クチュリエとカルメン原作など
January 05, 2015
クチュリエのこの頃。 |
8畳の1つ面に2畳分ほどドレスクローゼットを確保してるから、6畳くらいに縮まってる。
45年も経とうとするフローリングの表面が傷んできてベージュのカーペット敷きにしました。冬は此のほうが暖かくて良いかな。
カーテンに留めてるのはチューリーちゃんのお洋服です。 |
昔遊んだ安物のお人形ドレスを飾ったりして子供っぽいですね。
*ブランデーケーキとおままごと
夫のお休み最終日は此処で一緒に家事をした。
合わせ前に穏やかな時間。
ニッチにはリカちゃんのバッグとパンプスを置いて なんちゃってミニチュア空間にしてみたり・・・ |
細かな物を入れ替えて、その都度ちょこちょこお掃除するのが大好きだけど、まったり時間はお終い。夫とコンサート用のカルメンをお稽古です。
1声部のソロパート+ピアノの組み合わせでオペラ・コミックの原典版の感じに近づけるべく試行錯誤中。 |
ビゼーの死後に改訂された華やかなオペラ版のほうに興味が湧かないまま数十年。代わりに戯曲以前の原作の雰囲気が好きだったりする。
堀口大學様訳の原作カルメンの始まりはまるで印象が違っててとっても面白いのです。
《マルベラの北方八キロほどの、現在のモンダに近いバスチュリーポエニ地方がムンダの古戦場だと地理学者たちは説明するが、私は以前からこの説を疑わしいと思っていた。筆者不明の "スペイン戦記" の内容とオスナ公爵家の完備した文庫から捜し出した資料による推定とで、私はシーザーが共和国の勇士たちを相手に一か八かの決戦をいどんだ記念すべきあの古戦場は、モンティーヤの付近に捜すべきだと主張してきた。1830年の秋のはじめに、たまたまアンダルシアへ行っていたので、私は当時なお未解決のままに自分に残されていたいくつかの疑問点を明らかにする目的で、かなり長い調査旅行を試みた。》
此ういった雰囲気で始まるメリメ原作のお終いは |
《"カルメン" の読者諸君に、私のロマニ語の知識がまんざらでないことを吹聴することはこれくらいでまず十分だという気がする。ではこの辺でこの場合うってつけの諺を一つ書きつけて、筆を置くことにする、En retudi panda nasti abela moucha. しめた口には蝿ははいらず。》
堀口訳の独特の雰囲気と相俟って少し無骨で不愛嬌な印象がなんとも好きだナ・・・
ラヴェル音源とドビュッシーのフェイント
December 25, 2014
クリスマスイブはレッスンが2つだけでした。 |
午前にフォーレと音楽史の生徒ちゃん、午後にドビュッシーの生徒ちゃん。
"3つモノ" のお話になった。
先にちょこっとラヴェル音源を・・・
7ピース目モワン・ヴィフ冒頭、4小節ずつに纏まった同パターンが3つ出てくる。フェルマータからテンポプリモに入る前。
常習的な形が念頭にあると mP → P → PP ってやりたくなってしまうところだけれど、ラヴェルは P → mP → PP と書き入れてる。ハーモニー的には1つ目よりも閉鎖的な性質の2つ目の和音のほうに '何らかのボリューム' が1つ目よりも上がるのだ。
此の場合の1段階はとっても微妙だし、和音自体には1つ目よりも陰の印象があるしで偏に音を強くするってわけでもないだろう。 |
浮上する・密度の高い音質になる・底の深い音になる、e.t.c. 。色んな可能性が考えられる思う。いずれも '何らかのボリューム -- 強弱に限らぬ幾らかのインフルエンス -- ' によって此処の形を印象に残してゆく感覚を作曲家が求めたんだろうか。
私には正しい解答はわからないけれど、作曲家がこれまでの常習感覚を覆しながら描く新しい美は心底愛してる。 |
ごく個人的に例えばレッスン生徒ちゃんなどにだけ使う言葉だけれど、彼らが描く此んな形をフェイントって呼んでる。
生徒ちゃんが昨日弾いてきたドビュッシー "グラナダの夕べ" にもフェイントが。
*ペーストガラスと歩調
やはり "3つモノ" です。
23小節目テンポ・ルバートの2小節ずつの3つ組み。 |
こちらは習慣的にはP → cresc. → P にしてしまいたくなるところ。27小節目1拍目を既に弱音にしたくなるかも。生徒ちゃんも其う弾いてきちゃった。
実際には27小節目頭からディミニュエンドをして、弱さが戻るのは28小節目。生徒ちゃんは一生懸命直そうとするけれど、弱める場所を1小節ずらせるって決して易しくない。感覚自体を入れ替えなきゃならないからだろう。此れからのレッスン課題になった。
それにしても既存感覚を覆す20世紀初頭の音楽は
触れるごとに新しく感じる。楽しかった。
2014年クリスマスに。
ポゴレリッチとオルドリッチ
December 16, 2014
懐かしい母校に立寄った東京滞在の夕、 仲間たちとポゴレリッチのピアノを聴きに出掛けた。 |
コンサートを聴くとき心に決めてる事は、自分の辞書を真っ白にすることだ。目の前の演奏家が語ってくれる事柄を其のままの形で受け取ってみないのはもったいないと思うからだ。
少し音楽なんかしていると此の曲は此うあってほしいって枠があったりもする。頭に理想形をはっきり備えるのはとても大切だ。しかし其んなものは自分の演奏にのみ適用すればいいのだ。
演奏家が同じ空間で、私たちの辞書には無い言葉を使って未知の話題であるかのような音楽を語ってくれるのは本当に面白い。
14日の演奏で心に添って楽しんだのはペトルーシュカだった。其うした時こそ、視線の先のアーティストは経験も思想も人生も何もかも異なる者に是認してもらうために弾いてるのじゃないと改めて克己する。 |
誰かの心に合い添って気持ちに響く現象が、間接的に起きればそれも幸運の1つだ。けれども家族やお友達に求めれば良いような其うした働きは、受ける側が無意識にも要求する種類のことじゃないと自制しながら耳を傾けた。
とっても興味深いコンサートだった。
最近に読んだヴァージル・オルドリッチが |
と書いてたのを思い出した。
として観察主観と観照主観を説明してた。
(カッコ内 徳丸吉彦様・川野洋様訳)
オルドリッチ著 "芸術の哲学" で引かれていて印象的だったのは |
トルストイが《芸術を感情の連帯性を作り出すために情緒を調達するものであるとみなす理論》を持っていたのに対して、アリストテレスのカタルシスの思想には《観衆の心理的健康によい (劇的) 芸術のこのような働きが、芸術の主な価値ではないことを示唆する言葉も数々ある》と説明されてた部分だった。
ピアノを聴きながらなんだか此の本を思い出したのは、解体は元々ロジカルなものだと示してくれるような演奏だったからかな。
フォーレのオアシス
December 13, 2014
可愛いフォント! 夫の譜面棚整理週間でした。 |
小間物を時々徹底整理し直す夫の身の回りは
今週譜面棚を綺麗にして気持ちいい・・・♪
*スーパームーン
オケ譜、室内楽譜、ソロ、コンチェルトで分けて、探し良いようにそれぞれ年代別にしてる夫専用譜面棚。うっかり紛れたパート譜など入れ直してお掃除して・・・
表紙画やフォントが可愛い此んな楽譜は飾り用に回収です♪
