感情と心象
*        (3)失意
*        (4)エクリチュール
*        (5)さかしま
*        (6)トーン変動



フランス音楽(6)トーン変動

January 09, 2012

同じトーンが連続して現れ、其の中に始まりと終わりがあることを自然に予測させる形。


異邦人を思い浮かべたのは、カミュ特有の湿り気ある気配がほぼ全文に続いた後、裏切るように突然太陽に晒される第1部のラストが来るところだった。

トーンが急に今までなかったものに換わり、換わると同時にあっという間に終わりが訪れる。読み手・聞き手が取り残される。フランス文学や音楽に多くある形だと思う。

  *尻切れ草履

始まりから終わりのストーリー展開を追うためのものじゃないフランス的な文字と音の世界の事は、ブルゴーニュ君が随分前に書いていました。

==========


もしね、もしもだよ。
恋愛をネタにしてフランス風エンディングを
解説したとすれば尋常じゃないよ。

けどねお姉ちゃまなんかにそうと注意をしても
ご返事は決まってるんだ。
尋常なばかりでフランス音楽がやれるものですかってね、
ピシッと言われっちまうんだ。うへっ

本当のところはお姉ちゃましか知らないの。

こりゃあ実にフランス式なんだ。
風呂入るだかフローベールだかってお人も使う方式だね。
あとがどうなったか "結末" と "理由" はわかんないことだのに、
テオリーを綿々と書いてあるってやつさ。


==========



theory でも mere theory であっても、直接的に "展開" に影響を齎さない。独立してトーンを聞く形。だからこそシュペルヴィエルが描く風なタイプのシュレアリスムが成り立つ気がした。

  ?僕が思うシューレア・クリーム

私ね、此の方法にとっても興味があるんです。

お勉強していない私には文章で音楽を伝えるのは難しいけれど、ほんの時々真似事をしてみたくなる。文学・音楽・絵画が一国の中、此うも密に繋がってるってコト、おしゃべりしてみたくなる。

**


ディドロ "肖像奇談" のラストも同じ風に・・・

《さて、ここまでわたしたちの筋書きは進んできました。美姫(ベルダーム)の家でなく、例の医者の家で夜食をとる手筈がととのいました。それからどんなことになったか、見ものです。》

                      (新村猛様訳)

と書かれた次の行からのパラグラフ内で物語が終わるの。
僅か数行。見ものと述べた数行あとに終わっちゃうのよ。

つまり "見もの" とは、展開を指したものじゃあないのね。

《ところが、おじゃんになったのです。
(中略)
デブロッスが、この幽霊ごっこの数日前に
ピストルの弾丸を二発自分の脳天にぶっ放したのです。
それで、筋書の巧拙はともあれ、
大詰はお流れになったという始末です。》



*フランス音楽(1)霧の具象
*      (2)感情と心象
*      (3)失意
*      (4)エクリチュール
*      (5)さかしま



寒風のヴォカリーズ

December 29, 2011

カミュ "転落 追放と王国" を読んだ。


冬の描写が素敵にカミュらしい箇所があった。

《痩せた蝿が一匹、バス引上げられた窓ガラスのところを、ひとしきり、飛びまわっていた。妙に、疲れきった飛び方で、音もなく、行ったり来たりする。ジャニーヌはその姿を見失った。が、まもなく、夫の動かぬ手の上にとまるのを見た。寒かった。砂まじりの風が吹きつけてきて窓ガラスに軋るたびに、蝿は慄えていた。》

                     (窪田啓作様訳)

カミュの空虚感に惹かれる。
1つずつの描写が外気以上に空洞の寒さを感じさせるところなど。

虚無と隣り合わせになったものを好むところがある。
私自身が多くは持ってないから、つい好きになる。

シュペルヴィエルやプーランク (お2人はお年が近いわネ! ) を大好きなのも、独特の無力感の表現のせいかもしれない。

**


ロマンティックな痛みの歌の美しさで広く愛されるラフマニノフ "ヴォカリーズ"。ファゴット用譜面はcmollだった。

  *cmollの悩み

譜面を見て嬉しくなった。cmollのヴォカリーズは、シャープ系の際の透明感が失せ、代わりにファゴット低音域の音質とcmollの質感で痛さと虚無感が増して聴こえるに違いないって ちょっとはしゃいだ。

私は痛ましい曲を形作ってゆく時も、作業が楽しくて楽しくてしばしば上機嫌に過ごし、その様は少しも楽曲に相応しくないと反省する。

cmollのヴォカリーズは蝶番君の音楽観と相俟って寒風吹くような うら悲しい曲になっていた。

**


自らの弱点を発表しちゃうようだけれど、私一人で弾くと虚しさの表現が長く保てなかったろうと思う。

直そうとしては失敗してる弱点なのだけど、悲しみの曲にもエネルギーを見せてしまったり、気を抜くとお稽古中は其処彼処がすぐ生き生きしてくるのを抑えるのが大変だったりする。