フォーレ時代の作曲家ウジェーヌ・ブルドーのバッソン譜。
水色基調のアトリエに飾った。
夫のお部屋前のホワイエへも。 飾り用は今あまり使ってない此んな楽譜で・・・ |
フォーレOp.61-8の楽譜を2、3日Macデスクに置いて眺めてた。
時を刻むように続くピアノパートの16分音符が、歌パートを支えるピアノ右手の旋律と溶け合った時、風の流れを感じさせてくれるところが大好きだ。
時の流れに風が吹き込み、風が時をさらってゆくよう。
同曲集内61-7 "眩耀の夏のひとひ" に起きる風は
と、ダイレクトに詩人とマチルダの周囲を廻って
愛しい人のヴェールに忍び込んだ。
61-8 "ね、そうでしょう? " の風は
外の世界を渡ってゆく風より穏やかで2人に優しく、此処にしか吹かない風のようだ。
世間への扉を閉ざしたくなった詩人が 2人だけの暗い森を心の中に構築したら、 |
荒れた外界 (フォーレが削除した部分:結婚を反対する世間) から守られた所にぽっかりと暖かな世界が現れてたような・・・
曲内のピアノの音型は穏やかな微風のように感じられてならない。
フォーレの削除部分を含む詩の全文はある種独善的とも言えるでしょうし、個人の想いが形になった姿は総てが理に適うものってわけじゃあない。すぐ後にランボーを追ってしまうことも含めて・・・。だからこそ不完全な人間というものの美しさを感じるのだ。
此れまでの如何なる為業が非難されようと
此の先如何なる痴態におよぼうと
今ここにある恋心のピュアな輝きを摘み取って
蒸留するかのようなフォーレの作曲に
非常な優しさを感じてしまう。
1869年〜の赤裸々なマチルダへの恋文には 周囲の攻撃に打ち勝とうとする懸命な詩人の心が顕されてた。 |
フォーレは原文から愛の心を綴った箇所を抜き取り、年を経て1892年着手の楽曲完成後 "N'est ce pas? " はオアシスに生まれ変わったように思える。
*フォーレ "本当は、怖いくらいに" 落合訳
関連記事*フォーレ "本当に恐ろしいほど" ラスト
*フォーレ '気に入ってもらえることを願う'
*フォーレOp.61-5 始まり
*フォーレOp.61-5 第2パラグラフ
?僕がイヤんなるコト
*フォーレOp.61-5 許して下さい
*フォーレOp.61-5 愛しき者
*リディアとマリアンヌ
*フォーレOp.61-5 希望
*"本当は、怖いくらいに" タイトル他
*"本当は、怖いくらいに" 挿入箇所
*サンルームと暗い森
*暗い森、優しい森
*ペーストガラスと歩調
*詩人と決め事
?僕が聞いた後悔とフォーレ
*"リディア" 落合訳
関連記事*"リディア" 再考
*リディアという女性
*バロックとgalantuelles
*フォーレOp.61-5 愛しき者
*リディアとマリアンヌ
*"眩耀の夏のひとひ" 落合訳
関連記事*解説 "眩耀の夏のひとひ" 訳
*"黎明燃え広がりて" 落合訳
関連記事*黎明、希望と決意
*僧院の廃墟にて
*"イスパーンの薔薇" 落合訳
*"トスカーナのセレナード" 落合訳
関連記事*トスカーナの目覚めと眠り
*トスカーナの気配
*フォーレ "トスカーナのセレナード"
*トスカーナに憑かれて
*フランス気質と音さがし
*19世紀の恋情
*トスカーナのおしゃべり
*"罪の償い" 落合訳
関連記事*身代金
*罪と長調
*"墓地にて" 落合訳
関連記事*神戸外国人墓地
*"祈り" 落合訳
*"夢のあとに" 落合訳
関連記事*夢の目覚めの悲しさよ
*"クリメーヌに" 落合訳
関連記事*アヴェ・マリス・ステラ
*フォーレ "クリメーヌに"
*"水のほとりに" 落合訳
関連記事*サンピエトロ、体と遺骨
*"月の光" 落合訳
関連記事 *月の光とリュート
*月の光のメヌエット
*月の光と諦念
*月の光に溶けて消える
*月の光と母性
*フォーレ "月の光"
*象徴(6) "蝶と花" 落合訳
*"水に浮かぶ花" 落合訳
関連記事*象徴(3)花色
*"ゆりかご" 落合訳
関連記事*ゆりかご
*"ロマンス" 落合訳
*"この世にて" 落合訳
*"漁夫の悲歌" 落合訳
*"秘密" 落合訳
*"棄てられた花" 落合訳
*"秋" 落合訳
*"贈り物" 落合訳
*"森の鳩" 落合訳
関連記事*シルヴィーの鳩とたんぽぽ
■訳すということ関連リンク
*訳すということ(1)野鳩
* (2)椿姫の白
* (3)マノン・レスコー
* (4)カフェオレのボウル
* (5)マカロン
* (6)マリア様のお顔
* (7)クロモスとお友達
* (8)伴奏
* (9)エコルセ
* (10)メープルクッキー
* (11)スタンダール
* (12)演奏通訳
ペーストガラスと歩調
November 27, 2014
ピアノ室の窓辺です。 |
生徒ちゃんがせんにプレゼントしてくれたフレグランス・オーナメント。随分昔に教会バザーで求めたプレイスマットは多分300円くらい。それからミニチュア古書オブジェ。
使い途がなかった古いペーストの指輪を置いてみた。
クリスマス用品を求めに立寄ったショップさんで古めかしい指輪を小さい物と一緒に飾られてて、素敵だな〜って早速真似っこ。
仕舞い込まれて可哀想だった指輪がいい表情で・・・ あらいいんじゃない? って自己満足全開で此処にも。 |
タピオカちゃんが送ってくれたアンティークカードの上。
初聖体記念のカードはセルロイドでできていて、ペーストとお似合いだ。
お部屋にちょこちょこ手を加えてると生徒ちゃん到着。
私も来春演奏予定にしてるドビュッシー "グラナダの夕べ" がレッスン曲だった。
アーティキュレーションが記されたハバネラとマカーム音階を説明した。続いて歩調のおしゃべり・・・ |
異国風景と纏わりつくようなアンダルシアの空気。
アルハンブラを臨む情景と、足取りのようなリズムと構造。
お話しながら対象曲以外の楽曲が頭を過った。
物理的な歩みを捉え、動く主人公が観る世界を描く楽曲に対して
動かぬ主人公の過去と未来に時が巡り凪がれる楽曲もある。
フォーレ歌曲 "ね、そうでしょう? " の場合は、時を運ぶ16分音符が動かぬ詩人 -- マチルダへ語り聞かせるかのように座って場所を移らないのだ -- の談話が示す行く末へと繋ぐ。
詩人の眼は、詩中に語られる2人を待ちうける未来へ向けられて
前2小節の前奏を従えて流れている '時' が曲中に刻まれ
今語り合う2人の時を彩りつつ、未来にも刻み流れる時間へ繋がってゆくように感じさせる。
楽曲の歩みの種類を考えてみるのも面白いかもしれないねって生徒ちゃんに話した。時に文学的、時に絵画的な楽曲風景の発見は楽しいものだと思う。
サンルームと暗い森
November 18, 2014
サンルーム入り口。 |
暖かい陽の光が嬉しい。
ちょっとでも陽を浴びたい寒い秋。
ノーメイクで其んなことしてたら小皺とシミがやばい?
ティッキング布を洗い替えてカーテンと同系色になった一人掛けソファ。この頃甘い色が好みになってるようです。 |
若い頃はオトメな感じのコーナー作りは恥ずかしかったけれど、甘さを失ったオバチャンになれば返って思い切り可愛いものを楽しめるのかな。
違うかな・・・
若さと一緒に羞恥心も失っただけ?
ポニーテールちゃんに頂いたシクラメンを植え替えて 光いっぱいの場所へ。 |
サンルームの壁は今、蔓薔薇の茎と葉を乾かし中で
なにやらワカメみたいな状態に・・・(涙)
ドライになり次第、早急に撤収しなくっちゃ。
此処もまた羞恥心を失くした証明の蝶々のガーランドが天井ハンギングでゆらゆらしてる。 |
左側に提がってる白いミルク缶型のはアマリリスちゃんから頂戴した。
椅子の上には来年用の種採り中の色々が・・・ 手前風船葛の実もアマリリス家から来た種でした。 |
遅め出勤前にお庭でプランターを修理してくれてた夫が
お庭からサンルームを覗いた。幸せの笑顔。
とても明るい場所。
だけど此処は暗い森だと思った。
フォーレOp.61-8 "ね、そうでしょう? " のヴェルレーヌ詩に '暗い森' って単語がある。せんに "優しき歌" を通して聴いたとき暗い森の部分の歌詞が気になってた。
其処には "本当は、怖いくらいに" にも使われた、歌集共通のテーマの1つである愛のテーマがピアノパート右手に挿入される。何故愛のテーマが暗い森なんだろうって疑問に思ううちに曲は進んでしまった。前後の詩はよく聴き取れなかったのだ。
ヴェルレーヌ詩を開き、'暗い森に居るように愛の中に弧別されて' の歌詞と判ったんだったな・・・
"本当は、怖いくらいに" で片想いをしてたヴェルレーヌが、マチルダと愛し合うようになった後の愛の声明のような曲。ト長調3拍子の美しい和声は光に満ちている。
暗い森は2人が閉じ籠る愛の語らいの地、優しく光る場所の象徴のようだ。フォーレの続きはまた今度に。
ゴイェスカス "愛の言葉"
October 20, 2014
秋明菊が可憐に開いた。 |
暖かな週末に風邪がだいぶ快復した。
気分も良くなって、太陽の光が特別綺麗に見えた。
先週目にしたシーンでグラナドス "愛の言葉" を連想した。 |
出逢った頃と同じ夫の姿に再び会ったのだ。
夫は神父様に謁見を願い出てた。すごい素早さでお約束を取りつけてた。好きとなると遠慮なんて放棄してグイグイ行くのを側で見て・・・
神父様の真ん前だのに、不謹慎なことに数年前愛の告白をしてくれた時の様子を思い出してドキドキした。
お人に対してあまり積極的じゃあない夫が唐突に 猛ダッシュの勢いで近づいてきてくれた思い出が重なった。 |
*不思議な駅(16)馴れ馴れしい男
強引とも違う。自然で衒いもなく
限りなくストレートで考える余裕さえ与えなかった。
ゴイェスカス1曲目 "愛の言葉" には、あの時感じたような疾走感があるなって思いながら楽譜を捲った。
Requiebro。 男性から女性への求愛の音楽。 |
リズミカルで清々しさ溢れる冒頭はフォルテに始まる。
一気に幕が開くようなアッチェレランド。
華やかに駆けるように進む。
甘い中に凛々しさも保たれて
恋の悦びは、なんて潤いに満ちた活力を与えるものだろうって
ピアノの前で思った。
すぐにも夫に会いたくなった午後だった。
フォーレ "本当に恐ろしいほど" ラスト
October 13, 2014
ルイーズ草を飾ったテーブルで 夫と自家製お菓子を楽しんでたとき |
たくさんの花びらの一房だけが震えるのを見た。
テーブルの振れじゃない、1つのお花と2つの蕾がついた房の先だけが細かく細かく震えてたのだ。
ゆっくりゆっくり閉じようとする花びらの僅かな動きが
何かの加減で振動となって房に伝わったんだった。
とても不思議な気がした。 |
酷く有機的な形をした花弁が動くのは感動的な図だった。
フォーレ作曲 "本当に恐ろしいほど" の詩を読んだ。
"優しき歌" 5曲目、25歳だった詩人ヴェルレーヌが婚約者のマチルド・モーテに捧げた詩の1篇。
最後のセンテンスに目が止まった。
きゅんとなった。
Que je vous aime, que je t'aime!
(あなたが好きだ・・・君が好きだ)
若いヴェルレーヌの率直な感覚が
青く、実に瑞々しい。
親しい口をきいてみたい人は 現実には丁寧語で話す相手で |
砕けた口調でおしゃべりできるほどには密じゃなく・・・
苗字で呼んでる人に、名前で呼びかけてみたいなんて望んでも
勇気がなかったり、惑ったりして。
ヴェルレーヌの此のうたは、少し長い詩で愛を語った最後に
貴女を好きなんですと書付けてから
君を好きだ、と・・・
親しく呼びかけるだけで勇気を振り絞らなくちゃならない想い。
いざ呼べば、それこそが生の気持ちと思える安堵や開放感。
心の動きが手に取るように見える此の詩を大好きだと思った。
夫と音出ししようと楽譜を手に取って声をあげてしまった。 |
君を好きだ、の4ワード (エリジオンで曲上では3ワードカウント) がピアニシモで描かれてたのだ。
フォーレならではの感性。
なんていうか・・・作曲家と時代に寄ってはしみじみと歌い込み直す意味のピアニシモにも受け取れる形だが、フォーレ&ヴェルレーヌに限っては此処に相手ありきで語り過ぎる表現を加えるのはベタなものだと感じた。
はじめて親しげな呼びかけを口にする時の
長く望んでやっと唇にのせる慄きのような・・・
ピアニシモは其のように密やかな独白の如く
切なさと水気を含んでいてほしい気がしたのだ。
しかしいい加減を書くのもどうかとウラジミル・ジャンケレヴィッチ書を繰ってみた。 |
《和声はホ長調に解決しようとしているまさにその時、テンポを緩めることなくハ長調へと通り過ぎ、かくして私たちの注意をできるだけ長い間引きつけておく。"暁が広がり・・・" の終結部におけると同じように、和声はつまるところどこに行きつくか、最後になるまでわからない。
そしてアルペッジョが甘美な響きを奏でながら主和音と合流するかたわらで、声の方は初めてきみぼく呼ばわり (テュトワマン) した愛の告白の安らぎのなかに、六小節に渡って居残ることになるのである。》
(小林緑様・遠山菜穂美様訳)
ジャンケレヴィッチ氏も触れたvousからteへの部分は1つのモノローグとして、詩の前半で希望と不安に揺れた心が行き着いた、清々しい寧静に満ちたものであってほしい思いを強くした。
其うして初めて小さく呼んだ "君" は、静やかな呟きから徐々にクレシェンドしてフォルテへ昇る。
恋心が鼓動する軌跡のようだ。
マクダウェル "秋の喜び"
September 25, 2014
春に咲いたカリブラコア・レモンスライスがまたお花をつけた。 |
明るいレモン色が短かった夏を留めてるように見える。
ツルシノブがお庭の岩を勢い良く這い上がってる。 |
しな垂れ落ちる葉ものも好き。でも此の蔓性の羊歯は下から上へと這い登る強さが好き。
エドワード・A・マクダウェルは、フォーレやドビュッシーほどには大作曲家と言えないかもしれない。技法の弛い部分は隠せないし、美学的見地でも特別高い評価を受けた作曲家じゃない。
其れでも何だか好きな作曲家だ。
私にとっては愛すべき人だ。
作品はリサイタルでも幾つも取り上げた。 |
時に牧歌的過ぎる描写あり。
アメリカの田園的な情景がドラマ性を消滅させる運びになる時も、のどかな曲運びが静謐さに結ばれない時もある。
だけど其れで良いのだと思わせる無風の和順がある。
急にロマン風らしく劇的になったりするのが必ずしも演算を経たものじゃあないらしいところも、演奏者の自由を阻まない、言ってみれば未開拓の魅力がある。
9月28日にはじめて弾かせて頂く "秋の喜び" にも、
お稽古中楽しい思いを貰った。
輝く秋の草花が微風にそよいでるような風景に 時々コロリンっと水滴のような音。 |
劇性は大きくなくて
野原の小さな物語みたいで
秋の絵本のようだナって楽しくなる。
*9.28 秋の音楽展
*東北支援9.28コンサート
*チケット残3枚&ファンダンゴup
チケット残3枚&ファンダンゴup
September 15, 2014
9.28の秋の音楽展。 チケットは、お陰様で残りのノルマ3枚になりました。 |
お買い上げ下さったお客様、どうもありがとうございます。残り3名様分だけです。
ぶっちゃけた申し方・・・落合からお買い上げ頂けましたらノルマ達成に繋がりますのでどうぞよろしくお願い致します。(表現が段々ダイレクトになってるような・・・)
*9.28 秋の音楽展
*東北支援9.28コンサート
お時間ゆるされましたら秋の音楽展へ是非お越し下さいませ。
ファンダンゴもやっと動画ファイルを作りました。 |
早く音源整理をしなきゃって思いつつ、いつもながら遅いこと。
滅多矢鱈に音が多い曲なので、ファイルが大きくなり過ぎないよう5分程に縮めましたヨ。カット箇所が判るよう画像を挟んでみたけれど、iMovieに入れたらお花写真がすごいピン暈けでした。
ピアニスト泣かせの1曲・・・記録がてらのupです。
ドビュッシー "サラバンド" (2)
September 01, 2014
今朝の拭き掃除はキッチン棚の中。 写したのはシンク上、天井部扉のうちの2つです。 |
毎日お料理するわりにキッチン用具が少なくて
シンク上はバットとストレーナー類とお菓子型くらい。
中段丸いお箱がクッキー型、上段バスケットにはマフィン型。
ケーキ型やババロワ型は上段に重ねて積んでます。
右のほうオレンジ色のはおジャガなどの皮を手袋で剥くムッキーですヨ。夫が買ってくれました。
シンク下はもっと物が少ないです・・・
ドビュッシーサラバンド続きのお話でしたね。
3小節目の松葉が弱音の内にも豊かに膨らむと、5小節目Pのユニゾンは別楽器が現れた風で管弦楽的に響く。 |
方や16小節目は3小節目の再現がくるかのような感覚が残る分、デュナーミクの変化をもたないことは一層の平らかさを感じさせる。
2度目(この場合15小節目から)の語らいのほうが畳み掛ける音量を加える作曲と正反対に、au mouvementで同じモチーフが戻るのはPP、retenu、dim、フェルマータの果ての忍びやかな再生。
フラットな佇まいの4小節ののち19小節目にmFが現れる。 P、plusP、PP、dim.、Pから急な増長。 |
此の、少し硬く響かせたいgis-h-hにクラッとする。
前出5小節目のgis-cis-cisから外した仕様。
インターバルが大きい5小節目ユニゾンは静けさを備えたPで
反対に、高まった音を求める19小節目こそに全音下げた音。
文雅というか風流というか
ソフィストケートされたstyleがカッコイイ。
其うしてやっと得た高まりも次小節ですぐdim.してPPの霧に隠してしまう。
チラリズムの骨頂っていうのかしら、見えそうで見えない、触れられそうに思うとスルリと躱される。そして其れらの音の動き総てがアートとして帰結する妙。
サラバンドのレッスンは1時間をかけて1ページしか進みませんでした。
*ドビュッシー "サラバンド" (1)
*ケクラン、ディドロ、ドビュッシー
ドビュッシー "サラバンド" (1)
August 30, 2014
幾年か前に頂いた小さい立像。 マリア様って仰られたけれど女性の聖人かも。 |
昔教会の家具に取りつけられてたそうで底に差込み用のホールが空いてます。其の仕様からも守護の役割の聖人じゃあないかしらって思った。祖父のボロボロ過ぎる典書の上へ。
昨日のレッスンはドビュッシー・サラバンドだった。 "ピアノのために" 中2曲目。生徒ちゃんにとってお初の曲でした。 |
音を拾うだけなら平易な曲。
楽曲が求める音にするのは難度が高い曲。
そういう曲って音色や和音のお勉強にもってこいです。
生徒ちゃん自身が希望した曲だったのに、譜読みしてるうちにどんな曲かわからなくなってしまったって悩みがレッスンでの第一声だった。
そうなの? ぼんやりした曲に感じて弾くと理解し辛いかも?