虚無的でうら悲しいものがソロ演奏に足りていない部分だった。だから相方さんのお力を借りられるデュオは、虚しい物語を感じる曲を弾きたがってしまうんです。

大好きなのヨ、自分に欠けている世界。

此のお話はまた来年に続きます・・・♪

**


今朝は少し時間がある。31日PJカウントダウンの伴奏を弾けるようにしましょう。

何もかもギリギリだった今年。大晦日ライブもギリギリだわ〜。



リディアという女性

December 24, 2011

 (撮影者:シティホールコンサート実行委員会様)


神戸市役所コンサートでリディアを再演した。
今回リディアはとても密に作るよう試みた。

私は前日の合わせでも1小節ずつ止め、演奏とお話合いを進めるうち最後は2音ずつ止めることになった。変態さんの要求にも蝶番君は付き合ってくれた。

  密に作りたかったのは、
  おおらかな印象に仕上げるためだった。

スケートのコンパルソリを思う。

右足で描いた円と向え合わせに左足でも円を描いて図形を滑る。不安定な図形は、おおらかさを欠いて見える。円の接点や中心が緻密で正確であればあるほど、なめらかで伸びやかな図に見える。

現れた結果のおおらかさが、プレイする側の精密さ故になる事は多くあり、私はリディアを其ういった種類の曲のように感じた。おおらかなリディアは、奏者が所謂 "おおらかな心持ち" で向かうべきじゃあない風に考えた。

コンパルソリよろしく円を重ねるのはとっても難しい。音高が変化する中、1小節という円をスピードを持たせずに安定して同じ体勢でエッジに乗っておく風な曲調を考えてた。

リードは先回と同じリーガーを選んでた。使い込みのせいで少し硬くなり始めてた。音が硬いのじゃなくってリードが硬くなった僅かな軋みを感じると申し出て、更に薄く削って頂くようお願いした。

今振り返ると此んな変態さんのデュオ相手をよく1年間も受け入れ続けて下さったと思う。

**


おおらかさに拘ったのは、リディアって女性像に即してだった。
リディアと、歌曲リディアを最初に歌った女性が重なって見え始めてた。

リディア再考に
   《若く可愛い女性がリディアを歌うことになって、
    お嬢様の趣味のお稽古で》
なんて妄想を記録したように、憂慮ない女性が浮かんでた。

kotoko様がコメントの続きが欄内に入り切らなかったとメールで教えて下さった。
リディアはMadame Marie TRELAT ってアマチュアの歌い手さんに献呈されたって。知らなかったワ。リディアには悠々としたアマチュア・ムードが大切な気がしていたから納得ネ!

Madame TRELAT ご自身はお上手な歌い手さんだったそうだけれど、アマチュアの伸びやかさは初期のフォーレが気に入るものだったかもしれない。

平行して詩中のリディアのイメージも膨らんだ。
リディアはね、憂慮や心の隔てなく、特別に理知的でも高尚でもなく、晴朗で風通し良い気持ちを持って、溌剌とした桃色の頬をしている・・・

"クリメーヌ" や "ヴィオロン" の女性とはまるで違った煩悶ない女の子。

  *女の顔

リディアという女の子を歌うなら、女の年齢には難しい。
だから私には作り込む必要があった。
単調な若さの華やぎと素朴さを。

**


kotoko様
リディアを改めて考え直す機会を与えて下さってどうもありがとうございました。随分以前に素敵なメールを下さったことがあるお方だと後になって気がつきました。感謝致します。

*"リディア" 再考
*"リディア" 落合訳



"リディア" 再考

December 13, 2011

合わせの日の朝、モーツアルト作品表を眺めてる。


12月21日再演の "リディア" を巡り、ロココ・ギャラント趣味を引く古典も再考しようと思った。

昨朝とっても大切なコメントを頂いて、改めて考えてみたくなった。

**


数あるフォーレ歌曲の内、リディアは珍しくピアノパート上声と歌の旋律が重なり続ける楽曲・・・前後の作品は其うじゃあないのに不思議ね、ってお稽古中お話したことがある。

また空想物語のようなフォーレの噂話に落ちついた。

  若く可愛い女性がリディアを歌うことになって、
    お嬢様の趣味のお稽古であまりお上手じゃあなくて、
      フォーレ先生、私、音が取れませんって嘆いたらば
        仕方ないねぇってピアノ伴奏を歌旋律に揃えて
          下で音を取ってあげる風にしたの。