ドビュッシーを持って来てくれたからテンションが上がってしゃべりまくる。
ドビュッシーの知性と理性がこれでもかってくらい現れるのを発見したら興奮するわヨ。静寂を味わう格好じゃなくて其の意味を幾重にも重なる構造で示してくるのに応えなきゃいけないって思わせられる・・・すごく緊張感高い静黙なの。ドビュッシーが巧智で導き出した静謐ヨ! うんぬんかんぬん・・・
じゃあ初めから見ていこうねってレッスン開始。
小節目で止める・・・ 3拍目によく出てくるシラファの感じを見てゆきましょう、って。 |
1小節目には主に2つの選択肢があるみたい。音を置いていく感じの導入にするか、3小節目の動きを含む4小節繋がりを初めに造り表してしまうか。
私は個人的に前者の考えで、繋がりを設けるとしたら2小節目gis-h-dis和音かな。
3小節目のシラファのほうは松葉つき。
1、2小節目は3小節目に '向かって進む' ことはせず、
けれども3小節目は1、2を受け取る・・・
渡して・受ける、問うて・答える、よりも雅びやかに思う。
僕の気持ちを聞いてほしいって訴えもなく、訴えじゃないからといって長閑とはかけ離れてる。婉然とした音の流れ。格調高さ。緊張感あるドビュッシーの感覚が伝えてくる心ゆかしいエレガンス。
黙って空間を指し示す様な、示された処に何も感じなければ背を向けてしまわれそうな、見ようとし見える人だけが見なさいと言われてるような・・・
張り詰めた虚空や、喉が塞がれそうな密度の夜気や、むせ返る薫香や、総ては目に見えず半透明の霧に阻まれるものたちを写し取った絵のようなドビュッシー音楽。目を凝らし感度を上げろと楽曲に求められるみたいな緊張状態を操る楽しさ。
シラファのことだったわね・・・って我に返る。 ドビュッシーになるとレッスンってことを忘れそうになる。 |
3小節目には松葉、ところがau mouvementの16小節目に松葉はない。此のフェイントが好き! ドビュッシースタイルのエッセンス。ツンデレみたいな感じ。どちらかというとドビュッシーはデレ(3小節目)ツン(16小節目)が多い。うんぬんかんぬん
変態丸出しでしゃべり過ぎ・・・
4小節で15分が経過してた。
*ケクラン、ディドロ、ドビュッシー
ショパン・バラードとか
July 11, 2014
雨のあとのサフィニア。 大振りなお花が開いてゆきます。夏の色だナ。 |
ショパン・バラードNo.4のコンサート動画を覗いてみた。お勉強のために早く見てチェックしなきゃならないのに、コンサート演奏は見るのも聴くのも本当にイヤで延ばし延ばしにしてた。
重症のアガリ症で、出る前の控え室ではずっと挙動不審・・・ |
ああもぉやだ、弾けない、出たくない、このまま帰りたいって
泣きそうになって、うじうじして、震えて口紅が塗れなくて
コンサートシーンはいつも其んな記憶ばかりが思い出されて
肝心な舞台は、アガリ過ぎて何にも憶えてなかったりして。
頭の中は "暗譜怖い 暗譜怖い 暗譜怖い 暗譜怖い 暗譜怖い" だけ。
は〜
長い曲だからiMovieで頭とお尻尾だけ取置いて、曲真ん中はチョキン。切った所にピアノ画像を埋め込んでみた。
Majaと夜鳴きうぐいす
July 06, 2014
古いコサージュは若い頃の品で、今の私にはベビーピンクが勝ち過ぎてた。 |
トープ色を纏ったら年とった顔にも自然に映るかな? って珈琲で染めてみた。長い間使ってきたコサージュは、レースも溶けそうに薄くなってるから怖々・・・激しく煮ないようにして明礬で色止めした。
"嘆き、またはマハと夜鳴きうぐいす" を弾いてたとき、彼女のお部屋、暮らし、好きなものは・・・? ナンテ妄想してた。 |
*女の居室とグラナドス
好きだったナ・・・マハ妄想。いつしかマハは自分の中で、インテンスと縹緲を行き来する女性像の象徴のようになってた。
曲の最終部分を少し。
たまには此んな曲
July 03, 2014
ライムグリーンの蕾が開いて白色に変わったピラミッド紫陽花。 少し花期が遅い品種です。 |
神戸は雨にならず空気だけ湿ってるお天気が続きましたね。ちょっと湿度にやられ気味。
たまには此んな曲でカラッと。
ラヴェル・ワルツ3,4,5
July 01, 2014
とっても遅くなっていました。 動画整理がやっとできた。 |
メールもファイルも用を終えたらばすぐ捨ててしまいたいほうで
Macの中に重い動画ファイルがあるのが気になってた。
ちょっとだけ切取って残りを捨てちゃう整理の一環で
ラヴェルの一部分をupです。
暗譜の不安・暗譜の緊張で、もう死にそうだったことを
朧に憶えてる・・・
フォーレと色
May 24, 2014
切り花にした芍薬を夫が愛でていました。 |
長い冬を越してやっと開いた花々はみな可愛い。
同じコーナーのもう1つのピシェは
今年初春に咲いたラナンキュラスのドライたち。 |
まだ隙間だらけで茎が泳いじゃってみっともな〜い。作ってる途中のドライと合わせるのを待ってるところなんです。
好きなショップさんのカードを下敷きに。
紅色に咲いたラナンキュラスをサニタリーにぶら下げて乾かしてたんです。 |
ドライになるにつれ深いヴァイオレットに変化しました。
此処はキッチン脇のサンサイドだから
自家製ドクダミ茶などダサダサなものなんかも微妙に隠しながら置いてあったり。 |
今朝のおしゃべりはキッチンじゃなくってフォーレのこと・・・
同じヴァイオレットに、+ローズ色、+すみれ色、+マロン色をそれぞれ重ねると元の色の印象が変わるナって思ったとき、シャルル・ケクランの言葉が甦りました。
以前にも記した清水脩様の訳にて。フォーレの試みを顕した箇所です。
《新しい和音とか、今まで知らなかった音とか、巧みで複雑なアポジアチュールや変化音などをあまり創造しなかった。むしろ新しい和音連結法や、調関係の新しい解釈を編み出しただけである。》
新しい連結法とは '色の重ね方' じゃなくって、色を重ねた結果に元色の印象が変化することへの '味わい方' に近いって言えるでしょうか。
其してフォーレ研究の金原礼子先生がご著書 "ガブリエル・フォーレと詩人たち" で書かれるところは、連結法や調解釈を生み出すに至るエステティックが求めた形の1つだったんだなって改めて感じました。 |
《ヴェルレーヌとの出会い以来、歌と楽器の関係に新しい概念を持ち込んだ。すなわち、楽器は歌の伴奏では啼く、歌と協奏するものであるとした。かくして、有節形式のロマンスであった歌曲を室内楽のレベルにまでその芸術性を高めるという、近代フランス歌曲の発展の歴史を作った作曲家である。
韻律の響きだけではなく、跨り句、畳韻法、半諧音を巧みに響かせて、旋律はないが、詩が一つの音楽になっているヴェルレーヌを初めとする象徴派の詩人の作品に出会うと、シルヴェストルの詩にあるイメージの美しさから、さらに象徴詩における密度の濃い内容とフランス語の韻律の美しさに啓発され、声だけでは表現しきれないものを、ピアノに委ねた。歌とピアノの協奏曲である歌曲が成立した。》
後期フォーレ作品を幾つか音出しして選曲中。
愛するドビュッシーのように頭脳的に顕された美意識や、厳選した無駄のなさで以て美の輪郭を描き取ってゆくような強さともまた違ってて・・・
純真さが際立つ初期作品を経た、まろやかな光の遊戯のような後期フォーレの詩情は本当に素敵ですね。
舟歌の展開部
April 28, 2014
出勤まで10分ほどあるからお庭を見てこよう、って夫が笑った。 掃出し窓から出たお庭で、開花目前の蕾を嬉しげに見回ってた。 |
零れそうに膨らんだモッコウ薔薇を覗き込み
開いたばかりの瑞々しいオーニソガラムに触れて
しなやかな茎を揺らすスノーフレークを通り過ぎ
2人で種を出したフウセンカズラの芽に見入った。
中でも夫が一等楽しみにしてるのが芍薬です。 |
昔お花にぜんぜん興味がなかったらしい夫が、結婚してからはお花屋さんで葉の形を遠目に見ただけで ”あの芍薬、見に行こう。” なんて指差すほどお庭好きになった。
夫はお気に入りの芍薬の蕾をしげしげ眺めて出掛けていった。
眩しいくらいのお天気がどこか遠い世界のようだった。 |
大きな石場に蔓を伸ばすブラックベリーは
うち沈んだ私の気持ちとかけ離れた活力を漲らせてた。
緑が滴るような夏蔦はピカピカした光沢を放って
希望に溢れながらどんどん葉を増やしてく。
プログラムのことを考えて暗い気持ちで陽を仰いだ。
リサイタル、怖いなあ。後ろ向きな気分ばかりが心を占める。
心の内と別世界のような日射しを浴びて
チャイコフスキー "舟歌" を思い出した。
せんに夫が尋ねたんだった。 |
チャイコフスキー小品の展開部に時々現れる風な
急に陽気になったような土着風を感じるところは
どんな気持ちを重ねて聞いたらいいんだろう? って。
言わんとするところは私も感じたことがある。
ロシアの土が香るような舞踏風な展開はお国ばかりか心の距離も遠過ぎて・・・って気分はわかる。
ロマンスOp.5 のリズミカルな部分で悩んだこともあった。
"此れは [正解] じゃあないけれど・・・" って前置いて話した。
フォーレ "月の光" のような、陽気な宴が一層影を濃くすることってあるじゃない? っておしゃべりした。 |
*月の光に溶けて消える
場面が換わった・楽しくなった、みたいな《展開》じゃなくって
メランコリックな小舟の風景が映されるまま、対岸に (曲によっては思い出の中に) 一瞬よぎる光景として流れるって考えもできるんじゃないかなって思うのだ。
野外舞踏の様子が主人公の塞いだ気分を一層深めたり、
笑いさざめく声を打ち解けられない白々とした心で感じたり、
土着の舞いについてゆけない気持ちがするなら
ついてゆけない主人公が曲の中に居る・・・
其んな因子もあって良いんじゃあないかな。
チャイコフスキー・ノクターン19-4
March 17, 2014
デリケイトで寂しげな旋律。 心が夜の中を彷徨うようなゆっくりした歩み。 |
1873年作曲 "6つの小品" より第4曲目。
原綴は6ピースともフランス語で記載されています。
1884年にチャイコフスキー自身が編曲したチェロ&オーケストラのスコアを見てた。ヴァイオリン&ヴィオラの弱拍が浮遊感をもって生きている。チェロ&コントラバスの強拍部は寂莫たる様相のピアニシモ・ピッチカート。
物語風のノクターンを演奏するとき考えるのは、曲中の光が月か星かって事だ。検証じゃあなくって妄想です。 |
曲の中では松明に灯って燃える火もあれば、触れれば冷たい火もある。月の明かりが雨に滲めば光の筋は今度は水たまりから発光する。
このノクターンのように星屑が降り落ちれば空の星は欠けてゆきもするのだ。
終盤 a tempo、星のまたたきのような旋律の音色に悩んだ。たおやかに崩れ降るような高音に、微弱でしかし鮮明な音色を求めてた。
しかしオケ編曲版を聴いたあとしばらく悩むことになったのだ。オケ版ではフルートパートに置かれてするすると滑るような演奏になってたからだ。
幾日も考え込んでは試弾。曲に悩む時間はこの上なく幸せです。
やはり打音を効かせてこその煌めきを私は欲してる。この度はピアノで奏でる意義のほうを取ろうって結論が出た。
■5月3日パリの風プログラム
《第1部》 | ||
ショパン | ノクターンNo.21 | *ショパン・ノクターンNo.21 |
別れのポロネーズ | *別れのポロネーズ | |
バラードNo.4 | ||
ラヴェル | 高雅にして感傷的なワルツ | *ラヴェル -- アリスブームです *ピアフとラヴェル *お鍋の穴 *ラヴェルとオタクな日々 *ラヴェル--バレンタイン2014 *ラヴェルの囲み力 |
《第2部》 | ||
ピアソラ | さらばパリ | |
ミケランジェロ'70 | ||
チャイコフスキー | 白夜 | *白夜 -- 一緒に食べよ? |
舟歌 | *チャイコフスキー舟歌の無力 |
|
収穫の歌 | ||
ノクターン | ||
グラナドス | 灯火のファンダンゴ | *ゴイェスカス *思いつくまま飾る枝 |
嘆き、またはマハと夜鳴きうぐいす | *シネマ記録(7) 愛と宿命の泉Part.2 *夜鳴きうぐいす *女の嘆き *フロレットという女性 *結婚の条件 *女の居室とグラナドス *小夜啼鳥 |
■パリの風関連リンク
*パリの風 第18回プログラム
*崩れ落ちる音
*女というもの
*風とリーフレット
■お稽古関連リンク
*2014年1月の泣きそうな日々
*雪の日に
*お稽古期間に
*補助輪をはずして
小夜啼鳥
March 15, 2014
ゴイェスカス4曲目 "嘆きまたはマハと夜鳴き鶯" は、作曲家が最愛の妻に献呈した楽曲。 |
彼は最後の時も愛妻と一緒でした。
ゴイエスカスが大変な評判を得てニューヨークのメトロポリタン歌劇場でのオペラ "ゴイエスカス" も大成功をおさめます。アメリカからバルセロナへの帰り途、乗り込んだサセックス号が悲劇に見舞われます。ドイツ潜水艦の無差別攻撃に遭い犠牲となるのです。
グラナドスは一度は救助されますが妻が波間に浮き沈みするのを見て再び海へ飛び込み、それが最期となりました。僅か48歳でした。
彼の最後の作品となった愛を描いた傑作ゴイエスカスもまた、恋人たちを死が分つ悲劇の物語です。 |
マハと夜鳴き鶯は限りなく優美で気韻溢れる楽曲。
想い煩うマハの情感がインプレッシヴに顕されています。
暗みを帯びた嘆きの甘美。希みと感傷とが静かに湧き立ち・・・
ふいに小夜啼鳥の澄んだ囀りが響きます。
夕刻と明け方によく通る声で啼くというロシニョールの声は
暁の頃のものでしょうか。
ロシニョールの囀りをどんな風に弾くか悩んでは変更を繰り返してた。 |
マハの嘆きを包みこむように
または物思いが晴れたように
どれも違うような気がした。
沈む思いや哀しみや、人の生死にさえ関わりなく鳥が啼く。
陽は昇り、風がそよぐ。
煩いなどなかったかのように世は巡りゆきます。
*僧院の廃墟にて
それはとても優しくて、また残酷で
だからこそ人は生きているあいだ精一杯
心に他者の想いも自らの願いも抱えながら
たくさんの気持ちを繋いでゆこうとするのかもしれません。
■5月3日パリの風プログラム
《第1部》 | ||
ショパン | ノクターンNo.21 | *ショパン・ノクターンNo.21 |
別れのポロネーズ | *別れのポロネーズ | |
バラードNo.4 | ||
ラヴェル | 高雅にして感傷的なワルツ | *ラヴェル -- アリスブームです *ピアフとラヴェル *お鍋の穴 *ラヴェルとオタクな日々 *ラヴェル--バレンタイン2014 *ラヴェルの囲み力 |
《第2部》 | ||
ピアソラ | さらばパリ | |
ミケランジェロ'70 | ||
チャイコフスキー | 白夜 | *白夜 -- 一緒に食べよ? |
舟歌 | *チャイコフスキー舟歌の無力 |
|
収穫の歌 | ||
ノクターン | ||
グラナドス | 灯火のファンダンゴ | *ゴイェスカス *思いつくまま飾る枝 |
嘆き、またはマハと夜鳴きうぐいす | *シネマ記録(7) 愛と宿命の泉Part.2 *夜鳴きうぐいす *女の嘆き *フロレットという女性 *結婚の条件 *女の居室とグラナドス |
■パリの風関連リンク
*パリの風 第18回プログラム
*崩れ落ちる音
*女というもの
*風とリーフレット
■お稽古関連リンク