ナンテ毎度の空想物語だけれど・・・

此の時期のフォーレ作品でリディアだけが上下同旋律になってる理由を考え遊ぶうち、お声の細いほんわり女性らしい歌い手さんが浮かんできたから。

ファゴットで奏するリディアは詩の通りの男歌になっていて、
色香の虜になった男性の溜め息のように湧き出す欲望に
古典的な音律の中に時々挿し込まれるバロック調の不安定感が
彩色を添えている風に感じる。

一方、女声のリディアはリディアその人が歌うかのような印象に・・・

歌謡曲でも男歌を女性が歌う場合、語られた人物が語ったお人の声を代弁するような魅力が生きるもの。逆説的な効果が此の曲にもあるのね、ナンテぼんやり考えてた。

昨日のコメントを読みながら、ソプラノの、それもGdurのリディアの愛らしさを想像した。

男歌ではバロック的な一瞬の構図の歪みと捉えたく、女声だとギャラント様式風な洒脱もとても美しいかもしれないと感じた。

**


1音の扱いでマジックのように印象を変えるフォーレ歌曲。

  *ツボなんです

例えば冒頭5小節目、Et sur ton col frais のクレシェンドは蝶番君は殆ど音を張らず、むしろfraisのE音を若干浮かせるくらい柔らかに吹くと、すぐあとのet si blancの全音符までを弛く広いディミニュエンドにしてた。

ソプラノ演奏なら器楽と全く違ったフレッシュさが生きるのかしらって空想した。E音(Gdur 譜でFis)部分はファゴットより響かせるのが美しいのでしょうし、et si の2音を短いディミヌエンドにすると、blancのC音(Gdur 譜でD)が細く伸びるのカナって想像する。

前者蝶番君の風に、長いディミヌエンドをC音終わりまで延長すると9小節目PF冒頭のC - H 8分音符を挟んで主旋律のA音Roule が結ばれる格好になる。低音楽器の音域に似合うフレーズ感だと思う。

音域・調を頭の中で入れ替えながら譜面を見てるといつまででも遊んでしまう・・・

**


追記:
記事を読み返し、

  *リディア

ふと拙文がロマン主義の説明に不十分に見えたのでメモを追記しましょ。

反ロマン主義とは "ロマンティックでない" といった意味とは異なっていて、古典主義に対する反動・反概念で生まれたか否かの部分ネ!

例えば古典詩で規則に定められた韻律を、次世紀に【(規律ではなく) より多くの表現手段として】用いる人達を反古典主義とも呼ぶとき、韻律を用いないという事とは違っている風にネ。

主義の定立は多くは前時代の流れで複雑だけれど、19世紀に定型詩が復古趣味として用いられる場合と 高踏派のように対・古典主義として用いられる場合とがあり、いずれも "古典的でない" とは異なるものとなる・・・

そういったフランス詩の変遷を踏まえ、"反ロマン主義" とするのは、"ロマンティックでない" とはまるで反対に、ロマンティックな要素を高踏主義として用いる、という概念部分。

**


さぁさオタクブログに走ってないで合わせの準備に練習練習。

相方さんは次回使うのリードの先を高音のために0.5mm切りなさったと仰った。先回合わせでとても綺麗に当たってた低音の音質はどうなったかしらん? って楽しみと不安でいっぱいになりながらお待ちしますの・・・

  (今朝のブログは最後まで変態さんっぽくてやぁね。)



フォーレ "五月" お稽古風景

December 11, 2011

大学時代に読んだ

民族音楽関連の書籍類。


綺麗なものだけ生徒ちゃんに差し上げて、あとは処分した。
フランス・ジャポニズム時代に影響を受けた作曲家が東洋を見る感覚を知っておきたいって理由で東洋民族音楽学に触れてみてた頃があった。

東洋的なもの全般苦手な世界で書物は進まずあまりお勉強にならなかった。

不思議ね・・・東洋音楽はとても自由な音楽だのに私は自由な楽しみを得られなかった。作曲家カラーが強く精密な造りのラヴェルやフォーレの音楽の中で、束縛のない自由意志をもって存分に遊ぶことができた。

今もずっと変わらないんです・・・
なんにも構えず安心して遊び場になるのはフランス音楽の中。

フォーレ作曲 "五月" をお稽古した。"蝶と花" とのセットになった作品1は、ほっこりしたムードの曲なのです・・・♪

曲作りと思えない風な気抜けた素の口調、素の時間。
こちらで曲のおしゃべりしてる部分を切出しましたヨ。




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