*2014年1月の泣きそうな日々
*雪の日に
*お稽古期間に
*補助輪をはずして
ラヴェルの囲み力
March 12, 2014
《ある日のこと、白土の盃のなかに、果物の毛羽をあつめようと思いたったひとがいる。この霧をいくつかの鏡にぬりつけて、ずっとあとになってからもどってくると、鏡たちは消えていた。 |
鏡たちは一枚また一枚と身をおこし、ゆらゆらと立ちさっていったのだ。
さらにずっとあとになってから、だれかがうちあけたところによると、仕事からの帰りに、そろそろと近づいてきたその鏡のひとつに出っくわし、家までつれていったという。これはたいそうな美男の若い見習職人で、ピンクのオーヴァーオールをまとっていたため、そのすがたは水槽に、しかもそのなかで傷口をあらった水のいっぱいはいっている水槽に似ていた。
この水の頭部がにっこり笑っているさまは、根が水にひたった一本の樹のなかの無数の島のようだった。彼はなんなくその鏡を自分の家まではこびあげたが、通り道でふたつのドアがばたんばたんと音をたてていたことだけで、それらのドアはちょうど把手をはめこんだ狭いガラス板のように見えたという。》
(巌谷國士様訳)
シュレアリスムのアンドレ・ブルトン著 "溶ける魚" テクスト20です。
ラヴェル "高雅にして感傷的なワルツ" の不思議。
現実感が遠のき和音の中へ囲いこまれてしまう感じ。
ワルツを弾いててブルトンを思い出し引用しました。
例えばタイムスリップ映画って |
*シネマ記録(8)ミッドナイト・イン・パリ
未来から来た人の戸惑いに関わりなく当たり前に事が運んでて
此ちら側の動揺と対照的に 'コノ世界の当たり前' が強調される。
'当たり前' は醜怪であるほど面白い気がする。
アリスのお話も其うかも・・・
*ラヴェル -- アリスブームです
其うしてラヴェルの不可思議にも通じるのかなって。
不思議な世界っていう領域を現在位置から眺めるのを是とせず |
取込んでしまうような、タイムスリップものの如くに否応なく我々が侵入者にさせられてしまうような・・・囲い込みの威力が、高雅にして感傷的なワルツの興味深さの1つかもしれません。
なんて呼べばいいのかな・・・囲み力?
曲のお話の続きはまた今度・・・
今日は暖かくなるそうですね。
女の居室とグラナドス
March 11, 2014
女の部屋には何があるだろう。 |
練り香水、薄い手袋、楕円の手鏡、磨り硝子の乳液の瓶、口紅と口紅筆、レースのハンカチ、水差し、お茶の小さなセット、刺繍のクッション、本と美しい栞、栞に吹きかける香料、透かしが入った便箋、イニシャルの封蝋、ペンとペン先、ランプの下のドイリー。
グラナドス作品の最高傑作とされるゴイェスカスの
マハのお部屋を妄想した。
オペラ化の際にグラナドスが依頼した友人フェルナンド・ペリケの台本では窓辺で憂うマハのシーン。
美しい人の物思いとメランコリックなメロディーが溶け合う。
薔薇のエッチングのヴァーズを眺めて思ってた。 |
マハの窓辺は全くもって想像を掻き立てる。
銀のコンパクト、絹のタッセル、なめし革の室内履き、織のテーブルクロス、片隅にモノグラムが入った柔らかな膝掛け、ランプオイルと香水が混ざった香り、
とめどなく妄想が溢れるのは、グラナドスがゴヤにインスパイアされてゴイェスカスを作曲した頃したためた私信を読んだからだ。
《私が夢中になったのは、ゴヤの心理状態や彼のパレット、ゴヤ自身、彼のミューズであるアルバ公夫人や、彼とモデルや愛人、おべっか使いたちとの口論。白みがかったあの桃色の頬と対比をなす、黒いビロードの生地。アコヤガイのような手と、漆黒の装飾品にもたれかかったジャスミンの花。こういう人目を引かないものに、私はとり憑かれているのです。》
(訳はWikiより引用させて頂きました)
(拙宅での写真なんか挙げてみてもシャレにもならないのですが・・・ サランラップの芯を振り回して魔法のステッキごっこをする子供と同じで気分だけ気分だけ。) |
曲の中に居るとジャン・シメオン・シャルダンの絵画のような、またアンティミスム絵画のような "女の居室" が浮かんでしまう。
心情描写だけじゃない、女が在居する世界の叙情も伝えられる曲だと思うのだ。
'人目を引かないもの' って仰った作曲者は男性だから・・・
女にとっては元々 '殊更に目を引くもの' って気がするナ。
ゴヤ絵画に着想を得たグラナドスの気持ちの通りに。
■5月3日パリの風プログラム
《第1部》 | ||
ショパン | ノクターンNo.21 | *ショパン・ノクターンNo.21 |
別れのポロネーズ | *別れのポロネーズ | |
バラードNo.4 | ||
ラヴェル | 高雅にして感傷的なワルツ | *ピアフとラヴェル *お鍋の穴 *ラヴェルとオタクな日々 *ラヴェル--バレンタイン2014 |
《第2部》 | ||
ピアソラ | さらばパリ | |
ミケランジェロ'70 | ||
チャイコフスキー | 白夜 | *白夜 -- 一緒に食べよ? |
舟歌 | ||
収穫の歌 | ||
ノクターン | ||
グラナドス | 灯火のファンダンゴ | *ゴイェスカス *思いつくまま飾る枝 |
嘆き、またはマハと夜鳴きうぐいす | *シネマ記録(7) 愛と宿命の泉Part.2 *夜鳴きうぐいす *女の嘆き *フロレットという女性 *結婚の条件 |
■パリの風関連リンク
*パリの風 第18回プログラム
*崩れ落ちる音
*女というもの
*風とリーフレット
■お稽古関連リンク
*2014年1月の泣きそうな日々
*雪の日に
*お稽古期間に
*補助輪をはずして
チャイコフスキー舟歌の無力
March 05, 2014
舟歌はmollがしっくりくるね、どうしてだろう? って夫が何気なく言った。 |
Durのもたくさんあるけれど私もmollの舟歌が好きだナ・・・って応えを皮切りに、ご飯時間の話題は舟歌になった。
歩みは生気だと思う。
自分の足で歩む様に意欲活力を感じさせる。
舟は前進するけれど、揺られながら連れゆかれる人が居る。
舟上の人は行方を他者に任せ、下りることもままならず
御仕着せの方角に身を委ねて流される。
チャイコフスキーの舟歌の空気は、自分の手で漕ぎ進む舟じゃない風に思うのだ。揺れ進む舟を遠くに見る者にも、地を自らの足で踏む歩みと違った哀しさを感じさせる。
生彩を失ったような物悲しさ、無力感、 そして弛やかな波のモチーフは悲運の叙情を煽る一方で 虚脱のモチーフにも聞こえる。 |
大好きな1曲です。
■5月3日パリの風プログラム
《第1部》 | ||
ショパン | ノクターンNo.21 | *ショパン・ノクターンNo.21 |
別れのポロネーズ | *別れのポロネーズ | |
バラードNo.4 | ||
ラヴェル | 高雅にして感傷的なワルツ | *ピアフとラヴェル *お鍋の穴 *ラヴェルとオタクな日々 *ラヴェル--バレンタイン2014 |
《第2部》 | ||
ピアソラ | さらばパリ | |
ミケランジェロ'70 | ||
チャイコフスキー | 白夜 | *白夜 -- 一緒に食べよ? |
舟歌 | ||
収穫の歌 | ||
ノクターン | ||
グラナドス | 灯火のファンダンゴ | *ゴイェスカス *思いつくまま飾る枝 |
嘆き、またはマハと夜鳴きうぐいす | *シネマ記録(7) 愛と宿命の泉Part.2 *夜鳴きうぐいす *女の嘆き *フロレットという女性 *結婚の条件 |
■パリの風関連リンク
*パリの風 第18回プログラム
*崩れ落ちる音
*女というもの
*風とリーフレット
■お稽古関連リンク
*2014年1月の泣きそうな日々
*雪の日に
*お稽古期間に
白夜 -- 一緒に食べよ?
February 26, 2014
一緒に食べよ? って語尾を優しく上げるのは 恋人時代からの夫の口癖だった。 |
合わせの日、手焼きおやつを出してから
添え物を忘れちゃったってキッチンへ取りに行った。
お先に上がっててねってピアノ室を離れたのに
お茶にも手をつけてなかった。
戻ると嬉しそうに言うんだった。
一緒に食べよ?
同じ家に暮らす今も夫の習慣は変わらない。 |
食卓で頂きますをした後によく忘れ物に気がつく。
備え忘れてた取り分け用カトラリーを取りに立ったり
頂き物を思い出したり、準備不十分で慌ただしくしてしまう。
冷めないうちに先に食べててね、って席を立ち
戻るとやっぱり夫は座って食卓を眺めてる。
其うして言うのだ。
一緒に食べよ?
優しさと気遣いと・・・でもそれだけじゃなくって |
分かち合う相手を求める気持ちのようにも思えて
一緒に食べよ? って聞く度に切なさも感じたんだった。
チャイコフスキー "白夜"。
太陽が沈まない夜の仄明るさ。
甘くて時々きゅっと切ない時間が
ゆっくりゆっくり揺蕩い流れる。
ほんのりと射す夜の陽が人を包むように優しくて
"白夜" を弾いてると
側に夫の声が聞こえる気がする。
一緒に食べよ? って。
■5月3日パリの風 第18回関連リンク
*パリの風 第18回プログラム
*崩れ落ちる音
*女というもの
[ショパン]
*ショパン・ノクターンNo.21
*別れのポロネーズ
[ラヴェル]
*ピアフとラヴェル
*お鍋の穴
*ラヴェルとオタクな日々
*ラヴェル--バレンタイン2014
[グラナドス]
*ゴイェスカス
*思いつくまま飾る枝
*シネマ記録(7) 愛と宿命の泉Part.2
*夜鳴きうぐいす
*女の嘆き
*フロレットという女性
*結婚の条件
[お稽古]
*2014年1月の泣きそうな日々
*雪の日に
別れのポロネーズ
February 25, 2014
泣きながら目覚めた。 |
夫と一緒に摘んでドライにした紫陽花をピアノ室の窓辺へ飾ったのは前日だった。小物を置き換えながら知人とお電話してた。
連れ合いに先立たれてからお食事作りの気力を失くしてしまって、立ち直ろうとされてる女性が話題だった。ああ、わかる・・・もしも夫が食べないご飯作りになったら、どんなに無気力になってしまうだろう。
宅配ご飯などのシステムって作る事に不自由があったり時間がなかったりする方以外にも、気持ちの問でご飯のお支度がしづらい方のためにもあるんだなって初めて思い至った。
其んなお話を耳にするだけで胸が詰まって涙が出るようになったのは結婚してからだ。
別れは・・・
当たり前だけれど、重いのは別離の瞬間だけじゃないのだ。
別れて居続けることの哀しさだ。
こんな事を考えたせいか夫と離れ離れになる夢を見て
泣きながら目覚めた。
帰宅する夫をこの日もお迎えに行ってしまった。 会えるのが楽しみで駅に早く着き過ぎた。 |
改札口を出てきた夫はいつものように只今のビズをしてから、私の顔が冷えてるのを気遣った。長く居たの?って頬を暖めてくれた。
それからコンサートで配られたとお花を手渡してくれた。
お花はもちろん、お仕事先でちょっと頂いたおやつも大事そうに持って帰ってくるのだ。
弦・打・鍵盤楽器奏者は楽屋でおやつを頂けるけれど 管楽器は本番前にものを口にするのは難しいから |
その場で食べられなかった頂き物をポケットから出して
"一緒に食べよ? " っていつものように笑った。
休憩中に皆さんでシェアするお菓子って色んなのがあるのね。 |
楽しみながらも、いつか此んな小さな幸福が消える日が来るんだって考えてた。
ショパンが妹の鉱泉治療のため旅立つ前、曲中にさようならと記して友人ウイルヘルム・コルベルクに送ったところから別れのポロネーズと呼ばれる曲。
むせぶようなメロディーは、年若い友情の別れをそのまま描いたものじゃなさそうだ。
別れ。そして別れが以後に齎らす無慈悲な痛みをしんしんと訴えかけるようなポロネーズだ。
■5月3日パリの風 第18回関連リンク
*パリの風 第18回プログラム
*崩れ落ちる音
*女というもの
[ラヴェル]
*ピアフとラヴェル
*お鍋の穴
*ラヴェルとオタクな日々
*ラヴェル--バレンタイン2014
[グラナドス]
*ゴイェスカス
*思いつくまま飾る枝
*シネマ記録(7) 愛と宿命の泉Part.2
*夜鳴きうぐいす
*女の嘆き
*フロレットという女性
*結婚の条件
[ショパン]
*ショパン・ノクターンNo.21
[お稽古]
*2014年1月の泣きそうな日々
*雪の日に
ラヴェル--バレンタイン2014
February 17, 2014
2014年バレンタインデーは雪だった。 病院へ行く日だった。 |
ぶかぶか大き過ぎる長靴を履いて出掛けた。
通い慣れた道は普段と様子が違ってた。
目眩ましに遭って知らない場所へ連れてこられた気分になった。
駅前の公園の大きな木も一層高く聳えて見えた。 |
見上げるとクラッと目眩がした。雪の反射が目を刺した。
枝に積もって落ちる雪と空から降る雪が特異な角度で交差した。
木の下の花壇も厚く雪に覆われて、ブルゴーニュ君が匂って歩く場所と違った顔になっていた。 |
1枚の雪のベールで別空間の風に感じられた。
ラヴェルの音楽にも其んなところがある。
美しいラヴェルを愛する気持ちよりも少しだけ多く、グロテスクなラヴェルが好きだ。異世界に運び込まれたような感覚にさせられる一瞬が好きだ。
"高雅にして感傷的なワルツ" が頭から離れなくなった。
冷たくて有機的。
次元が異なる有機物の中に迷いこんだ風で
温度が低い空間に動物的な気配が漂う感じ。
*謎 -- ラヴェル "永遠の謎"
*フランスと動物臭
マルグリット・ロン女史が当曲を《壊れそうなニュア ンス、不気味なまぼろしは傷つきやすい音符の中に込 められている》と著してる。
雪に降り籠められたラヴェルの音の妄想から戻って バレンタイン・チョコのお菓子を焼きました。 |
夫が大好きなマシュマロとラム入りで6つ焼いた。
湯気の立つお菓子をはふっはふってパクつく夫。
ラヴェルの非現実から一転の現実世界。
■5月3日パリの風 第18回関連リンク
*パリの風 第18回プログラム
[ラヴェル]
*ピアフとラヴェル
*お鍋の穴
*ラヴェルとオタクな日々
[グラナドス]
*ゴイェスカス
*思いつくまま飾る枝
*シネマ記録(7) 愛と宿命の泉Part.2
*夜鳴きうぐいす
*女の嘆き
*フロレットという女性
*結婚の条件
[ショパン]
*ショパン・ノクターンNo.21
[お稽古]
*2014年1月の泣きそうな日々
*雪の日に
ショパン・ノクターンNo.21
February 15, 2014
顕したいのに、言いたいのに・・・でも言えない・・・ |
想いばかりが溢れそうで
だけれど何一つ外に向ってはいない。
途切れがちの吐息ばかり。
顕した末の悲しい結末を知っていて
諦めながら抱き続ける問。
ショパン・ノクターンNo.21をとても拙い言葉で表現しようとすると此んな風にしかならない。
私の稚拙な文に比べ、お客様のご感想はいつも素敵だ。次回リサイタルで演奏する此の曲のことが、メールに端的で素敵に書かれてた。《訥々とした流れ》って言葉があった。
1フレーズ目、途切れそうなメロディーは恋する哀しみの独白のようだ。吐息まじりの行き先がない独白。まさに訥々と。
形にならない想い。
隙間が空く。
溜息の休符だ。
ノクターンのことをずっと考えながら
模様替えした屋根裏側の小部屋は
あまりにも寂しげになってしまった。
音符の隙間は
作曲者が語る心の隙間なのかもしれないと
白い空間を眺めて思った。
隙間を埋めた。 |
隙間の間隔を何度も変えた。
語りかけのようなメロディー間の空白を
どれくらいの間隔にするか悩んでいるのだ。
ピアノの前で悩み厭きると
妄想の模様替えが始まる。
1オブジェクトが1音だったり1フレーズだったりする。
隙間を埋めたのは
古い古いスケッチブックだった。 |
ラヴェルとオタクな日々
January 27, 2014
空気が弛んだ週末は冷えも少なく過ごせた。 |
秋口に頂いたとろけそうにふわふわなダブルサイズの敷毛布も残る出番は少なくなってゆくのカナ。
夫は此のふわとろ毛布を好き過ぎて他のじゃあ寝られないほど愛してるみたいだけれど洗わせてネ。
カヴァーやシーツは淡くダマスク織だけで模様が形作られた単色が大好きで、似た風ばかりを使い続ける。 |
よく見れば何か描かれてる、よく見なきゃわかんない・・・曲の好みと共通するナって思った。
音楽の好みが暮らしに反照され、また逆もあり・・・
1人の人間の1つの暮らしの内から1様のアイディアができてゆくなら、知らず知らず楽曲ヒントを紡ぐ小さな日々の事も心して大事にしなきゃって思う。
*ピアフとラヴェル
*お鍋の穴
ラヴェル "高雅にして感傷的なワルツ" 5ピース目冒頭からの合いの手を迷ってた。 |
ウエットな調子の短いバリエーション。
此んな場合にクールな合いの手を入れるのが好きだ。
抒情的なメロディーの下、2、3拍を刻む音を無機質な感じにするほうがラヴェルの残酷でちょっとグロテスクな雰囲気を引き立てる気がしたのだ。
素っ気なくなり過ぎない配分が見つからず悩んでるとき、映画DVDの音楽を思い出した。昨年夫と一緒にイヴ・モンタン主演 "ギャルソン! " を鑑賞したんだった。
冒頭の挿入音楽がとても気分に添って・・・よく憶えてないけれど頭に僅か残ってる記憶だと多分6/8系の偶数拍子だった気がするから、3/4で書かれた当該ピースと拍カウントは異なるかも。でも3つの音の刻みの割付けはあの感じだワって思い出し、嬉しくなってラヴェルに採用。
小さい思いつきで曲が少しずつ形になるのが喜び。本人以外はまるで面白くないオタクな日々の記録でした。
■5月3日パリの風 第18回関連リンク
*パリの風 第18回プログラム
[ラヴェル]
*ピアフとラヴェル
*お鍋の穴
[グラナドス]
*ゴイェスカス
*思いつくまま飾る枝
*シネマ記録(7) 愛と宿命の泉Part.2
*夜鳴きうぐいす
*女の嘆き
*フロレットという女性
*結婚の条件
*2014年1月の泣きそうな日々
夜鳴きうぐいす
January 09, 2014
雨の1日だった。 陽が出てる間は暖かい湿り気を感じた。 |
雨のため防水工事は中休みになり、お陰で僅か時間の余裕が持てた日だった。
夜鳴き鶯
夜啼き鶯
夜鳴きうぐいす
夜啼きうぐいす
校正は2校に入った。Macで色々打ってみながら、タイトル訳にどれを使うか迷った。楽曲タイトルは音楽の印象により近いものを使いたいっていつも思う。漢字を使って字数削減したいけれどグラナドスの鳥はやっぱり平仮名のうぐいすだわ・・・なんて考え込んで3番目にした。
進まぬ作業に疲れてジャンケレヴィッチを開いた。
ぱらっと適当に捲ったページの文が目に飛び込んできた。
《"白い月、森にさし" のナイチンゲールは、一体何を告げようとしているのだろうか。》
ナイチンゲール、小夜啼(さよなき)鳥。夜鳴きうぐいすのお話だった。 |
《"5つのヴェネチアの歌" の '第2曲' でのナイチンゲールは絶望を歌っていたが、月の光のナイチンゲールの方は優しい歌の良い知らせや、明け方に差し込む最初の白い光などを告げている。"早く、早く、黄金の太陽が昇ってくる! " "夏の或る明るい日" の太陽は、我々の喜びを膨らませ、真っ青な空を真っ赤に染め上げるのだ。
そしてナイチンゲールに姿を変えた魂は、自らの再生を告げる。
"冬は終わった" と。
何故なら、朝が一日の中の春の頃であるように、冬眠の後にやってくる春は一年の中の朝の時期だからだ。加えて、新しい時代を目指す魂にとっては、花月(フロレアル) とは精神の再生を表す曙光のことを意味しているのである。》
(大谷千正様訳)
グラナドス "嘆きまたはマハと夜鳴きうぐいす" のナイチンゲールはフォーレとはまた違ったナイチンゲールだ。 |
最後の囀りは哀しみを包み込むでもなく、希望を授けるでもなく、人の嘆きに関わりなく曙が訪れる情景のような気がしてる。
■ジャンケレヴィッチ関連リンク
*フランスと4.20PJ写真(2)演奏中
*グッゲンハイム道順とババールカードVol.12
*お席数限定ラ・クロワ
*音とお庭
*間際の悩み
*七夕はPJへ
*裏口のカードル
*延期
*ダサいお菓子
*西宮ミュージックパーティー
*七夕ライブ
*七夕PJ、星灯りのプログラム
*優しき歌とリディア
*ババールカードVol.14と優しき歌
*ゆりかご
ピアフとラヴェル
December 30, 2013
昨日は1日音楽の日。 |
28日でお仕事納めだった夫と各々のレッスンルームに篭ってお稽古。夕方早くから少し合わせをしたりソロ曲を相談したり。音楽一色で過ごせる日が一等幸せです。
今日も変わらず曲内容を悩み考えてる。
楽曲を構成する材料って本当は周り中にあって・・・
一見関係無さそうな分野の材料を曲中の相応しい場所へ回合わせて楽しんでみることがある。
文学、絵画、映画、風景、花々の姿、時にはただの気候変化さえ音楽ヒントだ。
11月のボジョレーライブの頃、ピアフの "パリ空の下" を聴いた。 |
溢れ出すピアフ節に震撼した。感動しきり。
*ピアフのWebビデオ
歌本来の意味合い的にどうかなんて関係なくなってしまう程に
ずしっと迫る威力に夢中にさせられてしまう。
ババールでは器楽デュオのあり方としてまた歌詞が引連れてくる情景としての問からピアフ調は選ばなかったけれど、文句なしに素晴らしい歌唱だってことに変わりない。
冒頭の一瞬で暗みが湧き上がる風をグラナドス "灯火のファンタンゴ" で可能になりはしないかって考えてた。
グラナドスのために聴いてた筈だのにその内 Pres de Notre-Dameからのフレーズごとに入ってくる無機質な金管の表情の方がヒントになった。ラヴェル "高雅にして感傷的なワルツ" の出だし和音の捉え方に大きく役立った。
見渡せば曲材料は生活の中にいっぱい落ちてるのだ。
今夜は12月30日恒例ノベルティ家で蟹鍋の日。
夫はお初参加ながらお顔見知りのお仲間ばかり。
2人で楽しみにして参ります・・・♪